帝國召喚

外伝「カナ姫様の細腕繁盛記」


【01】


 城下が燃えている。もうそこまで『敵』が来ているのだ。

「大叔父様、余程私達を憎んでいたのね……」

 私の名前はカナ・メクレンブルク・シュヴェリン。
 このシュヴェリン王国の第一王位継承者だ。

 シュヴェリンは王国とはいえ人口3万の小国で、特に資源がある訳でも、交通上の要所という訳でもない。
 辺境の一豪族に毛が生えた様なもの、そんなちっぽけな存在に過ぎなかった。
 ……だけど、そんな辺境の小国にだって争いの種はある。

 私の祖父――先代の王――はこの国の生まれではない。どこか遠い所から来た旅人だったらしい。
 昔、私が祖父に『御爺様の故郷は何処にあるの?』とお聞きした時、私の頭を優しく撫でながら
『もう二度と帰れないくらい、遠い遠い所だよ』と寂しそうに笑って仰ったことを覚えている。
 祖父は先々代の王に気に入られ、祖母と結婚して王位を継いだのだ。
 ……が、祖母には弟――大叔父様――がおり、ここで争いの種が蒔かれた。

 けれども祖父は武将としても優れていたので、その存命中は何事も起きなかった。
 その代わり、祖父が死んで僅か数年で事が起きた。
 現国王である父に対し、大叔父様が反乱を起こしたのだ。

 その兵力は2000。
 どうやって集めたのかは分からないけれど、城内に篭る100にも満たない王国軍では、どうにもならない事だけは確かだった。




「姫様! どうか姫様だけでもお逃げ下さい!」

 乳母が叫ぶ。

 ……でもね、何処に逃げるの?

 この城で生まれ育った大叔父様だ、この城の事等熟知している筈。抜け道など承知の上だろう。
 それに何より……

「……皆を見捨てて?」

 この城には城下町の皆も避難している。
 城下町といっても皆顔見知りのようなもの、彼等を置いては行けない。
(大叔父様は無関係の彼等にまで危害を加えようとしたのだ!)

 ……違うか、私が最後まで一緒に居たいだけだ。

「でも……このままでは……」

 私だって死にたくはない。
 でももう終わりだ。超常的な何か、それこそ奇跡でも起きない限りどうにもならない。

 そんな時だった。

「……助けが入用で?」

 こんな声が聞こえたのは。




「……助けが入用で?」

 振り返ると男の人が立っていた。
 それも一人ではなく数人。皆、長く尖った耳を持っている。

「……エルフ?」

 その言葉を聞くと男の人――多分この人が隊長だ――は、心底嫌そうな顔をして言った。

「あんな連中と一緒にしないで頂きたい。我々はダークエルフです」

 ダークエルフ? あの有名な? でも……

「詐欺だわ、ちっとも黒くないじゃない! どこが『ダーク』エルフよ!」

 そう、彼等の肌はちっとも黒くなかったのだ。

「……それは、貴方方人間の勝手な想像でしょう?
 まあ連中(エルフ)の病的な白さから見れば、確かに黒いですけどね」

 う……正論を。でも、それにしても……

「どうやってここまで?」

 それを聞くと、ダークエルフは少し困ったような表情で言った。

「ええっと、もう少し警戒は厳重にした方が良いですよ? この城の対人警戒、穴だらけですから。
 いくら田舎同士の戦いだからといってあれは。 ……まあ向こうは『それ以下』ですけどね」

 大きなお世話よ。

「それでも、ここまで入ってこれるのはあなた達位なものでしょう?」

「まあ、そうでしょうね」

「ならそれでも良いわよ。どうせ『田舎』の戦いじゃああなた達は必要ないわ。第一、あなた達高いし」

 ダークエルフを雇うなんて、うちみたいな小国じゃあ逆立ちしたって無理。

「我々が怖くないのですか? 貴方を殺しに来たのかもしれませんよ?」

「殺すのならこんな無駄話なんかしていないで、サッサと殺しているでしょう?」

 その答えを聞くとダークエルフは笑い出した。

「宜しい! 大いに宜しい! それでこそわざわざ来た甲斐があったというものだ!」

 一頻り笑うと、急に真面目な顔付きになり言った。

「実は我等、主君からの命を受け参上しました。姫様、取引をしませんか?」

「取引? それより主君って誰? 貴方達の雇い主?」

「いえ、我等ダークエルフ一族全てを支配する御方です。それに我等はもう雇われ仕事はしていません」

「ダークエルフ一族全てを支配? 誰よ?」

 まさか御伽噺の魔王じゃあないでしょうね。

「この世界の全てを支配できるだけの力を持った御方ですよ」

「…………」

 ますます魔王っぽかった。

「まあこの話はもういいでしょう。とにかく我々の主君との取引、受けますか?」

「……まだ内容も聞いていないでしょう?」

「これは失礼! 我等の主君は貴国シュヴェリン王国に対し、バレンバン地方の割譲を望んでおります。
 もちろん無償とは言いませんよ。『この城皆の命と叛乱軍の殲滅』でどうです?
 ……なんなら『この反乱の首魁の首』もつけますよ?」

 薄笑いを浮かべながら話すダークエルフ。
 それを横目で見ながら、カナは考える。

 バレンバン地方? 『死の湖』を囲むあの不毛の地が欲しい?
 ……怪しすぎる。
 ハッ、まさか本当に魔王が復活したとか?


 魔王『余は数千年の眠りから覚めたばかりだ、沐浴がしたい』

 ダークエルフ『ハッ、シュヴェリン王国バレンバン地方に丁度良い湖があります』

 魔王『うむ、早速余に献上せよ!』


 ……嫌過ぎる。

 でも力尽くじゃなくて、ちゃんとした契約で手に入れようなんて ……意外と魔王って紳士?
 それはさておき……

「聞きたいことがあるのだけれど」

「答えられる事ならば」

「何故、反乱軍の所に行かなかったの?」

「信用できませんから」

 二度手間は御免ですと、ダークエルフはキッパリと答える。

「じゃあ何故、御父様(シュヴェリン王)の所に行かないで私の所に来たの?」

「……御父上は、私を見たとたんに気絶なさいました」

「御父様……」

 あまりの情けなさに、思わず天を仰ぐ。

「心中、お察しします」

 ……ダークエルフに同情されるなんて。


「では質問はこれで宜しいですか?」

「最後に一つ! 2000からの反乱軍、どうやって倒すの? まさかあなた達だけでやる気?」

「……我々を何だと思っているのです? 魔神じゃあるまいし、そんな真似できませんよ」

 呆れたように首を振る。

「じゃあどうやって! 敵は直ぐそこまで来てるのよ!」

「直ぐに分かりますよ。まあ『神の鉄槌』とでも言っておきましょうか。それより返事を」

「うっ」

 どうしよう……

 選択の余地が無いのは分かりきっている。
 でも、私にそんな権限ある訳ないでしょう?
 ……それに、なんだか悪魔と取引している気分よ。

「もう時間がありませんよ?」

「分かったわよ! 取引するわよ! すれば良いのでしょう!」

「では、書類にサインを」

「……でも私には権限ないから、どうせ書いても無駄よ?」

「形式だけですよ。貴方を信用していますから」

「お世辞はいいわよ。はい、これ」

 自棄になって書いた書類を差し出す。

「確かに。では私共はこれで」

 恭しく書類を受け取ると、ダークエルフは一礼して去っていった。何の痕跡も残さずに。

「ダークエルフって初めて見たけど凄いわね」

 返事が無い。そういえば会話中もずっと無口だった。

「ばあや?」

 乳母は気絶していた。




「あれから暫くたったけど……」

 何も起こらない。
 ……騙されたのだろうか?

「だとしたらダークエルフって暇なのね……」

 わざわざこんな所まで、騙しに来るのだから。

「まあいいか。最後に珍しいものも見れたし」

 カッ!

 突如閃光と同時に大爆音が響き渡り、城が大きく揺れる。
 閃光と大爆音は止まる事なく、次々に連続して響き渡っていく。

「何? 地震と雷が一緒に来たの!?」

 思わず叫ぶ。

 這うようにして窓の傍まで行き外を見ると、反乱軍の陣地で大爆発が起こっていた。
 後には大穴がいくつもあいている。

「……『神の鉄槌』」

 ……あのダークエルフの言葉、本当だったんだ。

 これでは反乱軍は全滅だろう。敵ながら気の毒なことだ。
 でも……

「……これって、私のせいじゃあないよね?」

 非現実的な光景を目の当たりにして、カナは思わず現実逃避した。
 ……いやだって、本当に悪魔と契約した様な気分だったし。
(それにコレ、絶対『神』じゃなくて『魔王』の仕業だと思う)

 彼女が現実逃避を続ける間にも、大爆発は休む事無く続く。
 『神の鉄槌』改め『魔王の鉄槌』は、その後も暫く程続いた。








━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【02】


――――シュヴェリン王国沖20㎞海域

「撃ち方止め!」

 艦長の号令により、ようやく艦砲射撃は終了した。

 砲撃を行ったのは戦艦山城。
 山城は駆逐艦1隻に守られつつ砲撃を開始、王城周囲に展開する反乱軍を文字通り『吹き飛ばした』。
 ……城下町ごと吹き飛ばしたのはご愛嬌だが。

(弁解するようではあるが、何しろ30㎞近い遠距離から砲撃を行ったのだ。
 王城を巻きこまなかったっだけでも『大したもの』、だと思って欲しい)

「艦長、陸上の観測班より連絡です。『敵ハ壊滅ス』!」

「当然だ。陣地にも篭っていない、剥き出しの相手だぞ?」

 艦長はさして嬉しそうな顔も見せず、吐き捨てる様に答えた。
 彼に言わせればこれは『当然の結果』であり、そんなことよりも手際の悪さや撒布界の広さの方が気になるらしい。
(※もっとも客観的に見ればなかなかの練度なのだが)

「本艦はつい二ヶ月前までは練習艦(砲術学校練習艦)でしたから、多少は仕方が無いかと」

「如何な優秀な将兵を集めたとはいえ、『二ヶ月では寄せ集めです』か? 違う、『二ヶ月もあったのにこのざま』だ!
 そんなことは理由にならん! 本当ならば、現役復帰後一ヶ月で米国の戦艦と殴りあう筈だったのだぞ!」

 転移がなければ今頃本艦も激戦の真っ只中だ、と艦長。
 彼は『帰還後特訓だ!』と息巻いている。
 ……まさに『鬼の山城』の艦長に相応しい人物、と言えよう。

「は、申し訳ありませんでした」

「まあ良い、今は任務中だ。速やかに本隊と合流する」

「は!」

 こうして、山城は再び水平線の彼方へと消えていった。
 誰に気付かれることもなく。




――――シュヴェリン王国王城

「……ようやく終わったみたいね」

 壁に手をつき、体を支えながらカナ姫は呟いた。
 そして何とか窓へと向かう。

「うわぁ……」

 窓から見た光景は悲惨としか言いようがない。
 あたり一面、大穴だらけの焼け野原である。
 森も、田畑も、……そして町も。

「うう(泣)」

 城下町は跡形も無くなっていた。
 それだけならまだ良いが、あちらこちらに大穴まで空いている。
 これを埋めるだけでも、相当な苦労の筈だ。
 ……いっそ、他の場所で町を再建した方が良いかもしれない。

「……直すのに、どの位お金が掛かるかなあ?」

 考えたくもないけれど、数年は主従で窮乏生活を強いられるだろう。当然おやつも抜きだ。
 ……魔王様、出来ればもう少し優しく助けて欲しかったです。

「……でも、命が助かっただけでもマシよね」

 とりあえずは今生き残れたことを喜ぼう。
 そうでも考えなければやっていられなかった。

 ――そういえば、皆はどうしているだろう?

 部屋から出て見て回ると、城内は静まり返っていた。
 皆呆然としているか、怯えているかのどちらかだ。

 ――まあ、無理も無いか。

 何しろ未知の現象に遭遇したのである。
 自分だって何も知らなければ、同じ様に呆然としているか、怯えているかのどちらかだったろう。多分、きっと。

「ほらっ! 皆、しっかりする!」

 カナの叱咤に、ようやく何人かが反応する。

「衛兵司令!」

「ハッ!」

「至急兵を率い、城外の敵残党を制圧! 負傷者は捕虜にし、手当てを。降伏した者も捕虜にしなさい。殺しちゃ駄目よ!」

「かしこまりました! 至急、兵を率い敵残党を制圧します!」

「お願いね?」

 運がよければ、生き残りがいるかもしれない。

「大臣!」

「はい! 姫様!」

「城内の者の安否を至急確認して! ついでに城内被害状況もお願い」

「かしこまりました!」

 カナの命令を受け、大臣は慌てて駆けて行く。
 さてと、後は……

「侍従長?」

「はい! 姫様!」

「そんなに畏まらなくてもいいわよ。皆大げさなんだから」

「いえ姫様、実にご立派です! それでこそ次期シュヴェリン王、爺は感激です!」

「ありがとう。 ……それで御父様は?」

「はて? そういえば、未だに御部屋にいらっしゃるようですな」

 まだ気絶してらっしゃるのかしら? それとも放心しているのかな?

「……ありえる」

「?」

「なんでもないわ。御父様もお疲れなのでしょう。そっとしておいてあげて」

「畏まりました」




 出撃した軍は、一戦も交えることなく帰還した。

「……敵は全滅です。生存者は発見できませんでした」

 報告する衛兵司令の顔は真っ青である。余程凄惨な光景だったのだろう。

「ありがとう。 ……大叔父様も?」

「死体の判別はつきませんが、おそらく」

「……そう、ご苦労様」

 これで外は安全だと判ったが、外の被害を調べるのはまだ早い。
 町が吹き飛んだと知ればショックを受けるだろうから、もっと皆が落ち着いてからの方がいいだろう。
 幸い城内の被害は殆どないので、しばらく町の皆を収容することも可能だ。
 ……しかしそれにしても、これからの事を考えると本当に頭が痛い。

「姫様、先ほどのアレはなんだったのでしょうね?」

 ――拙い!

 何が起こったのかなんて、自分だって知らない。
 が、そんなことを言ったら、また皆不安がるだろう。
 ……かといって『ダークエルフと契約してやらせた』なんて言ったら、凄い騒ぎになることはは目に見えている。

 ――こうなったら!

「何言ってるの! 私達助かったのよ! だから、そんな細かい事を気にしちゃあ駄目!」

「こ、細かい事でしょうか?」

「そうよ! せっかく助かったのだから、宴会よ宴会! 料理長、食料庫を開いて!」

 とりあえず、カナは徹底的に誤魔化すことにした。




 宴会が始まって暫くすると、ようやく活気が戻ってきた。
 助かった喜びと豪華な食事が、彼等の不安を一時的とはいえ忘れさせたのであろう。
 彼等は素直に生き残ったことを喜び、大いに食べ、飲んだ。
 ……唯一人を除いて。
 カナは皆が楽しんでいる事を確認すると、一人宴会から抜け出した。

 彼等は忘れればそれで良いが、彼女はそうはいかない。
 何しろ、考えなければいけないことが多すぎる。

 国の再建ももちろんだが、より緊急の課題としてダークエルフのこと、そして……

「あの反乱軍の出所よねえ……」

 2000もの大軍がどこからか沸いて出てくるはずがない。必ず供給元があるはずだ。
 それを確認もせずに、『これで終わり』と考えるほど彼女は楽天家ではなかった。

「大叔父様単独で集められる筈も無いし、必ず黒幕がいる筈なんだけど……」

 そこまで考えるが思い当たることは何も無い。
 何しろ2000である。この地方の国々の常備軍、その殆どが100~200程度であることを考えれば、その膨大さがわかるだろう。

 ちなみに、常備軍を広めたのはカナの祖父である。
 常備軍は従来の軍と比べて小振りではあるが、練度が高く、何よりも何時でも好きな時に動かせるのが最大の魅力だ。
 その常備軍を逸早く作り上げたシュべリンは祖父王の指揮の下、連戦連勝。
 身をもって常備軍の強さを学んだ周辺諸国も競って導入し、今ではこの地方(フランケル地方)の標準的な軍制となっていた。

 尤も常備軍だけでは足りない場合、或いは国内防衛戦の場合は国民を動員することにより数を補う。
 動員軍は通常、常備軍と同数から倍程度の数で、主に国内警備等の後方支援を担当する。
 仮に前線に出たとしても二線級以下の扱いだ。

 ただし動員する場合はことが大事になるし、周囲の国々にばれない筈が無い。
 また『余程切羽詰まっている場合を除いて農閑期にしか動かせない』『練度が低すぎる』『国民の負担が大きい』等の欠点も多く、
そう簡単には取れない手段でもある。
(何しろ動員を行なうかどうかで『その国の本気度が分かる』と言われている程だ)

 それにたとえ総動員をかけたとしても、2000などという大軍を集められる国はそう多くない。
 各国とも常備軍が人口の1%、
 これに侵攻作戦時の動員が1%、
 国境付近での戦闘時の動員が2%、
 敵を国内で迎撃する場合の動員が4%
 ……といったところが最大値で、どんなに切羽詰まっていても人口の5%(うち常備軍は1%)以上を動員することは不可能だ。
(動員は国家財政だけでなく、国内の経済基盤そのものにダメージを与えるため)

 このため2000もの兵を集めることが出来るのは、国内防衛戦時の場合でも4万以上の人口が必要となる。
 現実的に考えれば、人口10万以上の国家で無ければ不可能だろう。
 人口1~2万の国家が大半のこの地方では、凡そ不可能な話だった。
 ……いや、唯一国可能な国がある。が、しかし……

「動員なんかしたら流石に気付く筈……よねえ?」

 そう、気付かない筈は無いのだ。

「じゃあ数ヶ国が連合で? でもそんな大規模な陰謀なら、やっぱり兆候位ある筈よねえ。 ……ん?」

 誰かがやって来るのに気付き、カナは思考を止める。

「あら? 貴方は確か、お爺様の……」

 たしか、祖父の下で歩兵隊長を務めていた男である。
 祖父の死に合わせて退役した筈だ。

「覚えていて下さいましたか、姫様」

 男――もはや老人だが――は嬉しそうに言った。

「忘れるわけ無いでしょう? 貴方はお爺様の傍にいつも控えていたのだから」

 しばらくの間、亡き祖父の話題で話が弾む。
 が、頃合を見てカナは切り出した。

「それで、私に何か用? わざわざ世間話をしに来た訳じゃあないでしょう?」

「流石は姫様、お見通しでしたか」

「だって貴方、最初は何か思いつめたような顔をしていたわよ?」

「姫様こそ御一人で、どうなさいました?」

 老人は探るような目で尋ねる。

「いろいろあるけど、とりあえずは『反乱軍の正体』かしら?」

「そうでしたか、やはり姫様とお話ができてよかった」

「じゃあ貴方もそのことで?」

「はい。反乱軍の死体の殆どは肉片状態でしたが、確認をとれた死体もありました。
 一人はメクレンブルクの騎士です。間違いありません」

「メクレンブルクの騎士? じゃあメクレンブルク王国が?」

 メクレンブルク王国はシュヴェリン王国の隣国であり、人口10万の『大国』だ。
 ……確かにメクレンブルク王国が動員をかければ、2000の兵も集められるだろう。
 だからこそ、カナも真っ先に疑った。

 けど……

「じゃあ、我が国は『動員をかけていることも気がつかなかった』ということ?」

「いえ、流石に動員をかければ気がつくでしょう。ですがそのような兆候は……」

「でも常備軍だけでは1000がいいところでしょう?」

 それも文字通り『国を空にして』――城どころか国境の砦まで――の話だ。

「あと一人、確認をとれた死体があります。その者は『流民』の長の一人でした」

「『流民』!? メクレンブルクは、『流民』と手を組んだの!?」

 カナは驚愕の声を上げた。

 『流民』とは、定住の地を持たない放浪の民のことである。
 彼等は、何も好き好んで放浪している訳ではない。
 多くの場合は戦争により故郷を失い、追い出された者達であり、安住の地を求めて彷徨っているのだ。

 ……だが数人ならまだしも、数十人数百人単位の放浪者を受け入れる地など存在しない。
 たとえ数人でも余所者が潜り込むのは大変なことで、精々が日雇い労働で糊口をしのぐ浮浪者が関の山だ。
 『それならば一族といたほうが良い』『家族と別れ難い』といった思いから彼等は放浪を重ね、数世代にも渡り彷徨っているのである。
 その為、彼等の結束は非常に強固で排他的だ。

 ここ数年、その『流民』がこの地方にも多数入り込んでくるようになった。
 この地方は小国が乱立している上、国境が不明確な所も多いので、彼等の『仮の宿』には最適だったのだろう。

 『流民』は一括りにそう呼ばれているが、その構成は様々――それこそ民族も出自も――である。
 規模も同じで、やはり数家族程度の集団から数百数千人規模の流民集団まで大小様々だ。
 ……とはいえ大規模な流民集団は移動、というよりその存在自体が困難を極めるため、多くは数家族単位で生活しているが。

 流民は独自の社会を持ち、幾つもの小集団を束ねる族長や大族長が存在する。
 上で挙げた数百数千人規模の流民集団というのも、あくまで『大族長や族長傘下の集団全てを合わせて』の話であり、
傘下の集団は通常分散して生活している。
(この大集団は血族集団だ。彼等は基本的に他人を信用しないので、血の繋がりによりその結束を保っている)

 それが、一斉に雪崩れ込んで来たのだ。

 『流民』は増え続け、やがて4000人近くにまで膨れ上がった。
 これは大族長以下、その集団全ての流民が集まったことを意味する。
 ……これは、一つの国家が出現した様なものだった。

 ここまで来ると流石に周囲の国々も黙ってはいられない。
 『国境を巡る論争を一時棚上げし、共同で兵を出し追い出そう』という声も最近大きくなってきていた――そんな矢先であった。


「じゃあメクレンブルク王国軍1000に、『流民』1000といった所?」

「いえ、動員しないとなると流石にメクレンブルク王国軍全軍は無理でしょう。国境や国内での警備活動もありますから。
 加えて隠密行動であることも考えれば、最大でも700~800程度が限度の筈です。残りの1200~1300かそれ以上は『流民』でしょう。
 ……今思えば、兵の大半が粗末な武装でしたから」

「でも『1200~1300かそれ以上』って言ったら、『流民』の男手全部じゃない!
 一体、メクレンブルクはどうやって『流民』を説得したのよ!?」

「それは分かりません。猜疑心が強く、排他的な『流民』をどうやって説得したのか……」

 老人も首を捻る。

 成る程。メクレンブルク王国が後ろにいたのならば、納得できなくもない。
 メクレンブルク王国とシュヴェリン王国は、かつて何度も戦った間柄である。
 祖父が存命の間は大人しかったが、きっと祖父の死を待っていたのだろう。

 『流民』は、彼等に利用されたのだ。

「『流民』は全てを賭けて、全てを失ったのね……」

 大敗したとはいえ、メクレンブルク王国は未だ常備軍だけでも200~300はいる筈だ。防衛だけなら何とでもなる。
 だが、『流民』は……

「……討伐なさいますか?」

「いいえ、必要ないわ。 ……もう、この地にはいられない筈だから」

 男手を全て失い、残るは老人・女子供のみ。
 迫る報復への恐怖から、『流民』達は急いでこの地方から去ることだろう。
 ……もし去らなければ、その時は討たねばならない。
 国の面目、国民の復讐心のために。

 ……でも、出て行くって何処へ?

 男手を失った後でもある。今後の生活は、相当厳しいものになるだろう。

 ……何人、生き残れるだろう?

 彼等を気の毒だと思うがどうしようもない。彼等を受け入れることなど、到底不可能なのだから。
 自分の立場では、去るのを見逃すのが精一杯だ。

「そうですか」

 どこかホッとしたように老人は呟いた。

「身につまされますからなあ。やはり姫様だけに御話しして良かったです」

「?」

「……私も元『流民』なのですよ」

 祖父王は『食うや食わず』の貧しかったこの国を、そこそこ豊かな国にまで引き上げた。
 荒地を開墾し、豊かな水田地帯にしたのである。
 そして米食を広めることにより小麦の消費量を大幅に抑え、余った小麦を売却して現金収入を増大させたのだ。

 だが元々この地方――というより世界的に――では米は『食べ物』では無かったため、米食を習慣付けるのは非常に困難だったようだ。
 今でも米食は『貧しい粗末な食事』であり、やはり御馳走は小麦で作ったパンである。

 だが、誰もがパンを常食できる筈も無い。しかし米なら貧しい者も腹一杯食べられる。
 選択の余地など始めからなかった。米を喰うか、それとも飢えるかしかなかったのだ。
 そして『米を喰う』ことを選んだことにより、シュヴェリン王国の民は飢えから解放されたのである。
 ……もっとも他国からは、『シュヴェリンの米喰い』と揶揄されているが。

 その開拓の際、かなりの『流民』を受け入れたそうだから、彼もその一人だったのだろう。

「『流民』は悲惨です。当時まだ私は子供でしたが、今でも覚えていますよ。あの地獄のような日々を」

「…………」

「あの族長もその時の知り合いでした。数年前、退役前の最後の任務として隊を率いて偵察した際に再会しました。
 ……尤も、最初はお互い分かりませんでしたがね」

 老人は寂しそうに話を続ける。

「私のことを思い出した後、彼の目に表れたものは羨望と憎悪。
 『上手くやった』私はもはや嘗ての仲間ではなく、『裏切り者』だったのでしょう。
 もしかしたら私の事も、この件の後押しをしたのかもしれません」

 老人はまるで懺悔をするかのように告白する。
 ……いや、おそらく彼にとっては懺悔なのだろう。
 自分だけが『地獄』から這い出し、残る仲間を今まで忘れて暮らしていたことへの負い目。


 カナは溜息を吐いた。

 この世界はちっとも優しくなどない。今こうしている間にも、『流民』は世界各地で発生し続けている筈だ。
 だが、彼等に対する救いの手は何処からもこない。
 一旦『流民』になれば、這い上がれるのは本当に運の良い極一部の者だけだ。

 これは人事ではない。誰でも『流民』になる可能性はあるのだ。
 ……特に、自分達のような小国の民には。

 だからこそ、小国の民ほど『流民』に対する拒絶感は強い。
 彼等にとって、『流民』など見たくもない人種なのだから。

 ――本当、人事じゃあないわよね。

 近隣諸国から恐れられていた祖父が死んで数年、後に残ったのはそこそこ豊かな国。

 祖父という重しが無くなり、これからこの地方も騒がしくなるだろう。
 中央世界から忘れられたようなこの辺境の地に、戦乱の世がやってきたのだ。








━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【03】


――――シュヴェリン・メクレンブルク国境

「はあ、はあ……」

 一人の男が、森の中を泥だらけになりながら走っていた。
 尤も、あくまで当人が『走っているつもり』なのであって、実際は『よろめく様に歩いている』に過ぎなかったが。

 ――もうすぐメクレンブルク王国だ、そこまで行けば……

 その一念でここまで来た。
 命も惜しいが、それ以上にやらなければならないことがある。むざむざ殺される訳にはいかなかったのだ。

 国境を越え、男はようやく一息吐く。
 そして余裕が出来ると、彼の心に沸々と怒りが込み上げてきた。

 ――畜生、あと一息だったのに! どうしてこんな事になったのだ!


 男は先々代の王の長男であり、第二位の王位継承権を持つシュヴェリンの王族であった。
 ……にもかかわらず、今まで王城から遠ざけられ、不遇を囲ってきた。

 何故、シュヴェリン王家の血すら引いていない者共が王となったのか。
 何故、王家直系の自分がこんな田舎で一生を終えなければならないのか。
 ――と、幾度自問したことだろう?

 『簒奪者』は死んだが、再び王家とは縁も所縁も無い者が王になった。
 その次の王は『簒奪者』の孫娘だろう。
 ……自分はここで一生飼い殺しだ。

 更に口惜しいことに、あの小娘の体には王家直系の血が流れている。
 王位を奪われ、王家の血までも奪われた男の誇りはズタズタに切り裂かれた。
 が、彼には恨むことだけしか出来なかった。
 だから、恨んだ。恨み続けた。

 彼の恨みは数十年もの間癒されることなく深く、広く育っていく。
 最初の内は、本来自分の物となる筈だった王位を奪った『簒奪者』にのみ、その恨みと怒りは向けられていた。
 が、その怒りが己の父や母、姉、更には家臣や領民達にまで向けられるのに、さしたる時間はかからなかった。
 ……彼にとって、彼等は『簒奪者』を王と認めた『裏切り者』でしかなかったのだ。

 ――あの小娘も、あいつらを王と認めた連中も、皆同罪だ! 皆殺しにしてやる!

 そして現在、もはや彼の心は狂気に染まっていた。


 が、狂気に染まりながらも……いや、だからこそ彼は計算高かった。
 今回反乱を起こしたのも、これなら勝てると踏んだからだ。
 ……とはいえ、その目的自体はやはり狂気の沙汰でしかない。
 彼は国民もろともシュヴェリン王国を滅ぼし、その後は流民共を国民にして、新生シュヴェリン王国を建国するつもりだったのだ。
 それこそが、彼の最高の復讐だった。

 が、反乱は後一歩の所で失敗する。
 突如天変地異が起き、訳も分からぬ内に彼の軍は全滅してしまったのである。

 ――本来ならば今頃は玉座に座り、城の連中の首級を肴に祝宴を催していた筈なのに。

 口惜しい事だが、きっと今頃連中は勝利の宴に酔いしれているだろう。
 が、まだ終わるつもりはない。
 少なくとも、奴等を苦しみ抜かせて殺すまでは。

「今に見ていろよ!」

「……おや、ここいましたか」

「!」

 不意に声が聞こえ慌てて周囲を見渡すと、既に囲まれていた。
 
「いやあ、良く生きててくれました! あのまま肉片になっていたら、『契約』が果たせない所でしたよ!」

 彼を囲む男達の一人が飄々と喋る。
 場にそぐわぬ陽気な口調だが、その殺気は計り知れないものがある。

「貴様等、何者だ! これは私がシュヴェリン王国王族と知っての振る舞いか!」

 彼の精一杯の虚勢。
 が、男は呆れたように首を振るだけだった。

「……貴方は反乱を起こして失敗したくせに、まだシュヴェリン王国王族を名乗るのですか?」

「! 貴様等、奴らの手の者か!」

「まあ『契約に基づく雇われの身』とでも言っておきましょうか?」

「ならば奴等の倍……いや三倍の金を払おう! 私を助けろ!」

 彼は必死で提案するが、男は全く取り合うとはしない。
 かえって哀れみの表情すら浮かべている。

「仮にも『元』王族なら、最期くらいもっと毅然として下さいよ…… 姫様はもっとしっかりしていましたよ?」

「姫!? そうか! 全て、全て、あの小娘の――」

 ……それが、彼の最後の言葉であった。

「……どうでも良いですが、さっさと死んで下さい。家に帰れないじゃあないですか」

 最後まで言葉を発することも許されず、彼はあっさりと首を刎ねられた。
 仮にもシュベリン王国最後の男系王位継承者でありながら、余りに哀れな最期であった。

 が、首を刎ねた当人にはそんな感慨も何も存在しない。
 辺境の王家がどうなろうと、彼の知ったことではないのだ。

「さて、後はコレを届ければ契約完了! いやあ、一仕事終えた後は気持ちがいいですねえ!」

 男は満足気に笑う。

 シュヴェリン王国の『癌』も、地方全体の『癌』もまとめて始末できた。
 ……そして、『火種』もまかれた。

 全ては、我等が主の御心のままに。




――――シュヴェリン王国、王城

「……何て説明しよう?」

 王の私室前で、カナは頭を抱えていた。
 先程からドアの前を行ったり来たりの繰り返しだ
 ……まあ無断で領土割譲の約束をしたのだから、無理も無かったが。

「え~い、当たって砕けろ!」

 が、遂に覚悟を決めたのか、部屋をノックする。
 ……だが返事が無い。
 何度もノックするが、一向に応答は無かった。

「? おかしいな?」

 とうとう返事を待たずに、彼女はドアを開けて部屋に入る。

「御父様?」

 部屋を見渡すが父の姿は見えない。だが何か聞こえる。
 どうやら寝息のようだ。

「……まさか」

 ベッドを見ると、予想通り父が寝ていた。
 恐らくダークエルフ達が気絶した父をベッドに運んだのだろう。
 そして何時の間にか気絶から睡眠へと移行したのだ。
 ……ついでに言えば、実に気持ち良さそうだった。

 ――あの騒ぎの中、今まで寝ていたのですか!?

 自分がダークエルフとの取引に悩み、
 『神の鉄槌』に怯え(彼女の主観)、
 後始末に追われ、今後の事で悩んでいたその間、ず~っと寝ていたのだ!

 ――本来なら、御父様が悩むべき問題ばかりじゃない!

 父の穏やかな寝顔を見ていると、沸々と怒りが湧き上がってくる。
 と、不意に父は寝返りをうちながら言った。

「う~ん、良きに計らえ」

 ……今言ってはいけない、最悪の寝言だった。

 ブチッ!

 彼女の中で何かが切れる。

「お~と~う~さ~ま?」

 カナは青筋を浮かべながら、父の鼻を摘む。

「む~」

 父は暫く苦しそうな表情を浮かべ口を開けようとするが、やはりカナに抑えられた。

「む~む~」

 ……しかし一向に目を覚まそうとしない。
 流石、あの騒ぎの中でも寝ていただけの事はあるだろう。
 だが顔が赤くなり、それが青くなるとようやく目を覚ました。

「ゴホッ、ゴホッ」

「御父様、『お早う』御座います」

「ああ、カナお早う。何故かむせてしまったよ。 ……もう年かな?」

 カナの皮肉にも気が付かず、父は暢気なことを言う。

「御父様、ずっと寝ていらしたのですか?」

「ああ、変な夢を見たよ。何故か部屋に、何処からか賊が何人も現れたのだ」

 ……それ、夢じゃないです。

 余程そう突っ込みたかったが、話がややこしくなるので質問を重ねる。

「まあ、恐ろしい! それでその者達はどの様な者達でしたか? ……まさかダークエルフとか?」

「まさか! 普通の賊だよ。カナは本の読みすぎだぞ? ……そういえば腹が空いたな、夕食は何時だ?」

 王は暢気に笑う。
 が、カナにしてみれば笑い事では済まなかった。

 ――御父様。『ダークエルフ』ではなく、『只の賊』に驚いて気絶したのですか!?

 思わず体中の力が抜け、床にへたり込む。
 どうやら先ほどの怒りすら何処かへ行ってしまったようだ。

「何だ、カナ? もしかしておんぶか? 全く何時までたっても子供だなあ」

 父の暢気そうな声に、一瞬ではあるが叛乱を起こした大叔父の気持ちが少しだけわかった様な気がした。
 ……が、いつまでもこうしてはいらねない。
 気を取り直したカナは、父に本題を話すことを決意する。

「御父様!」

「? どうしたんだい、カナ?」

「御父様、バレンバン地方の割譲を許して欲しいの!」

 カナは父に頼み込む。
 自分の努力に全てがかかっているので必死だ。

「分かった。いいだろう」

「え?」

「バレンバン地方の割譲を許そう」

 だが父はあっさりと領地の割譲を許可した。

「でも、私勝手に……」

「何を言っているのだ、カナ。お前は勝手に領地の割譲なんて認める子じゃあない。
 お前がそんな事を言い出すのだ、何か余程のことがあったのだろう?」

「御父様……」

 思わず目頭が熱くなる。

「ところで誰に譲るんだい?」

「えっと……」

 どこから説明すれば良いものやら。

 …………
 …………
 …………

「ふ~む、成る程」

 父はカナの説明を聞き、やっと今現在の事態を理解した。
 ……途中、何度も話が脱線――父王が全く無関係の事を話し出した――した為、大分時間がかかったが。

「カナ、すまなかったな。本来なら私が決断すべき事なのに、まだ子供のお前に押し付ける形になってしまった」

 そう言って父が頭を下げる。
 仮にも王が、父親が頭を下げるとは!
 この世界の価値観からすれば、とんでもないことである。
 だから、カナは慌てて否定した。

「いえ、そんな事はありません!」

「後は私に任せなさい、何とかしてみよう」

「はい!」

 カナは元気良く答える。
 ああ父はやはり偉大だ、相談してよかった。

 今夜は良く眠れそうだった。




「御機嫌ですね、姫様」

 上機嫌で部屋に戻ると、『あのダークエルフ』がいた。

「……勝手に人の部屋に入らないでよ」

 喜びが一気に吹っ飛んでしまったじゃない。

「? では、堂々と表門から入って宜しいのですか?」

「うっ!」

 頭の中をイヤな光景がよぎった。


 堂々と真昼間に表門に訪れる、見慣れない怪しい集団。
 当然、彼等は門番から尋問を受ける事になる。
 だが彼等は、全く怯むこと無く、こう言った。

「『カナ姫様』との『契約』により参上した『ダークエルフ』です。カナ姫様にお取次ぎを!」


「……今まで通りで良いわよ」

「有難う御座います」

 彼はいかにも嫌そうなカナの口振りを無視し、優雅に一礼する。
 嫌味な程、堂に入った作法だ。

「で、何の用?」

 用が無いなら許さないから! と睨む。

「おお、危うく忘れる所でしたよ! 実は、お約束の品をお持ちしたのです」

「約束の品?」

 何か約束したかしら? とカナは首を傾げる。

「反乱軍の首魁の首級ですよ」

「!」

 首魁ってもしかして大叔父様!? それに首級って、まさか。

「これです」

 ドンッと机に箱を置く。

 カナがそれを恐る恐る開けると、中には人の頭が入っていた。
 この顔は正しく――

「……大叔父様」

 両目をカッと見開いた大叔父。
 ……さぞかし思い残した所があったのだろう。

 愚かなことを、とは言わない。
 きっと反乱を起こすまでには色々あったのだろう。考えてみれば、追放されたのも同然の身なのだ。

 大叔父は、祖父が姉と結婚して王位を継ぐまで、次期国王の最有力候補だった。
 ……けれど祖父が次の王となり脱落。僅か10歳で王城を出され、極少数の御付と共に王国の端の館に追いやられたのだそうだ。
(これは前王――大叔父様の父――の意向だ。おそらく未練を断ち切らせる為だろう)

 その後数十年をそこで過ごすことになるが、その間の二代の王(祖父王と現王)はシュベリン王家の血を全く引いていなかった。
 ……叔父は、一体どんな気持ちでそれを見ていたのだろうか?

 祖父は彼を気にしてあれこれ世話を焼いたが、それが余計彼の心を闇に追いやる結果となったのかもしれない。


「なんまいだぶ、なんまいだぶ」

 カナは手を合わせて拝む。

「何やってるのです?」

「拝んでいるの。人は死んだら皆『ほとけさま』になるのよ?」

「ほとけさま?」

「……神さまみたいなものかな? 多分」

「はぁ? 人が神に? ……しかも大逆人ですよ、彼」

「御爺様はよくそう仰っていたわ」

「はあ……」

 納得しかねる。という表情で曖昧に頷く。

 仕方ないか、と彼女は思う。
 とても変った――と言うより、思い上がったとんでもない――考えだと、自分でも分かっているのだから。
 祖父が死んだ今、こんな考えを持つのは自分位のものだろう。

「ねえ、御願いがあるの」

「私に?」

 カナは手文庫を持ってくると彼に差し出した。中には幾許かの銀塊が入っている。

「……これは?」

 彼は不思議そうな顔をして聞いた。

「私の全財産」

「全財産? 姫の?」

 小さな手文庫の1/3程を満たす粒銀。平民ならそれなりの大金だが……

「これで大叔父様を弔って欲しいの」

「はあ!?」

 彼は今度こそ本当に驚いた。

 この男は元王族だろうが身内だろうが、大逆人である。
 曝し首の上、死体は何処かに放っておくのが『常識』というものだろう。
 ……それを弔うなど聞いた事も無い。

「何度も言うようですが、大逆人ですよ?」

 幼子に噛んで含める様に言う。

「でも私の大叔父様よ」

「……貴方は、彼に殺されそうになったのですよ?」

「大叔父様と一番血が濃いのは私。私がやらなければ誰がやるの?」

 他の『反乱軍』の参加者は、メクレンブルク王国の軍人と流民だ。
 厳密には――かなり強引な解釈ではあるが――大逆人とは言えない。
 難しいが国内で埋葬し弔えないことも無いだろう。
 だが、大叔父様は……

 多分、彼等の分の責めも負わされることになる。
(彼等を弔うとなると、必然的にそうなる)

 それに大叔父様はシュヴェリンの王族だ。王位の簒奪を企み国を乱した罪は重い。とても弔うなんてできないだろう。
 御父様には頼めない。御父様と大叔父様の間には、血の繋がりなど欠片も無いのだから。ああ、国民からも恨まれている筈だ。
 だからやはり、彼に頼むしか方法は無いだろう。

 暫く彼は何か考えていたが、やがて諦めたように言った。

「……これだけでは、平民と同じ所に埋葬する事になりますよ?」

「ありがとう!」

 カナはとびっきりの笑顔で言った。




おまけ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【04】 「バレンバン地方はフランケル文明圏に属します。ああ、文明圏というのは人類が集中的に居住している地域のことです。  この世界における人類の居住圏は面と言うよりも点であり、文明圏は海(大陸)に浮かぶ島々(文明圏)の様なものです」  無論、文明圏の外にだって人は住んでいる。  が、彼等はあくまで少数派であり、周辺の文明圏の人間から見れば『蛮人』でしかない。 「フランケル文明圏の広さは何処までを範囲とするか――別に境界線がある訳じゃあありませんから――によりますが、 だいたい35000~40000k㎡。九州島よりもやや小さい程度です。  総人口は100万を呼称しますが、実数は80万をやっと越えた程度、多く見積もっても90万には届かないでしょう」 「成る程。要は『関東軍100万』見たいなもの、景気付けの数字か」 「……そうですね」  外務省から派遣された担当官は、軍司令官の『陸軍の将官としては些か問題のある発言』に毒気を抜かれたが、 気を取り直して解説を再開する。 「次に情勢ですが、フランケル文明圏には大小100を越える独立勢力が存在しています。  独立勢力といっても、完全な独立勢力から半従属勢力まで様々ですが。  まあ、帝國の戦国時代における群雄割拠の様なものですね。  規模には、むしろ『一国に中小の豪族が犇いている状態』と言った方が良いかもしれません。  この内、王を持つ勢力は30程度です」 「何故、他は王を名乗らないのかね?」 「王を名乗るには神――正確にはその神を祭る神殿――の許しが必要ですから」  男はそう言って軽く肩をすくめた。  神殿の許可を得るには多くの寄進が必要だし、その後も王位を持つ限り何かにつけてたかられる。その負担は決して軽くない。  また神々にも格(序列)というものがある。下手な神に王位を貰っては、後々何かにつけて肩身が狭い。  無論、どのような神に与えられた王位であっても『ただの領主』より遙かに格上の存在ではあるが、王同士の付き合い等を考えれば、 下手な神に大枚をはたくのは考え物だろう。 「……何処の世界も似た様なもの、という訳だね。世知辛い世の中だ」 「……帝國もあまり他人のことは言えませんからねえ」  異世界人とはいえ同じ人間、ということなのだろう。  いや、寧ろ共通点を見つけてほっとした、といった所だろうか? 「フランケル文明圏最大の国家はメクレンブルク王国です。  面積は4000k㎡、人口10万。それぞれフランケル文明圏の一割強を占めます。  まあ広さで言えばシュヴェリン王国も同程度なのですが、こちらは無人のバレンバン地方を含みますからね」 「人口10万で最大か……」  軍司令官は呻いた。  とはいえ、人口80~90万程度で10万ならば大したものだ。  むしろ、何故今まで文明圏を統一出来なかったのかの方が気にかかる。 「フランケル文明圏の独立勢力は  人口2万以上の大規模勢力が10、  人口1万以上2万未満の中規模勢力が20、  人口5千以上1万未満の小規模勢力が30、  人口5千未満の零細勢力が50といったところです。  先程も述べた様に、これは半従属勢力も含みます。  完全な独立勢力は大規模勢力と中規模勢力を合わせた30程度でしょう。  小規模以下の勢力は、大なり小なり他の勢力に依存しています」 「各勢力の兵力と武装は?」 「各勢力とも人口の1%前後の常備軍を保有しています。  後は有事に農民を召集して補助戦力としますが、こちらは常備軍と同数~二、三倍程度ですね。  まあ元が何の訓練も受けていない農民ですから、あまり戦力としては期待出来ないでしょうが」  だから後方支援が主任務のようです、と担当官。 「ということは、人口1万の独立勢力なら常備兵50に農民兵が100以上、といったことか」 「はい。彼等の装備は弓に刀槍、そして銃です」 「銃!?」 「火縄ですが」 「ああ、火縄銃か。 ……しかし、本当に戦国時代みたいだねえ」 「みたい、ではなく戦国時代そのものです。文明レベルも室町時代後期、戦国時代初期あたりですね。  これは辺境としては破格と言っても良いでしょう。 ……その代わり、魔法関連についてはかなり遅れ気味ですが」  この文明圏は魔法の影響力が乏しく、竜も余りいない。  特にあの厄介な飛竜――空飛ぶ竜種の総称――など、一定規模以上の各勢力が数頭保有している程度だ。  ましてやワイバーンなど存在しない。 「だから、敵航空戦力に関しては余り考慮する必要が無い、ということです。  精々小型の飛竜が1~2騎、低空から矢を放つ程度。小銃の一斉射撃で充分撃退できるでしょう」 「……君は簡単に言うけどね。どんなに少数でも、航空戦力の有無は決定的な差になりうるよ?」  軍司令官は苦笑気味に反論する。  たとえ最高速度100㎞/h以下、高度数百mまでしか飛べない様な飛竜であったとしても、 攻撃機ではなく偵察機として考えればその価値は計り知れない。  空からの『目』の有無はそれ程に重要なのだ。だから厄介なことには変わりが無かった。  帝國の勝利が決まりきっていたとしても、である。 「それは私の不勉強でした。とにかく、敵航空戦力に関してはその程度です」  担当官はあっさりと誤りを認め、何事も無かったかの様に次に移る。 「シュヴェリン王国は大規模勢力の一つです。人口3万人、面積4000k㎡、この内3000k㎡がバレンバン地方ですね。  バレンバン地方は無人で、国民は残りの地域で暮らしています」  ということは、その3万人は残りの1000k㎡に住んでいることになる。  が、それでも人口密度は30人/k㎡にしかならない。  国土の七割以上が無人地帯という事実は一見非効率に見えるが、これなら無理して不毛地帯に住む必要も無いのだろう。 「バレンバン地方の状態は?」 「バレンバン地方は『死の湖』を中心とした不毛の地です。まあ砂漠地帯……とまでは言いませんが、 まともな生物が居住できる環境にありません。食料も水も手に入りませんから」 「しかし残り三割は『自然豊か』なのだろう? 何故、同じ国内でそこまで違うんだい?  こう言っては何だが、たかが4000k㎡の小国だろう?」  軍司令官は首を捻り、素朴な疑問を口にした。 「……それを言ったら飛竜の存在はどうなります? 空技廠の連中なんか、頭を掻き毟っていますよ?  この世界を『我々の常識』で考えると墓穴を掘りかねません。その点は考慮してください」 「……ああ、それは内地を出る時に散々言われたよ」 「『死の湖』の正体は原油。これは確認しました。  埋蔵量は不明ですが、地下からあれ程大量に湧き出すほどです。  それなり以上の量が期待できるでしょう」 「それに何といっても即採掘可能。 ……こんな好条件はない」  だから、狙われた。 「ええ、あの『湖』だけでもかなりの量です。まあ当分は完全自給には程遠いでしょうが、貴重な『時間』が稼げます」 「……だから『失敗』は許されない、か」  軍司令官は溜息を吐く。  だからこそ、の大兵力。  いざという時には、問答無用で押し切れるだけの戦力が彼には与えられている。  ……結局、それこそが帝國の『本音』だった。 「我々の任務は、バレンバン地方の占領と周辺地域の安定。つまり安心して石油採掘できる環境を作ることです」 「……だからわざわざあんな回りくどい遣り方で、バレンバン地方を手に入れたのかい?」 「それもあります。ですがシュヴェリン王国には、我々の欲しい物がもう一つあるのですよ」 「ほう、それは何だね?」 「水田地帯です」  この世界では米作は全くと言っても良いほど行われていない。米食の習慣自体が無いのである。  が、シュヴェリン王国では例外的に米作が行われていた。 「ふむ。ということは、米が食えると言うわけか。しかし水田とは本格的だね?」 「はい我々も驚きました。どうやらシュヴェリン王国は『例外』のようです。  ……もっとも米作を始めたのは、つい数十年ほど前からだそうですが」  現在シュヴェリン王国の米生産能力は最大で5万石程度。  帝國の米消費量が一人当たり1石程度であるという事実を考えれば、充分すぎる程の量だ。  菓子に加工したり酒にしたりする分を考えても十分3万の人口を養えるだろう。  米を主食とし、海で獲れる海産物や畑で獲れる野菜、それに家畜から得られる乳や卵を副食とするシュヴェリン人の食生活は、 帝國の農民などよりも遙かに豊かなのだ。 「だが余力が殆ど無いな。我々の分は如何する?」 「余力が無いのは、これ以上作っても意味が無いからでしょう。  周辺国からは、『シュヴェリンの米喰い』と揶揄されているらしいですし」 「しかし、急に増産なんて出来ないだろう?」 「簡単なことです。連中の米は非常に原始的な種ですから、帝國米を使えば簡単に収穫量が倍になりますよ。  もちろん味も格段に向上します。今年はそれで乗り切り、収穫後に開墾して農地を増やしていきます」 「しかし、彼等は米収穫後に麦を作り、それを売って現金収入を得ているのだろう? 開墾なんて不可能ではないのかね?」 「無論、代償を払います。幸い小国ですから何とかなるでしょう」 「代償?」 「我々が保有する一圓銀貨を支払います」  当たり前のことだが、この世界では帝國の通常貨幣は通用しない。  故に、帝國はこの世界で活動するにあたり、一圓銀貨を決済に用いている。  が…… 「……貴重な銀貨を使うのかね?」 「本国から食料輸送する手間を考えれば安いものです。 ……それに最初だけですよ」  つまり、そういうことだ。 「見せ金、か」  軍司令官は担当官の言葉の裏を読み、露骨に顔を顰めた。  が、担当官は気にせず話を続ける。  ……この担当官、どうやら相当な心臓の持ち主の要だった。 (まあそうでもなければ軍人などとは付き合えないだろうが) 「まあそれでも労働力が不足するでしょうから、他国……例えばメクレンブルク王国あたりの農民を使います。  何れにせよ、この文明圏全域を帝國が支配する必要があるでしょう。  油田が何処まで伸びているかもわかりませんし、防衛上の問題もありますからね」 「棍棒片手に猫なで声、いやそれよりも酷いな。押し込み強盗の様なものだ」 「全ては帝國が生き残る為です」 「…………」  その言葉は誰も反論できない『魔法の言葉』。  如何な高官だろうが、如何に不満不平があろうが、面と向かって誰も反論することはできない。  だから、軍司令官も沈黙するしかなかった。  それを見た担当官は流石に拙いと思ったのか、話題を変えた。 「ああ、シュヴェリン王国次期女王の名は、カナ・メクレンブルク・シュヴェリンです。 ……この意味が分かりますか?」 「カナ? 随分と帝國風の名だね?」 「たまたまでしょう? 私が言いたいのは、『メクレンブルク』の名も持っているということですよ。これは大義名分になります」 「……また随分と大時代的な」 「何、この世界に合わせてのことですよ」  まずシュヴェリンと接触、バレンバン地方の割譲を受ける。これが第一段階。  次にシュヴェリンを支援し、フランケル文明圏を統一させる。これが第二段階。  なおこの際、なるべく人口が激減する様な大乱が望ましい。  シュヴェリンがフランケル文明圏の統治を固めると同時に徐々に実権を奪い、最終的には併合する。これが第三段階。  そして行く行くは大量の帝國人を移民させ、完全に帝國化する。  これが帝國の計画だった。  今までの様にいきなり侵略しないのは、ある程度安定した開発や労働力・食料の確保を目論んでいるからだろう。  これは今までの教訓を活かしてのことだ。 ……まあ、それでも悪辣なことに変わりがなかったが。 「全く、今までの教訓を活かしてこれでは泣けてくるね?  これじゃあ粗暴犯か知能犯かの違いに過ぎないではないか」 「たとえどんな手段を用いようが、結果的には同じことです。  如何なる配慮をしようが、事実は変わりません。配慮などただの自己満足ですよ。  今回の計画も、これが一番効率が良いと判断したからに過ぎません」  担当官は噛んで含める様に諭す。 「閣下はこの地方の総督になられるのですから、もう少し腹を決めて頂きたい」 「…………」  軍人だからといって、誰もが謀略好きという訳では無い。  帝國が課した任務は彼の気分を憂鬱にさせていた。  ……だからと言って、それがこれから自分が行うであろう悪行の免罪符になる訳では無かったが。  何れにせよ帝國に狙われた以上、シュヴェリンを始めとするフランケルの命運は決まったも同然だった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【05】  朝、目が覚める。  窓から空を見上げると、雲一つない良い天気。  実に清清しい気分だ。 「今日も良い天気ね」  カナはのんびりと呟いた。  下は見ないよう様、意識的に視界から除外しておく。  ……朝から大穴だらけの地面なんか見たくもないからだ。 「姫様。現実逃避はお止め下さい」 「……いいのよ。どうせ現実は、こっちがイヤでもやって来るんだから。  それまでは忘れさせて(泣)」  朝食の支度する乳母の突っ込みに、思わず半泣きになる。  その背後の机の上には、今回の後始末に関する書類が山のように積まれていた。  ……これ、全部見ろと?  いやまあ、徹夜でこれを纏め上げた役人達の忠勤振りには感謝している。  でも、それにしても、だ。 「何で御父様じゃあなくて、私の所に来るのよ?」  愚痴の一つも出るというものである。 「まあまあ、姫様。先に食事でもなさって落ち着いて下さいな」  彼女の気質を心得ている乳母が、すかさず声をかけた。 「うん? あっ! 玉子焼きだ! ……でも、朝から贅沢じゃない?」  カナが覗き込むと、用意された朝食は普段と少し違った。  御飯、豆腐と若布の味噌汁、漬物、ここまでは普段通りである。  だが今日は、それに玉子焼きが加わっていた。 「しっかり滋養をとって、仕事に備えなければいけませんからねえ」 「うん、私頑張るよ!」  ……実に手馴れた物である。  しかし、仮にも王家――地方豪族といった方がその実態を表しているかもしれないが――の普段の朝食が、 米に野菜屑(漬物)、それに具の少ない大豆のスープ(味噌汁)とは、いくらなんでもあんまりであろう。  この世界の基準からすれば、平民レベルの内容である。  いくらそれぞれの『上物』を選んだとはいえ、素材自体が『下等』過ぎるのだ。  例えば近隣諸国では、白パンに野菜と肉がたっぷり入ったスープ位は出るだろうし、玉子だって毎朝付くだろう。  ……まあ、別にカナ姫の国が特に貧しい訳ではない――かえって財政的には近隣で一番マトモ――から、 単に王家の気風の差という奴であろうが。  尤も、カナ姫の祖父が王位に就くまでは、この国も近隣諸国と同様の『贅沢な』食事であった。  祖父王はこの国の財政を立て直すとともに、王家に質実剛健の気風を持ち込んだのである。  米食導入も、『国民食として定着させるため、王家自ら範を示した』『財政再建の心構えを示した』として、 今でも国の各層から絶賛されている。  ……だがカナは知っていた。  ――御爺様、パンが大っ嫌いだったのよねえ……  そう。祖父は、『単に自分が食べたいから』王家に米食を導入したのだ。  如何にももっともらしい理由をつけて。  真実とは、えてしてそういうものである。 ――――王城、謁見の間。  朝の御前会議は初っ端から荒れていた。 「陛下、御戯れを」 「ふむ、冗談ではないぞ? もう約束もしてしまった」 「陛下、そのような勝手な真似は、厳に謹んで頂きたいものですな」  ――御免なさい。本当は私がやりました。  カナは心中で懺悔する。 「そうですぞ! 陛下のお役目は、恙無く王位を姫様にお譲りすることです。それを、よりにもよって領土割譲とは!  実に嘆かわしい。地下の先王陛下に何と詫びるおつもりです!」  ――えっと……非常事態だったから、御爺様も許して下さるんじゃあないかなあ。 「恐れながら陛下。陛下は先王陛下までの、『正統な』シュヴェリン王家の血脈ではありませぬぞ?  あくまで姫様の『父』、『後見人』として王となられた事をお忘れなきよう」  ――御爺様も『婿養子』だったのだけれど……  どうやら彼等的には、祖父は『正統な王』とされているようだ。  父の言葉は重臣達から全く相手にされていなかった。  彼等の言わんとすることは、ただ『婿養子が勝手な真似をするな』の一言のみ。  ……それにしても、『今後の対応』ではなく『既にやってしまったことに対する批判』しか出てこないとは。  これでは、ただの『婿いびり』と変わらないではないか。  ――自分の子供は、絶対養子にはしない!  この光景を見て、カナはかつて幼い頃誓った決意をあらたにした。  ……大分先の話ではあるが。 「しかも! バレンバン地方は、先王陛下が『あの』ハルマヘラ戦争で獲得した領地ですぞ! これは先王陛下に対する侮辱です!」  ハルマヘラ戦争とは今も語り草となっている大戦(おおいくさ)で、フランケル文明圏を二分した大戦争だ。  ……まあ二分と言っても『シュヴェリンとそれ以外』であったし、戦争に参加した国は文明圏の半分にも満たなかったが。 (それでもこの文明圏においては、かつて無いほどの大戦争だったのだ)  祖父王が王位を継いだ当時、シュヴェリン王国は周辺諸国から圧迫され、危機に瀕していた。  このため、王位を継いだ先王は周辺諸国に対して戦いを挑み、現状打破と王国の地位向上を目指した。  数々の軍制改革により生まれ変わった新生王国軍は、新王の下連戦連勝。見事王国は危機から脱することに成功する。  ……だが、やり過ぎた。  度重なる敗戦は各国の誇りを傷つけ、大きな恨みを買ったのだ。  やがて周辺諸国は反シュヴェリンを目的とする大同盟を締結。シュヴェリン王国は孤立してしまう。  それだけではない。この頃には各国も戦訓からシュヴェリン式の軍制を導入し、シュヴェリン王国軍の優位性も揺らいできていた。  自分達の優位を確信した反シュヴェリン同盟は兵を挙げ、四方からシュヴェリン王国に迫る。  兵力比は1対10以上、王国最大の危機であった。  が、結果はシュヴェリン王国の大勝利に終わった。  緒戦におけるメクレンブルク王国軍本陣への奇襲攻撃により、反シュヴェリン同盟の盟主でもあるメクレンブルク王は戦死。  主導権を握ったシュヴェリン王国軍は、以後同盟軍を翻弄し最後までその優位を保つことになる。  対する同盟側は盟主を失ったことにより各個撃破され、徒に損害のみを増していく有様。  弔い合戦を挑んだメクレンブルク王国軍の主力も半分にも満たぬシュヴェリン王国軍に包囲殲滅され、王太子すら捕虜となる 程の大敗を喫した。  『水に落ちた犬は叩かれる』との言葉通り、こうなると中立勢力も次々にシュヴェリン側に傾いていく。  後半では、両者の勢力は完全に逆転した。  最早、継戦の意思と手段の両方を失った反シュヴェリン同盟は空中分解し、シュヴェリンの前に膝を屈するしか道はなくなったのだ。  ――こうして歴史に残る大戦争は終わりを告げた。  この戦い以後、祖父王に戦いを挑む者はいなくなり、シュヴェリン王国は長い平和を謳歌して現在に至っている。 (バレンバン地方もこの時期にシュヴェリン王国領となったのだ) 「バレンバン地方は、先王陛下が自ら望まれて手に入れた領地ですぞ!? それを手放すとは!」  祖父王はバレンバン地方に対して強い執着心を示し、各国交渉団を訝しめた程だった。  ……まあシュヴェリン王国が圧倒的に有利な立場である以上、どんなに訝しんだ所でどうなるものでもなかったが。  ――えっ? バレンバン地方って御爺様が望んで手に入れたの!?  それは知らなかった。でも、どうしてだろう? あの様な不毛の地を。  カナは首を捻る。  ――そういえば、昔バレンバンに連れていってもらったことがあったっけ。 『見て御覧、カナ。凄いだろう! これ全部○○○なんだぞ!』  確か、御爺様は凄く興奮してらした。 『○○○?』 『そうだ! これは将来きっと王国の財産となる!』 『将来? 今は財産じゃあないの?』 『今は無理さ。だが後百年、二百年もすれば大きな財産となる筈だ。これは内緒だぞ?』 『内緒? 皆知らないの?』 『ああ、この世界の人間は知らないだろうな』  ――!?  この世界? この世界って何!?  うん。多分聞き間違いだろう。きっとそうだ。まだ子供だったし、記憶があやふやなのだ。  その証拠に、肝心の○○○の名前も出てこない。  混乱したカナ姫はそう自分に言い聞かせ、記憶を更に辿る。  ……他に御爺様は何と仰っていた? 『帝國にも、これだけの○○○があれば……』  それ以上は、どうしても思い出すことが出来なかった。  カナが過去に思いを巡らせている間も、議論は平行線を辿る。  しかしそれにしても、優秀な王の次の王とは実に損な役回りだ。  何かにつけて先代と比べられ、『先代に比べて……』などと言われる。  更に悪いことに、現シュヴェリン王は先代王の血を引いていない。  いや、そもそもシュヴェリン王家の血筋ですらないただの婿養子である。  重臣達からすれば、『なんで俺達がこいつに頭を下げなければならないのだ』といったところなのであろう。  勿論、忠誠心などさらさらない。  カナの祖父の様に『シュヴェリン王国中興の祖』と崇められる程の器量を持つ者ならばともかく、何処の世界、何時の時代でも 婿養子の立場は弱いものなのだ。  今回の王の行為――実際はカナがやったのであるが――は、重臣達からしてみれば明らかな『越権行為』だった。  『所詮“仮の王”に過ぎない現王に、そのような重要な権限は存在しない』と彼等は考えていたのだ。  そもそも重臣達は、カナ姫が後を継いで女王になるものとばかり思っていた。  偉大な前王のたった一人の孫、そして王家直系の血筋。どれをとっても次期王に申し分が無い。というかカナ姫しかいなかった。  ……ちなみに、もう一人の王位継承者であるカナの大叔父のことなど、重臣達の頭には存在しなかった。  『田舎』の館で酒浸りの生活を送っている老人など、王に相応しくない。  第一、偉大なる前王の血を引いていないではないか! (もはやシュヴェリン人にとって、カナの祖父の血を持つことが王位を継ぐ前提条件の一つとなっていたのである)  ――という訳で、どう考えてもカナの父が王となる目はなかった。  が、前王が枕元で指名したのは『カナの父』だった。『カナはまだ幼い』というのが理由である。  祖父王の言葉に異論を唱える者など、シュヴェリンには存在しない。  故に、カナ姫が大人になるまでの間、現王が期限付きで王となったのだ。  重臣達も『前王の遺言』『カナ姫の実の父』という考えから、少なくとも表向きは王として扱ってきた。  ……が、今回の叛乱により重臣達の考えは大きく変わった。  今回の反乱で、王はいいところが全く無かった。  何の策も無いまま、一戦も交えず篭城。 ……先王陛下なら、野戦で容易に反乱軍を討ち果たしていただろう。  しかも田畑が全く荒されなかったから良い様なものを、自国の大半をみすみす反乱軍に譲り渡すとは一体何をお考えか!  先王陛下は決してシュヴェリンに敵を踏み入らせず、常に敵地で戦っておられたのに!  ――これが重臣達、というよりもシュヴェリン人の率直な思いであった。  数十年の平和に慣れた彼等にとって、久しぶりの戦、しかも篭城戦は相当こたえており、要はその不満不平全てをぶつけられたのだ。  こうなると、心身の健康を保つために彼等は『偶像』を作る。  そしてカナ姫はその絶好の位置にいた。  あの不思議な現象による叛乱軍の全滅後、誰よりも早く行動を起こし、重臣達を叱咤した彼女を、誰もが褒め称えた。 『さすがは先王陛下の直系であらせられる。まだ幼いのに、もう我等を使いこなしておられる』 『……それにひきかえ、陛下は一体何処で何をやっておられたのだ?』  この様な声が巷に溢れた。  実は朝に書類がカナの所に回ってきたのも、この流れからである。  彼女は単純に『父の手伝い』と考えていた様であるが、これは重大な事実を物語っていた。  今回の件で、重臣たちを含め家臣の大半が『もはや現王を王とみなさなくなった』のである。  ……さすがにカナ姫の手前、王位から引きずり降ろす様な事はしなかったが。  これは後々の火種となりかねない。  父と子が争うのは、この世界でも珍しくもなんともないのだ。  が、幸いこの国は少々事情が異なる。  現王は欲の薄い、非常に暢気で『太い』人物であった。  この程度、『蛙の面になんとやら』だ。第一、彼に『一人娘と争って』などという考えはさらさら無かった。  ある意味、非常に婿養子向きの人物と言えるであろう。  ……まあだからこそ、前王に気に入られたのではあるが。  とはいえ、権力の二重構造は危険である。  このような事態は速やかに収拾する必要があるだろう。  カナは祖父の事を一時頭から追いやり、会議の様子を注意深く観察する。  重臣達は父に対し、最後の一線――主従の立場からの最低限の礼儀――スレスレの態度である。  ――? おかしい。  確かに父は、どちらかといえば重臣達から『軽く』見られていた。  しかし少なくとも、表向きは父を王、主君として敬ってきた筈だ。  ……少なくとも今までは。  が、今日は何かが違う。  上手く言葉にできないが、少なくともこのまま、この状態を続けさせるのは拙い、ということだけは理解できた。  だから、彼女は申し出た。 「陛下、申し訳ありませんでした」  カナは父の前に進み出て跪く。 「!? 姫様、何を……」  そして呆気に取られた重臣達を無視し、『懺悔』を続ける。 「皆様、この度のバレンバン地方の割譲を独断で進めたのは私です。  王たる陛下を蔑ろにし、さらにはその罪を陛下に押し付けるという『二重の罪』を犯しました」 「え~と、カ……(ビクッ)」  い・い・か・ら・だ・ま・っ・て・て  王は娘の突然の行動に驚き、声をかけようとするが、娘の一睨みで挫折する。  そして娘の無言――だが言いたい事はなんとなく分かる――の圧力に負けて、カクカクと頷いた。  それを確認すると、今度は重臣達の方を向いて頭を下げる。 「重臣の皆様、申し訳ありませんでした。実は、バレンバン地方の割譲を独断で進めたのは私です。  陛下は、娘の私を庇って下さっていたのです」 「ひ、姫様が!?」  重臣達は驚愕し、実に気まずい雰囲気が流れる。 「はい。最早敵も迫り、皆様に諮る時間もありませんでした。  ですがだからといって重臣である皆様方、ひいては現王、先王両陛下を蔑ろにして良い筈がありません」 「い、いえ…… 私共は別に、それ程の理由があるのでしたら……」 「ええ、割譲も仕方ないでしょう」 「それに、先王陛下も姫様のなされたことならば、笑って許して下さります!」 「そ、そうです! 国王陛下も姫様を庇われた以上、最早何の問題は……」  慌てて取り繕う重臣達。  だが、それで良し、という訳にはいかないだろう。  彼等とて、一度言い出したことを引っ込めるのである。その分の顔も立てなければならない。 「いえ、ですが罪は罪。何卒陛下には罰をお与え頂きたく存じます」  え……  それを聞いた父は、如何にもイヤそうな顔をする。 「へ、陛下! 姫様も十分反省なさっておいでの様です。ここは何卒穏便に……」 「そっそうだな……(ビクッ)いや、やはり『けじめ』はつけなければ……」  王は重臣の言葉に、『渡りに船』とばかりに頷こうとするが、やはり娘の一睨みで挫折した。 「あ~では、今日1日部屋で大人し……(ビクッ)」 『そんなの罰になる筈ないでしょう!』と、眼光が言っている。  ……じゃあ、どうしろと言うんだい? 娘よ? 「部屋……ですか。『塔の部屋』ですね、畏まりました」  神妙な顔で言う娘。『塔の部屋』? あそこは、たしか……  ! 高位の者を一時的に拘束する『牢』じゃないか! 「ひっ姫様!それは……」 「陛下がお決めになった事ですよ?」  カナはにっこり笑って、だが目は笑わずに父である王、そして重臣達を牽制する。  何か文句ある?――目がそう言っていた。 「「「…………」」」  重臣達の反応を確認すると、カナは控えていた衛兵の一人に声をかけた。 「では案内してもらいましょうか?」 「えっ?」  声をかけられた衛兵は、助けを求めるかのように慌てて重臣達の方を見る。  が、誰一人目を合わせようとはしなかった。勿論、同僚達も。 「何しているの? 置いてくわよ?」 「ハ、ハイッ!」  その衛兵は自分の不運さを呪いつつ、慌ててカナの後を追って行く。  後にはただ呆然と見送る主従が残された。 「……しかし、姫様は本当に先王陛下似ですなあ」  重臣の一人が溜息を吐いた。 「行動なんかは先王陛下そのものですよね……」  別の重臣も相槌を打つ。 「まあ、『あの』姫様が領土割譲なんて言い出す位です。余程のことだったのでしょう」 「とりあえず約束してしまったのですから、急いで割譲の準備をしなければ」 「至急、指示します」  そしてようやく建設的な発言が出始めた。  そして重臣達はそれぞれ『今後』のために動き出す。  ……それを眺めながら、王は一人呟いた。 「カナ…… 最初から、お前が全部やった方が良かったんじゃあないかい?」
inserted by FC2 system