『ユフ戦記外伝・奇跡の翼』3


「中佐、野中中佐、起きてください。試験飛行の時間ですよ」

太い声と共に辺りが光に包まれ、眠気を追い払われる。
白い光は熱核弾頭ではなく朝日によるものであり、ここは松代ではなく神州島だ。そもそも野中はあの図演が終了した後、部屋から一歩も出ずに沈んだ声で結果が読み上げられるのを聴いたではないか。
寝ぼけ眼を擦れば、不満そうな中年男の痩せぎすな顔が浮かび上がってくる。
基地内に設けられた佐官の個室に入り込んでくる軍人は帝國にはそういないから、恐らく中島の社員だろうと当りをつけと、一言断ってから着替えを始める。
無論、今は昭和46年ではなく昭和26年だ。



「軍人という人種は、時間に関して一般人と些か異なる認識をお持ちだと窺っていましたが」

冷え込んだ宿舎の廊下を歩きながら、中島の社員(佐竹と名乗った)が零す。
確かに、試験飛行の2時間前になっても惰眠を貪るテストパイロットなどそう居ないから、彼の愚痴も尤もなのだが。

「分かりました、以後気をつけます佐竹殿。これでいいんだろ?
とはいえ昨晩本土から着いたばかりなんだ、少しは労わってくれてもいいと思うのだが」

野中を第六計画に引きずり込んだ源田に付き合わされて各省庁に折衝に赴いたのは確かだ。
まあ、源田と野中が懇切丁寧に説得する、ということが相手方にどのように受け止められるかは想像に難くないが。
だからといって惰眠を貪っていい訳ではない。
今日が試験飛行の第二段階、その記念すべき初日であることを考えればなおさらだ。


帝國軍と中島は、破天荒ともいえる野心的な機体を実現するために、長期的な計画を練り上げた。
昨年六月の計画開始以来、即座に風洞と実験飛行場の建設が進められた。
遷音速風洞と超音速風洞での空力研究を経て実験機による遷音速、超音速飛行と言う流れだったが、そのプランが変更されるまでさして時間は掛からなかった。風洞建設に関わる技術的な課題が理由だ。ここでは詳しく触れないが、測定部にチョークが発生したり水蒸気が凝縮するなどの障害に直面した結果設計の変更を強いられているのだ。いっそ設計を変更するならレイノルズ数の改善のために特殊な気体を使用しよう、という話が持ち上がり風洞建設は混乱に陥っている。

中島社内で呑気に風洞建設をしている間にも、軍の焦燥感は募るばかりだった。
両者の態度の差異は、中島側が技術史に於ける一つのエポック的存在として計画を俯瞰しているのに対し、軍はあくまでも実用兵器としての必要性から計画を推進している点にある。

そもそも軍が超音速機の開発に本腰を入れたのは、弾道弾への信頼が揺らぎ始めた昭和24年に行われた対米戦研究に起因する。
再転移時には日米両国の国民一人当たり所得は同等、核兵器を含む軍事・科学技術は同等、米国はアジアから撤退しているという楽観的な予測の元で行われた図演でさえ、死者8200万以上(昭和46年の推測人口は12000万)という衝撃的な結果が齎されたのだ。
昭和26年に至っても核兵器の実用に成功していないことや欧米で実用化されているはずのジェットが帝國で実用化されていないことに想起致せば、この図演がどれだけ楽観的な予測に基礎付けられているか分かろうというもの。
それでいてこの結果。
より現実的な条件下での予測に比べればマシなのだが、そんなことで慰められる筈もない。弾道弾が使えないこと、政治的に孤立していること、そしてアラスカや太平洋を押さえられていることを考えれば端から不利なことは予測されていたが、それでも薬が効きすぎた。
慌てふためいた軍上層部は弾道弾以外に米国を牽制し政治的譲歩を引き出しうる兵器を追い求めた。その結果がマッハ3で飛行し、迎撃態勢をすり抜けて中枢部に打撃を加えうる航空機というわけだ。

仮に再転移するとしてもそれまで20年以上の余裕があると言われようが、技術的な立ち遅れを認識していた軍が焦るのも無理はない。第一ダークエルフが本当のことを言っているという保障はない。近々転移すると告げられれば帝國は邦国のことなどほっぽりだして自分のことにかかっりきりになるだろうから、ダークエルフが転移の直前まで帝國に通達しないというのはありえる話なのだ。
軍が空想の産物のような攻撃機を本気で開発推進をしていると気付た中島が本腰を入れたのは、計画開始から半年が過ぎてからのことであった。
要するに計画最初期での動きがテストパイロットに余計な負担を掛けている、というわけだ。
そして野中はそのテストパイロットに含まれており、彼からすれば中島に一言二言あってもよさそうなものだが、おくびにも出さない。どうせ最初から本腰になっていても、現在の技術力でそう簡単に風洞ができる訳ではないというのがその理由だ。


「機体の点検は鹿嶋中佐が済ませました。
ベース機の安全性が確認されているとは云え25試は実戦配備前なんですよ?もう少し緊張感があってもいいではありませんか。
整備不良で墜落死なんて冗談にもなりません」

佐竹の言葉を咀嚼すると、野中は慌てて問いかける。

「おい、噴射試験も無しなのに母機に乗り込むつもりなのか?
地上でのんびりしてくれても構わないんだが」

「いや、一応燃料も積み込みますし、霜の付き具合くらいこの眼で見ようと思いましてね。
それに第1段階程危険な真似もしないでしょう?」

去年の夏ごろから紗那基地で行われた第1段階は、局地戦に感圧機や測定器を積み込んで高空から降下をするというものだった。
無論、唯の降下試験ではない。
遷音速域(機体は音速以下でも一部超音速の空気の流れが生じる速度域)での機体の挙動を調べるためのものであったから、かなり無茶な降下試験が行われ、9機の試験機と5人のテストパイロットと引き換えに貴重なデータが得られたというわけだ。
そして軍は風洞の完成を待たず、水平飛行での遷音速飛行並びに超音速飛行へと踏み込もうとしている。それが今日から行われる第2段階というわけだ。

「まあそうなんだが」

歯切れの悪い口ぶりで表面上は同意すると、二人は格納庫に足を踏み入れる。一介の機長に過ぎぬ野中にこれ以上の抵抗は不可能であった。



野中が叩き起こされてから二時間半、基地を後にした二十五試陸攻(後の連山)は4基の発動機を回して蒼空の高みを目指している。塗装を剥ぎ取り神州島北中部の荒地に巨大な影を落とし飛翔する様はかなり凄みが効いており、この機が非武装であることを忘れさせるほどだ。
その機内、本来なら爆弾庫やら機銃座に当てられるべき空間には機器が節操なく配置されている。機械類に埋もれるように5人ほどの人間が身を寄せ合っており、その中には佐竹や野中も含まれている。

畜生、小山に任せて俺は管制室でのんびりしているんだった。
佐竹がご機嫌麗しくない理由、それは二十五試の乗り心地にあった。如何なる意味でも想像以上なのだ。

ここで二十五試について多少説明する必要があるかもしれない。
三菱が昨年海軍から受注を勝ち取った(腹立たしいことに中島を押しのけてだ)二十五試は、三菱が民間大陸航路に投入した傑作機DS−3をベースにしている。無論Dはダイヤモンドを意味する。
昭和23年に生産の始まったDS−3は、空気抵抗の小さい高高度を排気タービンを装備した発動機で飛行するというもので、高い経済性と高速性で民間大型機市場を席巻した。
昭和15年に開発されたA18発動機を発展させ、18気筒を二列22気筒に改め、気筒容量も54から66に拡大したA20発動機が使用された。無論民間向けにデチューンされているが、それでも排気タービンを装着した信頼性の高い2500馬力級発動機を投入してくる三菱の底力は流石というほかない。
二十五試はDS−3の設計を大幅に流用し、客席を取り払ったものだ。構造強化や防禦鋼板の装着と武装で重量が増大したが、発動機の行程を160から170に変更し、気筒径も150まで拡大することで出力を向上させている。元が旅客機だから安定性もよく、中島の六発機より遥かに安価。(このクラスの機体としては異例のことだが)4発の魚雷を抱えての低空雷撃ができるから、まさに海軍の望む陸攻ということなのだろう。

その二十五試が、重量のある機械類を積み込んだ上に、腹に6トンにも達する荷物を抱えて猶悠然と上昇する様を体感すればライバル社の技術者としては複雑な心持ちだ。
佐竹はちらりと野中を見遣る。
彼は陸攻乗りが長いせいか、自分の身が操縦室から遠ざけられているのが気になるらしい。

「全く、防弾板に消火装置、タンクのゴムに武装も取り払ってるんですよ?
素直にDS−3を使えばいいんじゃないんですか?」

佐竹は何か言わないときがすまない。

「第1段階を陸サンが受け持ったからには、第2段階は全部海軍の機材でやらないと気が済まないんだろうよ。
競争に負けた中島サンは気分よくないかもしれんが、第六計画を請け負っているんだ。細かいこと気にすんなってもんだ」

帝國は一連の超音速攻撃機開発計画に第六計画という正式名称を与えた。
第六計画とは、大和朝廷の統一と大化の改新までの中央集権化、元寇の撃退、明治維新と近代化、転移後の自活体制構築、核研究に続く本邦始まって以来六番目の大事業という意味合いが込められている。
それだけの難事業を臣民の目を欺いて推進するのは並大抵のことではない。
メディアの隆盛と民主化の進む帝國にあって、恐らく最後の大規模秘密計画になると噂されている。

「そんなことより、大丈夫なのかあいつは?
陸攻乗りの俺があんなのに乗ると思うとぞっとしないんだが」

「そいつは空技廠に聞いて貰えませんかな。
ま、計算上は大丈夫らしいですよ。風洞試験もしてないらしいですが」

野中の心中を察したのか佐竹はわざと冗談めかした口調で笑い飛ばすが、実際問題かなり危険な飛行試験といってよい。暫く押し黙った野中に操縦室から規定の位置に到達したことが告げられ、機体の中央に設けられたハッチを開ける。
本来ならばそこに高度8500メートルにおける外気が存在する筈なのだが、爆弾庫の後部に位置するそこには本来の流麗なラインを崩して膨らみが設けられている。

「佐竹君、湊川だぜこいつは。源田さんに引きずりまわされてえらい迷惑だ」

ポツリとつぶやいた野中は梯子の付いた細い通路を通り、二つ目のハッチを開けて潜り込む。
佐竹達は防弾硝子越しに胴体下部に眼を移し、状態を確認する。
胴体後部には砲弾状の子機が吊り下げられており、桜色に塗られた表面には白い霜がおりている。液体酸素のせいなのだろうが、思ったよりもマシだ。乗り込んだ野中からも、操舵系に問題はないと通信が入る。技術者達が固唾を呑んで見守る中、野中を乗せた子機は母機から切り離される。

切り離しの衝撃は存外小さなものだった。
野中の乗り込んだ子機−正式には海軍航空技術廠・特殊試験機桜花−はこれまでの航空機にはない特徴を持っている。陸軍の担当した第1段階の試験飛行に引き続き高速飛行での空力特性を研究するためのものだが、水平飛行で音速を突破しようとする試みの前ではレシプロは採用し得ない。ペラの回転速度が音速に達すると効率的な推進が行われず、それでも高速を追求するには高馬力の発動機が必要とされるからだ。八式戦クラスの単発機を時速1000キロで水平飛行させるには1万3千馬力という途方もない出力が要求される。(無論発動機の大きさはそのままで、だ)
1900年代初頭においてシリンダー内爆発燃焼平均有効圧力は1平方センチあたり4.7kgfであり、回転数も毎分1100回転程度であった。
それから40年以上経て、過給機による呼気の加圧とピストンによる圧縮比強化により平均有効圧力は22.6kgfに、ピストンの軽量化などにより回転数は3000回転オーバーに達した。無論今後も出力・重量比は改善されるだろうが、レシプロの限界が見え始めてきているのは紛れもない事実だ。
とはいえ、パワープラントを積まないわけにはいかない。
ジェットの開発が間に合わない以上、それはロケットしかありえない。

推力650キロのロケットを四基、そして1500リットルの液体酸素と1300リットルのアルコールを蓄えた桜花はゆっくりと滑空試験に挑む。
砲弾を改造したような胴体は15Gの加速にも耐えられる構造を持つ。後世の眼から見れば些か過剰ともいえるが、衝撃波の挙動が分からない現状では万全を期してのことだった。小さめの翼は、これまでの降下試験(通称ヘル・ダイブ)の苦い教訓から浅い後退角を持たされ、衝撃波の発生を遅らせる効果があるといわれる薄翼を採用している。
安全を考えて180ノットまで機速を落とした状態で切り離されたが、杞憂であったかもしれない。お世辞にも機動性豊かとはいえないが、野中の操る操縦桿に忠実に機体は反応する。とはいえ着陸速度が高いことは分かっているから最後まで油断はできないが、とりあえずは満足すべきだろう。
野中五郎中佐が昭和26年10月14日に帝國史上初の超音速飛行に成功するまで144日と28回の飛行を必要としたが、第2段階初日としては及第点といえるだろう。


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