『ユフ戦記外伝・奇跡の翼』2


部屋はさして大きな空間を持ち合わせていない。部屋の広い、狭いといったものは個人の主観的な評価であり、また同じ機能を持たされる他の部屋との相対的な評価である。
とするならばだ。前者はさておき、後者に関しては他の物と比較しなければ評価を下せないのだが、一介の中佐に過ぎない野中五郎にそのような芸当は不可能だ。
なんとなれば、帝國航空軍全体を統合・管制し得る指揮所は、ここ松代の地下にしか存在しないからだ。
よしんばこの国に予備の指揮所が存在するとしてもその存在は現に秘匿されるべきであり、そして軍首脳部と太いパイプを持つわけではない野中にそのよう機密事項が知らされるわけがない。
よそとの比較と言う点では、同業他社の皆様方が同じ物を拵えていることは確実視されている。が、その空間の詳細は当然伏せられているべきであり、身内の機密すら知らされていない彼に知るすべはない。
何といっても野中は中佐であり、部隊指揮官あるいは社会的な地位と言う点ではそれなりのものがあるが国家規模の事象に纏わる事柄に関しては全くコミットできない。
それが現在の帝國における中佐というものなのだ。

厚着を着込んだ男達が慌しく動きたてるなか、自分の出番の来ない野中は部屋の正面(分厚い金属製の扉と正対する壁面)に設置された状況表示板を眺める。
彼が手持ち無沙汰であることを苦々しく思う人間はこの部屋には存在しない。
彼の出番がくるということ、換言すれば多くの帝國軍基地が蒸発ないしガラス質の土に覆われる中で残りの戦力を効率的に掻き集め、最後の攻撃部隊を造り上げるという仕事の出番は来ないほうが望ましいという点において全員の共通した見方が形成されているからだ。
北極を中心にした世界地図と帝國本土の拡大地図の上には無数の光点と記号が踊っており、動きのあるものの多くは北側に集中している。
が、その意味するところを述べる前に、そこにいたる過程を叙述する必要があるかもしれない。

経緯はこうだ。
昭和45年の末に元の世界に舞い戻った帝國だが、彼らを取り巻く政治的環境は転移前と一変していた。
まがりなりにも工業・経済大国としての体裁を整えてしまった帝國が自活するには膨大な資源を海外から運び込み、商品を売りつける必要がある。
が、資源を持つ国も市場も欧米の植民地であり、彼らは帝國の帰還を好ましく捉えられない。

帝國は自らが必要とするものは全て製造できるから市場としての魅力を持ち合わせていない。
その上彼らの植民地市場に参入しようとする姿勢を見せるのだから外交が悉く失敗したのも当然と言えよう。
帝國も伊達や酔狂で国家を運営しているわけではないから、資源と市場獲得の為に直截な手段を講じた。東南アジアの植民地を煽動し独立の機運を高め、そこに介入を図る。
仏印での手痛い失敗の後、帝國には次のクーデターを支援する時間的余裕は残されていなかった。転移先で蓄えた資源備蓄は急速に目減りするのに対し、世界の資源地帯を押さえる欧米からは油の一滴も売ってもらえない。
46年5月、追い詰められた帝國は東南アジアへ進駐、同月22日に米国が報復措置としてフィリピン‐台湾‐沖縄のラインを潜水艦で封鎖。沖縄近海は帝國が消えていた間に米国の友邦たる中華民国の領海となっており、沖縄近海での米軍の作戦行動は正当性に裏付けられている、そんな主張を帝國が是認する筈もない。
潜水艦を3隻ほど血祭りに挙げると布哇から太平洋艦隊が来寇、聯合艦隊は稼動艦艇の4割と引き換えにこれを撃退。打つ手のなくなった米軍は意趣返しにとベーリング海で虎の子の熱核巡航誘導弾を搭載した帝國潜水艦を撃沈。
帝國無しで30年やってきた連中にとって帝國がどうなろうと失うものはない。孤立無援のなか、東南アジア進駐から6週間でもはや政治的解決が望めない段階にまで達して現在に至る、という訳だ。

空中警戒機、各地の電探、そして衛星からの情報が整理されて状況表示板に反映されるが、その意味する内容は控えめに表現しても、なお深刻と云い得るものだ。
伝統的な敵味方の表示区分(青軍、赤軍といったやつだ)は、ここではなされていない。
赤と青で表示された記号は少なく大半は緑や紫、桃色や橙に黄色といったものだ。 無論、理由がある。

この地下室が航空軍を統合するための部屋であり、その本来の任務に専念するため雑事にとらわれないような配慮がなされている、というのが表面的な説明。
そして公にはされない、それゆえに説得力を持つ説明によれば『一つの指揮所で陸海空の全軍を統合するだけの技術がない』ということと、『空軍は空軍以外のことに口を出すな』というまことに官僚的な発想の帰結であるとされている。
経緯はともかく、状況表示盤には航空軍の攻撃部隊が青で、合衆国のそれは赤で表示されている。航空軍は核兵器で敵に打撃を加えるか、本土防空という役割しか与えられていないから、それは総て核兵器を搭載した(或いはしていると思われる)部隊である。 それ以外は脅威度と情報の信憑性という篩にかけられ大人しい色で表示されている。

全軍が最高度の警戒態勢をとるように指示されてから40時間、青色の記号は北極海付近と太平洋方面で待機している。時折空中給油や基地に戻る機があるが、それでも常時150機以上が侵攻開始地点付近で待機してある。この数字は航空軍が保有する長距離攻撃機の3割(つまり同時オンステージ可能な全戦力)に匹敵するから、その意味するところは全面攻撃の瀬戸際ということだ。

合衆国の部隊も同様の態勢をとっており、双方の搭載兵装が熱核兵器のみであるといえば状況がわかると言うものだ。
このにらみ合いに終止符を打つとすれば、政治的に決着がつくか、無茶な警戒態勢のお陰で両空軍の稼働率が極端に低下するか、はたまたどちらか(もしくは双方)が壊滅的な打撃を受けたときだろう。
最初の選択肢が絶望的であり、帝國が航空打撃力を失えば核投射能力を失うのに比べて米軍が代替手段を保有していることに鑑みれば三番目の選択肢の蓋然性が増大する。

第7から第11監視対象に動きがあった、という管制員の言葉につられて手空きの人間が状況板に眼を遣るとミッドウェー西で待機していた米軍の大型機がこれまでと違う行動をとりつつある。それに呼応するようにアラスカ方面の米軍も動き出す、すべて赤で示された部隊だ。
基地に戻ろうというのではない。分散しながら帝國本土への進路をとりつつある。
よくやる様に防空体制を乱すために誘っているのか、それとも先制攻撃なのか判然としないが、上層部は航空軍に全攻撃機と給油機を出撃させるよう指示を飛ばす。
ローテーションを崩して出撃させるということは稼働率がガタ落ちして以後の警戒態勢はとれなくなることに直結するがもはや誰も気にしない。
航空基地が蒸発しようとするなかで(少なくとも上層部は米軍の意図をそう捉えた)、そんなものに何の意味があるというのだ?

すべてが目まぐるしい勢いで動いてゆく。
ドイツに中枢を抑えられて大した力を持たないソ連の上空から(あるいは北太平洋から)アラスカを目指す部隊と西海岸や太平洋上の航空基地を目指す部隊。
First Strikeを見舞う彼らの後を緊急離陸した部隊が追い、アラスカ沖からは機動部隊から護衛戦闘機と給油機が飛び立つ。
入れ替わりに赤軍攻撃部隊が帝國防空圏内に侵入しようとする。
双方の攻撃部隊は電探を避けようと低空進入するが空中警戒機と艦船部隊に捕捉され、迎撃機が待ち受ける中での進撃を余儀なくされる。

青軍は戦力を急速に削られていく。北海道、或いは小笠原辺りから出撃して米国本土を目指すのに比べて赤軍はミッドウェーやアラスカといった帝國本土近郊から攻撃を加えられる。この差は大きい。実戦に入るまでの警戒待機や護衛部隊、給油機の負担が軽減されるからだ。対して長躯進撃する青軍は長時間の警戒待機が祟って充分な護衛も給油機も付けられない。
北から侵攻した90機の第一次攻撃隊は、3つの電探基地と4つの航空基地を叩いただけでそれ以上の侵攻は不可能になった。西海岸を目指した攻撃隊も似たような状況であり、目ぼしい戦果と言えば北太平洋上の赤軍根拠地を無力化したということだけ。
防空網に第二派を流し込めるだけの穴を開けられなかった青軍に比べて赤軍はそれなりの働きを見せている。アラスカを飛び立った120機の攻撃隊はほぼ同数の護衛と共に進撃し、8割という全面核戦争の第一波としては奇跡的な損害率に抑えて北の大地に200発程度の熱核弾頭を見舞った。
太平洋の戦いは青軍と似たような状況であり(つまり攻撃隊の全滅と引き換えに基地機能を停止させた)可もなく不可もなくといったところ。

第二波は、青軍と赤軍とでさらに大きな差がついた。
アラスカとカナダの防空網に決定的な損害を与えられなかった青軍が米国本土に送り込むことができた攻撃機はわずか8機、そのうち巡航弾発射前に撃墜されたもの6機。2機で合計16発の誘導弾を見舞ったが、最重要地域である東西の海岸や五大湖には侵入できず中部の田舎町を6つ、弾道弾基地を5つ吹き飛ばしただけ。
対する赤軍は焦土となった北海道を通過して本州に誘導弾を見舞う。青軍は北と南洋の基地機能を喪失し、そこから飛び立った警戒機や迎撃機が失われ防空網に混乱が生じている。
本州の基地から上がった警戒機だけでは全域をカバーできないのか、低空進入する赤軍機が状況板から姿を消していく。
こちらは実に120機が攻撃に成功、戦果はいうまでもない。いまや攻撃部隊を纏める担当官が手持ち無沙汰になったのと引き換えに野中の仕事量が増えていく。
努力と成果は必ずしも相関関係を持つわけではない。少なくとも今の野中に関してはその通りだった。
全土の迎撃機と攻撃機を掻き集めても100機に満たない。
海軍と陸軍も似たような状況であるが彼らは核運用能力を持たず、例外はGFの一部艦艇だが、彼らは内南洋に釘付けだ。

第三波がくればどうにもならない、と野中は腹を括った時に赤軍が引き上げてゆき、それに代わって宇宙空間を飛翔する物体を捉えたとの報告。もはや帝國の核戦力は脅威にならないと判断したのか、都市に対する全面核攻撃に踏み切ったらしい。
何処から聞きつけたのか、松代の司令室にも12発の弾道弾が飛来しつつあるという。もはやなすことのなくなった野中は最後に紫煙を吸おうと決意して地下室を後にして、長い通路と階段を登る。野中中佐、と連呼されるが歩みを緩めない。
最後に、白色の世界を見た気がした。


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