『ユフ戦記外伝・奇跡の翼』1


こんな場所があったんだ、戦艦の徹甲弾ぐらいじゃあビクともしないんだろうな。
佐竹が最初に洩らした感想はそれだった。
首相官邸の奥、分厚い金属の扉をくぐると地下へ続く階段が現れる。佐竹の現在地はその先だ。
べトンで固められた無機質な部屋にいるのは佐竹だけではない。
中島首脳陣と技術者が長椅子に腰掛け、向かいには臣民によって選ばれし行政の長。
幾人かは石になっているが相手が相手だ、仕方ない。
中島側の探るような気配を気にも掛けず首相が口を開く。

「中島からの報告書は見せていただいた。陸海軍と安保理からの意見と合わせてこうして足を運んでいただいたわけだ」

慌てた様子で佐野―中島の大型機部門の責任者―が口を開く。

「海軍の次期陸攻ではないのですか?」

身を乗り出す佐野を冷めた眼で見つめる。気持ちはわからんでもないが、幾ら首相が海軍出身とは言えわざわざ陸攻の選定に口出しはしないだろう。
彼は安保から依頼が来たことも知らないから無理はないが、佐竹はこの件とZ機とは全く別の話だと覚悟していたから落胆するわけではない。

「二五試は三菱に内定している。
お宅の六発機は確かに性能的には魅力だが、旅客機との部品共用がなくて高価な上に雷撃もできない。
選定から漏れたのはそういう理由らしい、後日正式に海軍から連絡があるだろう」

佐野も小山も面白くなさそうな顔をしているが嶋田は意に介さず続ける。

「種子島あたりの専門家に言わせれば、高速機の開発に関して言えばお宅が最も有望なんだそうだが、私の話を聞く前であれば辞退しても構わん」

お互いに顔を見合わせる。海軍出身者が飛行機会社にこんなこと言うなんぞよっぽどだ。
知久平さんがいれば(社長職でなかろうと)一人で決めるのだろうが、創業者亡き後の中島では合議制となっている。
いくらかの間を置いて佐竹は口を開く。

「幾つか質問させていただいた後でなければ返答しようがありません」

「構わんよ。で、なにから聞くのかね?」

源太郎が真っ先に口火を切る。

「経営に携わる者としては技術的なことよりも資金繰りに」嶋田が紙巻を挟んだ右手を振る。

「そのことなら何も云うな、赤字は絶対に出ないようにする。他には?」

佐竹はどこからそのような資金を出すのですか、と口に出しかけて慌てて飲み込む。
踏み込んではいけない領域のような気がしたのだ。

「我々が選ばれた理由をお尋ねしてもよろしいでしょうか」

今度は小山の探るような声色。中島の戦闘機開発に長年携わってきたが、それだけが能というわけではない。
三菱と川西にも話を振っておきながら中島が選ばれた理由を聞くことができれば、お上の想定している航空機の性能がつかめるからだ。
中島と川西は共にジェットの研究をしているがその方向性は異なる。
中島は三菱に奪われた長距離旅客機市場を奪還すべく、成層圏高速飛行によって燃費を稼ごうとしている。
その際にジェット内蔵のプロペラか、ファンをつけて噴出速度と飛行速度を近づけたジェットで低燃費と高速飛行を実現しようというのだ。
足高速過ぎる上に足が短い戦闘機の実用性が薄いと判断した中島に対して(帝國軍戦闘機の主武装は機銃だからだ)、川西は耐久性を無視した高推力エンジンを戦闘機に積もうとしている。両者のアプローチの違いを大雑把に云うとそういうことになる。
中島が推力580キロの発動機の60時間連続運転に成功していることと、川西が940キロの発動機を10時間持たせられないことの差異はその辺に起因している。
三菱はレシプロ一本やりだが、何といっても財閥ゆえに様々な技術を持った会社とつながりがある。

「君らの期待には添えないが、現時点でお宅と川西との間にそこまでの差はない。
ただ、中島の提出した合金の性能が最も可能性があること、川西にもはやこの計画をするだけの体力が残されていないこと、そして機体設計能力など諸般の事情を総合的に勘案した末の結論だ」

体力がない、か。
確かに川西財閥は往年の勢いを失っているが新型機の開発ができないほどではないし、そのような状況なら中島は工場を閉めて総出で大宴会をしている。
遷音速なら中島、超音速なら川西と踏んでいたがこれでは何も判らない。
大体『現時点』と来た、こいつは実用機じゃなくて長期的な研究依頼かな?

「怪しげな話と思うかもしれないが、航空技術者としてのやりがいは保障する」
と嶋田が付け加えると技術陣と経営陣の間に温度差が生まれる。

さらに幾つかのやり取りを加えた末、中島側が話を受けると伝えるのと前後して新たな飲み物が運ばれてくる。
従卒が地下室を出て行くのと入れ違いに制服組が入り、再び部屋が賑やかになる。



実を言うとね、海軍も陸軍も必要性を認識していたんだ。そこでわが国の伝統に従うなら別々に開発、そうなるのが自然だろ?
そう嶋田が切り出すと佐竹は胸のつっかえが取れたような気がした。
なるほど、値段が高くつきそうな上所轄が決まらないんで安保理と首相にまわした、そういうことだな。
外の陽気のように心が晴れやかになった佐竹は勢い込んで尋ねる。

「で、どういった機体を開発すればいいのです?受注すると決めたからには教えてもらえますよね」

「勿論だ、たった今から帝国政府と中島は一蓮托生なのだから」

嶋田は真剣な面持ちで続ける。

「ダークエルフとの共同研究によれば帝國が転移する20年ほど前から各地で魔術的な変動が観測されたらしい。
現在大規模な魔術的兆候はなりを潜めているから、我々が再転位するにしろ米国が転移してくるにしろ20年は猶予が与えられるとのことだ」

「恥ずかしながら魔術に関しては浅学の身でありますが、可能性で言えば数多ある地球の国の中から米国が転移して来るのはほぼ絶無なのでは?」

源太郎の口から出でた声帯の振動を伴った呼気に猜疑の色が多分に含まれているのも当然といえよう。
再転移や地球の国家がこの世界に転移するというのは確たる裏づけはなく、週刊誌レベルの域を出ないというのが一般的な見解だったからだ。
源太郎の問いに嶋田は鷹揚に答える。

「転移にまつわる事象が確率論的に決定されるというのは全くの誤解だ。
我々の経験した転移に関しても、帝國の総体としての意思が何らかの影響を及ぼしているとの結論が出ている。当分表に出ることはないだろうがね」

確かに、天皇の意思とは別に影響力を持った国家総体としての意思が存在するなどおおっぴらに吹聴できるものではないし、国民の脳裡に米国の記憶が残っているうちは安心できない。

「さて、再び高度な科学技術を持った国家と接する可能性があるとなると何らかの準備を整えておく必要がある。無論軍備も含めてだが」

米国が転移してくれば帝國の抑えている市場や無尽蔵の資源地帯に口出しすることは充分考えられるし、帝國が最転移すれば転移前の課題が積まれているわけだ。
備えをしておくに越したことはない。
そのための手段だが、と云った後に嶋田が制服組に目配せをすると海軍の制服を着た男が立ち上がる。

「昭和19年ごろから多大な資金を投じて海軍は衛星軌道上に人工物を投入する研究を続けてきました。
ロケット技術の有用な活用方法が見出されたので陸軍の協力を得て研究は加速していき、現在の帝國ロケット研究に至るわけです。
この有用な方法というのが偵察や通信ですが、さらに重要なものがあります」

ちょっとよろしいですか、と小山が話の腰を折る。

「偵察や通信が宇宙研究の主眼だったのではないのですか?なぜ海軍が独自に研究を開始したので?」

笑いながら答えたのは嶋田だった。

「君達は軍人の頭が固いだとか硬直的とか言うがね、君、小山君も相当のもんだよ。
衛星の最も有意義な使用方法なんて軍人であればすぐ考え付くがね。よろしい、海軍大将にして内閣総理大臣嶋田繁太郎が物理の基礎を教授しよう」

嶋田は部屋を見渡して紅茶をぐびりと飲み干してから講義を開始する。

「地球も、我々が現在いる世界も丸いことはわかっている。
しかし光は直進する(厳密に言えば違うんだが)、そうすると我々は水平線の向こうをみれない。
電波はまた別問題だが探知距離はそう変わらない。そうすると遠くを見るには高いところに登らなければならない、或いは飛行機でもよい。
ところがいざ戦争となると前者は技術的な問題、後者は戦術的な問題から実効性の確保が難しくなってく」「ちょっと待ってください、まさか」

佐竹は思わず叫び出す。

「まさか衛星軌道上から水上砲戦の弾着観測をするつもりだったのですか?」

「今もそのつもりだが?首相の話すらまともに聞けないとは最近の若い者はどうなっているのかね」

「失礼しました、あまりにも莫、いや雄大な構想であられるので興奮してしまいまして」

「そうだろう、私も計画推進に一役買ったんだよ。
低軌道に300個ほど投入すれば全世界をカバーできるし(将来的には80個まで絞れるらしいね)、衛星は再転移しても帝國に付随して転移するのがわかっている。私が生きているうちに見ることは適わないだろうが、必ず後世の帝國人に感謝されるだろうよ」

機嫌を良くした嶋田の顔を見るにつれ心中に重い澱のようなものが溜まっていくのが感じられる。畜生、航空主兵者が必死なのも分かるぞ。

「それは置いておくとして、ロケット技術の有用な活用方法とは地球の裏側に直接爆弾を送り込むことでした。
これに陸軍も飛びつき、共同で研究しようという流れになったわけです」

先ほどの男、荒木が話を元に戻すが、これまた妙な話だ。
莫迦高いロケットに爆弾を積んでも効果は高が知れている筈だが?

「弾頭は些か特殊なものを想定しておりまして、費用対効果に見合うと思われていました。が、致命的な欠陥が露呈します。
転移が再び起こるかどうかは判らない、米国がこっちに転移するような場合は良いとしても我々が元の世界に戻った場合が問題になったのです」

一旦言葉を切って続ける。彼にとっては衝撃的な事柄だったに違いない。

「この世界で収集したデータを元に作ったロケットが、元の世界でまともに飛行するかがわからないのです。なにせ別の惑星ですので。
そこで我々はロケットではなく別の手段を用意する必要に迫られたわけです、それが今回の高速機というわけです」

荒木はグラフのついた書類を引っ張り出して机に並べる。

「これは欧米諸国の軍事・科学技術がどのような具合に進展しているかを予測したものです。
いずれも推測の域を出ない上に年度が後になるほど不確実性が増大していきますので大雑把に考えていただければよいのですが、航空技術は大戦の影響もありますので我々の先を歩んでいるでしょう。
昭和24年にはジェット戦闘機が実用化され遅くとも昭和28年には有人超音速を達成しているでしょう。しかし戦闘機の高速化は一時的な現象に過ぎないものと考えています。
研究開発費の増加と大戦終結により万能機志向が促進され、燃費が悪いうえに他の行動の採りにくい超音速戦闘機よりも常時遷音速で飛行しここぞ、という時だけに超音速を発揮するような機体が配備されるでしょう。
そこに我々の付け入る隙があるわけです」

「なるほど、話は読めてきました。
それで我々は研究をするのですか?それとも実用機の開発を?」
源太郎に荒木がゆっくりと答える。

「両方です。
ロケットによる超音速域のデータ収集とそれのフィードバックを経て機体を設計、それと平行しての発動機開発。
昭和45年を目処に実戦配備、というわけです」

源太郎のような技術畑でないものは安堵しているが、技術陣は顔を蒼くしている。俺も恐らく滑稽な顔付をしているのだろう。
なにせここまでの話から推測するに、米国本土を直接叩ける超音速爆撃機ということなのだから15年で初飛行、20年で実戦配備できるかどうか。
巡航M0.8位でM1.3位のダッシュ能力を持たせるとすればどれくらいの大きさになるだろう?15年とは厳しいが何とかなるだろうか。

「超音速の前に遷音速域のデータ収集を行う必要があります。
銃弾に代表されるように超音速域のふるまいというのはおぼろげながら研究されてきましたが遷音速域は皆無です。
それに加えて大規模な、できれば超音速風洞を建設する必要があります」

「予算は認められる。
送風機ではなく高圧穴あき式を用いた風洞は中島の考案だったろう?」

嶋田が事も無げに言ってのけるので源太郎が焦りだす。

「総理、現在の技術で超音速風洞の建設に幾らかかるかご存知ですか?
重巡が建造できる金額まで膨れ上がっても私は驚きませんよ」

「高速戦艦一隻分の予算は確保している、無論風洞だけでだ。
現在作りうる最高の物を作ったらどうだ?
それより荒木君、中島の耐熱合金に関心があるのではなかったかな?」

小山がすかさず口を挟む。よくぞ聞いてくれましたといわんばかりだ。

「中島では子会社を設立して排気タービン用の耐熱合金を開発してきましたが、今回のステンレスはかなりのものです。
オーステナイト系ステンレスの18Cr,12Ni,2.5Moから発展させたものでクリープ強さを向上させるためにMoを6%まで増やしました。従来はこれによる脆弱性に悩まされましたがNiを25%に増やし、Nを増やすことによってオーステナイトを安定さ」「違う、ジェットエンジン用の耐熱合金だ」

荒木が小山を遮るがどういうことだ?

レシプロエンジンの燃焼はシリンダ内で間欠的に行われるだけで、シリンダ・ヘッドで精々300度ということろだがジェットが連続燃焼といえどもそこまで温度は上がらない。
超音速だから短時間アフターバーナーを使用するだろうが、中島16‐25‐6でも充分エンジン本体での使用に耐えるはずだが。
案の定小山は面白くなさそうな顔をしている。助け舟を出してやるか。

「中将閣下は、ひょっとして京都帝大と共同開発したコバルト系合金のことを仰っているのですか?」

確かにコバルトとクロム、ニッケル合金にタングステン、モリデブン、タンタル、ニオブを加えた耐熱合金を開発したのは事実だ。炭素との析出によって強度を確保するのに苦労したがコスト面をクリアすればいずれ実用化できるかもしれない、というところまでこぎつけている。
850度までは高温強度は良好、1000度まで耐食性が良いという優れものだ。
が、そのような超高温耐熱合金に何の用なのだろうか?中島16‐25‐6は鍛造が基本とは言え中島Vi31よりは低廉なのだが、荒木は怪訝そうな表情を浮かべている。

「勿論、そちらのほうだよ。
本体はそれでいいとしてアフターバーナーはまた別に合金の開発をする必要があるかもしれないが。
ところで機体の方の耐熱合金だが、やはり溶接がネックになってくるね。
この件に関しては帝國が総力を挙げて支援するから人材でも設備でも多少以上の我侭が許される、そうでしたね、首相?」

混乱してきた。低温の成層圏を飛行するなら機体に耐熱合金など必要はない。
小山が紅茶を飲みながら気を落ち着けているのを横目に佐竹は問いかける。

「総理、具体的な性能要求はどうなっているのですか?
どうにも話が噛み合わないものですので、我々に教えていただいてもよろしい段階であるならば教えていただきたいのですが」

嶋田と荒木が顔を見合わせる。
先に佐竹達に振り向いたのは荒木だった。

「いやあすっかり忘れていたよ、もう伝えているものだとばかり。
5トンの爆弾を抱えて戦闘行動半径は6500海里以上。
高度2万5千をM2.5以上で巡航、1500海里をM3.3以上でダッシュするというのが大まかなところだ」

可笑しいな、荒木の声が遠のいていくぞ?
左の佐野の足元からカップの割れたような音。右からは霧吹きのような音が聞こえる。
見れば小山は口腔から紅茶を追い出した代わりに首相閣下は顔や胸に赤い液体を浴びている。

昭和25年7月。
川崎は陸軍から発注のあった局地重戦に倒立16気筒の液冷エンジンを積み、高度8000で765キロの水平飛行に成功してはしゃいでいた頃。
三菱の烈風は防弾装備と格闘戦能力を重視したお陰で700キロが精一杯だった頃。
そんな夏のある日、熱気と蝉の合唱で空気が満たされた帝都の地下では浮世離れした計画が語られていたことは長い間公にされることはなかった。
後に帝國で個人総合電子演算機が通信網で繋がれる時代、匿名掲示板において突拍子もない話や笑い話を見かければ『紅茶吹いたww』と記述されるようになる。
そのモデルが小山であるという風説が根強いが、真偽の程は定かでない。


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