『ユフ戦記』45


血染めの島 7


混乱で騒ぎ出すわけではなく、うろたえて我先にと退散するわけでもない。
何が起こったのかわからない、誰もがその現実を認識するのを拒んでいた。
が、魔導師は斃れた。それは歴然たる事実。
現実を認識した皇国兵たちは体中に張り巡らされた血管が凍りついたような思いにとらわれ、解凍した彼らの胸に去来するのは蓋然性が飛躍的に高まった自らの死という事象ではなく魔導師への哀悼の意であった。
数瞬の間歩みを止めていた彼らに合わせるように帝國軍もまた射撃を中止している。 第2中隊長の大須賀が動いたのはそのときだ。

「電話」

上官の声に素早く反応して那賀が電話を差し出す。
中隊の電話線は敵の攻撃呪文にあってもなお機能し続けている。

「坂井中尉、無駄だと思うが一応勧告してみろ。
後退する様なら射つな」

帝國側とて決して無傷ではない、素直に引いてくるのなら第2小隊を立て直したほうがよさそうだ。
第2小隊が白い布を皇国兵に向かって投げ出す中、万が一に備え北側の第3小隊から兵力を抽出する。
敵が再度突撃するにしろ、この勧告の間は貴重な時間が稼げる。



「なんなのだあれは?」

「一体なんだというのだ、あの魔術は?」

相方を失った魔導師、サムダクールの震える声が第2旅軍の幕僚たちの鼓膜を弱弱しく振るわせる。

「魔術ではありません、帝國の火砲です。
畜生、こういう事態を予測して対人狙撃用の物を開発して修練を積ませていたに違いない、そうでなければあの鮮やかな手並みをどう説明したら良いというのだ?
帝國人はそこまで手間をかけて戦争をしたいのか、始末に終えないくそったれどもだ」

百竜長という地位を考えるとあまり好ましくない物言いをするが、この場の誰もが同感だった。

「第1第3大士隊共に停止して指示を求めています。
帝國軍が最上級指揮官に白い布を渡して欲しいと寄越したようです」

帝國の慣習では白旗を掲げれば降伏の合図となる、それくらいスルムとて知っている。

「降伏か死か、というわけだ」

「どうしますか、魔術師たちにも支援させますがこれまでの様には行きません。
正直なところ、酷いことになりますよ」

口でははっきり言わなくともサムダクールの目は撤退を期待しているようだ。少なくともスルムはそう捉えている。

「魔導師殿、われら歩兵というものはですね貴方のように特別な才で皇手陛下に恩義を返すことが出来なければ、大商人のように財を以って貢献することも出来ない。
官僚となって陛下の手足になることも出来ずさりとて田畑を耕すのは性に合わぬ。
だからわれら歩兵は剣となり先祖代々受けてきた恩を陛下にお返しするのです」

スルムは周りを見渡す。
どの男たちも満足げな表情をうかべ首を縦に振る。

「百竜長、わたしゃ辺境の生まれでね。
皇国でもない小さな王国での水呑み百姓暮らしが嫌になって皇国軍に志願したんだ。
運良く入隊できた上に一兵卒から士官にまであげて貰った、先祖伝来の土地は取り戻せたし3人の娘を無事嫁がせました。
やり残したことは何もありませんよ」

「酷い男だ、嫁を忘れてやがる」

「軍に入った時から嫁不幸は決まっていた未来ですよ」

軽い笑いが湧き上がり段取りを決めようというとき、胴長人の声が耳朶に入る。

『明けても暮れても 牢屋は暗い  
よるひる牢番    えい、やれ!』

「帝國人の歌か?」

スルムが遠眼鏡を覗き込むと、中央の陣地で指揮官らしき男が歌いだしている。
何事かをあきれた表情を浮かべる傍の部下に命じると、歌は周りの帝國人たちに広がり合唱となる。

『わが窓みはる 見張ろとままよ  
 おいらは逃げぬ。  逃げはしたいが、
えい、やれ!  鎖が切れぬ』

「何ですかあれは」

「魔導師殿は魔術にかまかけてあまり帝國を研究していないようですな。
帝國文学の中に出てくる歌ですよ、たしかゴーリキーの『どん底』という話です」

「われらに山を降りてどん底にかえれというわけですかな、帝國人にも諧謔というものが備わっているようですな。
ところでどのようなお話で?」

「社会の最底辺に住まう欲深い男はなんの救いもなく死んでいく、しかし欲のない若い恋人たちはどん底から抜け出す。そういう話です。
それにしても反帝國的な歌を堂々と歌えるとは、帝國という国は実に興味深い」

帝國軍一個中隊の合唱は纏まった振動となり、山肌に跳ね返って増幅される。

『ああこのくさり わがくさり    
てめえは  鉄の牢番よ』

一生かかってもどん底から帝國陣地のある高みには上れない、欲を捨てて降伏するならば生かしておく、しかし戦果を挙げようとする欲を出せば惨めな死が待っている。 そういいたいのだろう。
諧謔でもなんでもない、奴らは本気で我々の突撃を阻止して全滅させる自信があるのだ。


「魔導師どの、われらの足に魔術をかけられますか?
帝國人のいうペルセウスのサンダルの如くとはいわんが装備の重さを感じられないくらいに、人生の最後にそれ位の贅沢は許されてしかるべき、そうは思いませんか」

サムダクールは侮蔑と敬意の入り混じった顔を複雑な表情筋によって実現させる。
己に理解できぬ人を見たとき、大抵の人間の人間の見せる態度は蔑視か尊敬かに限られるのだが、二つ同時というのは珍しい。

「足を速くしたとしても向かう先は死ですよ、それも確実な」

「構わない、いま我々が任務を果たすためにはこの身を陛下と国に捧げなくてはならない。
現実がそうであるならば、ただ惨めで無意味な死を選ぶか、それとも民から栄光を称えられる英雄としての死かを選ばなくてはならない。
私は無論後者を選ぶがね、コスティリョフの様にどん底で殴られて死ぬなんて耐えられないんだ」

『おれにゃ切れぬ てめえは切れぬ』

帝國人の歌が最高潮に向かう中でレイサムが鋭剣の帯を締めなおしたのを見てスルムはとがめる。

「貴官は負傷者と魔術師達をつれて兵団まで戻れ」

「そんな、私もお供いたします。
指揮官だけいい格好をして部下がさらし者なんて嫌ですよ」

「黙れ、貴様は足手纏いだ。
いいか、俺は嫁と子供に毎食卵と豚肉か鶏肉を食わせられるだけを仕送りしている、ここで戦死すればおそらく彼女たちは一生牛肉に困らないだろう。
だが貴様が第2旅軍を英雄に仕立てれば肉に変えて新鮮な魚介類に早変わりだ。
いけ、お前は生き残って軍参謀部で栄達するべき男だナターシャとペーペルのように、こんな准提督昇進前で予備役に編入されるような男に付き合う必要はない。
それもまた戦争の一つの形であり私が与える最後の命令だ」

涙ながらにシューエン隊や牽制射撃で負傷した者たちを集め、第2大士隊の新婚の若者を集めた護衛隊を組むレイサムにスルムは一言言い添える。

「皇都の南通、サンテック商館の近くに私の家族がいる、子供たちに私の最後を語ってくれないか。
それから妹がいる、二人の子を生んで先方の家を飛び出してきたが君よりも年下だ。
器量も悪くないし良かったら貰ってやってくれないか。
戦争が終わったら紹介しようと思っていたんだがどうも難しそうなんでな」

レイサムは答えない。
黙々と作業をしながら残存部隊の準備を眺めている。
木々の間から月の光が零れ落ち脂ぎった男達の顔を怪しく照らし出す。
彼らの顔には悲壮さを感じさせるものなど何一つなく、レイサムたちに言伝を頼むものもいない。
最後の魔道支援の段取りが決まり、兵たちの準備は整った。
帝國人が定めた降伏期限を前にレイサムは一言だけ上官に別れの言葉をぶつける。

「お世話になりました百竜長どの。
いや、義兄さん、あなたとその部下たちの忠誠は必ず天聴にまで達することでしょう」

「頼んだぞ。
お前たちの晴れ姿が見られないのが心残りだが」



帝國人の歌も終わり山間には再び静寂が戻る。
お陰で帝國陣地近くの兵たちにもスルムの声は達するだろう。

「第2旅軍総員聞け、われらの旅路は帝都ではなくこの孤島で終着を迎えることになったがなんら恥じることはない。
総員皇宮に向けて銃掲げ、われらが栄光ある幕引きと奉仕の機会に恵まれたことを天に謝しつつ皇主陛下に歓呼三声」

『ラー、ラー、ラー』

斜面の中腹から、そしてスルムの周りから声が上がる。
これから死が渦巻く空間に赴くとは思えない、凛冽たる若々しい声。
俺はこんな若者たちを家族や恋人から永遠に引き離すのだ、その死を無駄なものにするわけにはいかない。

「帝國人に歌の返礼をしつつ逝くぞ(誤字にあらず)諸君、第2旅軍第6突撃軍歌斉唱!」


去り行く魔術師の最後の攻撃魔術が頭上を飛び越え、帝國軍が射撃を再開する中彼らは再び歩み始める。

『かくして巨人がわれらの前を塞ごうとも
われら遍歴の騎士はなべての悪を滅ぼさんと世界に飛び出そう
いざ駆けよロシナンテに跨って
ドルシネーアよ、我に力を与え給え、オーレッ!!!』

ポウモック一等兵は26歳の誕生日をこの山で迎え、そして誰から祝われるよりも早く軽機の銃弾を8発浴びた。
生物学的な死を迎えた後にも彼は3歩前進した。

サイクンはスルムの命に強硬に反対し第2旅軍に付き従い続けた5人の結界魔術士のうちの1人であった。
第1大士隊の右側を担当していた彼は、あの恐るべき対人狙撃砲の威力を味わうことになった。
煌きから一呼吸後に自らの結界に膨大な負荷をかけられ、結界は霧散する。
その直後に彼の前を掠めた砲弾は4人の護衛を葬っただけだったが、それで充分だった。
彼と帝國軍の機銃座の間には結界も盾もなくなったのだから。


『槍は折れその身は宙を舞う
《だんな、あんたがやっていることは負け戦だよ》
出過ぎるなサンチョ、勝ち負けは問題ではござらん
この世にいくばくかの優雅さを付け加えたいと存じまして
騎士は駆けるのでございます』

帝國陣地まで60フィフィク程度まで隊列が迫ったころ、スルムの予備兵力が追いつく。
護衛をする魔術師たちがおらず、足に魔術をかけられているために身軽になっているためだ。
即座に帝國軍の射撃で穴の開いた隊列を埋めるべく行動するが、無論その間にも帝國軍の射撃は続く。
隊列を埋めた頃には魔術師は2人になっており、もはや結界で防護されている場を探すほうが難しい。
各所で機銃弾に打ち砕かれる皇国人が続出し、その上に右手の杜が途切れたため中央陣地からの援護射撃が加わり、右翼の兵力は突撃時の二個中士隊から一個小士隊にまで減じているがそれでも彼らは歌いながら前進する。


『フレストンに惑わされるな、あれは風車にあらず
いざ駆けよ、たとい槍はなくとも オーレッ!!!』



魔術支援は以前の活気を失っているというのに皇国人は絶望的な前進を続けている。

「狂っている、やつら頭の螺子が緩んでいるに違いありません」

那賀の戸惑うような声が耳朶を震わせるが大須賀は中隊先任下士官とは異なった心情を抱いている。

「命ぜられるままに前進、隊列が乱れることもなく。
ただ祖国の勝利と栄光を信じて、自らの犠牲が無駄にならないと信じて。
先任、あれこそ歩兵だよ」

『愛馬ロシナンテは失われその身は徒歩となる
いざ駆けよたとえドルシネーア姫の加護を失おうとも』

帝國人の誰もが知る物語を軍歌に仕立てて進む彼らに対して大須賀だけでなく中隊の少なからぬ人間が共感を抱いている。
なんてことだ、俺はあいつらが羨ましいのだ。
まことに軍人らしからぬ心情だが軍人でないものには判るまい、これだけの近代兵器を与えられても軍人は戦場に武士道や騎士道が排除されずに残っている、そう信じたがっているのだ。

全く以って救い難い莫迦どもだ、俺もあいつらも。

「あれこそ歩兵なのだ、大日本帝國陸軍の栄光の日々を体現するかのような歩兵なのだ。
我々がどこかに置いて来たものを皇国人は持ち合わせている、それがいいこととは思えないが」



機関銃に擲弾と小銃までが加わり、スルムの本部小士隊もまた壊滅的な打撃を受けながら前進している。
いかなる射撃を受けようが、歌を止めるつもりはない。
第2旅軍の花道を飾ると言うだけではなく、第2旅軍が帝國人に攻勢をかけているという事実をこの山の帝國将兵全てに教え込むためだ。
ゆえに彼らは、胸に穴が開き血を吐こうとも、両足が砕かれ地に伏せようとも唄い続ける。
ついに突撃隊に付き従っていた魔導師が消え去り、スルム達に射撃が加えられようというときに機銃座の一つが燃え上がる。
後ろからの魔術支援、まだ撤退していなかった魔術師がいるのだろう。

「まったく、まだあんなところをうろちょろしていたのか。
莫迦ばかりだ、俺たちも人のことを言えんが」

魔導師は失われたがその代償として行軍速度は上がる。
第2旅軍の隊列はもはや穴だらけ、それが帝國軍の射撃効率を低下させているとあって、残り40フィフィクを幾らかの兵が駆け抜けられそうだ。

『われらは正義の騎士 もはやただのアロンソ・キハーナにあらず
われらは栄光の戦士 もはやただの騎士にあらず』

そのとき、スルムは戦場とは思えない光景を眼にした。(耳にしたと言うべきか)
合唱隊の頭数が酷く少なくなった皇国兵のために帝國人が問いかけの部分を歌ってくれたのだ。
彼らと立場は酷く異なるが、帝國人も皇国人もその根っこの部分は同じなのかもしれない。
そうでなければこの奇跡は説明できるものではない。

《ならば問おう、汝の名はなんぞや
ならば問おう、誇り高き御身の名はなんぞや》

この距離に至って漸く皇国人の小銃が効果を発揮し出す。
幾人かの帝國兵が射撃を受けて陣地から転げ落ちるが、その数は期待したほどではない。

全く、そんなに先読みのしやすい軍歌だったかな?
とあれこいつは楽しくなってきやがったぞ。
スルムは士官にのみ許された特権、鋭剣を鞘から抜き放ち刀身を煌かせる。

『わが名はドン・キホーテ・デ・ラマンチャ
オーレッ!!!
人呼んで、ラ・マンチャのドン・キホーテ!
オーレッ!!!
いざ駆けよ遍歴の騎士、いまこそ悪を滅ぼさん
オーレッ!!! 』

第2旅軍総員917、そのうち兵団本部に引き返したものは38人。
帝國陣地に達したものはスルム百竜長以下27人、これを成功と見るか失敗と見るかは評価の分かれるところだ。


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