『ユフ戦記』43


血染めの島 5

陽が遥かな水平線の下に隠れ月は分厚い雲に遮られたいま、フェンダート独特の青紫と言うべきか赤紫と言うべきか物珍しい色彩を備えた木々は鬱蒼とした闇に溶け込んでいる。
その木々の間を縫うように濃紺色の服で揃えた男たちが歩んでゆく。
甲海岸を発っているはずの別働隊に呼応するように、乙海岸を発った皇国地軍第九兵団第91師軍第2旗軍に所属する第3旅軍だ。
長ったらしいため、彼らには帝國の歴史書から知識を得た南遣団上層部の誰かによって劉軌という符牒が当てられている。
偸盗のように闇の中を歩むのは彼らだけではない。
甲海岸からは二個旅軍が出立しており、それぞれ劉願、孫師と呼称されている。(三部隊いずれも間の『仁』という字を省いている)
目標の極北山は周留、その山中に確認された帝國軍部隊には豊璋という符牒が与えられた。
雪どころか花咲き乱れるフェンダートにあって作戦名は氷雪河作戦、氷雪は皇国語で白を現す慣用句であるから帝國流に言えば白江、あるいは白村江作戦となる。

間も無く日付が変わろうという頃合い、第3旅軍を預かっているスルム百竜長は一旦部隊を止める。
彼とその部下たちは三刻半をかけて乙海岸二リーグ半(約8km)を踏破している。
夜間の、それも九百以上を有する部隊の行軍としては上出来だ。
予定では甲海岸から進発した部隊が陽動、兵力の吸引をなし、その間に手薄な陣地を別働隊が急襲するという筋書きだが果たして巧くいくかどうか。
(スルムの知るところではないが天智2年の東津江下流においても孫仁師、劉仁原の部隊と劉仁軌の水軍による挟撃が試みられた)
技術的な問題により上陸地点が二分され、極北山と欠山の間を通る線には帝國軍が警戒線を張っているために夜襲部隊の連携は困難を強いられている。
兵力移動の困難な山肌に貼り付けられた帝國軍がそう簡単に動く保障はないし、敵が兵力の不足を感ずるほどに味方が奮戦してくれるか甚だ心許ない。

兵に休息を取らせつつも、魔術師には帝國兵の存在を探ってもらう。
第3旅軍には25名の魔術師(うち2名は魔導師)が与えられているが、皇国全土に存在する魔術的才能を持ち合わせている者は五万足らず、皇主の私兵たる吸血種と研究に勤しむ者を除けば戦場に投入できるものは一万を割り込む。
この事実に照らし合わせれば第2旅軍が破格の支援を南遣団から受けていることが伺えよう。(近衛艦隊が八百人以上を確保しているのは例外中の例外)

「北西5分の3リーグに生命反応、数は約40、南北に広がって布陣中」

魔術師からの報告は続く。

「さらに南50フィフィクにも布陣中」

報告に合わせて地図に帝國部隊を書き込んでいく。
なだらかな斜面を射界に捉えながら、10〜40人で一つの陣地を形成している。
山の北東にある尾根を中心におよそ150人前後が配されているが、北からの迂回は不可能、高さ200フィフィク以上の絶壁だから当然だ。
山の南斜面を登れば欠山あたりの帝國人が背後から射撃を加えてくるだろう。
正面から障害物を盾にしながら前進するしかなさそうだ。

攻撃開始まで一刻ほど待たせよう、そう考えていた矢先に甲高い音が響く。
兵の隠蔽がまずかったのか発見された一部の部隊に向け帝國兵が発砲したようだが距離は5分の3リーグ。
いかな帝國製小銃といえ効果を発揮できないが、帝國兵を叩き起こして戦闘体制をとらせるには充分な効果を発揮した。

「全員を伏せさせろ」

スルムの命令に従ってあるものは窪地に飛び込み、あるものは木陰に入り、あるものは岩陰に隠れる。
勾配がきつくなっている場で無論全員がそのような天国を見付けられた訳ではなく、草木の少ない斜面にしがみ付いている者もいる。
暫く待てども帝國兵からの射撃はなく肩透かしにも思われたが、当初の作戦通りに行かなくなったのは明らかだった。

「司令部に通信、『劉軌は豊璋と駆け落ちす』だ」

第3旅軍は陽動役に転身するはめになったが、ともかくも戦闘は開始された。



莫迦野郎、誰だ撃ちやがったのは、起きろねぼすけ、といった声が飛びかよい帝國陸軍第62聯隊第3大隊第2中隊は夜戦へと駆り立てられた。
第二中隊は極北山東斜面を担当しその守備正面は2,200メートルに達するが、斜面に所々火点を設けてそれを塹壕で繋いでいるに過ぎない。(無論塹壕は未完成)

「先任、様子はどうだ?」

第二中隊指揮官、大須賀大尉は中隊最先任下士官の那賀に問うた。

「大尉殿、敵は大隊規模、歩兵主体で重火器は確認できません。
様子はまあ見ての通りです」

那賀の言葉を聞きながら大須賀は暗視装置付の双眼鏡を覗き込む。
尾根に隠れるように登ってきているため欠山へ砲撃を要請しても無駄、中隊の火器で対抗するしかない。
彼の中隊は昭和31年において至極ありふれた編制、すなわち中隊本部と42人からなる三個小隊に中隊火器分隊を加えた総勢168人の定数通り。
陣地は完璧には程遠い出来栄えだが弾薬は溜め込んでいる。
その完璧に程遠い陣地の一角、南側の第2小隊を標的に定めたらしく皇国兵は物陰に隠れながら南に向かう。
様子を見て取った大須賀は火器分隊を中央の第1小隊に差し向けた後に大隊本部に知らせる。
陽動の可能性を考慮し増援は要請しない。

血戦の狼煙を上げたのは帝國側だった。
佐伯上等兵は第2小隊第3分隊の軽機関銃手だった。
第2小隊は陣地下斜面の樹木を刈り取っており、陣地前800メートルは何もない岩肌だらけの斜面が続く。
彼は煙草を銜えながら、そこに現れた皇国兵(シューエン列騎竜士率いる第2大士隊第1小士隊)が200メートルほど前進するのを待ち、まるでマッチで火を着けるかのような気軽さで八式軽機関銃の引き金を引いた。

八式はMG34の模倣とも言われているが、それは陸軍兵器局からすれば謂れのない侮辱とうつるであろう。
九九式よりも発射速度を向上させなお且つ命中精度は維持するという要求に応えた八式はMG34のようにジャミングを頻繁に起こすわけではない。

佐伯の構える八式の銃身から7.7ミリ弾が944m/secで飛び出してゆく。
小隊長の合図で他の2機と共に射撃を開始したが、向かってくる皇国兵の姿が見えるわけではなかった。
毎分1500発という発射レートを保ったまま暗闇に向け射撃を続けるが、発射レートが高すぎて人間の耳では正確な発射音が認識できない。
同僚がベルト状に束ねられた弾を補給する間にも、竪琴のような音が他の二機から聞こえてくる。
その間にも部隊長の無能さゆえか運の悪さゆえか、魔術士を伴わずに帝國軍の射撃を受ける羽目に陥ったシューエン小士隊のあげるうめき声が聞こえてくる。
軽機を射撃している自分の耳に入ってくるんだから相当でかい声で呻いているんだなあ、とぼんやり考えながら引き金を引き続ける。

暗視装置を覗き込んだ小隊長は成果に満足したらしく、射撃は終了した。
佐伯とその仲間は2本のベルトを消費したから、500発を皇国兵に向けて放ったことになる。
小隊合計で1500発、小隊長のような若手士官が持ち合わせている価値観に照らし合わせれば軽機の弾などタダみたいなものだし、佐伯も同感だ。
数瞬して雲間から姿を現したつ月が斜面を照らし、佐伯上等兵もまた成果に満足を覚えた。
斜面には7,80の遺体が残され10人あまりの皇国兵が引き上げて行く姿が目に入った。

カイアール紛争に引き続き魔術師の支援のない歩兵部隊の脆弱性が確認され、後に『牟田口の竪琴』と呼ばれ恐れられる八式軽機関銃が始めて実戦使用された瞬間だった。


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