『ユフ戦記』39


血染めの島 1

12月6日 皇都

その一行は物々しい警護に囲まれ寒気凛冽のなか皇宮への道を歩んでいた。
皇国政府が皇族以上の者にしか使用を許さない金線の入った獣車には如何なる王家の紋章も刻まれていない。となれば、獣車の主は列強の使者に他ならない。
事実、皇都軍港の一角にある帝國用の埠頭に横付けされた飛行艇から降り立った帝國人は駐フランシアーノ大使と共に車中にある。この日、小内海おける武力衝突以来二度目の外交的接触が持たれようとしているのだ。
一度目の接触は皇国側から、ライアール空襲の直後に持たれた。
とはいえ駐レムリア大使の手渡した親書は皇主の水茎であることが確認されたから、以前から準備されていたものに違いない。それに対する返答が帝國本土からもたらされている、つまりそういうことだ。

車窓から眺める情景は車中の者にとって歓迎できるものではない。
車に向かって石を投げようとする子供を警護の者が取り押さえる。

「帝國はすっかり悪役だな」

帝國本土から1日半かけ飛行機と飛行艇を乗り継ぎ、皇都にたどり着いた男が呟く。

「ええ、今じゃフードも無しじゃ街を歩けません。帝國人と判る格好で外出しないよう大使館職員には伝えているのですが」

駐皇国大使が応える。

そうなのだ、帝國は皇国ではすっかり悪の帝國扱いだ。
そもそも皇国は第十六艦隊への奇襲を未だ発表していない。
彼等が公表したのはレムサットを帝國軍が夜間空襲したことだけ、それも未だ宣戦布告がなされていなかったから皇国は迎撃しなかった、ということになっている。
帝國の方も影響を考慮して海戦の結果は対外公表していないのだが、列強諸国はどちらかというと皇国に同情気味だ。
なにせ海戦を目撃したものは当事者以外に存在しないが、帝國が空襲を行ったことは各国の商人が目撃しているのだ。加えて潜在的な帝國に対する恐怖心がそれを後押しする。

最早帝國は皇国のみならず列強諸国に対してもある種の感情を抱かれつつある。それは如何なる意味でも好意的ではないものだ。

「そう心配するな、感情が外交に直結するようなら外交官は要らないんだ。いくばくかの影響は覚悟せねばならないが悲観するほどのものでもないよ」

「とは言え、ああも騒がれては落ち着きませんよ。大体大袈裟なんですよ、飛竜基地に対する焼夷弾攻撃は雪のお陰で大した成果は上げていませんし、レムサットの陸軍兵舎に対する攻撃も事前に退避が済んでいたそうじゃありませんか」

全くの事実だ。各種情報から判断すると、皇国はレムサット空襲を予期していたとしか思えない。
付け加えて言えば、彼らに知る由のないことなのだが、レムサット総督府を編制地とする皇国地軍第九兵団はそれ以前に作戦行動に出ていたのだ。

「いや、犠牲者がかなり出たのは確からしい。スコットランド経由の情報によれば連中反体制派をレムサットの兵舎に軟禁していたとのことだ。とにかく連中煮ても焼いても喰えそうにないぞ、君は今後もしっかりと皇国との外交チャンネルを保持して欲しい」

貴方に言われたくはないでしょうな、と咽元まであがってきた言葉を押さえ大使は応ずる。

「わかりました。しかし慣例ならそろそろ本省に戻るものかと思っていましたが」

「もはやそんなことは言ってられん。皇国で培ったものをしっかり発揮してくれ、工作資金は言い値で提供する」

一瞬喜色とは程遠いものを浮かべようとした大使だが、警護の声に反応する。さすがに朝堂まで獣車を使用できるわけではないのだ。



「大日本帝國大使閣下、ならびに特使閣下がお運びになられました」

床から天井まで40メートル近くあろうかという朝堂に侍従の声が響き渡る。
コンサートホールにも使えるんじゃないか、という大使の感想はあながち的外れでもない。朝堂はその外見や内装とともに声を美しく響き渡らせるという機能も考慮して設計されるからだ。
侍従の声に反応して皇主が玉座に向かうのを確認し首を垂れる。皇国では許可あるまで貴人の顔を見ないのが最低限の礼儀とされている。意外かもしれないが帝國人は儀式の場ではひどく礼儀正しい。少なくとも表面上は。

「大使どの、特使どの、前へ出られよ」

皇主の声が響き渡ると同時に朝堂に声にならない漣が立つ。侍従ではなく皇主自らが声をかけるとは破格の厚遇といってよいのだ。
彼等の歩む床は各色の艶石にアクセントとして光を放つ魔石を配したものだ。周りの柱には全て彫刻が施されている。サン・ピエトロ大聖堂を少し豪華に、明るくした感じといえば大体の雰囲気は掴めよう。
入り口から文官、武官の居並ぶ中を歩んだ二人の前には椅子が用意されている。ややこしいことに、このような場合椅子を用意したという配慮に何事もなかったかのように甘んじて腰掛けるのが礼儀とされている。
これも厚遇といってよいだろう。公式の場で座ったまま皇主と対面できる人間は限られている。

カリュンは儀礼的な挨拶を端折って本題に入る。

「大使殿、貴殿に余の新たなる知音を紹介して頂けることを期待しているのだが」

「は、皇主陛下、大日本帝國特命大使にして帝國外務大臣吉田茂をご紹介させていただきます」

吉田は完璧な皇国式最敬礼をやってのける。

カリュンの見たところヨシダなる者は手腕と諧謔を高い次元で調和させた人物のようだ。
しかし外務大臣であるのに全権大使でなく特命大使というのが気にかかる。
帝國政府はこの人物に譲歩の余地を与えなかったのだ。それがなぜなのかはわからないが、渉務卿の報告書にあったシマダとヨシダの間にある、ある種の意見の相違がその一端を担っているのかもしれない。

「特使殿、レムリア大使からの報告によれば両国の駐レムリア大使の間に些か現実認識における差異が生じているようです」

「は、無論如何なる人間であれ感情や現実認識において完全なる一致というものはありえません。しかし、国家間におけるそれらの差異が拡大すればそれらは両国にとって望まざる結末へと導くものです」

「ふむ、擦れ違いは速やかに批正されなければならない。その点においては両国の意思は完全に合致しているのではあるまいか?」

どのような方向に正すかは別にしてだが。

「仰るとおりであります。帝國の意思を誤解されぬよう、陛下の芳信を受け帝國宰相よりの寸簡を預かってまいりました」

天皇の親書は何らかの理由で取り付けられなかったのだろう。帝國内も一枚岩ではなさそうだ。
ちなみに皇国の出した親書は、講和を呼びかけるもので、小内海における皇国の既得権益を尊重するのであれば200億デステル分の50年物帝國公債を無利子で引き受けるというものが中心だ。皇国国家支出の1.5倍、近衛艦隊をもう一揃え建造してもお釣りがくる額だ。

ヨシダの手から書簡らしき包みが侍従に渡され、幾人かの間を儀式的なやり取りで経由されカリュンの手元に至る。

「玉章拝見する」

はやる気持ちを抑え、書簡を広げる。
さあて、シマダはなんと云ってくるのかしら。
読み進むにつれ相貌に剣呑なものが浮かび上がるのがヨシダの目にも入るようだ。シマダの署名とともに書簡には以下の事項が列記されていた。

『一 吾等大日本帝國、並ビニ大陸間相互安全保障機構ハ先ノふらんしあーの皇国ニヨル暴虐ナル武力行使ニ対シ義憤ト遺憾ノ意ヲ表スル

二 然レドモ雅量アル大日本帝國天皇陛下ハ帝國陸、海軍ニ依ルふらんしあーの皇国ニ対スル全面的ナ武力行使ニ先立チ皇国ノ蒙ルデアロウ災厄ノ苛虐タルコトニ鑑ミ戦災ヲ回避スル機会ヲ賜ハリ

三 小内海ニ於ケル大日本帝國、並ビニ大陸間相互安全保障機構ノ陸、海軍ハ南方ヨリ自国ノ陸軍並ビニ海軍二依ル巨大ナル増強ヲ受ケふらんしあーの皇国二対シ物理的打撃ヲ与フ態勢ヲ整エツツアリ右軍事力ノ行使ハふらんしあーの皇国ガ一切ノ物理的抵抗ヲ終止スルニ至ル迄同国ニ対シ戦争ヲ遂行スルノ一切ノ大日本帝國臣民並ビニ大陸間相互安全保障機構加盟国臣民ノ総意ニ依リ支持サラレ且鼓舞サラレ居ルモノナリ

四 世界ノ臣民ニ対スル暴虐ナ支配亦自由ナルベシ経済的側面ヲ有ス諸活動ニ対スル一切ノ制約ハ大内海沿岸諸国ニ依ル無益且無意義ナル抵抗トシテふらんしあーの皇国ニ明白ナ先例ヲ示スモノナリ現在ふらんしあーの皇国ニ対シ集結シツツアル物理的打撃力ハ其レラ諸国ニ対シ行使セラレタルモノニ比シ測リ知レザル程更ニ強大ナルモノナリ吾等ノ決意ニ支持サラレルルコレラ軍事力ノ最高度ノ使用ハふらんしあーの皇国軍隊ノ不可避且完全ナル壊滅ヲ意味スベク又同様ニ同国人民ノ土地、産業並ビニ生活様式ヲ必然的ニ荒廃ニ帰セシメ又同様ニふらんしあーの皇国本土ノ完全ナル破壊ヲ意味スベシ

五 無分別ナル打算ニ依リふらんしあーの皇国並ビニ同国人民、商人ノ利益ノミヲ保護シ暴発的ナル軍備ノ増強ヲ推シ進メ同国ヲ滅亡ノ淵ニ陥レントス我儘ナル皇主ニ依リ引続
キ統御セラルベキカ又ハ人間的知性ヲ発露シ大日本帝國ニ依ル助言ヲ受ク理性ノ道ヲ履ムベキカヲふらんしあーの皇国ガ決定スベキ時期ハ到来セリ

六 吾等ノ条件ハ左ノ如シ
 吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルベシ右ニ代ワル条件存在セズ

七 吾等ハ無責任ナル保護貿易主義並ビニ世界ノ自由ナルベシ経済活動ヲ阻害セシム一切ノ施策ヲ廃シ又世界ノ平和ヲ誠実ニ希求セントスルモノナリ斯クノ如キ暴虐ナル政治思想ハ永久ニ駆逐サルルベシ

八 右ノ如キ新秩序ガ建設セラレ且ふらんしあーの皇国ノ戦争遂行能力ガ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ル迄ハふらんしあーの皇国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ基本的目的ノ達成ヲ確保スル為占領セラルベシ

九 ふらんしあーの皇国ハ不当ニ支配シタル属領ノ主権ヲ放棄スベシふらんしあーの皇国ノ主権ハ吾等ノ決定スル領域ニ局限セラルベシ

十 ふらんしあーの皇国ハ大日本帝國天皇陛下ノ下命ニ遵イ之ヲ統治スベシ

十一 ふらんしあーの皇国ハ竜、魔石、通信ヲ含ム一切ノ魔導技術ヲ放棄シ大日本帝國ニ引キ渡サルルベシ又同国陸海軍ハ大陸間相互安全保障機構ノ決定ニ遵イ其ノ軍備ヲ決スベシ

十二 ふらんしあーの皇国ノ一切ノ産業ハ公正ナルコトヲ旨トシ世界海洋貿易機構ニ組ミ入レラルルベシ

十三 ふらんしあーの皇国ハ大日本帝國議会ノ採決ニ遵イ同国ニ対シ正当ナル賠償ヲ供スベシ

十四 吾等ハふらんしあーの皇国政府ガ直チニ全ふらんしあーの皇国軍ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノふらんしあーの皇国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス』


カリュンは声の震えるを抑え、軽く呼吸をしてからヨシダに告げる。

「特使どの、これが帝國の総意か?」

「陛下、恐れながら先刻申し上げたように感情や現実認識においては差異が生じるものです。帝國人同士であっても」

「しかしこれが帝國政府からの公式書簡である点にはかわりあるまい」

「仰せの通りで」

「あいわかった、特使どの。後日渉務卿に返書を持たせよう」

カリュンは謁見が済み、宰相に書簡を渡すと居宮に閉じこもった。
精神的衝撃により生じた緊張をほぐす為幾人かの不幸な侍従と調度品を製造した後に彼女がアウステル元帥に命じたのは、フェンダート上陸の予定通りの進行であった。


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