『ユフ戦記』38


混乱8

昭和31年12月3日 夕刻


「えー、かかる理由で防弾衣の開発が急務であることはご理解いただけたと思いますが、その為の予算と致しまして32年度から計上していきたいわけであります」

牟田口の答弁は何事も無く終局に向かう。
昭和31年現在における兵士の重要性に鑑みれば、防弾衣の開発に毎年巡洋艦一隻分の予算を投じることに誰も不満を持たないはずだ。
帝國にとって兵士の値段というのはそれだけのものになってしまっているのだ。


「議員諸兄、それでは来年度海軍予算の説明を山本君からさせます」

嶋田の声が議場に響き渡る。
牟田口の次は山本の番というわけだ。

「山本五十六海軍大臣」

議長の声に促されて山本は壇上に向かう。
無機質な光に眼をやると報道用カメラが山本を捉えている。
いいぞ、遅れに遅れた邦国への支援予算の審議のお陰で今日の国会は注目の的だ。山本の答弁もリアルタイムで全国のお茶の間に届けられる手筈となっている。

「海軍としましては、来年度の予算と致しまして巡洋艦を大小で4隻、駆逐艦を18隻の建造し、二個飛行隊の増設、ならびに各種航空機600機を旧型機と代替させる方針でありましたが、若干の上方修正をさせていただきます」

そこで一旦言葉を切り、壇上に置かれた硝子杯の水で咽を潤す。
幾人かの閣僚が訝しげな視線をぶつけてくる。ここからが本番だ。

「といいますのは、先月海軍の人員および艦艇の少なからぬ量が小内海の波間に消え去った訳でありまして、その補充のためには補正予算を組んでいただく必要がある、そういうわけであります」

議場が騒然とする様を見て山本は興奮を覚える。
どういうことだ、といった声があちこちから上がるし、嶋田は報道に撮影中断を指示するが受け入れられない。
撮影を中断するのは議長の専権事項であるし、彼にはよく言って聞かせている。

「ええ第十六艦隊の上に降りかかった災厄に関しては、詳細については報じることは禁じられておりますので突っ込んだところに関しては首相のほうに伺っていただきたいのですが、フェンダートが危機に曝されていることは明らかでありますから至急GFを防衛出動させねばなりません。それに付随する費用も補正予算で組んでいただきたいのであります。政府首脳がどういった経緯でこのような重大事項を伏せているかは良く分かりませんが、なにぶん私のような政府主流から外れている人間にはこれ以上のことは申せません」

もはや国会は甲子園に匹敵する喧騒に包まれている。
牟田口は顔を真っ赤にし、嶋田は口から泡を吹いている。吉田に至っては腹を抱えて大笑いだ。
今夜の予算審議は徹夜になりそうだ。


同刻、フェンダート

フェンダートの第十六艦隊は、艦隊戦力が壊滅したといえどそれなりの力を残している。
その中核は百機あまりの基地航空戦力であり、その中に30機の連山が含まれている。
そして第十六艦隊は慎重派のGF指揮下でなく、軍令部と安保の直接指揮下にある。
となれば宣戦布告前であろうが国会が大騒ぎ中であろうが彼等の任務には何の支障も無い。

小内海の東に浮かぶデラウイ島はライアール諸島の最南端に位置する。
皇都から南に2,000リーグ(約6,000キロ)行けば、そこにデラウイ島が浮かんでいる。
ライアール州都が置かれたデラウイ島は南北600リーグに及ぶライアール諸島の中心であり、巨万の富をもたらしてくれる皇国の最重要貿易拠点の一つであり当然皇国軍の戦略拠点の一つでもある。
以前は対ユウジルドの策源地となっていたが、1,200リーグ離れたフェンダートに帝國が腰をすえてから対帝國の策源地として機能するように至った。

そのライアール州都レムサットは巨大な倉庫としての役割を果たしている。ロディニア大陸や清華を含めた東世界への玄関口であり、またレムリアや帝國への玄関口でもあるから繁栄を極め、かつてレムサットを訪れた列強の商人は

『皇都は人口60万を誇る。清華の都の180万に比べれば小さいものの壮麗で煌びやかな建物が並び、計画的に創られた街並みは機能的であり、町自体が一つの芸術のようだ。城壁が無く防御戦は難しいが列強から万里を隔てる波濤が天然の要害となり、また巨大な皇国艦隊を排してこの都に兵を進められる国は無いだろう。農を営む民は少なく、周辺の農村も皇都を養うだけの生産力は無いため、専ら海から運ばれる穀物と近海の魚介で食糧は賄われ、皇国の巨万の富がそこに顕れている』と書き残した。
彼らから見ればこれだけの町が一国の首都ではないなどと想像も出来なかったのだ。

レムサットには東世界から皇国本土へ運ぶための商品が集積され、また東世界や帝國へ運ぶための商品が蓄えられている。
無論それらを運ぶ商船隊も屯しているが5年ほど前から様変わりしている。かつて輸送は皇国が引き受け、ライバルはユウジルドの外洋商船隊だけであったが最近は鉄で出来た巨大な船舶がレムサットに入港するようになっている。

いうまでもなく帝國の巨大な海上輸送力、そのほんの一端に過ぎない。
帝國人は皇国やユウジルドから多種多様な商品を買い込み、その巨大な船腹にあきれるほどの量を積み込んでゆく。
例を挙げれば帝國人が毎朝飲むコーヒーや紅茶、タバコ、綿花、羊毛、革、木材、香辛料、砂糖、宝石などだ。
それらを両国政府が価格統制をしなければ凄まじいインフレを巻き起こしかねない量を買ってくれるわけだから、両国もその金で対帝國戦備を整えるのが可能になったのだ。
無論これらは皇国やユウジルドが植民地で生産したか一枚噛む物であり、帝國の商社が儲けると同時に両国もまた潤う、という構図になっている。

入港のたびに巻き上げられる港湾税(帝國の巨大な船のために岸壁を整備したのだから当然、というのが皇国側の主張)だけならば我慢できるが、皇国もユウジルドも帝國製品を買わない。
自給自足できる上に、売るほど物を持っている。なにより未知の技術で作られた帝國製品に両国の産業が依存し、帝國の経済的植民地と化すことを恐れているからなのだ。

それに対して帝國の要望(帝國船舶のレムサット港自由使用、レムサットから皇都および北部小内海沿岸諸国への皇国独占航路の解放、塩・鉄・銅・硫黄・砂糖などの帝國専売公社を皇国に設置すること、皇国植民地を独立させることなど)が突きつけられ、両国の関係が冷え込みはじめたわけである。

そして10月末に帝國船舶は本土への帰還を命じられ、レムサットから帝國船舶が消え去った。皇国への経済制裁のためである。
とはいえ皇国経済が深刻な打撃を受けるわけではない。確かに帝國が上得意ではあったが皇国の商売相手は世界中にいるのだ。
その様な次第であるから、レムサットに帝國人は存在しない。ならばその周辺に爆弾を巻き散らかしても文句を言う人間は帝國内にはいない、益田大尉がこれから赴く場所はその様なところなのだ。

連山(かつての二五試陸上攻撃機)は、帝國が作り上げた史上最強の爆撃機である。
全備重量72トン近い巨体を漆黒の空に引き込むのは離床出力2,750馬力に達する4基の三菱製妖星発動機。
益田大尉が乗り込む連山は今宵レムサットに正義の鉄槌を加えるべく発動機をまわし、誘導路に差し掛かる。
彼の機体だけではない。十六艦隊全力とレムリアの第十一艦隊から応援に来た連山は計62機。一機あたり3.5トンの25番と焼夷弾を抱え、2000海里彼方の皇国兵に挨拶に行くのだ。

「こちらアマネ、サンタ1からサンタ12は2番滑走路に入り次第順次離陸せよ」

「サンタ1諒解」

僚機の通信が耳に入る。

「サンタ7諒解」

益山も続き、操縦席内を見渡す。
気心の知れた仲間達、給料の高い民間航空の誘いを断って陸攻隊に居座る愛すべき莫迦たち。

「さ、ちょいと空中散歩と洒落込んで連中に空の使い方を教えてやろうじゃないか。敵さんの飛竜基地は山の中だというが、山ごと焼き払えば燻り出されてくるさ」


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