『ユフ戦記』34


混乱4

同時刻 海軍大学

「正直なところ戦力としてよりも政治的な打撃のほうが大きいです。嶋田政権が倒れても個人的には何の痛痒も感じませんが、帝國の軍事力に疑問符をもたれることが一番怖い。遺族の前では口が裂けてもいえませんが」

会議室には30人ばかりの人間がいたが、その点に疑問を持つものはこの場にはいない。商船改造型とはいえ帝國の航空母艦を沈めうることが明らかになるわけだ。

「その点が不可解だ。それだけの政治的影響力を持つのなら欣喜雀躍して宣伝に努めてもいい筈なんだが」

制服姿の男が疑問を口にする。基本的に階級を気にせず騒げるのがこの集まりの利点ではある。

「宣戦布告もなし、というのであれば我々の概念で言う事変や紛争にとどめたいのではないでしょうか」

「これだけやらかして休戦交渉を仕掛けてくるとでも?」

反発するのは制服組、ことに海軍関係者が多いが政治畑の人間から見れば外交要素の一つとしてしか捉えない。

「その可能性があります。今回の奇襲で皇国の軍事力が帝國の脅威になると悟らせて海洋権益交渉を有利に運ぶつもりかも。連中何よりも経済に重点を置いていますから」

この時代の皇国においては、経済における安全と軍事における安全が極めて接近したものと考えられているのだ。

「限定戦争と強制外交というわけか、帝國が総力戦態勢に入るのは是が非でも回避したことだな。10年前ならあるいは休戦を受け入れていたかも知れん」

場を眺めるだけであった山本が漏らす。

「そうですか?世論や諸国からの信頼を考えれば難しいのでは?」

「世論なんてものは内閣を1個か2個つぶせば止んでしまうよ。邦国や同盟国は我々の軍事力を知悉しているし世界の果てにある皇国の助けが得られるわけじゃあない、大人しくしているさ。列強が手出ししてきても跳ね返すことは出来るし、何より大軍を遠隔地に送り込む能力を備えている国は殆ど無い。皇国だって10万を越える兵を送り込むのは無理だろう」

「いまは受け入れられないという根拠は?」

「この国の政治体制が歪であること、これに尽きる。3つもある軍令機関、現場の声を汲みいれられない省庁上層部、横の連携が全く取れない官僚機構と独自に編成する予算、強力な報道管制、肥大化する財閥と反目しながらも生きながらえている政権、他にも数え上げればキリがない。そのうちこの国は機能不全に陥るよ。そして機能不全に陥ってからでは遅い、今なら戦時体制のドサクサで大鉈を振える。じゃんじゃんやろうじゃないか」

「戦争に勝つための政権奪取が目的じゃなかったんですか?」

「人聞きが悪い。それは手段に過ぎないし、正直なところこの戦争に負けてもいいとすら思っている。緒方君、後任首相の調査は済んでいるか?」

皆の視線がダークエルフに集まる。彼女の機嫌が悪い理由は誰もが承知しているから山本以外に声のかけようが無い。

「ええ、閣下のリストにあった人物はあらかた調査できました。野党の有力者にもそれとなく手を打っています」

「よろしい、では近日中に議会で作戦案をぶち上げたいんだがそれはどうなっている?」

「嶋田さんたちはどうしても総力戦を避けたいようだね。何が何でも短期決戦だそうだよ」

山本が付け加える。

「なんといっても短期戦には金が掛からないから、それなりに納得がいきます。海相は些か異なる見解をお持ちですか?」

一橋から引っ張り出された赤松が答える。

「そりゃそうだよ、総力戦となれば膨大な資金が掛かる代わりに国家同士の持久戦だ、国力が優越する帝國に負ける要素は見当たらなくなる」

「軍事的なことはよくわかりませんが官邸の方では短期決戦で圧倒できると云ってるのでは?軍令部から聞こえてくる話でも同様ですが」

「短期決戦でもやりようによっては勝てる、それは確かだ。しかし嶋田君の言うようなやり方では厳しいんじゃないかな。大兵力を一挙に投入すればまだしも、あれでは兵力の逐次投入になりかねん」

「しかし、確実に戦費を回収する目処の立たないまま大兵力を投入するのは些か国策に反することになりますよ」

赤松の云っていることは正論ではあるが転移当時の感覚からすれば理解しがたいものであるかもしれない。
古今東西軍事には金が掛かる。
昭和15年度の財政支出は109億円、その7割強が軍事費に費えていたことを考えれば軍隊がいかに金食い虫かよくわかる。

無論、その様な巨費は通常の手段で調達できるわけは無く、そのうちの60億円が返せる見込みの無い公債によって賄われ、累計400億円にも達する公債が日銀および民間に押し付けられた。
転移以降その状況は一変する。
転移前の無計画な公債発行を反省し、公債には全て担保がつけられた。
一例を挙げれば昭和18年4月に住友が引き受けた6億5千万円の公債は10年物で年8分の利率がつけられ、返済不能となった場合は50年間ローデン地方において唯一の帝國資本会社として市場を独占できること、おまけとして石油採掘権を付けるといった具合である。
これらのなりふり構わぬ金策によって帝國政府は膨大な大陸資源地帯の開発費を賄い、それらは急成長する国内経済から上がる租税によって賄われた。
当然巨費を食いつぶす軍の縮小も行われた。
巨額の国費を消費するだけでなく、人的資源を産業界から奪う巨大陸軍の存在は到底容認できるものではなかった。

戦時編成53個師団を基幹とし230万に達する兵力を抱えていた陸軍は段階的に縮小され、昭和31年現在、常備兵力14個師団、37万人、戦時28個師団までに圧縮された。
その代償といってよいのか、陸軍装備の近代化が推し進められた。
歩兵用小銃の刷新をはじめとして、少ない兵力でも打撃力を向上させようと様々な試みが巨費を投じてなされたが、国民の誰もがそれを受け入れた。
大々的な徴兵により国力を損なうよりは遥かに経済的、そして軍需企業も潤うというわけだ。

それに伴い陸戦の基本思想も変容を余儀なくされた。
戦時でも100万を超える大兵力を動員するのは不可能、しかし資金は(往年に比べれば)潤沢となれば使用される兵器は高度なものになり、必然的に40万やそこらの人員に濃密な訓練を強いることになる。

そして今残るのは、高度な教育を施された兵卒たちと機械化された装備だ。
兵一人当たりの貴重性が上昇すると共に、それに掛ける経費も上昇したというわけだ。
これらを動かすには途方も無い金が掛かる。

歩兵は車に乗せられて移動し、野砲はトラックに曳かれ、戦車は大型化し自走砲がついてくる。
燃料、弾薬、補修部品どれをとっても転移当時とは比較にならない量が要求される。

それを大内海を隔てた万里の彼方に運ぶには並々なら労苦を要する、となれば採算の目処が立たない軍事行動は許されない。
補正予算枠を超えるならば公債によって資金を調達することになるが、その公債には担保を付けねばならない。

対フランシアーノ戦で云えば事前に皇国政府のもつ債権が調査され、戦争の際にはそれらを担保として帝國公債が発行される。
無論戦争に金が掛かるというのは皇国にも共通することであり、もし総力戦となれば、その程度の担保では足りなくなるばかりかそれらの担保が皇国政府によって使われる可能性があるのだ。
赤松が述べているのは、そういうことなのだ。


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