『ユフ戦記』32


混乱 2

昭和31年11月29日 帝都

『皇国水軍、第十六艦隊を奇襲』
初雪とともにその知らせが帝都にもたらされたのは午前八時過ぎだった。
陸軍に関してはいざ知らず、無敵艦隊を呼号していた海軍の敗北は帝國政府に大いなる衝撃を与えた。
直ちに報道管制が敷かれ、事態の把握と対策のために首相官邸の地下に政権中枢に連なる者が集められた。

「現在のところ皇国から正式な宣戦布告は通達されていません」

外務大臣に代わって事務次官が説明する。

「かの国にも宣戦布告という概念はあるのだろう?」

「ええ、他国の誤解を招かないために敵味方を区別する必要がある、そういった必要性から宣戦布告という概念自体はありますが条約等で明文化していませんので」

「それ以前の問題だ!国際法というものを野蛮人どもは理解しておらん」

嶋田がわめき散らすが、他列強の支持を取り付けていない世界海洋交易機構の採択した『戦争二関スル条約』にも宣戦布告は明文化されていない。
『そんな条文を入れたら奇襲が出来ないでじゃないか』と仰り、外務省と法務省の出した条約案に修正を加えるよう命じたのは他ならぬ嶋田なのだが、当の本人はその件に関する記憶を脳裡から追い払っているようだ。
げに人の記憶とは良く出来たものである。

「現在確認できている被害は、母艦は隼鷹、飛鷹の双方がやられました。足柄を含め護衛艦艇は重巡1、駆逐艦6隻を喪失。
残りの艦艇も大なり小なりの被害を蒙っており、第十六艦隊はその戦力を喪失したと断言できます」

重い空気が部屋を支配する。
一個方面艦隊の壊滅というのは軍事的に見ても大損害だが政治的にはそれ以上だ。
白日の元に曝されればただでさえ国民の寵を失っている政権への打撃は避けられないだろう。

「とりあえず明日にも臨時国会を参集せねばなりません」

「国民にこんな大失態を公表するというのかね?
時期を考えるべきではないか、春には総選挙が控えているんだぞ」

当初の予定では、三月ごろに皇国を外交面で締め付け、近隣諸国に挑発させる。そして皇国が何らかの軍事行動をとれば穏健派を圧倒して総選挙で勝利、政権は磐石な物になる。
その後に皇国を叩き潰す、というものだった。

「いつまで隠し通せるか、軍令部第三部では悲観的な意見が多数派を占めています。各云う私も同意見です」

「下手に隠して露見すれば、総選挙前に政権が崩壊します。どうせ露見するのであれば我々が公表するほうが得策です」

呑気な口調の山本や吉田を嶋田は睨みつける。
もともと嶋田と波長の合わない超党派の彼等にとって嶋田政権崩壊はさして悲観的な出来事に感じられないのではないか、嶋田はそう疑いかけている。
いや、吉田はともかく山本は油断ならない。
これまでに幾度か皇国のとりうる軍事行動、そしてそれに関する危険を記者談話として発表している。
非公式なものであるが、政府見解と異なる談話を発表してきた山本にとって今回の出来事はあまり痛手ではないのかもしれない。

「国内は置いとくとして、対外公表はどうなのだ?」

「『本未明、皇国水軍ハ大日本帝國海軍ト東部小内海ニ於イテ共同演習ヲ実施セリ。爾後両国ノ紐帯ハ益々強固ナ物ト為リ、小内海ノ安寧ニ貢献スル事明ラカニシテ、皇主欣幸ニ堪エズ』これが皇国政府が各国外交筋に出している公式声明です。現時点では彼等の意図を読みきれません」

吉田の言葉に嶋田は激烈に反応する。

「意図?意図だと?決まっている、戦争じゃないか。
それ以外にどう受け止めればいいんだ。蛮族どもが何を考えてそんな声明を出しているかは知らんが小賢しい小細工を企む余地の無い様に叩き潰せばいいことではないか。ええ?
幸い一航艦は常に艦隊編成を取っているのだろう?野党には演習とでも言って出撃させればいいじゃないか。
蛮族どもの木造船を片っ端から沈めて皇都を空襲すれば我らの失態も帳消しになる、大戦果に紛れて第十六艦隊の被害を報告すれば影響も少ないじゃないか」

「それは…確かに我々のとりうる選択肢ではありますがあまりにも直情的ではありませんか」

議論百出の様を呈した官邸で山本は一人ごちる。
まずいな、予想していたとはいえ開戦が早すぎた。どうせ首相とその仲間たちは楽観的な作戦案を出すのだろうが、それが実現する前に倒閣といってもらったほうがいいかな。

「辻君、大陸間相互安全保障機構の方ではどう見ている?」

「とりあえず、十六方艦がライアールを奇襲するということが実現不可能になったことは確かです。
一航艦が皇国水軍と基地航空戦力を叩き潰し、その間にフェンダートに陸戦兵力を集結させます。あとは事前の想定どおり90日以内に皇都を制圧する、こんなところでしょう」

嶋田と辻の繋がりが強固なものであるのは確かだが、それとイエスマンであることは全く異なる次元の話であって欲しい、それが山本の嘘偽りない心情だった。

「山本君、一航艦の出撃はどのくらいで出来そうだ?」

「フェンダートで自由に補給できるという前提ならば4日以内に出撃準備は整います。フェンダートが敵の手に落ちるようであれば2週間近くを要します。本土からフェンダートまでは巡航で二週間といったところです」

「その心配は要らないが5日というのはまずいな、早すぎる。
事前の説明無く慌しく出かけたら野党に勘繰られるじゃないか。十二月中旬に出撃ということで調整してくれないか」

「それは悠長に過ぎます。敵が本気ならばフェンダートを落としにかかります。準備の出来た艦から向かわせるべきです」

「興味深い意見ではあるが、作戦に関しては軍令部と安保で協議する。牟田口君、陸軍の方はどうなっている」

「14個師団のうち第1、第5、第8、第10の4個を大陸に貼り付けています。議会に気取られぬよう、という条件ならば本土から2個師団を抽出するのが限度です。この程度なら演習とでもなんとでもいえます」

「それと神州島はどうかね?神州島なら大規模な兵力移動も気取られぬだろう?」

「神州島の第13師団は機甲師団ですから、船を手厚く手配していただかないことには」

「その点は大丈夫だ。ようし、連中に戦争を教育してやろうじゃないか」

呑気なことだ、制海権も危ういというのに。
連中に教育されるのは我々のほうかもしれませんよ、首相閣下。
僭越ながらそのときは私どもが閣下に政治を教育して差し上げます。

山本は野党の党首たちや親しいブンヤの顔を思い浮かべながら席を立つ。帝都に政治の季節が訪れようとしていた。




補足
改正帝國憲法は明治憲法と現行憲法をミックスさせたものを想定しています。
統帥権は首相に委任という形です。条文は明治憲法を元にしています

陸戦兵力ですが近衛と第1〜13師団が充足状態、14〜22は基幹要員と装備のみです。
帝都の第1、広島の第5、弘前の第8、姫路の第10が大陸に展開しています。

第13は機甲師団で管区は神州島です
それからこの世界では師団を軍に準じた扱いをするので3単位ではなく4単位編成を取らせています


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