『ユフ戦記』30


守るも攻むるもくろがねの 5


上村の内心とは裏腹に、彼の声は自信に満ちたものであり、それを耳にしたドワーフ一行は声を失う。
彼らはドワーフが満月の夜に炉を開き、六週間かけて完成させるプレートアーマーの耐弾性と帝國製浸炭鋼鉄の耐弾性に大差がないことを知っている。その炭素または窒素で表面硬化処理を施された鋼板、それも300ミリ以上の物を貫くとは彼等の知る大砲という概念とはかけ離れた武器に思えてくる

「それほどの威力があっても撃たないのはなぜです?あたらないからですか?」

再びパッツィの声。

「命中率が悪化するのは確かですが、それよりも大事な問題があります。
敵の戦艦の砲弾が届くのであれば、40,000という距離はこちらにとっても危険なのです。
恐らく50口径の16インチ砲の最大射程ぎりぎりであり、その大落角弾に本艦が耐えられる保障はありません。
それよりも小さな口径の砲であれば、重力加速の恩恵を受けにくいので届いたとしても安心ですが」

「この艦の防禦はどうなっているのですか」ふたたびパッツィの声「比叡の主砲であればどうなりますか?」

「4,000以下に接近しなくては厳しいです。14インチの大落角弾に対しては如何なる距離でも主要部の装甲が打ち抜かれることはありません」


上村は続ける。

「防禦区画舷側には480mmの傾斜装甲、甲板主要部は260〜290mmの水平装甲が施されています。装甲の種類はお答えしかねますが、これは本艦の主砲弾に対して計算上は少なくとも17,000〜32,000mの間で、高初速の50口径18インチ砲であれば18,000〜34,000mで耐えられるようになっています。
大和級の主砲であれば15,000〜35,000mであれば余裕を持って対応できます。
この15年の製鋼技術の進歩を考えればもう少し安全距離は広がるでしょう。
50口径16インチ砲であれば、特に初速を抑えた大重量弾を使用された場合40,000の射距離で甲板装甲を抜かれる可能性があります」

設計途中に45口径20インチ砲に対して20,000〜30,000mで耐えうることを追加要求され、18インチ砲搭載艦としては十分な防御力を持っている。



だから速やかに安全距離まで詰め寄って一方的な殴り合いに持ち込むのが基本である。大遠距離砲戦や極端な近距離砲戦をするのは逆の立場、相手が20インチ以上の大口径砲を備えているときだけだ。


「ははあ。砲戦距離を自在に変更する、そのための高速性能ですな。
何ノット出るのですか?大和級よりも優速ということは聞いているのですが、比叡より早いというのは事実ですか?」

上村はこの老い先短い老人に何でも教えてやりたい気分になっている。海軍の情報を漏らしたところでしゃべる相手もいないだろう。

「33ノットといわれていますが私も詳しいことは」

実の所、帝國海軍は戦艦の速力に関しては国民に対しても秘密主義を取っている。(信濃級などはその存在自体が対外的に秘密であるが)
その理由は、高千穂級高速戦艦にある。
高千穂級はアイオワ級から巡洋艦を守り、それを撃破するだけの能力を求められた。
幾十年にもわたって米海軍が金剛級の浸透突破、後方撹乱を恐れていたように日本海軍もアイオワ級を恐れたのだ。
その結果、軍令部から35ノットという速力が高千穂級に求められ、33ノットと高温・高圧重油専焼缶を提案する艦政本部案を退けた。それに加えて50口径41センチ砲10門という火力、自艦の主砲に耐えられるだけの防御力を求められた。巡洋戦艦ではなく超高速戦艦といえるかは分からない(前世代の大和級より火力において劣るからだ)が、常識的に見れば基準排水量は50,000トンを優に超えるべきだろう。



早期の戦力化、超大型艦用の甲号船渠を使用しないことを念頭に置かれた彼女たちは45,000トン以下という制約がかかっていた。艦政本部が四連装砲塔とガスタービン・高圧重油専焼缶の複合推進方式に傾いたのはその頃だった。
技術的困難と引き換えに基準排水量44,800トンで軍令部の要求を満たした高千穂級は『造艦技術史の一大金字塔』とまで云われ、その高速力・重火力・重防御は列強諸国に衝撃を与えた。

しかし、対外公表はなされることはないが高千穂級は苦難続きだった。

一番艦高千穂は極限までコンパクト化された四連装砲塔と、それに窮屈に詰め込まれた半自動装填装置に悩まされた。就役してから最初の一年間で4度にわたって一番砲塔が故障のため発射不能に陥り、機関も額面の馬力を発生させられず29ノットどまりであった。三、四番艦も根本的には同じ問題を抱えており30ノットが精々だった。
四番艦の乗鞍に至っては主砲塔爆発を起こし、雑誌『主婦ノ友』読者投票で選ぶ『息子を乗せたくない乗り物』2に選ばれた。ちなみに3は霊柩車、4は警視庁の警邏車である。 
1は公試で251,518という計画値を上回る空前絶後の軸馬力を発揮し、最大速力36.27ノットという速度を叩き出した直後にガスタービン機関の爆発を引き起こし、どうにか浮いて呉まで曳航された二番艦の穂高である。機関と衝撃でターレットが歪んだ後部主砲塔を交換し、左舷後部の外板と装甲を張り替えた彼女が戦隊に復帰したのは18ヶ月後のことであり、丁度その頃『主婦ノ友』の読者投票で一位を獲得したのである。
なお、問題の雑誌の発売された3日後に高千穂がガスタービン機関の事故を起こしている。



帝國海軍はそういった事情から新造艦艇の計画速力を公表していないのだが、信濃級の名誉のために云えば、信濃級は33ノットという計画速力を事故の起こりにくい重油専焼缶で達成している。

「…化け物だ」これはドワーフの声だ。

「つまり、如何なる状況においてもわれわれの知る帆船以上の速力を発揮できるわけだ」

帆船は非常に気まぐれな乗り物であり、風がよければ20ノットオーバーをマークできるが、強すぎればマストが耐えられない。そうかと思えば風が吹かないときもあり、風向きにも左右される。(切り上がるにも限界があるのだ)
如何に風の魔石と気象条件が完璧に整のい、船長が帆柱、船体強度の物理的限界に挑んでも帆船は30ノット以上出せないとされている。
如何なる気象条件でも常に相手よりも優速でいられるというのは戦術上非常に大きな利点であり、戦略上も速力がもたらす恩恵は計り知れない。

「全く、こんな艦を見たらどんな国だって戦争する気が失せようというもの」

「ええ、われわれが帝國の協力者であって本当に良かった。西ガルムをはじめ主だった同族にも帰順を促さねば」

「皆様方、本艦は間も無く主砲射撃準備が整います。お見逃しのないよう」

司令塔から駆けつけてきた従兵が知らせる。
基準排水量82,000dの巨体は標的艦との距離を30,000強まで詰めている。
右舷70度方向に標的間を志向し、全砲門の射界にはいる。
何度も述べるが、この距離で信濃に致命傷を与えるのであれば50口径20インチ以上の巨砲を用意しなければならず、そしてそのような巨艦を米国が用意するのは昭和35年以降になるといわれている。



信濃に備え付けられた四基の水上射撃電探は、出力60kWで波長3cmの電波を照射、その反射波を読み取る。標的までの距離は32,700m、速力は18ノットと算出された。
入力された空気抵抗、風、湿度、温度、コリオリ力、旋条のもたらす定偏効果による修正を電算機が行い、直結した射撃指揮装置に電気信号となって送られる。
自艦の速度、進路から発砲までに予測される相対距離の変化は距離時計により計算がなされ、各砲塔の海面高度から修正を加え、各主砲塔に伝達され、砲員が指定された角度に砲身をあわせる。

「撃ち方はじめ」

大井の声に従い、砲術長が頃合いよしと見れば発砲するのだが、既に射撃に必要な諸元を入力した砲術長は速やかに引き金を引く。
彼の鍛え上げられた鉄砲屋達は、些かの狂いも無く射撃盤の針と砲口を一致させていた。
砲身に与えられる仰角は26.7度であり、50秒前後で弾着するはずである。

「3,2,1、だんちゃーく」

「1から3番すべて右に遠弾の模様」

スコープを覗き込んだ弾着観測員が知らせる。
水柱観測まで電探でやるのは一苦労だが致し方ない。
矢継ぎ早に報告がなされ、砲術長は各砲塔の二番砲に一番砲よりも左に2.5ミル、仰角を2ミル下げるように命じた。再び発砲。

「弾着まで電探でするのですか?」

「ええ、夜間長距離射撃もこの方式であれば支障がないはずなのですが」

気ではパッツィなどは興味津々と云った様子で見聞しているが、GFや艦本の技術者たちなどは気がない。今後帝國海軍における電探の位置づけがこの演習で左右されかねない。
すなわち、対空射撃と捜索だけに使用されるものであるか、それ以上の役割を与えるかというものだ。
彼等の心配は杞憂に終わる。3斉射で夾叉をえた信濃は、斉発(9門同時発射)に移行する。
あるダークエルフの観戦武官など、この距離で夾叉を得たことに酸欠の金魚のような口の動きで驚きを表している。

9門の主砲が煌き、轟音とともに彼方の目標に運動エネルギー弾を送り込む。信濃の400m後方でも同じ光景が繰り広げられている。
僚艦の甲斐が、公試ついでに同調発砲機の試験を行っているのだ。


「本日はお招き戴いて…なんといえば良いのか、言葉が浮かびません」

パッツィは涙ぐませて感謝の言葉を述べる。

くろがねの巨獣たちの宴が終焉に向かったとき、男たちがパッツィの前に歩み出る。
一人は名の知れ渡ったGF長官、もう一人は見たことがある気はするが随分昔のような気もする。

「貴方は?」

「帝國海軍中将西田正雄であります。現在、第二艦隊を任されていますが比叡艦長としてボルドー在泊時にお世話になりました」

「これは中将閣下、お礼など」

思いもかけぬ高位の人物たちにパッツィは戸惑いを隠せない。
西田は古ぼけた輪のようなものをパッツィに差し出す。

「これは?」

「比叡の操舵輪であります。つまらぬものですが、比叡乗員のみならず帝國海軍の感謝の念をこめまして。
本来は海相がお渡しすべきなのですが不在であり、私が適任かと思いまして」

パッツィは皺枯れた腕で操舵輪を抱え込み、その場で蹲ってしまった。
彼の歩んできた道程にどれ程の祝福と苦難が横たわっていたのかは分からないが、少なくとも人生最後の幾月かは大いなる満足で満たされることだろう。
彼は操舵輪に目を向けていたために山口の傍らに通信士官が歩み寄り、紙片を一瞥した山口が顔色を変える様を眼にしなかった。最も涙腺から分泌される液体に視界を覆われたパッツィの視線がどこに向いていようが関係のないことではあったが。

「閣下、なにか興味深い知らせですか?」

上村が歩み寄る。

「ああ、私だけでなく全ての帝國臣民にとって驚きに満ちた便りだ。我々は驚くだけではいけないのだが」

山口は一旦言葉を切る。
上村は彼の脳裡から一つの可能性を導き出し、それは続く山口の言葉といささかも乖離しないものであった。

「上村君、随分と賑やかになりそうだぞこの冬は。少なくとも皇国と我々の神々は捧げられる血に不足を感じることはないだろう」


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