『ユフ戦記』26


守るも攻むるもくろがねの 1


『帝國海軍は、いや日本帝國は対馬沖で奇跡を具現化した五月二十七日以来、一つの考えに取り付かれてきた。
それは、戦船に少しでも威力の大きな砲弾を打ち出す大砲を積み、少しでも高い防御力を与えようというものだ。
大艦巨砲主義と云われるその思想は帝國のみならず列強諸国に見られたものであったが、帝國はそれに輪をかけて酷かった。
何しろ国費の半分を鋼鐵の戦船を造る為に捧げようとしたのだから。
だが、かの1905年に帝國海軍が自らの望む艦隊を海上に現出させて戦ったときを除けば彼等の望む艦隊はついに出現しなかった。
財政難、次いで軍縮条約、そして転移。
様々な事情で彼等の理想は潰えたが、それでも彼らは戦艦の建造を止めなかった。
その想定決戦海域は日本海から内南洋に変わり、再転移の可能性が僅少であることと引き換えに米国が転移してくるかもしれないという可能性が示されるに至り大内海へと変更された。
一度限りの主力艦隊決戦から斬減作戦、そして広大な大内海で戦艦群が小規模な衝突を繰り返す長期戦へと方針が変更されても歩みを止めることはなかった。
そのことがいいか悪いかは分からない。
だが彼らは帝國人であり、帝國人とは戦艦が好きな生き物なのだ』

ロンド・ファンス・レークト著
『帝國海軍の海洋戦略〜転移十五年を経て〜』より抜粋


ルイス・デンフェルド大将が指揮するSurface Strike Group Fifty Six(これは第五艦隊所属であることを意味しない)が北大西洋にその航跡を刻み込んでいるのにはそれなりの理由がある。

ブラウナウ生まれのチョビ髭男があげた火種は欧州のみならずアジアにも広がりを見せようとしたその日、東洋の帝國と合衆国が一触即発の危機にあったあの冬の日に突如帝國が消え去ったのだ。
世界に衝撃が走り、様々な憶測が出された。
ある者は彼らが開発していた秘密兵器が暴走し、帝國とその民は運命を共にしたのだと云う。
またある者は、そんな帝國などはじめから存在せず、我々はその帝國が存在していたという偽りの記憶を持っているだけだと。

そしてある者は、彼らは異世界に消えていったのだと。
何れが真で何れが偽であるかなど誰にもわからなかった。

ただ一つだけ云える事は、彼らが消えた後も戦争が続いていたということだ。

ドイツの猛威に曝されていた共産主義者は、満州の大兵力を西へ動かし雪解けと共に総反攻に出た。
しかし帝國がいなくなった途端に秩序を失った朝鮮半島に内乱が起こり、貴重な満州軍を投入すべきか逡巡している間に中国では共産党を駆逐した国民党が満州に雪崩込んで来た。
満州と朝鮮半島を維持すべく防戦に出たソビエトはドイツと休戦を結び、東部戦線の圧力から開放されたドイツは膨大な艦艇と将兵を失いながらも英本土に上陸した。
漸く参戦を決意した合衆国と英連邦は英本土を奪回すべくドイツ海軍と死闘を繰り広げ、1947年に英本土を奪回するに至った。
朝鮮半島の赤色化に成功したソビエトは弱りきったドイツになだれ込み、東部戦線は崩壊、英米が介入する間も無く欧州の 2/3が社会主義の実験場と化した。


長きに渡る第二次大戦は終結し、世界に平和が訪れたかに見えた。
だが資源の争奪であった第二次大戦が終結するとイデオロギーの対立が燻り欧州で、そしてアジアで内戦が勃発する。
ただでさえ朝鮮半島の維持に苦労していたソビエトは再び巻き起こった中国の内戦に介入を強いられ、泥沼の戦いに引きずり込まれていた。
その上欧州戦線に地上兵力を投入する余裕などなく、水上戦力を以って資本主義陣営の海上輸送路を断つことを決意した。
1943年に珍しく積極的行動に出たドイツ海軍の奇襲によりロイヤルネイビーは壊滅状態に陥り、本土戦で荒廃した英国は未だ戦艦を新造するまで回復していない。(資本主義陣営の誰もがイタリアとフランス海軍には期待していないのは明らかだから)
したがってドイツが赤色化した今、共産主義者どもを止められるのは合衆国のみであり、ルイス・デンフェルドが戦艦群を率いているのはそういった次第である。

彼はソビエト海軍に艦隊決戦を挑もうとしているのだ。合衆国の、否、自由主義陣営を背負って。


「閣下、やはり敵は諦めるつもりがないようです」

友軍からの報告が入ったのか、幕僚が知らせを運んでくる。

「英軍からの報告では進路変わらず、速度22ノットだそうです」

つまり、味方の基地航空戦力が充実するドーヴァー海峡を避け、ブリテン島を北から回って大西洋にでるつもりなのだ。

「すると会敵は?」

「22日正午過ぎ、フェロー諸島沖かと」

つまり何も遮る物のない洋上で、真正面からの艦隊決戦というわけだ。

デンフェルドは満足げに頷き艦橋の外を見遣る。
どうだ、この威容は。
ソヴィエツカヤ・ソユーズ級やアドミラル・ウシャコフ級を主力とする共産主義者の戦艦群は確かに強力なライヴァルではあるが、合衆国海軍第56水上打撃群の優位は動かない。
こんな艦隊を与えられたなら、自分が全能の神になったような気がするじゃないか。

1956年に編成された、合衆国主力艦を掻き集めた第56水上打撃群は、確かに欧州の自由を賭けるだけの価値があった。


第二次大戦において華々しい活躍を見せるかと思われた航空機は、防空態勢の急速な進歩により主力にはなりえなかった。英本土奪回作戦において、空母は確かにその破壊力を見せ付け、洋上行動中の戦艦を撃沈しうることを証明したが同時に艦載機の損耗率は6割を記録した。
たった一度の艦隊攻撃で6割の損耗というのは、困窮する英連邦のみならず合衆国にとっても許容できる損害ではなく、それ以後も艦隊防空は強化される一方だ。

それゆえ、未だに戦艦が海上の王者たり得ている。デンフェルドとて、それがほんの短い期間であることは承知している。恐らく、対艦誘導弾の実戦配備や航空機の進歩によって戦艦は居場所を失うことになるだろう。
今は終わりゆく戦艦の時代の終末に位置しており、戦艦同士が殴りあって雌雄を決するなどこれが最後の機会だろう。

ということはだ、私は最後の艦隊決戦の勝利者となるわけだ、うん悪くない。
デンフェルドがひとりごちる横から幕僚が進言する。

「本当によろしいのですか閣下。夜間レーダー射撃に持ち込んだほうがいいかと思われるのですが」

「構わない。レーダーとて万能ではない。一隻でも闇に乗じてリヴァプールあたりに殴りこまれたら厄介じゃあないか」

「分かりました」

返事をしつつも幕僚はなおも不安そうだ。

「なあに、我々の相手はアドミラル・トウゴウの後継者でもなく大西洋を荒らしまわったドイツ狼でもない。半世紀大規模な海戦を経験せず、ドイツの技術者が居なければ戦艦を満足に造れない様な奴らだ」

確かに3隻のソヴィエツカヤ・ソユーズ級はソビエト人の手に負えなくなって建造が中止されていたものをドイツ人が完成させたものだ。
4隻のアドミラル・ウシャコフ級に至ってはH級戦艦といわれていたものをソビエトが接収したものであり、共産主義者たちに巨大でありながら精密な戦艦という兵器を造る力がないことは明らかだった。
そしてそれを運用する経験や技術も備わっているか疑わしい。

「ならば我々が望むものを持っているのは日本人だけということですか」


日本人が消えさえる直前に戦艦を完成させたのは確実と見られている。1941年の10月に『キイ』(ヤマト、あるいは)と名づけられた戦艦が完成し、さらに3〜7隻の戦艦が建造中もしくは計画中と言われていた。ハッキリしたことは分からず、同盟国にもその内容を教えることはなかったが、彼らが健在ならば合衆国のライヴァル足りえただろう。アイオワに匹敵する艦を建造していたという憶測まであるのだから。

「そうだ、そして彼等の居ないこの世界では我々が世界最強の艦隊なのだ。彼らが居ても世界最強であるだろうが」
第56水上打撃群は大艦巨砲主義の掉尾を飾るのに相応しい威容を備えている。
アイオワ級が4隻とモンタナ級が6隻、そして世界最大、最強のユナイテッド・ステーツ級が2隻。
6万7千tの巨体に八門の45口径18インチ砲を備えたこの艦とまともに打ち合える戦艦などこの世に存在しない。
アドミラル・ウシャコフ級の乗り手がドイツ人であるならば話は変わってくるのだが、その内実は政治部員と戦艦の何たるかを知らない共産主義者によって運用されていることは合衆国軍人であっても知りえることだ。


54時間後、戦艦の主砲が如何に命中し難いのかを証明して第二のバルチック艦隊となった赤衛艦隊を眺めながらデンフェルドは郷愁の念にも似たものに駆られる。

おいおい、最後の戦艦決戦がこれでは先人達に申し訳ないじゃないか。
日本人が相手ならば、あるいは。

よそう、彼らはもう居ないのだ。
もし彼らがどこか別の世界に行ったという話しが本当だとすれば、こんな戦争続きの世界とは違って平和にやっているのだろう。
戦艦などに頼ることもなく、太平洋を挟んで我々とライヴァルであったことは笑い話となっているのだろう。
過ぎ去った青春の過ちを懐かしむように。


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