『ユフ戦記』24


閑話

『諸君。卿らはこの戦争で最初に攻撃をする部隊である。
諸君は皇国最高の精鋭であり、この戦争の勝敗は諸君の操竜鞭に委ねられている。
われらの国民の多くはそのことを知らず、帝國の八百万神も知りえぬ。
だが余は知っている。そして皇都で諸君の義務が果たされることを心待ちにしている』

  新皇暦三百三十一年 十一月二十九日    近衛艦隊攻撃隊発進にあたっての玉辞

皇宮の一角に風変わりな場所がある。
見るものが見ればそれは贅を尽した数奇屋造りであることは見抜けるのだが、この国に帝國流建築を解するものは少ない。とはいえ、帝國流の建築であることは誰にでも分かることであり、時局の折そのような場所でくつろぐなど感心しかねる行為である。
しかし、カリュン・フェースト・ロイ・フランシアーノがその数寄屋造りの一室で帝國料理に触れていたとしても、誰も制肘することはない。彼女はこの国の主なのだ。


 大観が描いた、色鮮やかながら引き締まった印象を与える屏風の手前に燭台が配され、和紙を通して色彩をぼやかす様な光を机上に与える。皇国人の感性からすればやや小ぶりな机は、無地ではあるが柔らかな光沢を放っている。いずれも帝國本土であっても美術館に収蔵されて然るべきものであるが、カリュンは帝國政府に帝國料理を馳走になったときから大の帝國料理好きになってしまったのだ。
職人たちが精魂込めて仕上げた漆机の上に置かれた什器には帝國流のサラダが盛られている。今や帝國本土でも入手困難なBaccaratの小鉢に、京野菜と魚介類の上から和風のジュレをまぶしたものを口に運ぶのは、皇主だけではない。
渉務相、金務相、宰相に加えロイ王家当主が彼女の相伴に与っている。
ロイ王家当主?

「なぜ父上が此処にいるのです」

カリュンは遠慮もなく不満を露にするが、ロイ王は気にすることはない。

「私はかつて参謀本部の作戦次長まで登りつめた男ですぞ?戦争が始まるというときに最も情報の集う皇主陛下のお傍にありたいというのは当然ではありませんか」

彼女はさして長いとはいえない人生経験から父親というものに信用を置いていない。

「父上のお好きな黒鮑の旬は半年ほど先ですよ」

とはいえ、階級据え置きで予備役編入間際の6時間だけ作戦次長を務めたことを指摘するほど親子関係が悪いわけではない。

「構わん、戦争が長引けば帝國産の物が当分口に入らないと思うてな。今のうちにご相伴に与りに来たのだよ。なんとも豪勢な夕餉でないか」
地が出やがったこの親父。皇主に対する言葉遣いも弁えていないらしい。


帝國の料理は意外なほどに皇国人に受け入れられた。素材を大切に扱い、淡い香りや、淡白な魚を好むという共通点も見出せるから偶然ではないだろう。彼女の父親も帝國料理に魅せられたものの一人だ。
ただし、食材の代用が幾らでも利く洋食と違い和食の最高の食材は全て帝國本土から運ばなければならない。彼らが口にしている魚介類も定國でとれたものをダークエルフが特殊な仮死状態にし、それを急輸したものだ。
お陰で帝國本土で食べるものと同等の鮮度が確保されるわけだが、その値段は破格といってよい。

「ともかく長期化だけは避けなくてはならない。その点は渉務卿、汝しかと心得よ」

灼熱の石に分厚く切ったふぐを乗せ、軽く火を通してあんこうの肝を裏漉ししたタレにつけ、父親をこの場にいないものとして話を進める。

「は、しかと」

三人の石にはふぐが乗せられておらず、専ら彼女と招かざる客が口を動かしている。皇主の面前だからではなく、明朝遥か南の蒼空で繰り広げられているであろう戦が気になって仕方がないのであろう。

「しかし陛下、第一撃に成功すれば我々の立ち位置は変容を余儀なくされるのでは? 現在の我々のおかれた状況に鑑みれば、必ずしも奇襲でなくとも作戦目標を達成できると考えるのですが」

渉務卿の言葉にうんざりする。彼が皇国の外聞を憚ること自体は問題ないのだが、作戦目標ときたものだ。何ゆえに私が軍学校の教官の真似事をして私の三倍以上生きてきたような人間に講釈を垂れなければないの?

父上は……駄目だ。煮物椀に齧り付いていてとても代役を頼めそうにない。
ちなみにこの日の煮物椀は焼き豆腐の上に炙蟹の身をのせ、柚子、金時人参をまぶしたものだ。昆布は利尻のものでなく、冬らしく粘り気のあるものを使っているところを見ると皇国の帝國料理もなかなか進歩したものといえる。


「帝國の戦争に対する考え方と我々のそれはなかなか似通った部分があるようだ。」

一旦言葉を切り、造りを口に運ぶ。一皿目は伊勢海老のあらいと平目の薄造り。どういうわけか帝國人は造りを2皿に分けて食べることが多いようだ。

「戦争とは自らの意思を相手に強要させる行為だ。戦争を行うには戦争遂行の意思と手段とが必要となる。逆説的に云えば相手方が戦争遂行の意思と手段のどちらかを喪失すれば戦争に勝利できる。
皇国の歴史が教えるところによれば、軍を動かすことは六つの思想に基づいているが、いずれも相手方の戦争遂行手段や戦意の破綻を志向したものだ。
すなわち、敵主力の撃滅もしくは無力化、輜重線の遮断、策源地の機能喪失、軍用産業の破壊、出血の強要、速戦即決あるいは長期持久。これらが単独で、あるいは機的関連性を持ちながら遂行される。何も私の突飛な思想に基づくものではない。これは帝國軍人にも共通する見解だ」

「なるほど、私の想起できる戦史を紐解けばいずれかに該当するようです」

「この六つの基本行動をどのように組み合わせるかは、その国の置かれた状況と投入しうる戦争資源、そして政治目的に最適化されるように決定される。こうして出来上がった戦争遂行の基本指針を帝國ではグランド・ストラテジーと呼ぶらしい」

彼女の父親は2皿目の造りに食いついている。

「特に目新しい話ではありませんな。しかし当然のことですが、我々と帝國の置かれた立場が異なる以上、グランド・ストラテジーとやらも随分と異なるのではないでしょうか?」

運ばれてきた2皿目の造りは鮪の霜降りを一瞬炙ったものだった。飴色の薬味醤油と共に揚大蒜片が添えられている。大蒜片の生み出す鮪との調和と彼女と相対する者の鼻への迷惑を天秤にかけたのは一瞬だった。
この場にレイはいないのだ。


「各々のとりうる基本指針を考えてみよ。我々が帝國の詐欺にあっている事が良く分かる筈だ」

文官だからといって甘やかしてはいけない。現に私が皇主となったとき、武官出身ということを誰が考慮してくれた?
箸に集中してそろそろ楽をさせて貰おう。
夕餉の中心的存在といってよい七輪に載せられた間人蟹が和紙をかけられ、その上から水を吹きかけられている様を見ながらカリュンは思う。蟹は黙って食すものなのだと。

「われわれの行う第十六艦隊攻撃は主力の撃滅には当たらず、輜重路と策源地の安定を確保するものですな?」

蟹を食べ終えてからようやく返答する。

「そうだ。敵は初動段階で我が策源地と輜重路に打撃を与えうるのだ。我々は安全確保のためにこれを撃破した上で、フェンダートを占領し、敵主力を撃退して初めて敵策源地を一つ奪取できるというのにだ」

「その場合、敵主力の撃滅という目標も同時に達成できることになるのではないですか?」

「我々の持っている主力は近衛艦隊のみだ。帝國の洋上航空打撃戦力の主力を道づれにしたところで、水上砲戦主力と海上護衛総隊という巨大な予備戦力が残る。
ならば帝國人が戦争遂行の意思を簡単に投げ出すということは期待できまい。
そこに至るまでの過程が完璧で、その上に外交努力を重ねて初めて講和を勝ち取れるのだ」

「ですから艦隊決戦までの被害を局限化するために奇襲を行うのですか?」

渉務卿は納得しかねる様子だ。
放っておいて箸休めに移ることにしよう。
父の好物の黒鮑と山芋を摩り下ろし、出汁で溶いたものだ。皇宮の料理人は皇主だけ甘やかせて居ればよいというのに。彼女は鮑は香りと共に歯応えを楽しまなければならないという思想の持ち主なのだ。

「敵主力を撃退してなお、我らは帝國の輜重担当者に危機感を与えることも覚束ないのだ。速戦即決が望ましい現状では帝國が交渉に応じるその時まで前進を続けなければならない。片や帝國は長期持久も速戦即決もお好みで選択できるのだ、最初からイカサマじみた戦争に突入するのだ、多少汚い手を使いでもしなければ勝負にならない」

帝國流の八寸は小分けにされず、人数分が大皿に盛られる。
料理に応じて細やかに皿を選び、繊細な盛り付けをするにとどまらず部屋の照明まで変化させるのが帝國料理だ。八寸の周りには大根の薄切りを丸めた堤燈をつけるこのこまやかな心遣い。料理でここまで心遣いが出来るのなら、外交で心配りを見せても罰は当らないだろうに。
人数分が盛られたはずの料理を取り分ける段になり、彼女は皇国人が、否皇族の長老に連なるべき男の意地汚さを見せ付けられる。もはや父親から皇籍を剥し、兄弟姉妹に継がせたほうが良いのではないか。
一瞬そんな考えがよぎるが、彼女と父親は家族愛とでも表現すべき紐帯で結ばれているのだ。現実に実行されることはない。

「ところで陛下、こと開戦に臨んでは帝國との接触機会はこれまでより多く確保されるべきではないでしょうか」

宰相の問いは尤もだが、人選が難しい。
戦争状態に陥れば、国家間で水面下の休戦工作が行われるのはよくあることで、帝國としても太い外交チャンネルを一つ持っておきたいだろう。駐レムリアでは小回りがきかず、欲を言えば帝國本土に公使館を設けて常駐させたいのだが、よほどの重要人物でなければ秘密主義者の帝國が入国を許すわけがない。怪しい動きをした場合帝國に葬られても文句をいえず使い捨てのように地位の低いものを送れば帝國も怪しむだろう。

「その通りなのだが、帝國から信用されるだけの社会的地位を持ちながら万が一のことが起こっても官公務遂行に何ら影響がない人間などそうはおらんではないか」

ぐじの塩焼きを頬張る父親の姿が目に入る。
何か忘れていたかしら。

「カリュン、何をして難しい顔をしておる。この牛肉と茄子の焚き合わせは絶妙じゃ。ピノワール種の発泡酒との組み合わせは最高じゃな」

「そうですか、近江牛も但馬牛も当分味わえないでしょうから存分に召し上がってください」
相手にしないのが一番だ。血族というものは馴れ馴れし過ぎていけない。

「残念じゃな、帝國の食事が当分口にはいらんとは。注文しておいた染付けの和服も届かないんじゃろうなあ」

何か抜け落ちている。
和服?
帝国の伝統的な婦人服は下穿をつけないという。
レイが帰ってくるまでに一着仕立てておこう、銀髪には黒が映えるはず。
下穿を着けないのであれば色々とコトは円滑に進むはずだ。
違う、服の話ではない。

「わしゃ天寿がいいんじゃがのお」
食後の薄茶の銘柄を指定するものがいる。いつの間にか飯物と果物が終わっていたようだ。何を食べていたのか記憶にない。
それにしても皇主の夕餉の席で斯くも我侭を通すとは、無礼というものを超越している。皇国人の使う辞書に何か特殊な観念的用語を付け加えなければならないようだ。
やはりこの中年男に痛い目を見せよう。

「やはり抹茶は帝國産に限るな。醗酵茶と豆茶は皇国のほうが遥か上じゃがな」
思い出した。公使の話だ。

「父上、私は今日まで過剰なばかりの寵を受けて育ちました。是非とも何かの形で報いたいのです」
「おお、殊勝な心がけじゃ」
彼女の声にわずかに冷たさが含まれていたが、それに気付くのはレイ十竜長くらいのものだ。
「父上、お望みとならば毎日でも湯木の料理を供します」
「なんと、冷たいと思っておったがやはり親娘じゃ」
「明日付けでオーメ・シグレイ・ユイツェン・ロイ予備役百竜長を准提督に昇進させます」
「おお、親戚連中に血筋だけと莫迦にされずに済むわけじゃな?」
「ええ、ロイ准提督は皇主直属官として帝國に赴いていただきます」
皇主の父親であれば帝國も軽々しく扱わないだろうし、父親がいなくなって皇国に悪影響が出るとは思えない。
もっとも、帝國は邦国を治めるために規約違反をなした国の使節を処断することも珍しくない。そして、この夕餉の席で彼女は対帝國戦の遂行に当たり、多少の禁じ手は止むを得ないと発言したばかりなのだ。

彼女は生きて父親と再会できる可能性は低いと見積もっていたが、何故か晴れやかな面持ちで食事を終えた。よほど嬉しかったと見え、涙目で彼女に縋る父親を捨て置いて水軍司令部に赴いたのは午後10時、デラウイ島沖開戦が開始される9時間前である。


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