航空母艦 翔鶴級 (Shokaku Class、Imperial Japanese Navy Aircraft carrier)〜日本近代空母の先駆け〜




意外な事に本級の竣工は大鳳、翔鳳よりも先のことである。転移前に帝國海軍の空母建造技術の粋を集めた大型艦隊空母として建造され、その運用実績も良好なものであった。事実転移直前に就役した本級は大鳳が就役するまで帝國海軍機動部隊の最新鋭艦として活躍したが、転移前に就役した全ての日本空母に共通する脆弱性という致命的な欠陥を抱えていた。ロッシェル戦役と翔鳳の爆発事故(揮発燃料の爆発が原因)において再確認された空母の脆弱性と、対空火力不足という欠点を克服するために昭和25年から27年にかけて大改装が施され現在広く知られる艦影となり、以後後継艦の登場まで日本空母最強の地位にあり続けた。

この大改装で昇弾筒の飛行甲板までの直通化・防火設備の改良・対空火器と火器管制装置の刷新から、アイランドの拡大・煙路の変更などが行われたが重要な点は以下の部分である。
従来の船体防御に加え飛行甲板主要部は65mmのCNC鋼板に浅間級装甲巡洋艦でその有効性が確かめられた20mmのDI鋼板の副層装甲を施し、大鳳と同程度かそれ以上の耐弾力を備えた。
飛行甲板の装甲化による重心の上昇を避けるため格納庫は単段式に改めざるを得なかったが、日本空母では初の試みとなる開放式格納庫とギャラリーデッキの導入により広大な格納庫面積の確保に成功した。これによって就役当時に比べて搭載機が大型化したユフ戦争開戦時においても80機近くの搭載機を確保し、大鳳や翔鳳の60機前後に比べてその差は歴然といえよう。
また、蒸気式射出機の不具合に終始泣かされ続けた翔鳳の教訓から、加賀で実績を積んだ油圧式射出機を導入し、赤城でその有効性が証明された舷側エレベーターを装備した。これらは本級の艦載機運用能力を格段に強化し、後継の空母設計に多大な影響を与えた。また艦隊防空を統一的に指揮する中央防空管制室の導入も高く評価された。

「(一隻あたりの改装費で)飛竜クラスの母艦がもう一隻建造できる」と関係各局を狼狽させる程の労力と資金を注いで艦容を一変させた本級だが、大鳳を上回る打たれ強さは第一次フェンダート沖海戦で実証され、飛龍や蒼龍がその小ささゆえに時代遅れになったのに比べ、ジェット艦載機時代の到来後も搭載機の大型化に良く耐えたことを考えれば満足すべき成功作と評価してよい。
しかしこれらの改良や搭載燃料の増加に伴い排水量は当然増加し、艦尾の延長・バルジの取り付けによって対応したが、速力は新型機関の搭載によっても低下を防げなかったが、本級の評価を落とすような欠点ではない。
昭和31年 航空母艦 翔鶴級要目(括弧内は新造時の要目)

要目基準排水量:32,245t(25,675t)
全長:276m(257.5m)
機関:186,000馬力(160,000馬力)
速力:33ノット (34.2ノット)
固定兵装:8年式10cm高角砲 連装8基 40mm4連装機銃12基 20mm3連装機銃16基
(40口径12.7cm連装高角砲8基25mm3連装機銃12基)
搭載機数:78機、含露天繋止(常用72機、補用12機、最大96機)
同型艦:〔翔鶴〕〔瑞鶴〕




注:画像は天翔艦隊様(http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/tensyofleet.htm)が公開されているものに猫じゃらしが改変を加えたものです。



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