『ユフ戦記』21


劈頭 2

昭和三十一年十一月二十六日未明  中部小内海

 「正体不明の船団が『チ七』哨戒区域より速力十四ノットで南下中」
椎名少佐がその緊急報告を耳にしたのは前日正午過ぎのことだった。
恐らく友軍潜水艦が浮上、電探索敵をした情報を元にしているだろう。
持ち場を大きく離れられない哨戒潜水艦は、何か特別な監視がいると思われる物に関しては本土に報告し、第六艦隊本部が必要と認めればその地点に最寄の潜水艦を派遣、監視する手筈になっている。
椎名に与えられた波三〇八潜は予想進路に近かったために、わざわざ本土からの指示で駆けつけているわけである。
ともあれ、報告を受けて十六時間、恐らく友軍潜水艦が報を発してからでは十八時間経っているから、(遭遇するのが彼の艦であるならば)そろそろ正体不明の大船団と遭遇してもよい筈だ。
真冬の小内海を船団が移動することはさして珍しいことではない。
厳しい冬場では、いかな海洋国家の商船も単独で遠洋航海することは無謀であると認識されていたし、実際そうであるのだが、奇妙なのは小内海の沿岸を通らず大洋に乗り出している点だ。
そのような危険な真似をするのは、よほど急いでいる商船団か、隠密行動を指向している艦隊かだ。
椎名の遭遇するのはどちらであるかは、まもなく明らかになるはずだ。


第六艦隊司令部から指示を受けた四隻の潜水艦のうちどうやら波三〇八潜が大船団と接触する幸運を得られたらしい。
「電探に感、本艦の左舷前方です」
「精測急げ、済み次第潜航準備かかれ」
真冬の小内海の真っ只中を通過するのだ、時間的に見ても報告にあった大船団とやらだろう。
電探員の報告を聞きつつ椎名は時計を見る。
帝國標準時午前四時二十一分。帝國とは経度がさほど変わらないここでは、陽は水平線の下に隠れている。
さてどうするべきか、明るくなるまで追尾すべきかやり過ごすか。ともかく連中の面を拝もうじゃないか。
「左60度、距離十五海里、速力十五ノット前後、数は三十以上、真方位190に向かって航行中」
再び電探からの報告。
三十という数は商船団としては異例の数といっていいから、恐らくはフランシアーノ海軍だろう。
設置位置が低く、スペースの取れない潜水艦用の電探では十五海里が実用ぎりぎりの距離だ。確認にはさらに接近しなければならない。
「ようし十分だ。先任潜航準備」
「潜航準備、アイ」
先任の指示に従い、乗組員たちはきびきびと準備を整える。
なかなかいい部下を持ったもんだ。こういった切迫した事態では有り難味も倍増するというものだ。
こういった追跡、報告任務は今後潜水艦の主任務になると言われているだけに慎重を期さなければいけない。
転移後、敵の大型艦や大型商船が酷く希少な存在となり、高価な魚雷を打ち込む相手がいなくなったからだ。加えて云えば、水中高速性能を追求しだした昨今の潜水艦は水上砲戦を出来るような装備を積んでいない。
大雑把に言えば以上のように要約できるから、潜水艦はその隠密性を生かして哨戒任務に当たることが最重要任務に当てられている。
「潜航、進路260速力二十二ノットとなせ」
「アイ、メインタンク注水します」
椎名の指示を先任が具体化する。細かいことは全て先任がやってくれるから椎名はいかに接近するかだけを考えればよい。


潜水艦が潜航すれば、帝國以外の海軍が探知することは不可能だと(帝國では)いわれているが、潜航しなくても闇夜であれば電探を持たない列強海軍は浮上航行する潜水艦を探知できないのではないか。
ならばなぜ潜水艦はわざわざ潜航するのだろう。潜航するのは昼間の追跡任務だけでいいのではないか。
そういった疑問が帝國内にあることは事実だが、理由のあることだ。
水中高速化を狙った波三〇八潜のような艦では水上ではあきれるほど低速だ。
そして‐これが重要な点なのだが‐世界海洋交易機構が公海としている中部小内海は、帝國以外の列強からはフランシアーノの領海として認知されている。
世界海洋交易機構の加盟国が帝國とその仲間たちに限られていることからすれば無理なからぬことといえよう。
そのような場所で哨戒活動をしていることを公にはしたくない、というのが帝國の考えであり、生粋のどん亀乗りである椎名の意に適うものでもある。
潜水艦の利点とはその隠密性に他ならないからだ。


「それにしても艦長、あの船団がフランシアーノの艦隊だとすれば連中が何か妙なことを考えているという噂は本当かもしれませんな」
先任の蘆田が話しかけてくる。
海軍の一部で(とはいっても航空主兵主義者達だが)戦争が近い、という噂が流れているのは事実だ。
もし噂どおりならば未だ戦争体制の整っていない帝國にとっては看過できないことであるが、首相が戦争体制への移行を指示していない現状では手の打ちようがない。
平時に於いては部隊の移動は全て首相の裁可が必要なのだ。
「国家間の意思の相互作用を読み解くなど我々には荷が重過ぎる。
それにだ、まずは連中の面を拝むことが我々の任務だ」
「ですが我々が両国の情勢も知らないで浮上航行した挙句に撃沈されるというのは面白くない話です」
確かに搭載している燃料には限りがあり、いつ、どれだけの時間潜航するかは戦術的状況に加えて外交状況も加味しなければいけない。
フランシアーノの領海内では尚更だ。
「それも尤もだ。しかしこの追跡任務に限って云えばそういった心配は要らない。とりあえずは潜りっぱなしでいようではないか」
先任が賛意を表す声を漏らすと同時に何か重々しい、太鼓を叩くような音が耳に入ってくる。
機関の異常ではない。波三〇八の機関は軽油と過酸化水素水を熱量に換え規則正しい音を出している。
「何の音だ?」
「海竜ですよ、どうやら彼らの縄張りに入ってしまったようですな」
椎名は直ちに距離と方角を確かめさせる。
彼の熟達した音響員の教えるところによれば艦の進路上に少なくとも三匹のいるようだ。
一時期帝國商船団を恐慌に陥れたことのある海竜だが下手な刺激を加えなければ襲ってくることはない。


 嘗て無遠慮に海竜の子育てを邪魔していたことから学んだ教訓が帝國の骨身にしみている。
むしろ心配なのは正体不明の船団のほうだ。彼らは海竜に気付いているのだろうか?
要らぬ心配をしている椎名の耳に鐘の音が聞こえてくる。比喩ではなく、本当に鐘の音だ。
どうやら船団が鐘を叩いているらしいが音の大きさからしてなにやら専用の装置のようだ。船底か水線下の舷側部分から音を発しない限りこんな音にはならないはずだ。
「ひょっとして海竜の嫌がる音か?」
海竜にソナー音を浴びせかけ酷い目にあった駆逐艦の話は海軍内では語り草だが、超音波も含めて騒音の嫌いな海竜が鐘の音を聞いても船団に襲い掛からないという事態は椎名の知的好奇心をくすぐるには十分だった
鐘の音は止んだが、海竜の鳴き声が止むまで暫く待たねばならなかった。


「艦長、そろそろ船団予測位置から三海里です」
耳に響く海竜の演奏を聞き終えた後、椎名が海図から目を離したのは先任の声を聞いてからだ。
「よろしい、潜望鏡深度となせ」
彼の命令から艦が潜望鏡深度を取り、彼が潜望鏡に取り付くまでさほど時間は掛からなかった。
帝國以外の船は全て帆船であり、小振りなことからその航走音が聞き取りにくい。スクリューといったものを回さないため、船体が海面を割る音を聞き取るしかないのだ。
最初の電探計測を頼りに此処まで来たはいいが、船団との相対的位置関係が気になるところだ。
「潜望鏡上げ」

 さあて、どんなものかな?おや、間のいいことに月が隠れてやがる。これならもう少し接近しても発見されないだろうが、果たしてそのときまで月が隠れているだろうか? 椎名は心中の逡巡を顔に出さず、決断を下す。
「赤外線に切り替えろ」
暗視装置を介してはやや荒い視界しか得られないが、とりあえず接近するのは正体を確かめてからでも遅くない。
数瞬の後、椎名の視界には船団−この瞬間から艦隊だが−の全貌が浮かび上がった。
「どんぴしゃだ、船団の真横、最寄の艦まで二海里といったところだな。数は…四十以上だ。あの艦影はフランシアーノの空母とやらかな?」
そこまで呟いた後、椎名は異変に気付いた。
「先任、フランシアーノの空母、竜巣母艦といったかな、あれは何隻あるのかな?」
蘆田は椎名の質問の意味が分かりかねるようだったが、四から六隻の間です、と応えた。
確かに帝國海軍はフランシアーノの母艦戦力をそのように捉えていたが、椎名の眼に映る光景は帝國海軍の公式見解との齟齬が見られる。見てみろ、と椎名が蘆田に潜望鏡を譲る。
「十二…隻、内二隻は他と艦影が異なるのでなんとも云えませんが、少なくとも十隻は竜巣母艦とやらです」
「そして連中はライアール諸島の南を目指しているように思えるのだが?」
ライアールはフランシアーノの領土であり、大規模な軍港であると同時に貿易においても重要な役割を果たしている。
そしてそこでは帝國海軍第十六艦隊が領海侵犯を行うのが恒例行事だ。(無論、帝國とその仲間たちの主張によれば公海でありフランシアーノにとやかく言われる謂れはない、ということになっている)


再び鳴きはじめた海竜の声が響く中で蘆田が応える。
「確かに、なにやらきな臭いにおいがしますな。どうします?」
蘆田の言っていることは、即ち無電封鎖を解いて打電するか否かということだ。波三〇八は追跡命令を受けても返信していない。
規定に従えば次の定時連絡は四日後だが、もし目の前の艦隊に戦争する意図があれば遅すぎる。
列強の一部が無電の原理と概念を盗み出したとの未確認情報があるから、うかつに打電すれば敵に存在を察知されるかもしれない。
その最中に鐘の音。先ほどとはリズムが異なるが、なにか意味があるのだろうか。
直後に海竜の鳴き声。まるで鐘音に応えるかのようだ。
椎名は暫く考え込んだ後に告げた。
「山下、GF司令部に打電。
ワレ、母艦十二ヲ含ム艦隊ヲ発見、位置、速度、進路、時間だ」
そこまで云った時に、艦橋に報告が入ってくる。
「右舷から高速推進音、こちらに近づいてきます。海竜です」
下士官の絶叫、そして緊張の走る艦内。
「潜望鏡直せ、機関全速、取り舵」
波三〇八潜は回避しようと試みるが、海竜は軌道を修正しながら迫ってくる。
皇国製の貴重な鋼衝角を取り付けられた海竜が激突した後、波三〇八潜の圧壊音を残して皇国近衛艦隊の周辺海域に再び静寂が訪れた。
なお、ライアール諸島中部のデラウイ島皇国水軍基地に母艦らしきもの四隻を伴う皇国艦隊の入港が確認され、中部小内海の全潜水艦の緊急配備が解かれたのは二十七日夕方のことだった。
波三〇八がユフ戦争における喪失第一号艦であることが判明するのはもう少し後のことだ。


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