『ユフ戦記』19


戦争計画 player B 9

 貴兄より依頼のありました甲物質の調査につきましては、理研・帝大・京都帝大の各研究員の協力もあり、その存在が確認されました。
別紙に分布図が添えられているのでそれをご確認ください。

        差出人、宛先人、日付ともに不明(昭和二十年前後と推測)

 現在進行中の神州島開発計画に関して云えば、その投下される金額が莫大なものであり、またその広大さゆえ、物理的にも、金の流れとしてもともに人目に付きにくいと愚考します。
他にもセムレン環礁、ダンバード砂漠等候補地がありますが、本官は神州島北東部を推します。
       差出人不明(陸海軍いずれかの大臣)、宛先不明(恐らく首相)日付は不明

「神州島特別開発推進計画」に基づき、甲物質から甲235物質および乙239物質の製造が進められていますが、甲235物質には生産面での難点が、乙239物質には反応時での技術的課題が残っています。私見ではありますが、技術的解決策が考案されれば乙239物質が主流となると考えますが、効果が不確実な現段階では双方の可能性を追求していかねばなりません。
             
   以上の文書はいずれも平成元年に機密保持解除指定(新帝即位による特例措置法第6条2項)に基づいて公開されたもの。


 保有トン数、隻数ともに世界最大規模を誇る帝國海軍水上戦力は、その巨大さと政治的理由から帝國本土の聯合艦隊、そして聯合艦隊から分離、独立した第十一から第十六の六個方面艦隊に分けられる。聯合艦隊司令長官は羨望の眼差しで視られるべき職であるが、全ての海軍実戦部隊を率いれる訳ではない。
聯合艦隊隷下の各部隊はGF長官の指揮下にあるが、各方面艦隊とそれに属する部隊の指揮権は各方面艦隊司令官の手元にあり、その兵力は軍令部が決する。
海軍大臣は軍政を担い、海軍軍令部総長は軍令を担い、聯合艦隊司令長官は主力を率いる。
これら三顕職は何れも首相の指名と天皇の任命に拠るから、嶋田は予算面だけでなく人事面でも軍を握っているのだ。

 話が横道に逸れたが、海軍大臣とGF長官と雖もその権限は様々な制約を受けている、ということはご理解いただけただろう。しかし、今も昔も変わらないことに、海軍軍人の教育は海軍大臣の職掌であり、海軍大学も山本の手の内である。
海軍大学内で多少の企みをしても露見することはないだろう。


 嘗て東京は築地にあった海軍大学は、その地を追われ東京湾の台場に移転している。
移転の理由は、世俗から隔離し健全な海軍軍人の育成を図り、世界に冠たる帝國海軍の最高教育機関として威容を整えるため、
とされているが実際は高騰する土地を売り払ったというのが正直なところではないか。 少なくとも大隈浩二海軍大尉は、そのような感想を抱いている。

彼はつい三時間前までは国立大学の助教授という立場にあったが、海軍大学へ出頭するや否や、海軍大尉の肩章と共に大学構内から外出するな、という命令を受け取った。
咄嗟に抗議しようかとも考えたが、肩から物騒な銃(後で聞いたところ七式歩兵銃というらしい)を下げた歩哨に睨まれればそんな気も失せるというものだ。

「教授は暇を持て余しておいでかな?」

テラスの欄干にもたれて海を眺める大隈の背中に軽やかな声が掛けられる。
驚きと共に振り返れば、海軍の制服(だと思う)を着た女性が猫のような好奇心を湛えた眼差しで大隈を観察していた。

「いつの間に?足音も聞こえませんでした。それと私は元助教授です」

軽い抗議の意味を込めて大隈が問う。確かに、大隈に軍歴がないことを割り引いても見事な足運びだ。

「この程度が出来ないようではスコットランド王国が帝國の友好国としての意義を満たせないのでは?」細かいことは気にするな、とも付け加える。

なるほど、最初は気付かなかったが豊かな亜麻色の髪の間から覗く耳は鋭角に形成されている。ダークエルフは比較的美人が多いともっぱらの評判だが、その中でも目の前の人物は容姿に恵まれている部類なのではないか。転移から十五年経ってもダークエルフを街中で見掛けるという幸運に恵まれなかったが、たまにはいい事もあるらしい。
彼女の伴侶(髪留めを妻に贈るのは専ら帝國人男性の流行だ)は果報者に違いない。


目の前のダークエルフが美人だからといって、彼の種族の特性を忘れたわけではない。

「私は何か不味い事をしたのでしょうか?公共機関でダークエルフに詰問されると、なにやら勾留やら逮捕といった単語が脳裡に浮かぶのですが」

「我が一族に対する偏見に満ちた知識を持ち合わせのようだが、ダークエルフとて諜報や治安維持以外の活動をするし、君のような小物をひっとらえるのに経費と大尉の階級を与えるほど帝國海軍は物好きではない。
我々は共通の仕事を与えられるのではないかな。それも大っぴらに出来ないような類の」

大隈の研究が経済学の主流から多少外れているおかげで学会での影響力は無に等しいのは事実だが初対面の人間(?)に小物といわれていい気はしない。
しかし大隈は不機嫌を抑える程度には成熟した人格を持っているので当たり障りのない返答を選ぶ。

「貴方も理由を知らされずに呼び出されたのですか?」
「私だけではない。君が潮風と戯れている間にずいぶん多くの人間が集まっている。
恐らく各分野で一家言を持つものばかりだ」

見れば部屋の中には二十人近くの人間がいるが、軍服を着ているのは半数に届くかどうか。
大隈の目には纏まりのない集団というように映ったが、彼女に言わせれば各分野の専門家が集まった当然の帰結ということになる。


「貴方の推察が正しいとして、我々は何をさせられるのでしょう?
ある日突然軍から召集が掛かって、出頭してみれば大尉の階級章を渡されて外部と接触するな、というのはどう考えてもまともじゃない」

「大学に篭っている所為で研究莫迦になったのか?それともただの莫迦か?
この情勢下でこの面子。まず間違いなく戦争がらみだ。」

このダークエルフの夫はよほどの物好きに違いない。
人物観察の苦手な大隈でもそれぐらいは分かる。口には出さないが。

「そんな。
私は経済学の研究をするだけの男ですよ。軍の役に立てるとは思いません」

「役に立つかどうかは君ではなく軍が決めることだ。
軍人となったのだから受け入れたまえ。納得しろとは云わんが。
ところで、私の推察どおり我々が共通の任務につくとしてだ、君や貴方ではやり難かろう」

腑に落ちないものがあるのは確かだが、自己紹介程度はしてもよさそうだ。

「大隈浩二、元神戸大学助教授で本日海軍大尉に転職いたしました」
「緒方グレイス、帝國海軍中佐として此処にいるが、恐らくスコットランド王国連絡武官かサンディーノ伯家後嗣あたりが呼び出された理由だろう。個人的には緒方夫人と呼ばれるのが好みだ。
大隈大尉、海軍へようこそ」


 大隈が緒方と話し込んでいるうちに大隈を海軍軍人に仕立て上げた張本人がやってきたようだ。
海軍大臣とGF長官、そして随員と思しき海軍軍人。
いくら彼が野球中継ぐらいにしかブラウン管を活用しないからといっても、海軍首脳部の顔ぐらいは心得ているのだ。

「遅れて申し訳ない。ご存知の方もいらっしゃると思うが、私があなた方を呼び出した海軍大臣山本だ。重ね重ね申し訳ないのだが、民間からの諸君は今日から私の部下になって頂く。
抗命は許されない」

山本が一旦言葉を切り全員を見回す。流石に海軍で栄達を極めただけあり、にじみ出る迫力は凄まじい。
場の半数以上を占める民間人は(恐らく大隈と同様に)召集された挙句海軍に任官させられたのだから、否も応もない。
その場で発言の許可を求めたのは壮年の陸軍軍人だった。

「所属の異なる私をどういう手で引っ張って来たのかはともかく、いざ働けといわれれば俸給分は働きます。どうやら此処にきても俸給は保証されているようですから。
しかし、閣下が何のために我々を此処に連れて着たのか、その内実を話して頂かなければ俸給以上の働きをする気力がわきません」

思い出した。この精力を漲らせている陸軍軍人は西男爵だ。
転移後に乱造された新興の貴族とは異なり転移前からの男爵である上に馬術の達人として帝國の名を背負い、その世界では頂点まで上り詰めたまさに英雄というべき漢だ。
まだ現役の軍人であるとは知らなかったが、帝國から騎兵の実戦部隊が消え去って久しい。今まで何をしていたのか気になるところだ。


「尤もな話だね、西君。どのみち海大に軟禁されるのだから包み隠さず話すことにしよう。
まず、諸君にやっていただきたいのは戦争のやり方を考えるということだ」

「それは戦術の見直しということでしょうか?それとも戦略でしょうか?」
すかさず海軍の制服を着た男が質問する。

「両方だ。
戦術が戦略に従うこともあるし、戦術から戦略が導き出されることもある。
そして経済と技術が関わってくればもはやどちらが卵でどちらが鶏か分からない。
ならば全部纏めて研究して欲しい、そういうことだ。ここまで節操がないと軍人だけの手に負えない」

だからこそ大隈のような民間人を引っ張って来たのか。

「たしかに労働意欲が刺激されそうな話ではありますがどこまで踏み込むのですか?
実際には採用されずに山本一味を楽しませるだけならば幾らでも無責任な意見を出せますが」禿頭の老人が割り込む。

「君に真珠湾の案を練ってもらったときとはわけが違う。今回は我々のプランを実行するにはどうしたらよいか、そこまで考えてもらいたい。つまり政治面でも、ということだ」
君も山本一派と目されているんだよ、と付け加える。
自分には他人の年齢を推定する能力が備わっていないようだ。話の流れからすればあの老人は海相より年下らしいのだから。

「最後の点が私が呼び出された理由ですか?」

緒方が山本を睨みつけながら発言するが、大隈の目には楽しんでいるようにも見える。


「そうだ、幾ら考えが浮かんだところで実行できなければ意味はない。我々の政治的発言力を向上させるためにも知恵と力を出して欲しい」
ダークエルフが一族の生き残りをかけて要人と交流を持ったり醜聞を集めている、という噂を聞いたことはあるが、山本はそれを含めて緒方に仕事をしてもらいたいのだろう。
だとすれば、大隈の抱いている印象とは裏腹に緒方はダークエルフの中でもそれなりの地位にいるらしい。少なくともスコットランド王国政治的意思形成に繋がりを持っていなければ、日本政治の火遊びに首を突っ込むようなまねは出来ない。
大隈はそこまで考えを巡らせた後に、とんでもないことに気付いた。
ひょっとして俺も火遊びの渦中にいるのではないか?
もし山本のたくらみが成功すれば、それは戦争だけでなく日本の政治そのものをここにいるメンバーのアイディアで引っ張っていく、ということなのだ。
無論政府首脳もこんな叛乱じみた真似を許すわけがないから、成功前に発覚すれば一生助教授のままではないのか。
大隈の不安をよそに、部屋の中の人間はこの掛け金の高いゲームに熱中し始めている。山本は根っからのギャンブラーなのだ。


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