『ユフ戦記』13


戦争計画 player B3

 かつてこの国に造船業といえるものは存在しなかった。
たしかに昔ながらの和船や小型艦を建造することはできても、世界的に(つまり欧米から見れば)存在しないも同然のものだった。
しかし明治の造船奨励法と第一次大戦でそれなりの体裁を整えたこの国の造船業は、転移後更なる発展を遂げその地位を確固たる物とし、その実力の一端を上村少佐に見せている。

上村が海相に連れられてきたのは横須賀海軍工廠第七船渠だ。
もっとも外部から見れば巨大な倉庫にしか見えないが、ここが船渠であり、建艦が進められてるのは紛れもない事実だ。
そしてそれは新型艦であろう。
そうでなければ、倉庫の入り口に見えるような扉からここにいたるまで三度も衛兵に出くわしたことが説明できない。

細い通路をすり抜けると眼前に巨大な空間が見えた。
大地を穿ち直方体の空間を作り上げ、それをコンクリートで固めている。
その床には大量の台座らしきものが据えられているが、別段珍しい光景ではない。
新しい艦が作られる際にはよく見られる光景だ。その規模を考えなければ、の話ではあるが。

だが、上村は自分でも説明の付けられない、かすかな違和感を感じていた。


「なんというか、心がざわめくのを感じます」
上村の口からは呆けたような言霊が吐き出される。
悪くはない。
いや、海軍軍人であれば新型艦の誕生を想像し悦に浸るのは当然といってよい。
だが山本が求めているのはそんな感情ではない。

「上村君、これは五一二号艦と呼称されている。
進水式でなんと呼ぶことになるかは分からないが、今はそうだ」

その意味を上村が察した瞬間に彼の世界から音が消えた。
隣の第六船渠からは四四三号艦の進水準備に伴う喧騒が聞こえてくるはずだ。
だが何も耳に入ってこない。
彼の鼓膜は山本の口唇が発する振動波を捉えようと必死になっている。

「閣下、私は今まで四〇〇番台の数字を振られた艦がここで建造されつつあると思っておおりました。
そのような艦が建造されていても、わが国はそれを受け入れるだけの寛容さを備えていますから、たいした問題にはならないと踏んでおりました。
しかし、閣下は今」

「五一二、と言った」山本が即座に返す。

「閣下、この五〇〇番台は私の知識にある五〇〇番台と同じものでありましょうか」
上村は必死に冷静さを保とうとしている。

「君を含めた、全ての海軍士官が持ち合わせている知識と同じものだ」

山本が冷たさすら感じさせる言葉を吐いた後に上村が目眩みを感じたとしても、それは暑さだけによるものではない。


日本帝國は転移後、海軍部内の多数派たる人々にとって残念なことに戦艦戦力の拡張を中断した。
転移後大和型の二隻のみが連合艦隊に編入され、それに引き換え金剛級と扶桑、伊勢級の計八隻が現役を退いた。
しばし間を置いて浅間級装甲巡洋艦(浅間、白根、剣、白馬の四隻)と高千穂級高速戦艦(高千穂、穂高、磐梯、乗鞍)が戦力化された今も、戦艦十二隻体制が維持されている。
だが、嶋田首相の就任以後戦艦戦力を質量ともに拡張しようという動きが顕著になる。
海軍が大和級を超える艦を作ろうとしても止めきれるものはいなかった。

 転移によるゴタゴタの後に海軍は建艦計画における番号振りを改めた。

まず、建造されはしなかったが改大和級といわれた797号艦や超大和級798号艦には一〇〇番台が当てられた。
浅間級は二百番台、高千穂級は三百番台が振られた。
新たな番号基準に従えば隣の第六船渠で進水式を控えている四四三号艦は、転移後に計画された4番目の戦艦シリーズであることを示す4、そして数多ある設計案のうちで4番目に有力とみなされていたことを示す4、そして同型艦のうちで三隻目であることを示す3が合わさっていることがわかる。
 既に進水した四四一号艦は信濃と名づけられているが、今後四〇〇番台の艦が建造されていればそれは信濃の改良型であると思って間違いない。
そして新型戦艦十二隻を要求していた大艦巨砲主義者たちは、航空主兵者たちとの綱引きの結果、信濃級四隻改信濃型四隻で戦艦建造を一段落させ、新型空母六隻の建造を認める形で妥協した。
であるから今建造中の戦艦は四〇〇番台でなければならない。
それが五〇〇番台であれば信濃級の船殻を利用できない、全くの新型戦艦であると見てよい。

この国では新型戦艦は大型化する傾向にある。


「いったいどういうことですか?
連中、信濃級に20インチ砲を6門積んだ改良型で我慢するはずだったではありませんか」

漸く精神を現世に復帰させた上村が山本に食って掛かる。
五つの階級差があることを鑑みれば野蛮といってよいが山本は意に介した様子はない。
むしろ、望んでいた反応を示してくれた上村に可愛げすら覚えているのだ。

「確かにそうだ。君は信濃級についてどれだけ知っている?」

「方面艦隊は防諜の都合上情報が不正確なのですが、私の耳にした限りでは大和級を若干大きくして、高圧機関と新型装甲を貼って30ノットオーバーを狙うとか」

「君ねえ、海軍が公表した建艦情報はたとえ内部向けであっても虚飾に満ちている。
そのことを忘れていないか」

「では?」

「確かに信濃級ならば20インチを積んでも何とかなったかも知れんな。
45口径ならば」

「つまり20インチ50口径ですか。
それを6門積んだのが五一二号艦というわけで?」
もはや諦めた感のある上村の言葉に力は感じられない

「君は大艦巨砲主義者というものを理解できていないようだね。
高初速を狙った50口径18インチを9門、大和型より防御は強化し高速化を狙った結果排水量は増加。
基準排水量八一〇〇〇トン、33ノットの化け物、それが信濃級だ。
だが性能に不満のあるものたちは四隻で打ち切った」


「それのどこに不満があるんですか?
基準で8万、実際に使うにはそれでぎりぎりですよ。
まさか気を変えてモニター艦に変更したなんてことは」

帝國本土と一部資源地帯の港は巨大商船の往来があるため10万トン級の油槽船でも運用できる。
しかし、紛争の予想される小内海に帝國が造り上げた港はフェンダートしかない。
実戦で使うとしても使い勝手が悪いだろう。

「それはありえない。
五一一号艦級はさらに上を狙っている。
とりあえず完成後しばらくは自走式浮きドックで大型化を何とかするらしい。
そのうち世界中の港は帝國が管理することになるから問題は生じないとのことだ」

「誰のお言葉で?」

「元帥閣下だ。」

海軍に生きた元帥は一人しかいない。

「それは兎も角、こいつがそこまでの巨艦には見えませんが」
彼の目には第七船渠は記憶の中の第六船渠と同じような大きさに見えるし、第六船渠は信濃級で一杯一杯だった。

「ドックの中の目盛りをよく見たまえ。倉庫の柱でもいい」

そのとき上村はここに入ったときの違和感に気付いた。
「遠近感がない!」

「そうだ、この監督室から見ることを前提に造っているが遠くの柱を見ても間隔が少ししか狭まらないようになっている。
実際よりずいぶん小さく見せているんだよ」


「無駄な金を使いますね。連中どこから予算をとりつけたので?」

「空母二隻をキャンセルした上にいろいろやったらしいよ」

「われらが希望の星たる空母をキャンセル?
それでも足りないので」

確かに久々に建造されるC一六一号艦級は、基準排水量四八〇〇〇トンの巨体に重防御を施した航空主兵主義者期待の星といってよい。
当初の予定通りなら既に三隻が竣工しているはずだが、様々な事情で工事が遅れ未だ一隻も竣工していない。
尤も、嶋田閣下が睥睨する海軍では戦艦の建造予定が遅れることはなくても空母の建造予定が遅れるのはよくあることだから誰も気にすることはない。

「無論だよ目標速力を30ノットで忍んだとはいえかなりの巨艦だ。」

「連中にも遠慮があるようですな」

「なにせ信濃級を素直に拡大しているんだ、速力まで真似たら途方もない大きさになってしまう。
君の目の前で起工式を迎えたばかりのソレ“は”50口径20インチを9門積んだ、一二四〇〇〇トン(勿論基準で)に抑えるらしい」


「“は”?」

「既に次の戦艦の基本設計は始まっているんだよ。
兵員確保のために補助空母を全て退役させるという話まで出ている。
どうかな?
こいつが対米戦を見据えた先見性のある計画とやらの成れの果てだ」

山本は何か碌でもないことを考えている、少なくとも経験から上村はそう判断した。
だが山本が何を企んでいるにしても、いま具現化しつつある未来の日本帝国海軍よりはマシだ。

「閣下、私は私の信念と海軍将兵、国民のために最適な戦力を整えてみたい。
戦争が避けられぬのならばそれぐらい望んでも罰は当らないでしょう。
それが閣下の理想と一致するからこそGFに送り込む、そうですよね」

「かなり正解に近い。
だがねえ、僕は海相だ。
海相は十年、二十年後の海軍のことも考えてやるべきではないかな?
そういう意味では戦争はチャンスになるかもしれない。
それを実戦部隊たるGFのなかで山口君とともに実現して欲しい」

「仰ることが上手く飲み込めません」

嘘だ。
本当は山本が何を言いたいか分かっている。
それは彼が、山本が、山口がかつて望み、今となっては果たされぬであろう夢。
だがこの状況で実現させるとすれば、立場を変えるしかない。
それは少なからぬ血をこの国に求めるだろう。
たくらみが露見せず、無事に事が運んでも彼は一生の間ある種の精神的な苦痛とともに過ごすことになる。
だが山本は逃がしてくれない。

「上村少佐、帝國の戦艦が敵の航空攻撃で戦闘不能、できれば沈没すれば――
我々の望む海軍が出来上がる、少なくともその可能性が上がるのでは?
そしてその可能性と得られる利益を考慮すれば、実行に移すだけの価値がある、僕はそう考えている」

後に三河級二番艦となる摂津の傍らで、上村は日本海軍を変えることになる言葉を耳にした。



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