『ユフ戦記』08


戦争計画 player A 後編4

皇都郊外 五黎山山麓 


スリツカヤの持つ弐拾弐式軍用小銃は、彼の祖父が小内海の小島に送り込まれたときに手にしていた物と大差ない。つまり、旋条付銃身根装弾式小銃というわけだ。
帝國が元いた世界では単発式のライフル、といえば通りがいいかもしれない。
世界中の技術情報を集積した結果、世界で最も豊かで技術力のあった皇国とユウジルドは、帝國出現から六十年近くも前にこの手の銃を開発した。
他の列強が未だに前装式滑腔銃から脱却できてないのに比べれば格段の進歩といえるかもしれない。
が、皇国も最近まで(つまり帝國との戦雲が可視化するまでは)古式ゆかしい火打石の前装式滑腔銃を主力としていた。
その理由は莫迦でもわかる。
金が掛かり過ぎるからだ。


 清華のような三百万とも言われる陸軍兵力を常備する国は別として、列強諸国の常備兵力は百万前後で推移している。
海洋国家たる皇国とユウジルド陸軍は精々三十万強といったところだろう。
この世界の技術力で以ってしては、百万近くの兵にライフリングを施した銃を与えるのは不可能に近い。
多くの列強が封建体制を敷いており、軍備は地方領主の責任と財力で行うような場合はなおさら困難が付き纏う。
そして、必要性という観点から見ても、列強間の距離と輸送力の限界から大規模な軍事力の接触など起こりえず(皇国とユウジルドの衝突は貴重な例外)、列強諸国は内乱と周辺国家に対応できるだけの軍事力を備えていればよかった。

 皇国とユウジルドはライフルを実戦配備した貴重なサンプルだが、それも遠隔地に送り込んだ二個兵団(約三万人)程度に装備させたに過ぎない。
皇国にいたってはユウジルドが持っているから開発した、という程度の意識しかなかった。
そもそも皇国は中央集権を推し進め官僚機構を軍隊に持ち込んだ結果として高度な散兵戦術を駆使できたから、他列強よりも劣勢な地上兵力でも何とかなると信じていたし、 本土決戦となれば世界最大・最強の翼竜戦力が援護してくれるから、地軍に贅沢させるつもりはなかった。
ユウジルドは世界で最も進んだ魔法技術国であったから、魔道士に火力支援させればいいと考えていた。
結果として、皇国とユウジルドが小競り合いの結果ライフルの有用性を確認し合った後も、ライフルは主力となりえず、両国の関心は海上兵力のみに向けられた。


 その状況が一変したのが、帝國によるレムリア侵攻である。
近い将来帝國との衝突が予想され、そして主戦場が小内海とそこに浮かぶ島々であることが確認されて以来、両国は陸上兵力の回帰(近代化ではない)に躍起になった。
そんなわけで皇国地軍皇都直衛翼竜飛翔団基地所属のスリツカヤ従士長は、新皇暦322 年に正式採用されたばかりの小銃を手にして、雪の中歩哨に当たっている。
時刻は日付が変わる半刻ほど前のことである。


 皇都の冬は厳しい。
歩哨といえども、冬の真夜中は楽な仕事ではない。
小内海の北沿岸に属する国は程度の差はあれ寒い冬が訪れるのだが、ネストリア山系から吹き降ろされる風をまともに受けるおかげで皇都の冬は尋常な寒気ではない。
この上夏は海流と南からの乾燥した風のおかげで糞熱いときている。
皇国地軍皇都直衛翼竜飛翔団の基地は、皇国の翼竜基地の例にもれず山肌を刳り貫き基地施設を造成している。
水軍に比べて低廉な予算で運営させられている地軍であるが、翼竜を満足させられる程度の環境は備えている。
しかしながら、暖かい洞穴の奥で惰眠を貪ることができる地位にあるのは翼竜のみである。
もともと温度の変化に敏感な翼竜に安定した環境を与えるために洞穴を掘ったわけだから人間の居住区画は石造りの建物となる。
翼竜を酷使してよいのは実戦と訓練のときのみであるが、人間は常に劣悪な環境に置いてよい。
どうも地軍上層部はそう考えている節がある。

よって今宵寝床に就いた軍人たちは冷えた石が発する冷気から身を守るために軍規と基地会計の許す限りの方法をとっているが、歩哨たるスリツカヤ従士長に許されるのは官製品たる外套の下に愛娘が編んでくれた上衣をそっと着込むぐらいだ。
スリツカヤは雪のちらつく下でもうじき潜り込める筈の布団に思いをめぐらせ、妻子に会えないことと俸給の安さを呪詛の対象としていたとき、ソレが目に入った。


銀髪の飛翔士官用外套を着用した若者(恐らく水軍所属)が翼竜を駆り、こちらを目指していた。
満月を背に、音もなく舞い降りた女性士官は肩に降り積もる雪を払おうともせず基地の門に近づいてきた。
腰までありそうな髪は風にたなびき、闇夜に銀色の光を燈している。
紫苑色の瞳は怜悧な光を放ち、唇は引き締まっておりいかにも意思が強そうな面構えである。
年のころは十六,七といったところだろうか。スリツカヤの末の娘よりも年下に見える。
皇国人的感覚からすれば異国情緒溢れる美少女といってよい。
関われば碌な事にならない。間違いない。頭の中で退避命令が出ている。
彼は20年以上前、美人と関わってなけなしの蓄えを溶かした経験があるのだ。
面倒なことは避けて可及的速やかに宿舎に退避せよ。
交代まで後四半刻もない。
しかし少女は歩みを止めず正門に向かってくる。
正門の警備に当たっているものの中でスリツカヤよりも階級の高いものはいない。


「皇国水軍百竜長レイ・ジグリード・ロイである。
当基地の最上級指揮官に取次ぎを願う」

この若さで百竜長というのは信じがたいが、確かに外套は水軍百竜長であることを示している。
ロイ王家と所縁のあるものなら皇太女殿下に引き立られたのかもしれない。
スリツカヤは布団を半ば諦め、答える。

「生憎、基地司令は帰宅しておりまして。
明朝に基地に戻られるので御用が御座いましたらお伝えしますが」
 
無論、こんな真夜中に約束を取り付けず翼竜で来る様な相手が引き下がるとは思えないが、一縷の望みを託した。

「ならば当基地の実戦翼竜部隊の最上級指揮官を呼んでいただきたい。
そして翼竜部隊の出撃体制をとってもらいたい。
これは皇太女殿下の御言葉と解していただきたい」

そう云うや否や、彼女は外套の下から一本の鋭剣を取り出す。
見事な装飾が施されたものであるが、何より目を引くのがロイ王家の紋章と柄に填められた千草色の宝玉だ。
魔道に詳しくないスリツカヤが見ても膨大な魔法力が込められたとわかるそれは、あまりにも有名な宝玉である。


かつて初代皇主が自らの子に五王家を創氏させた際、王の証として五つの宝玉を与えた。
ロイ王家に与えられたのが海色乃勾玉、王家はそれを二つに分け、一つは王が、もう一つは王太子が持つことにした。
ロイ王家の王太女であった現皇太女がその宝玉を鋭剣に填めたが、皇主となるために王太女の地位を捨てて以来、皇太女の最も信頼厚いものがその鋭剣を所持している筈である。
スリツカヤの眼前に掲げられた鋭剣は、それほどの意味がある。
もはや逃げ道のないことを観念したスリツカヤは、兵に士官を全員起こすように命じた。


ファンツリック地軍十竜長は、最近皇都に移らされた第三翼竜飛翔大士隊の部下とともに銀髪の少女の話を聞いている。


「第三翼竜飛翔大士隊の諸君、夜分ご苦労である。
水軍百竜長にして皇室侍従武官長レイ・ジグリード・ロイである。
皆は存じないと思うが皇都にて叛乱が進行している。
恐れ多くも皇太女殿下は斎聖殿に幽閉され、軍高官と指揮系統も叛乱軍に侵されている。
皇国建国以来の危機と言ってもよいであろう。
だが、殿下はこのような危難を予期していなかったわけではない。
このような事態に備え、本官に鋭剣を授けてくださり、さらに反撃のための兵を与えて下さった。
それが諸君ら第三翼竜飛翔大士隊である。
諸君がこの場に居合わせたのは偶然ではない。
殿下は貴官らの実力を高く評価され、皇主になられた暁には近衛に編入される旨内示された。
そして万が一の危難に際しては、諸君を反撃の第一陣として用いるよう言明なされた。 諸君、皇室に忠誠を誓うものであるならば、今こそ殿下のご高配に報いるときではないのか?」


はじめは誰もが眠そうな顔を隠そうとはしていなかったが、話が進むにつれて興奮した面持ちを隠せないでいる。
まず以って、水軍士官が地軍部隊を指揮するというだけでも異常を極めている。
その上皇太女が監禁されるなど前代未聞。
そして、翼竜部隊としてはじめて近衛になれるのだ。

 元来、地軍における近衛の規模は小さい。
水軍が一個艦隊を近衛に当ててきたのに対し地軍は精々身辺警護に過ぎなかった。
その地軍から、初の近衛翼竜部隊が誕生する。
翼竜士官の大半を水軍に奪われている地軍としては痛快極まりない。
(皇国は多くの翼竜を所持しているが、翼竜を操る適性を持ったものがひどく少ない)
近衛となれば、階級昇進が自動的についてくるのだ。

最早士官室は興奮の坩堝と化していた。
何から何まで嘘で固め、ありもしない昇進の約束をしたレイは心苦しいが、少しでも戦意を高めて余計なことを考えないでいてもらわなければ困る。
たかが列騎竜士の身でできることは限られているから、後は姉様に何とかしてもらおう。


「我々は何をすればいいのでしょう」
若い士官が勢いづいて尋ねる。

レイは一拍間をおき、もったいぶって答える。

「斎聖殿に突入し、敵の包囲を突破し殿下をお救いするのだ」

沸き上がる歓声を背にレイは士官室を後にし、ファンツリックと打ち合わせをしながら食堂に向かう。
軍人は如何なるときも輜重をおろそかにしてはいけない。

「ファンツリック十竜長、地上戦部隊を翼竜で運びたい。
人選をお願いする。
数は翼竜の半数もう半数は、陸戦要員の代わりに爆弾を積む」

レイは丁寧だが、有無を言わさぬ口調で命令する。

「恐れ多くも聖斎殿を爆撃する気ですか?」

「恐れ多いのは叛乱軍のほうであろう
建てられて六百年も経つ。
古レイシーノ帝国時代の遺物を未だに使っているんだぞ?
建て替えを検討してよい頃だ。費用は帝國に負担させればよかろう」

不幸にもファンツリックのお眼鏡に適った歴戦の下士官たるスリツカヤは、布団に潜り込むことなく完全軍装を強いられた。
彼が安眠に就くための障害はあまりにも多そうだ。


inserted by FC2 system