『ユフ戦記』05


戦争計画 player A 後編1

陽が空にあれば夏の小内海は碧海というべく色彩を持つのだが、
今は波間から顔を出したばかりの月明かりだけが光源たりえている。
月光に照らされた小内海は黒々と不気味な水面をたたえており、
魂ごと吸い込まれそうな錯覚を覚える。
空に目を移せば、まさに清風名月といった趣である。
月影は真円を描き、僚艦の影を闇に浮かび上がらせる。

竜巣母艦シンロードの艦上から望む月は、水面に一筋の轍を敷いているかのよう。
八年前、戦火のなかで姉様に拾われたとき。
三年前、雪の中鋭剣を手に姉様を助けに駆け回った晩。
私の人生に転機が訪れたとき、いつも天空に満月があった。
なれば私の人生は満月に導かれているのであろうか。
あの轍を月に導かれるまま通ってゆけば良いとでも?
まさか。

いつから皇都の乙女たちのような感覚を身につけた?
このレイ・ジグリード・ロイは、常に己の信念と思考に囚われて場を切り抜けてきたではないか。
三年前のあの夜もそうであったではないか。
だからこそ、今この場に居れるのではないか。


新皇暦328年 中冬月 七日夜半

 その知らせを聞いたのは、日付が変わる一刻半ほど前のことだった。

「皇太女殿下は、戴杖式を目前に控え、皇都に蠢く謀反人を摘発、粛清しつつあります。
現在騒乱は鎮圧に向かいつつありますが、諸兄には戴杖式に備えていただきたい。直に正規の命令がくるはずです」

皇都より飛竜を駆ってきた伝令は皇太女からの言葉を述べた後、また何処かに飛び立った。

命令は四半刻ほどで届いた。

『皇都ニテ騒乱有ル旨報達セラルト思フモ此レ叛乱ニアラズ。
都周ノ三軍各隊ハ現状ヲ維持シ以ッテ爾後ノ収拾二備ウルベシ』

魔道通信で隊司令部に送られてきた文の末尾には、皇国皇太女カリュン・フェースト・ロイ・フランシアーノの署名がある。文字をそのまま再現できるのは魔道通信ならではの技であるが、さすがに色付とまでは行かない。


本来統帥権を持たぬ皇太女が三軍に命を伝えること自体に疑問はない。

皇主の後継者は五王家の長からなる皇室審議会により指名される。
選ばれるのは各王の直系から最も秀でているとされるもの。
大多数の王族は皇主になることも王家を継ぐこともできず、臣籍に下る。
そして選ばれた後継者は皇太子(女)として皇主の下で研鑽に励み、次代の重臣達を見出していく。
その間皇主の補佐として執政に関与することはあっても正規の組織系統に組み込まれるわけではないので、法的な権限が付与されることはない。

だが、昨今の事情は皇国に例外を強要している。

先月皇主が崩御されたが、未だ皇太子(女)が選定されていなかった。
単純な理由だ。
四年前、皇太子が薨去されたから。
皇主、皇太子ともに不在という異例の事態を前に皇室審議会は全会一致でカリュン・フェースト・ロイ・フランシアーノを皇太女に指名した。
それが先月のこと。
皇主がいなければ皇太子が代理を務める。当然のことだ。
だから皇太女から軍に命が下ってもおかしくない。
どうせ二日後には皇主になるのだからなおさらだ。


 が、周囲の見解とはよそに、レイの考えは違った。
伝令が来たときから囚われてきた奇妙な感覚。
小骨が咽に引っかかった様な違和感。
それらは魔道通信の署名欄を見たとき氷解した。
姉様の字を真似てはいるものの、身内から見れば一目瞭然。

『皇太女殿下の御水茎にあらず!』

と叫びだしたくなったが、ことがことだ。
取り急ぎ自室に戻り支度をしなければ。レイは足早に隊司令室を後にした。

歩きながらもいくつか疑問が出てくる。

誰が偽署を?
決まっている。謀反人どもだ。
恐らく昨今の政策に不満を持つ一部の大商人が裏にいるだろう。
何のために?
軍の足止めのためだ。その間に謀反を成功させる腹積もりだろう。


そこで気がつく。
叛乱軍はどうやって連携したのか?

叛乱を起こすには、綿密な計画、多量の資金、そして緊密な連絡が欠かせない。
計画と資金は調達できても連絡に難点が残る。
商人の中でも少数派の反皇室勢力が謀反を企てても、諜報部や他の商人に察知されるだろう。
叛乱軍と商人の間で、魔道通信は使えない。
全て通信に限らず魔術にかかわることは皇室魔道院が総覧しているからだ。
人的な交流も、魔道通信もなしにどうやって大規模な叛乱を計画できたのか?

ふと頭に浮かんだのは、最近皇都を訪れる帝國人。
恐らくダークエルフを伴っているに違いない。
そして帝國と皇室の関係悪化。
つまり、そういうことか。
帝國はいつもいつも阿漕な手を使いやがる。
己の手を汚さずに謀反を煽動するとは全く度し難い。
勃然と湧き上がる憤怒を感じながらレイは自室に飛び込んだ


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