『ユフ戦記』01


「連中気は確かでしょうか。あまりにも不経済だと思われませんか、閣下」

 ユウジルド王国海軍中佐レンザール・ユークフィンデルノ・アシムールは口調に怒気をにじませて吐き捨てる。冬を控えるこの時期に、寒冷期にはむかない頭までもが血流で赤く染まっている。その淋しげな頭とは裏腹に、三十路を迎えたばかりの血気盛んな青年将校であるレンザール少佐の怒りは理由のないものではない。十年の歳月を要しつつも完成の目を見た新生王国海軍がただ一度の決戦ですり潰されかねない戦いへ引きずり込まれようとしているのだ。彼が新生王国海軍の整備計画にこの十年関わってきたことを考えればその怒りぶりにも頷けるというものである。

「その分では厳寒期を迎えても君の頭は風邪の心配は要らないのではないかね?」
 レンザール中佐の直属上官である軍務省建艦部長ブラシアーノ・ブーレグリート・アイスティルツ少将は取り合わない。頭を冷やしてはどうかと言いたげであるが、ここが王国軍務省本部の大廊下であることを考えれば当然である。言いたいことは理解できるが場所が場所だ。とりあえず一刻も早く建艦部長執務室に入らなければ腹を割った話し合いはできない。足早に廊下を進み執務室に帰参する。


ここはわれらが愛の巣だ。二人の甘い一時をすごしながら語り合おうではないか」

 温かい豆茶を運んできた従兵を下がらせ、ブラシアーノはレンザールを掛けさせる。
グリート地方農民出身者であることを示すブーレのミドルネームから貧相な執務室を想像されがちであるが、その内装は目立ちはしないが機能的で高価な調度品で仕上げられている。
すべてフィンデルノ卿が息子の恩人であり、敬愛する直属上官のために揃えた物だ。ユークフィンデルノは帝國風に言えばフィンデルノ侯爵家と訳せる。
海洋国家であるユウジルド王国にあって、地方領主の権力と財力は他の列強に比べれば相対的に低くなるがそれでも息子の恩人であり有能な海軍士官をさまざまな面から支援していくだけの力は有している。


切れ者でありながら血気盛んゆえに四方に敵を作りがちなレンザール中尉を見込んで救ってやったブラシアーノは、激動期であること、有能なものは衆民出身者でも高位につけるユウジルド王国の気風、有能で円満な性格で敵を作らずにやってきたこと、そしてフィンデルノ侯爵家の惜しみない支援というさまざまな条件の奇跡ともいえる出会いが連鎖することにより衆民としては異例の将官としての地位を手にしている

そのことを考えれば彼がこの執務室を愛の巣と呼称したのにも納得がいくというものである。

ここは二人が新生王国海軍を実現するために奔走し、そのための権力を得るためにあらゆる手を打ったその努力が結実したことを示すからだ。
が、レンザールにはそのような諧謔を楽しむ余裕はない。

「閣下はなぜそう冷静でいられるのですか?艦隊は閣下の息子のようなものではないですか。それが博打のような作戦に投入されるのですよ?十年以上前のレムリアのときよりも敵は強力になっていますよ。それなのに帝國を挑発して海軍が無事であると思いますか?」
「計算があってのことだよ。われら海洋国家は海上貿易の利権に頼らなくては国力を維持できない。王国も、フランシアーノ皇国もその点は同じだ。君は交易路が帝國に独占されて国が成り立つと思うのかね?」


「しかし、フランシアーノはともかく我々は火遊びをするほど切羽詰っていませんよ。」 
「すぐにわれらも後を追うことになるだろうよ。そうなる前に手を打つことにしたわけだ。
今が二国が共同して戦える最後の機会になるかもしれない。
想像してみたまえ、かつての列強二大海軍が手を組んで戦うのだ。
さぞかし壮観だろうよ。上層部の判断もそう悪くはないかも知れんな。」

ブラシアーノの穏やかな声色とは裏腹に、顔には自嘲めいた表情を浮かべている。
本心からの言葉でないのは確かだ。
とはいえ己の内心とは違う大流に身を任せるだけの決心と理由を、すなわち自らが仰ぎ見るべき新たな何かを見つけ出したようだ。

「冗談ではありませんよ!海軍は今回のような事態のために整備されたのではないことは閣下が一番よくご存知のはずです」
レンザールは未だにブラシアーノのような境地にはいることはできず、諦めがつかないようだ。


二人の会話は、つまりこういうことだ。

 まず、ユウジルド王国は根っからの海洋国家だ。いくつもの交易都市をもち、貿易により莫大な富を得てきた。
他の列強も交易はするが、ユウジルドほど大規模ではない。そして自らが貿易をする他、列強が貿易する際に荷運びを請け負うことによって、また植民地経営によって国庫を潤してきた。
海洋貿易に特化したその商船団のコスト競争力とキャパシティーに対抗できるのはフランシアーノ皇国だけであった。

 では、両国が制海権や権益をめぐって抗争を繰り広げてきたかといえば、そうではない。
過去200年の間に三度の大規模な衝突があったが、いずれも相手に致命的な深手を負わせるようなものではなかった。
それどころか、この100年に限っていえば大規模な衝突はなく、小競り合いに終始してきたといえる。
三度の戦と、その商人的な感覚から軍事とは経済に奉仕すべきものであるという風潮が両国に芽生えるのである。すなわち、海軍力はその貿易体制を保護するに十分な能力で、かつ貿易体制を圧迫する程の金を掛けない範囲でのみ許容される。そして国家は経済的な意義があるときのみ戦争を起こす。

となれば、広大な海域で二大海軍が覇権を競って血みどろの大戦争をすることはない。
なんとなれば、自国の広大な海域を守るために各地に艦隊を分派している両国が戦争するとなれば、一度の決戦で勝負がつくことはなく小規模の(それでも他国から見れば大規模な)海戦を繰り返し、両国の国力が疲弊するからだ。であるからこそ、両国は強大な海軍を分散して配備して、その交易路を守ってきた。
一大海戦を念頭に置いて決戦用の艦隊を作り、一箇所に纏めて配備するような贅沢は許されるはずもなく、緊張感がありつつも大火事には至らないシーパワーのゲームを二国間で繰り広げてきた。
帝國が出現するまでは。


帝國とそのシーパワーはまさに脅威であった。
瞬く間に北東ガルムを制圧し、外交の表舞台に立った帝國。
レムリアという典型的な大陸国家を手中にしながら、その領土には目もくれず、利権と交易ばかりを気にして行動をとった。

他の列強諸国は訝しがったが、ユウジルドとフランシアーノは直感的に戦慄した。

帝國のとった行動は紛れもなく海洋国家のそれであり、その海軍力とともに、おそらく民間商船団も並みの列強を凌ぐだろう。
すなわち、両国の海洋覇権に挑戦するだけの力と野心を持った新たなる列強が誕生したわけである。
両国はそう判断し、杞憂かもしれないと思いつつ対策を講じてきたが、悪いことに彼らの判断は正しかった。
帝國の海軍力は予想以上に強大で、嫌になるほど徹底した海洋国家であった。

その海軍力に恐怖を憶えた両国は帝國に抗し得る艦隊の整備に取り掛かることになる。
莫大な国費を投じて建造される艦隊は当然国庫に過大な負担を押し付けたが、国家の存亡という暗い未来がちらつけば否も応もなかった。

制海権を奪われるだけで国家として成り行くかも怪しくなるのだ。


が、帝國にも言い分がある。
彼らは何も伊達や酔狂で海洋国家の真似事をしているわけでなければ、嫌がらせでもない。
信じがたいことに、この新興の列強は海外からの物資がなくなれば国家として立ち枯れ行くという、信じがたい構造を持っているのだ。
そのシーパワーを自らの国力維持と勢力圏下での交易に使うだけならユウジルドはまだ我慢できたが、帝國は国力増大のためにその海洋覇権を伸張しようとしていた。

これまでは怪しげな油や各種金属を支配権で採掘し、本国(位置の推定はできるが正確な場所は帝國人以外は知らない)に大量に運び込み、自活してきた。
帝國勢力圏と他の列強の交易といえば、高級な嗜好品を邦国の商人に販売権を与え、細々と取引させていたぐらいであった。
それが、帝國の海運会社が「早くて安い」をうたい文句にして長距離海運業に乗り込んできたのだ。
それだけではない。最近は外貨獲得のため、儲かりそうであれば他国の利権と衝突することも平気で行うようになっている。
その結果真っ先に困窮するのが同じ土俵に立っているユウジルドとフランシアーノであった。

いずれ行われるであろう大規模な経済的な締め付けを阻止するため帝國船舶を拿捕し、以後交易を規制することにより両国の覚悟を知らしめよう、そのために艦隊を派遣するというわけである。
全てがうまくいけば、帝國は決戦による損害を恐れて交渉のテーブルにつき、三カ国で世界の海を三等分して平和に金儲けにいそしむ。
これが理想的なシナリオだ。


「今は何とか我々もやっていけてるが、10年後は財政が破綻しているだろう。
10年前と比べれば帝國の海上輸送力は桁が違う。
10年後はどうなるか想像もつかない。そのころに帝國に喧嘩を吹っかけても勝ち目はない。
連中、艦隊の増強に本腰を入れ始めたという話だしな。」

「今なら勝てると?」

「そこまで楽観的ではない。
だが今なら連中も我々の艦隊に脅威を覚えてくれるのではないかね?少し自重して我々の都合も考えてくれればいいんだよ。
何も艦隊決戦を行うというわけではない。そのために十年掛けて艦隊を造り上げたんだ。」
「しかしもし連中が戦争を望んだらどうします?」
レンザールの言葉には、他の列強の軍人としてならおかしなものであるが、ユウジルド王国海軍軍人としてなら至極真っ当なものだ。対帝國用に造り上げた艦隊は、帝國との決戦のためでなく、周辺国を苛め抜いてその能力を帝國に見せ付け、帝國に「ユウジルド侮れず」と思わせることによって戦争を抑止するものであるから、決戦など行って磨り潰されれば不経済の極みというほかない。
「なに、フランシアーノも行動を共にするんだ。帝國もめったなことでは戦争を仕掛けないさ。
なにせ連中は圧倒的な軍事力に対する信頼で諸国を束ねているんだ。
二カ国と戦って海軍を傷つけるようなまねは政治的に許されるはずはない。
無論経済的にも大きな負担だろう。」

「連中がよほどの馬鹿かよほどの自信家であれば?」

「そのときは海軍としての本分を果たすのだ。」

彼は知らなかった。
嶋田が国際政治ではなく、自らの支持率を気にする首相であることを。
国民からも軍部からも支持を失いつつあることを。
海軍に過剰なまでの自信を持っていることを。
民主主義体制をとる国家では、戦争での勝利が内閣の支持率に直結することを。

灼熱の、長い長い冬が迫りつつあった。


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