『平成日本召喚』36
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海と空の戦いでは圧勝した平成日本側であったが、事、陸上戦力の戦いに関しては、そうそう余裕がある訳では無かった。
装甲化された1個増強連隊しか居ないのだから当然だろう。
否、それ以前に問題があった。
そう、それは攻勢作戦に関する明確なグランド・デザインが作られていないと云う。
基本的な命令は1つ。
メクレンブルク王国の保護。
その為であればあらゆる手段の行使が認められる辺り、日本政府の本気が判ると云うものであった。
但し問題は、航空戦力に於いては国境線を越えての攻撃が認められているものの、陸上部隊のそれは基本的に禁止。
必要がある場合には、国会での承認を求める事が決められていた。
これは陸上戦力の持つ政治的な重さと、これに比べて領空と云う概念が60年ほど前の“帝國”の時代とさして変化が無い事が理由であった。
日本政府は、陸上部隊を広範囲に制限無く展開する事で、戦争が泥沼化する事を危惧したのだった。
それはある意味で、当然の事であった。
過去の、帝国陸軍の暴走と云う歴史があるのだから。
故に日本政府は、野党からの要求を受け入れる形で、陸上自衛隊の作戦範囲に制限を設けたのだった。
野党は久しくない、己たちの政治的な勝利を祝った。
平和主義を標榜するマスコミも、己が影響力に満足した。
そして陸上自衛隊は、政府が無制限に戦線を拡大する積りが無い事を知って、安堵した。
当然だろう。
彼らも又、歴史――戦史から謙虚に物事を学ぶ者たちなのだから。
無論、作戦範囲が限定される事のデメリットは重々理解してはいたが、それでもであった。
それに補則条項として、戦術的必要があれば短期間に於いての進出であれば認められるとされていた為、特に問題も無いと云うのが実相であった。
閑話休題
さて話を戻せば、問題となっているのは兵力不足であり、同時に護るべきものにも問題があった。
メクレンブルク王国の王都とバレンバン油田、2つもあるのである。
如何にメクレンブルク王国が小規模(旧シュベリン王国とほぼ同じ、4000平方`)であるとは云え、1個増強連隊で護るには、荷が重すぎていた。
無論、何とか対応しようとしてはいたが。
輸送用のコンテナを改造した部屋。
やや薄暗いそこには、3人の男が居た。
2人は陸上自衛隊の迷彩服を着込んでいる。
「残念ながら戦争が始まりました」
眼鏡のズレを直す仕草で表情を隠した陸上自衛官、善行二佐が独り言の様に呟いた。
その言葉に、傍らに居た先任下士官の若宮二等陸曹が頷いた。
「誠に残念です。もう少し時間があれば、良かったのですが………」
口を濁す若宮二等陸曹。
だがその隣に立つ男、メクレンブルク王国軍の第2歩兵中隊の指揮官であるビスケーは笑った。
何、大丈夫ですよ、と。
「貴方がたのお陰で、この砦は戦闘力を取り戻しました。<大協約>の連中が襲って来ても耐えられますよ」
砦。
それは旧シュベリン王国時代に建設された防御施設だった。
嘗ての戦争で活躍した“帝國”人の名をとってスィムラ砦と名付けられた、その砦の場所はメクレンブルク王国とフォアポンメル王国を繋ぐ街道沿いであった。
但し、“帝國”崩壊後に破棄が<大協約>から命じられ、建物の殆どが打ち壊されたのだ。
それが機能を回復出来たのは、無論、自衛隊。第1独立装甲連隊と共にロディニア大陸へと渡った施設科部隊、第3施設団のお陰だった。
シュベリン飛行場の再整備を終えた彼らが、その重機材をもって整備したのだ。
再建されたスィムラ砦は、周辺の空き地までを利用して陸上自衛隊の1個連隊が立て篭もれる様な巨大な城砦へと拡大されていた。
無論、高層建築物とかは無い。
コンクリート製の建物も無い。
建築物は、破壊できずに残っていたもののみで、後は輸送用コンテナを流用したものばかりだ。
だが、その敷地は広大なものとなっていた。
街道の外、最外周部に埋められた地雷原。
巨大な堀や数々の塹壕、銃座。
掩体壕に囲まれた重迫砲。
現代の軍事組織として、基本的に野戦主義を旨とする陸上自衛隊ではあったが、同時に、防御拠点と云うものの価値を全く認めない訳では無かった。
特に、この様な場合には。
「宜しくお願いします」
軽く頭を下げる善行二佐。
理由は、このスィムラ砦に駐留している戦力と、その任務による。
砦に駐留しているのは、善行二佐を指揮官とする1個普通科中隊を基幹とする増強中隊戦闘団と、第3施設団から分派されて来た第12施設群、そしてビスケーの第2歩兵中隊である。
その内、善行二佐の指揮する増強中隊戦闘団は野戦に於いて邀撃戦を実施する事が決められていた。
完全機械化された機動力を生かし、メクレンブルク王国へと侵入してきた<大協約>第14軍団の側面を突くとされていたのだ。
そして第12施設群は<大協約>軍の国境侵入と前後して、後方へと後退する事が決められていた。
施設科部隊は本来、無力では無い。
それどころか通常は、方面隊の予備戦力としての性格も持つが故、大体規模の普通科部隊とはそう差の無い戦闘力を保有する部隊なのだ。
にも関わらず退かせる理由は、その高度な土木作業技術を惜しんでの事だった。
普通科――歩兵自体の補充も容易では無いが、それにも増して熟練の施設科人員の補充は容易では無いのだ。
国境線での戦闘で消耗させる訳にはいかかなった。
故に、である。
ビスケーの第2歩兵中隊が、このスィムラ砦防衛の主力となるのは。
無論、普通科の増援が到着次第、優先してスィムラ砦に部隊(最低でも中隊戦闘団)を配置する事が決められてはいたが、とは言えそれを当てにして、万が一の準備を疎かに出来る筈も無かった。
又、第一独立装甲連隊に属する重迫中隊の1個小隊が入っていた。
無論、ビスケーの要請を尊重(事実上の指揮下への編入)するとされている。
メクレンブルク王国第2歩兵中隊。
その総兵力200余名。
数こそ巨大化してはいたが、その理由は旧シュベリン王国軍時代と比べると弱体、主に経済的な理由から全部隊の銃器装備は出来ずにいた事が理由であった。
銃器の不足を、せめて数(弓兵)で補おうとしていたのだ。
尚、この戦闘力が低いと云う問題点をメクレンブルク王国としても理解はしており、これを補う為にも日本政府との交渉で銃器の取得を目指してはいたが、流石の日本政府も軍用の89式や64式と云った自動小銃を二つ返事で売却する訳にもいかず、交渉は難航していた。
緊急避難的措置として貸与と言う案もあるにはあったが、そもそも89式自動小銃自体が定数+α(予備)程度しか持ち込んでおらず、貸し出しなど到底不可能だと云う問題があった。
又、各部隊からの予備をかき集めて貸与したとしても、補給の問題や、そもそも訓練の問題もあり、現実的な案とは言い難いのが現実であった。
「確かに銃器が不足しているのは厄介ですが、これだけの砦に立て篭もるのです。何とかなりますよ」
ビスケーはそう笑った。
それは第二次メクレンブルク事変最大の陸戦となった、スィムラ砦攻防戦のやく一週間前の話であった。