『平成日本召喚』31


――1

 着々と戦争準備を整える<大協約>第14軍団であったが、その司令部に極めつけの凶報がもたらされた。
 無論、“帝國”軍が大挙増援を派遣すとの事である。

 それは、哨戒任務中であった竜巣通報艦バトラーが日本の大船団を発見して、2日後の事であった。


「“帝國”は本気だな」

「ああ。悪辣な帝國人どもめ、停戦協定を逆さに取るとは何たる汚さか!!」

 激昂する、一部第14軍団参謀。
 無論、その脳裏からは先に戦力の集積を開始したのは自分たちであるとの事は脳裏から綺麗さっぱりと消え失せていた。
 口々に平成日本の行動を非難するが、それは、裏を返せば平成日本に対する恐怖感のあらわれでもあった。

「しかし、20を超える船団か。“帝國”の船は巨大だ。どれだけを運べているのか?」

 船団の中身に関して、彼らは一切誤解しなかった。
 戦力。
 それも大規模なものであると。
 自分たちが停戦条約を遵守する積りがさらさら無く、戦争準備が終わり次第、何らかの理由をつけて停戦条約を破棄しようとしているが故、敵手もまた、そう判断するであろうと理解していたのだ。
 無論、これは思い込みではあったが、船団の中身に関する想像としては、正鵠を射ていた。

「先の対帝国大戦の頃の資料からだと、大体、………1乃至は2個師団規模だと思われます」

「2個師団!」

 ざわめきが凍る。
 当然だろう。
 第14軍団とて無能の集団では無い。
 先のメクレンブルク王国との国境線で発生した自衛隊との戦闘以降、情報の収集に血道を上げており、少なからぬ血を対価として、メクレンブルクに存在する平成日本の戦力規模を掴む事に成功していた。
 1個連隊。
 只の1個連隊で、完全編成の<大協約>歩兵大隊が消滅したのだ。
 負けるはずの無い、帝國陸軍とすらも正面から殴り合って勝つ為の部隊が。である。
 その相手が師団規模へと拡張されると聞けば、冷静で居られる筈も無かった。

「どうする」

 誰かが漏らした一言。
 迷いが生まれる。
 誰もが負けるとは口には出来なかった。
 しなかった。
 だが、この場で口をつぐんだ者たちの胸にあったのは、敗北の二文字だった。
 無謀にして乱暴。そして凶暴。故に略して〜 とまで言われる<大協約>軍の参謀たちではあったが、計算が出来ない訳では無いのだから。

 通夜の様な思い雰囲気。
 それを粉砕する男が居た。

「ならば洋上で叩いてしまえばよい」

 居並ぶ参謀たちを睥睨するように堂々と胸を張って、<大協約>南部艦隊の連絡将校は言い放った。






――2

 <大協約>第14軍団と平成日本との交渉の場に選ばれたのは、メクレンブルク王国領のやや外側に位置した、“帝國”の残した入植地、その跡地に立つ建物だった。
 現在は、メクレンブルク王国から出張ってきた猟師達の休憩所等として使用されている。

 その、平成の日本人の感覚からすれば、古式ゆかしいと言って良いデザインの建物群は、設計こそ“帝國”式であったが、建材の類は一切を現地のものを使用していたお陰で、現代まで残っていたのだ。


 殺伐とした部屋。
 粗末な調度。
 外交の舞台としては、とても似つかわしく無いような場所で、言葉の剣は交えられていた。


「“帝國”は停戦の約定を反故にされるお積りかな?」

「真坂。何時如何なる時でも我々日本人は平和を望みますよ」

「ほほう。では今、洋上にある動力船の大船団は如何なる存在でありますかな」

「アレはわが国とメクレンブルク王国との友好関係と信頼関係を助成する為のものであり、それ以上でもそれ以下でもありません」

「言葉は言い様ですな」

「誠に。言葉とは大変に扱うのが難しいかと。後、噂も恐ろしいですぞ。そうですな………例えば、メクレンブルク王国の周辺諸国では停戦条約が発効しているにも関わらず、大規模な戦力の集積が行われている………とか」

「それはそれは………ですが周辺諸国独自の、それぞれの都合による問題ですからな。我ら<大協約>は関知はしませんぞ」

「確か、この周辺ではフォアポンメルやデンミンの各国は<大協約>の熱心な協力国でありましたか」

 大使2人の会話は、正に戦闘であった。
 言葉の尻を捉え、情報を小出しにして相手の反応を窺う。
 そして、微小な情報を相手に与え、その反応を探る。

 常に相手に圧倒的に有利な立場で外交を行ってきた、<大協約>の外交官。
 常に理想という名の妄想で縛られて外交を行ってきた、平成日本の外交官。

 共に、真っ当な外交をするのは初めてに近かったが、その様は正に外交官との言葉に足るものであった。






 憤懣やる方ない表情で椅子に座る日本の特別大使。
 タバコを銜えて火を付け、盛大に吹かす。

「ええい。連中は戦争をしたいだけなのか!?」

 <大協約>大議会との交渉を行う為の、ただの事前交渉にて、日本側は大きな躓きを感じていた。
 何を言っても、<大協約>側は“帝國”が戦争準備をしていると罵るのだからだ。

「矢張り、前事務次官殿のご意見が正しかったのでしょうか」

 まだ若い随員が、ため息混じりに漏らす。
 平和こそ何よりも優先される――そんな思想にどっぷりと漬かった若者を、特別大使は睨みつける。
 特別大使は、元の世界で北朝鮮人民共和国との外交を経験していたが為、外交交渉の土台としての軍事力の意義について1つの見解を持っていた。
 それ故に、平和絶対主義者であった前事務次官によって冷や飯を食わされてもいたのだ。

「それは違う。あの戦力が揃わなければ、連中は嬉々として戦備を整え、侵攻してくる」

「真坂!?」

 あり得ない。
 そう言わんばかりの表情を見せる若者に、こめかみへの酷く鈍く重い痛みを感じた特別大使は、今後の、若手外務省職員の再教育に関して1つの決心を腹に沈めつつ、言葉を続けた。

「交渉事は此方には此方の都合があるように、あちらにはあちらの都合がある事を忘れるな」

「あちらの都合は戦争ですか………」

「強盗だ。戦争の最も原始的な部分を体言しとるぞあの連中は。君もD資料は見たんだろ? それが現実だ」

 言い切ると共に、タバコを灰皿へと押し付ける。

 D資料。
 それは、保護する対価としてダークエルフから提供された、膨大な量の<大協約>に関わる資料だった。
 政治経済軍事。
 多岐にわたったダークエルフ秘中の情報。
 その中でも外交――そして懲罰戦争に関する資料は最優先で、外交に携わる官僚たちに渡されていた。
 それ故に特別大使は理解していた。
 <大協約>相手に弱腰を見せれば喰い込まれる、と。

「ですがそれでは信頼関係を構築する事が………」

 それは正論ではあった。
 信頼関係の構築は、外交における重要な“資産”であるのだから。
 ただ同時に若者は、それが何時の時代でも常に重要視された訳では無い事を失念していた。

 尤も、特別大使はそれを正面から若者に指摘しようとは思わなかった。
 ある意味で若き外務官僚は、外務省旧時代の悪しき影響を受けた被害者と思えたからだ。

「信頼関係を構築するには、前提条件があるのだよ」

 苦味の強い笑みを唇に貼り付けながら、特別大使は新しいタバコを銜えると火を付けていた。

乾音

 その時、控え室の扉が甲高い音を上げた。

「ん?」

 部屋の入り口へと視線が集まった。






「どうされましたかな?」

 昼の休憩を打ち切って、急遽呼び出された平成日本の特別大使。
 <大協約>の大使は、満面の笑みを浮かべて立っていた。

「いえ。少しでも早くお伝えせねばならない事が発生したのですよ。至急と、上からの指示で、ですね」

 気持ち悪いほどの余裕。
 もったいぶって、それからゆっくりと口を開く。

「“帝國”大使殿。私は<大協約>大議会および第14軍団の全権を代表する者として宣告を致します。
<大協約>と“帝國”との間で結ばれた停戦協定は、“帝國”側の停戦に対する不誠実な態度を理由とし、即時破棄する事を」

「なっ………いや、即時破棄ですと!?」

 日本の特別大使が驚きの声を上げるのは道理であった。
 停戦協定の中には、破棄の1週間前に相互伝達義務を記載していたのだから。
 あからさまな協定違反であった。

「無論、事前の相互通達義務はありましたが、我々は貴方がた“帝國”を信用出来ない。我ら<大協約>が与える、寛大なる1週間の猶予。その途中で襲ってくる可能性が高いであろうと」

 傲慢極まりない言い様であった。
 日本側の随員達は表情を変えていた。が、特別大使は表情を変えなかった。
 一言だけ、告げた。
 残念ですな、と。


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