『平成日本召喚』27


――1

「コレが<会合>の総意と云う訳かね?」

 深夜の執務室にて平成日本の宰相は、差し出された書類に目を通しつつ漏らした。
 F世界への転移に伴う執務の激化を物語る様に、その面貌は険しく、瞳には疲労の色があった。

「はい」

 そう答えたのは初老の紳士、<会合>の実質的な取りまとめ役を務める博士であった。
 この場に2人が居る理由は、公式には近代欧州に於ける外交交渉史の研究で名を成している博士が、
<大協約>諸国との交渉を前に、助言を求められて――と云うものであった。
 だがそれは、副次的なものだった。
 主目的は<会合>の結論の報告であった。

 机の上に書類を放り出す宰相。
 その表紙の一番上には、[生存を目的とする、日本の行動指針に関する考察]と書かれていた。

 F世界への転移後、場当たり的な行動を行ってきた平成日本であったが、<大協約>諸国との本格的な接触を行うにあたって本格的な行動指針が必要となった為、急遽、練り上げられたものだった。
 その内容を一言で言うならば、海洋国家の戦略であった。

「………直接的な大陸運営には乗り出さぬのか?」

 保守派であっても、日本人としては典型的な形で戦後民主主義に関する薫陶を受けていた首相は、安堵する様に呟いた。
 日本が必要とする資源の輸出元へとは、ある程度は干渉しても、直接的な統治に関わる様な事は行わない。
 書類へは、そう明記されていた。

「無駄、ですからな」

 首相の感傷を、バッサリと切り捨てる様に断言する博士。

 <会合>が平成日本の行動指針として打ち出したのは、正に海洋国家の戦略であった。
 海を主軸に物流を支配し、その中で経済圏を確立させる。
 日本は輸出入を必須としていたが、その経済は内需主導の為、現時点で無理に輸出をする必要は乏しい。
 更には、莫大な国内生産力の消費先として、既に日本本土の3倍を越える規模の土地、神州島を入手しているお陰で、当面の間は看過する事が出来る。
 全くの手付かずな状態に近い為、手間ではあったが、それ故に大量の生産力を消費するのだ。
 お陰で、当面の間は輸出を考える必要性は乏しいだろう。
 これは即ち、海外市場としての植民地を作る必要性が極めて低い事を意味していた。

 ダークエルフ族からもたらされた情報からも、経済や文化的な差異から、かつての“帝國”とて、邦国の経営に苦慮していた事が判っていた。
 と云うか、そもそも日本国内で生産している高度技術集約型の生産物は、電源や整備システム等の、インフラがロクに整っていない場所ではガラクタと変わらないのだ。
 技術漏洩の防止以前の問題だった。

「単刀直入に言いいますと、コストパフォーマンスが悪すぎますから。帝国時代の朝鮮や満州経営がどれ程に赤字だったかは、考えるまでも無い事ですし」

 植民地を作りその維持運営をするよりも、そこの国家から適正価格で購入した方が楽である、と。

「売ってはくれるのかね?」

「売らせます。その為の覇権です」

 博士の口元には、酷薄な笑みがあった。
 それは博士のというよりも、その博士を唆し、魂を売る契約を結ばさせる悪魔の笑みだった。

「統治はしません。が、支配はします」

 物流を支配し、そしてそれを司ると云う。
 軍事力を背景とした覇権であった。

 そもそも、日本は国内の資源に乏しいのだ。
 海外からの輸入があって、はじめて工業は回る。
 故に、それだけは死守すべき事であった。

「まるでアメリカだな」

 呆れた様に首相は呟いていた。


――2

 日本の世界戦略の基本が固まった事に伴い、自衛隊へ、この世界へと適応する為の組織再編が求められる事となった。

 国防の面で神州島を含めた日本近海での防御体制の確立する事と同時に、F世界への転移に伴って発生した失業者対策が望まれたのだ。
 具体的には、失業者の一時的な雇用先として陸上自衛隊を活用させろと云う話であった。
 雇用に関しては言うまでも無いだろう。
 未来どころか明日の食料すらも危ぶまれる状況で、失業者が暇を持て余す事での治安の乱れを警戒しての事だ。
 又、陸上自衛隊の装備を整える事での波及効果、重工業に対する仕事の斡旋を狙うと云う面があった。
 突如として、広大な領域の防衛を担当する羽目になった陸上自衛隊は、悲鳴を上げる羽目に陥っていた。

 そんな陸上自衛隊の苦境だが、海上自衛隊も航空自衛隊も手伝える状況には無かった。
 此方にもそれぞれ、要請が出されていたのだから。
 航空自衛隊に関しては単純だった。
 彼我の装備の差や、規模等と、頭の痛い問題はあったが、それでも今までの日本本土へのそれを、
ある程度はそのまま拡大すれば何とか出来るのだから。
 問題は海上自衛隊であった。
 それまでの、日本近海での制海権の確保さえ行っておれば良かったのが、これが数十数百倍にも膨れ
上がったのだ。
 単純に広くなっただけ等と言える筈も無かった。



「頭の痛い話だよ」

 防衛省内部での、喫茶店では、難問を押し付けられた3自衛隊の若手スタッフが息抜きに集まっていた。

「海自はまだ良いだろ? フネを作れば何とかなるだろうが」

「馬鹿たれ。フネを動かすには人手が要るんだぞ? 一度に何隻も建造したって、人手の方が手当て出来んわ」

 それに、救難やら臨検なんて求められても困ると愚痴る海上自衛官。
 陸上自衛官もため息を漏らす。

「それでもまだマシだ。ウチは有事の治安維持を求められてるんだぞ」

「国内のか?」

「だったらまだ気楽だ。同じ日本人同士だ。話せば判るだろうさ」

「じゃぁメクレン(メクレンブルク王国)か?」

「いや、アッチは国がしっかりしている」

「神州島?」

「人も居ないのに、治安維持も糞も無いさ」

 考えられる先は、その2つ。
 その2つとも否定され首を傾げる海上自衛官と航空自衛官。

「ガルム大陸だ。アッチから輸入する物資の集積所へ人を出す事となった」

「アレはボルドーって王国が携わるんじゃ無かったのか?」

「無理。どうやら王国には物資の集積するに足る場所が無かったそうだ」

「………まぁ、4桁の万単位な人間の食料だしな、確かに」

 かなり発展しているボルドー王国では、一時貯蓄とは云え数千万人分の食料を設置保存出来る様な場所など無かったのだ。

「今の所、場所は策定されてはいないが、まぁ連隊規模で人を出す羽目になりそうだよ」

「部隊への失業者受け入れもあるのに、か。お疲れ」

「ああ。同情してくれ」

 悄然と肩を落とした陸上自衛官。
 昔と違い使用する装備装具のテクノロジーが上がっている為、陸上自衛隊の普通科(歩兵)にも又、他の自衛隊同様に高度な教育を必要とするのだ。
 頭数だけが増えるのは、正直、面倒事意外に言い様は無かった。


「只でさえメクレン向け部隊の増強に四苦八苦しているのに、これ以上は勘弁してほしいぞ」

 国内生産力の消費の為、ある程度は装備を整える事も必要だが、今の陸上自衛隊向けのものをそのまま流用しては、幾らお金があっても足りないと云うものであった。
 そもそも正規部隊へも、装甲車などが足りていないのだ。
 それよりも低錬度で、部隊価値も当座は低い部隊に、それを配備する余裕は無かった。
 故に従来型の普通科連隊よりも軽装の、沿岸警備や道路警備任務を主目的とする部隊の構築を行う事が真剣に議論されていた。
 自動車業界への波及効果を作る必要性から自動車化を推し進めた普通科連隊か、或いは其処から更に自動車の装備数を削った部隊――言うならば軽山岳連隊の編成すらも。
 まだまだたたき台レベルの話ではあったが、真っ当な訓練と教育を受けた陸上自衛官にとって、それは悪夢じみた未来だった。

「そう言えばアッチのほうはどうなるんだ?」

 言うまでもなく、メクレンブルク王国だ。
 此方のほうは、停戦こそ成立し護られてはいるものの、余談を許さぬ状況が続いていた。

「出来れば師団規模、最低でも旅団規模へ拡張する予定だ。周辺が全部敵だからな」

 グローバルホークが得た情報では、<大協約>第14軍団の周辺こそ大人しいが、周辺の国家では動員が行われているのだ。
 完全な装甲化部隊とは云え、1個連隊規模でしかない第1独立装甲連隊で対処するには、何とも厳しい現実であった。

「………頭が痛いな」

「ああ。ウチ(陸上自衛隊)は海外展開を前提としていないからな。即応中央集団も取り崩しだ。
物資を全部、集約する羽目になりそうだ」

「弾だけは備蓄分で何とか出来るが、それ以外は……だな」

 弾薬に関して言えば、冷戦時に備蓄した分だけでも膨大な量になっており、たかが1個連隊がどれ程に乱射しようとも、問題が発生する様な事は無かった。
 が、消費物資に関して言えば微妙となってくる。
 弾薬その他、戦闘に必須となるものに関しては、十分に備蓄されてはいたが、それ以外ともなると、なかり寂しいのが現実だった。

「民間船舶まで動員する羽目になってはいるが、な」

 物資の輸送に関しては、上手く言っているとは言いがたいのが現実だった。
 理由は1つ。
 シュベリン湾を望む位置に集結している敵性の船団であった。

 船団は帆船の集団であり、護衛艦であれば鎧袖一触程度の船の集団ではあったが、それでも輸送船舶にとっては脅威であった。
 高速の輸送船舶であれば振り切るのは簡単であったが、全ての船舶が高速では無いのだ。
 否。
 それどころか、どちらかと言えば補足、拿捕される危険性のある船舶が多いのが現実だった。
 であるが為、五月雨式に輸送船舶を動かすのでは無く、船団を組む事が決まった。
 それが、逆に、輸送の非効率化を呼んだのだった。
 船団の集結、そして運行。
 すべてが最も遅い輸送船に合わせたが為、その運行は非常にノロノロとしたものとなっていた。

「いっそ、帆船船団に殴りこむか?」

「それが出来れば苦労せんよ」

 停戦中なのだから、当然であった。





 戦闘力その他では隔絶する自衛隊であり、平成日本ではあったが、それ意外の面での制約が大きく、その能力が十分に発揮されているとは言いがたかった。


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