『平成日本召喚』23


――1

 ロベルト・メディチの発言によって停滞の打破された平成日本とボルドー商人使節団の交渉は、それまでの停滞した状況が冗談であったかの様に、スムーズに展開した。
 その最大の理由は、お互いに相手の要求ないしは目的を過大評価していた事に気付いたからであった。

 ボルドー商人使節団は、平成日本側が食料の輸入の為であればある程度の要求は受け入れる用意がある事を知った。
 更には、そのある程度と云う言葉の範疇には、ボルドー商人使節団側の求めるもの――正規の対価は無論として、更に絹に代表される日本の物産の一定期間の独占的売却権の承認までも含まれる事を知り、平成日本の窮乏と共に、その豊かさを知った。

 平成日本の側も、ボルドー商人使節団の目的が祖国の転覆やガルム大陸への出兵などの類では無く、純粋に商売関連である事に、安堵を覚えた。


 そうして平成日本とボルドー商人使節団の交渉が基本合意に達したのは、本格的な交渉に入って7日後だった。
 停滞時とほぼ同じ時間を消費していたが、その内容は実務的な事――食料の搬送や集積、或いは種類に関する事と云った実務的な事に費やされたのだった。
 但し、平成日本側の提供する物産の詳細に関しては後日とされてはたが、これに関しては、物産の選択に時間が必要である為、当然といえば当然の事であった。



「しかし、話してみれば何ですな。前半の停滞が馬鹿みたいでしたな」

 合意締結によって開かれた祝宴にて、平成日本とボルドー商人の代表たちは酒を片手に談笑を楽しんでいた。

「ですな。我々も貴方がたも、お互いを信頼しきれなかったと云うのが大きいでしょうね」

「仕方がありません。何しろ、ファーストコンタクトなのですから」

「おうおう。何ぞかは存じませんが哲学的な響きですな、閣下」

「いやいや只の横好き、雑学ですよ」

 そして沸き起こる大爆笑。
 いい具合に出来上がっている。

「しかしこのアルコール、祖父たちより聞かされた“帝國”のSakeは誠に美味ですな」

「ですから、わが国は帝国ではありませんで――」

「帝(ミカト゛)がいらっしゃるのですから、日本は矢張り帝國ですよ」

 そして沸き起こる天皇陛下万歳の声。
 音頭をとったのがボルドー商人達で、平成日本側の出席者は巻き込まれる形であった。
 最も、数度は羞恥による抵抗をしてはいたが、結局は雰囲気とアルコールによる気分高揚には勝てず、喜んでの万歳唱和と相成っていた。
 両側の人物たちも良識と見識と、そして計算高さを兼ね備えた老獪な人物達ではあったが、所属する、国や組織の存亡、或いは未来と云う重圧を背負っての交渉を終えた開放感から、かなり暢気に宴席を楽しんでいた――そんな訳では全然無かった。

 確かに純度の高いアルコールを大量に摂取していては、判断力の低下はやむを得なかったが、無論、殆どの人間にとって、それは演技だった。
 これより長い付き合いとなる相手の気性を、本音を少しでも読み取ろうと仮面を被っていたのだ。
 一部の人間は、本気の楽しんではいたが、ソレは、人選の段階で行われたカモフラージュであった。
 本気で楽しんでいる人間を盾に、お互いを観察しあう。
 それは正に、仮面舞踏会。
 だが、そんな踊り続ける人々の輪の外で、少しだけ本音で話し合っている人間たちも居た。


 方やロベルト。
 そしてもう片方は、この場に居る唯一のダークエルフであるスティーブンだった。

「既にダークエルフが組しているとは思わなかったよ」

「我々は日本と云う大樹に拠らねば、もはや存続する事は難しいのさ」

 2人の会話に、特にロベルトに緊張感は無い。
 通俗的な意味合いに於いて、世界の裏側、血と暴力によって閉ざされた闇に居るとすら言われているダークエルフを前にしてである。
 腹が据わっているから、では無い。
 この場で顔を合わせる前からの知己であったからだ。


 2人が出会ったのはロベルトがまだ10代、駆け出しの冒険商人としてガルム大陸南方を旅していた頃の事だった。
 旅先の国でクーデター騒動に巻き込まれた時に、協力しあったのだ。
 ロベルトは貴族の美姫の願いを聞いて、採算度外視で。
 スティーブンは<大協約>の影響力の乏しい辺境での生活の糧として、貴族に雇われていたのだった。

 最初は仲が良いとはとても言えなかった。
 それでも、何度もの危機を乗り越えるうちに信頼関係を構築する事に成ったのだ。

 それから既に10年近い月日が流れての再会だったが、友誼には些かの翳りも無かった。

「“帝國”では無く、か?」

「ああ。この国は“帝國”では無い。天皇陛下はいらっしゃるがな」

「そう言えばそうだな。立憲君主、ミンシュ主義と云う制度か」

「ああ。君臨すれども統治せずと云う事だ」

 一度、拝謁に賜ったが、非常に感銘を受けたと口にするスティーブン。
 調度の類には相当に金が掛けられている様子だったが、華美では無かった。
 列強の王族と違い、誠に清貧だと。

「これだけの国家を支配しつつ、か」

 ガルム大陸のみならず、交易商人として様々な列強の首都を訪れた経験を持っていたロベルトは、呆れたように口を開く。
 道こそ手狭な所もまま見られたが、天を支えるが如き巨大な建築物――ビルなるものが連り立つ様は、どの様な列強でも見る事の無い光景であった。
 <大協約>最大の経済力を誇る、ロ−レシア王国の王都ですらも、これ程の威は無かった。

「そうだ。この国では貴族すらも力を持たない」

「………貴族がか。もったいぶって出てこないのかと思っていんだがな」

 国家規模での交渉事である。
 通常ならば、国家の中枢に居る支配階層たる王族か上級貴族が出て来るのが常だったのだ。
 故にボルドー商人使節団は、平成日本も皇族ないしは上級貴族、あるいは最低でも男爵位を持つ人間が交渉の席へと出てくるものと踏んでいた。
 それが出て来なかったのだ。
 ボルドー商人使節団は平成日本側の代表の肩書きを見て、自分たちは相手にされていないのでとの危惧を抱いた程だった。

 最も、その危惧自体は、実際の交渉を始めてみると霧散したのだが。

「違う。実権が無いからだ。いや、それどころか爵位すらも無いらしい」

「俄には信じられん話だよ」

 国の中心に王がおらず、貴族すらも居ない。
 F世界に於いて一般的な統治システムへのイメージを持つロベルトにとって、それは想像も出来ない事だった。
 だが否定的には思わない。
 若くて柔軟なロベルトは、漠然とした形ではあったが、身分に囚われず、能力と努力とで偉くなれるのかと、肯定的なイメージを抱いたのだった。
 尤も日本の現実も、それ程に気楽な実力主義とは言い難い面があったが、それでも、この世界の一般的社会とでは比べものにならぬ自由が存在していた。

「頑張り甲斐があるな、スティーブン」

「全くだよ」

 平成日本は、絶対に楽園では無い。
 だが同時に、絶対に煉獄では無い。

 只の社会。
 参加するものが働き、貢献し評価され、あるいは叱責される。
 だがそれこそがダークエルフ族にとっては、楽園と同義語であった。


 少なくとも、理由も無く追われる事は無いのだから。







――2

 無事、ボルドー商人との関係を持つ事となった平成日本。
 ガルム大陸のみならず、<大協約>諸国の間でも有数の規模を持つボルドー商人の協力を得た事で、日本の食糧調達計画は円滑に行われる事となった。
 だがそれ以上に重要な事は、ボルドー商人の伝手を得て、<大協約>主要国家との外交交渉が、可能と成った事だった。

 無論停戦に伴って、<大協約>第7軍団を経由しての<大協約>中枢への外交アクセスは可能となっていたが、それ以外にも個々の国家と外交チャンネルを開こうと云うのであった。

 転移直後の混乱した状況下で行われた外交交渉とは違い、ボルドー商人とダークエルフ族の支援を十二分に得て行われるのだ。
 最初の時ほどに酷い事にはならないだろうなと思われていた。



「どうしても行われますか?」

 その問い掛けに日本国総理大臣は見事な白髪の髪を撫でて、答える。

「当然だね。先ずは交渉を。それが日本の、憲法の精神の筈だよ」

 改正された日本国憲法。
 そこには自衛意外の全ての戦争の放棄が謳われ続けていたのだ。
 確かに、如何に相手が敵意を持っているからとは云え、此方から交渉を途絶するのは、憲法の精神に反するだろう。

「それに国民も納得すまい」

 事実だった。
 紙媒体のマスコミを中心に、日本の世論を動かそうとする主張が、その紙面を賑わかさせていたのだ。

 最初の外交団が酷いこととなった理由は、お互いに混乱していたからでは無いか。
 生活水準を向上させる為の技術協力を、もう少し大々的に行えば、話が通じるのでは無いか。
 メクレンブルク王国での戦いで、此方の戦闘力を知った<大協約>側は、折れてくるだろう。
 そもそも、暴力に訴えるのは程度が低い。為政者はもう少し努力をするべきだ。

 等などと、である。
 これらの意見が、世論の大勢を占める事は無かったが、かといって無視出来る程には小さく無かったのだ。

 政府の総意としては、話せば判るとの意見は無意味であると云う方向で意思統一が成されていたが、同時に外交チャンネルを開く事で、少しでも相互理解を出来る環境――戦争の偶発的発生する可能性を下げる事の重要性も認識されているのだった。

 又、中立国を増やすことで、その国々からの物資の輸入も検討されていた。
 食料では無い。
 タングステンに代表されるレアメタルに関してであった。
 鉄などに関しては、ダークエルフ族やメクレンブルク王国などの協力もあって、非<大協約>加盟国との間で交渉が始まっていたが、それだけで、平成日本の産業が必要とする全てを賄える訳ではなかったのだから。
 出来る限り広域から。
 その視点からも、外交交渉は重要であった。

 如何に、平成日本の軍事力が隔絶しているとは云え、世界の全てを支配出来るのではないのだから。


inserted by FC2 system