『平成日本召喚』21
――1
浦賀水道。
そこは平成日本の頭脳にして心臓たる東京の表玄関であり、かつては数十万tを超える超大型船が行き交っていた海の銀座であった。
だが転移して以降は、僅かな漁船が漁に出ているだけであった。
その浦賀水道に、護衛艦むらさめの先導を受け、1隻の帆船がゆっくりとした速度で進んでいた。
マストトップには旭日旗が翩翻と翻っている。
だが日本政府の、日本国籍の船では無い。
ボルドー王国、“帝國”侯爵位を持つメディチ家の船であった。
船名はザラ。
“帝國”の技術援助を受け、メディチ家の象徴として建造された鋼製帆船であった。
艦齢既に60を超えようかと云う老婆であったが、良く手入れされたその船体には、経年劣化による疲れは見られなかった。
「これが“帝國”か!」
甲板で感嘆の声を上げたのは、身なりの良い若者だった。
東京湾入り口からとは云え、その巨大さは理解出来た。
どの列強の王都と比較しても、まだも壮大に見える都――帝都。
御伽噺で聞かされていた、その都へと足を踏み入れるのだ。
好奇心と冒険心に溢れる若者にとって、それは何とも心躍るものであった。
「流石は『眠ること無き都』と伝説に謳われただけはある……………が、些か閑散とした風ではあるか」
小首を傾げて言う若者。
その背に、老境の人物が笑む。
仕方があるまい、と。
「この都は全てが油で動いて居るのだ。今のような時に動ける筈も無かろうさ、なぁロベルトや」
若者の名はロベルト・バルディニ・メディチ。
メディチ家の若手商人の中では、最も冒険的な人物として知られた人間であった。
「竜も魔道も無しに、この都はある訳ですか」
「そう聞いている」
「………子供の頃に聞いた話では、信じられましたが、この威容を見れば、信じられないですな」
列強の諸国家で、都を動かしているのは竜による物流と、魔道による通信なのだ。
それが無いと云うのは、若者の持つ認識からしてはあり得ない、信じられない話であった。
「全てが世界の外にある。そう考えてよかろう」
「その様なもの達との交渉。大殿様は恐ろしくはありませぬか?」
「付き合ってみれば、ナニ、普通の人間だったのだよ」
そう楽しげに口元を緩めた老人の名はコジモ・メディチ、メディチ家の前当主であった。
メディチ家とは、ここ100年の間でも有数の波乱万丈な歴史を刻んだ家であった。
70年前には只の交易商人で、それが“帝國”の出現によって機を得、ボルドー王国を興し、そして、その消滅と共に王権を喪ったのだ家なのだから。
そして同時に、富豪としてもしられた一族だった。
“帝國”の対外貿易。
それを独占していたのだから。
世界に類の無い商品を扱う事で、莫大な富を築いたのだから。
だがそれ故にメディチ家は、<大協約>に狙われたのだ。
ガルム大陸北部に侵攻した<大協約>第7軍団の最終目標として。
近隣の邦国は尽く平らげられ、そしてボルドー王国は戦火を交える事なく膝を屈した。
邦国の中でも有数の精強な軍を誇っていたにも関わらず、である。
そのお陰で、メディチ家は一族郎党が皆殺しにあう事は無かったが、当時の国王の命と王位、そして国庫では無いメディチ家の財産の殆どを手放す事となったのだ。
こうして王族から一介の商人の身へと戻ったメディチ家は、没落してもおかしくはなかった(実際、<大協約>側は、そう判断して無視した)が、王家として、そして“帝國”の対外貿易を一手に引き受けた
交易者として培った資産――人脈や信頼が霧散した訳では無かったのだから。
こうして只の商人となったメディチ家は、“帝國”消滅後の混乱も乗り切って、繁栄し続けていたのだ。
そう。
今、平成日本を訪れる理由も、王権への復権よりも、商売が為であった。
かつて“帝國”は絹をボルドー商人へと渡した。
その絹の独占販売は、莫大な富をボルドー商人に、メディチ家に与えた。
だからこそメディチ家は、ボルドー王国の親メディチ家系豪商を糾合して平成日本へと向かったのだ。
メディチ家は“帝國”の身内――上級爵位を持っていたが故に知っていた。
“帝國”の弱点、その強大な国力をと莫大な国民とを護るには、国土が余りにも小さ過ぎると云う事を。
そして、この世界に出現した時には、特に食料に乏しいと云う事を。
だから自らの持つ流通ネットワークを通して、数多くの国から莫大な量の食料の手配を命じ、それを手土産に“帝國”に渡ったのだ。
無論、<大協約>に反するが故のデメリットは存在する。
列強が尽く参加し、中小国家も大多数が参加している<大協約>に反する事の危険性は軽いものでは無い。
最悪、帝國支援罪に問われてしまっては、商家の存続どころか命すらも危うい。
その事はメディチ家とて、“帝國”邦国の元王家として知悉してはいた。
故に、“帝國”復活の第一報から暫くは動く事は無かった。
再び現れた“帝國”が脆弱であり、<大協約>に対抗出来ぬ程度の弱い国家であった場合には見捨ててしまえば良いと判断していたのだ。
だからディチ家は、第1次メクレンブルク事変に関する情報をかき集めていた。
メクレンブルク王国や周辺に人を送り、更には<大協約>第14軍団からも情報を集めた。
故に、中立の立場にあったもの達の中では、誰よりも早く知ったのだ。
強大にして精強。
ロディニア大陸に於いては列強の軍すらも凌ぐ程の装備を持った戦力集団たる<大協約第14軍団>が、数的優位であったにも関わらず、完膚なきまでに敗北したと云う事を。 それも、圧倒的な寡兵で、である。
新しい“帝國”も強い。
それが判明したとき、決断は下された。
「“帝國”に組し、儲けるべし!」
食料の輸出だけでは無い。
必要であれば、彼らの世界進出すらも協力しよう。
“帝國”は、積極的に国家の拡大を図っていたのだ、この“帝國”とて同じ轍を踏む可能性は高い。
それに積極的に参加すれば、メディチ家の影響力は、更に拡大出来るであろうから。
もしかしたら、王家に戻る事も可能かもしれない。
ロベルトは一介の商人として、世間を相手に商う事に面白みを感じる若者だった。
王族も貴族も市民も、金の前では等しく平等だからだ。
だが同時に、思うときもあった。
貴族相手に商売するならば、チョイとばかりハッタリがあっても良いな、と。
そう爵位と云う。
貴族として得られるもの――立派な邸宅にも、豪勢な食事にも、優雅な服にも興味は無い。
だが、その称号が商売を楽にしてくれるなら帯びてやっても良い。
そんな若者らしい矜持を胸に、ロベルトは東京を見ていた。
――2
メディチ家を代表としたボルドー商人の来訪に、日本政府は衝撃を受けていた。
正直な話、この世界の国家は、メクレンブルク王国の様な日系の国家を除いて全てが反“帝國”、反日本が基本的なスタンスであろう認識していたからだ。
否。
日本政府のみならず、<会合>の面々、その多くも反日――とまで積極的ではなかろうとも、少なくとも日本との積極的な接触を図る事は無かろうと判断していた。
ダークエルフ族からの情報も上がってきてはいたが、それでも尚、そうは思えきれずにいたのだ。
2000年代初頭から外交の舵を、特定アジア諸国への迎合では無く対峙へと切った日本であったが、それでも、旧日本帝國の支配が云々と聞けば、どうしても警戒してしまう面があったからだ。
そういう教育を受けてきたから。
そんな表現こそ、似つかわしいのかもしれない。
「予想外、と云うべきか?」
当然だろう。
日本――“帝國”に組する事は、この世界に於いて重大な罪に問われても致し方の無い事なのだから。
だがその言葉を否定するもの達も居た。
国際政治や外交に造詣の深い参加者であった。
その事に気づいた、技術畑出身の参加者が尋ねた。
違うのか、と。
その言葉に彼らはお互いの顔を見合わせて譲りあい、そして痩身の大学教授が口を開いた。
「ナニ、簡単な理屈だよ。ああ、“敵の敵は味方”と云うね」
大学教授は、血管の浮き出た手をヒラヒラとさせて笑う。
「敵?」
「そうだ。ダークエルフ族のレポートを見たかね? ボルドー商人と総称されている彼らは、その財を洋上交易によって成り立たせている。物流だね。だが現在、海洋物流は<大協約>に属する列強諸国によって掌握されている。この状況では儲けられる筈が無い」
「その理屈は判る。判るのだが、それにしても危険では無いのか? ボルドー王国のある北東ガルム地方は、ロディニアの第14軍団程では無いにしても、有力な軍団が駐留しているのだぞ?」
「その軍団、<大協約>第7軍団が問題なのだよ。この<大協約>隷下の軍は、列強諸国から人的や経済的な支援を受けてはいるが、その予算の大部分は独立独歩だ。言ってしまえば軍閥だ。或いは中共の人民解放軍の如き連中なのだよ」
もはや懐かしさすらも感じさせる旧き隣国にして、第一の仮想敵国の名に失笑する参加者たち。
その小さな笑いが収まるのを待って大学教授は、ここまでは良いね? と問いかける。
咳払いやら頷いたりやらの同意を得た大学教授は、額をかるく揉んで、それから、手元のパソコンを操ると、プロジェクターで壁にガルム大陸北東域の略地図を映した。
「余り精度の良くない地図だが、まぁ無いよりはマシだね? さて、件の<大協約>第7軍団の主力が駐留する位置だが、北部の、小内海に面したブレストと云う港湾都市だ。レムリア王国時代には地方の寒村だったらしい。が、駐留が始まってからは相当な発展をしてね、半世紀と少しの時間で人口70万を超えた訳だ。その原動力は言うまでもなくだね? <大協約>第7軍団は主収入源として行っている交易――と言っても酷く荒っぽいものらしく、ガルム大陸での物産を安く買い叩いたり、或いは略奪したりしたものを列強諸国に売り飛ばす事が基本らしい。まぁ余談だね。
まぁそういう訳で、ボルドーは交易の中心から外れてしまっている訳だよ。うん、商人たちは頑張ってる
らしいけど、まぁありていに言って<大協約>第7軍団は商売敵な訳だ」
「その程度で………」
「うん、そうだねソレだけでは無い可能性も高いね。“帝國”が当時のボルドー王国へ独占販売権を与えた絹は、彼らに莫大な富をもたらしたそうだからね。金儲けの可能性も捨てきれないね」
何ぼなんでも。
皆が笑っていた。
それが正解、一番の理由である事に気づかぬままに。
そして翌日、交渉が始まる。