『帝國陸軍 戦車隊奮戦記』3
「・・・貴様、どこで油売っとった。」
連隊本部の天幕では、玉田が心底不愉快そうな顔をして、本部に用意された机に座っていた。
「・・・ちっと小用に。」
「なめとんのか貴様ぁ!!」
「いえいえ。・・・して、要件は?」
む、と一拍子唸ってから玉田は話し始めた。
「〇八〇〇を持って出発する。中隊ごとに準備しろ。」
「了解。」
「それから・・・残念な報せがある。陸軍航空隊の作戦開始日程が変更された。予定より遅れるそうだ。」
「そりゃまずいですな。そろそろ敵勢力圏に入ります・・・航空偵察がなくては、戦況把握に支障が出るのでは?」
彼らと同じくノモンハンで戦った陸軍航空隊、第二航空集団も、大陸残留の憂き目に会っていた。
この作戦において、航空隊は前線偵察と弾着の観測、そして制空をその役目とし、航空基地を設営中であった。
それが遅れてしまうことは、エアカバー無しでの戦闘を意味する。
「我が軍の火力は非常に充実しているが、それでも冒険的なことは出来んな。」
無理はせず、そしてさせず。それが玉田のモットーだった。
ステレオタイプな軍人ではあり、精神論も振り回すが、しかし軍人であるゆえにその限界をよく知っていた。
鉄と油と炎に塗れた、無情な戦いの中で、人間の心が出来ることなどごく少ない。
それを判っていたからこそ、軽戦車主体の戦車第四連隊を率い、戦力差の大きいノモンハンで活躍できたのである。
「しかしな、そこでだ。」
もったいぶった調子で、玉田は続ける。
「騎士団の連中が、航空偵察を引き受ける旨を申し出てきた。」
「・・・連中が飛行機なぞ、持っているわけ無いでしょう?」
「だから・・・ほれ。」
仏頂面を抱えながら、天幕の奥を指差す。
上山は、指し示された方向へ、ゆっくりと顔を向けていった。
そして、天幕の突き当りまで視界を移動させた時。上山の眼に、どう見ても信じられない光景が飛び込んだ。
そこには、一人の女が居たのだ。
軽装の鎧を纏ってはいるが、華奢な体型はまさしく女のそれである。
女は無言のまま、唖然として動けない上山に近づいていく。
近づくうち、仔細に判るようになった女の顔を見て、上山は思わず生唾を飲みこんでしまった。
微妙にあどけない顔や、陶磁器の様に白い肌、深い碧眼、燃えるような赤い髪。顔のパーツ一つ一つが見事な可憐さを持ち、それらが完璧に調和している。
舶来の女など見たことも無かった上山には、いささか刺激が強すぎるほどだった。
「れ、連隊長、いつの間に女など囲ったので!?」
さては現地妻か。上山は思った。
ちなみに玉田には、本土に残してきた美しい奥さんがいる。
「人聞きの悪いことを抜かすな!!!」
「じゃあ何なんです?」
そこで玉田はムムム、と唸る。
「すまんが、この馬鹿に自己紹介してやってくれ」
「はい・・・初めまして。ムストラント空中騎士団分遣隊のラシェンです」
可愛らしい仕草のお辞儀を呆と見てから、慌てて上山も挨拶をした。
「あー、第二中隊の上山です。どうぞよろしく。」
「はい!」
「連隊長、この娘は一体全体・・・」
「彼女は天馬乗りだ。平たく言えば空飛ぶ騎兵だな」
「天馬?」
「こう・・・馬に羽がついたような奴だ」
手をひらひらさせて羽ばたきの真似をしながら、玉田が説明する。
困りようがにじみ出る声色だった。
馬は地上を走るもの。
それが空を飛ぶとは・・・
「この様な娘が・・・」
まだ少女といっても差し支えないような女性が。
本当に、よくわからん世界に来たものだ。そう、上山は思った。
「高所から偵察し、前線部隊に情報を伝達するのが仕事だ。
どこにでも着陸でき、素早く離陸できる。」
「そりゃ凄い。・・・よく許可しましたね」
上山はむしろ、今まで面子やプライドを重んじる性質だと思っていたこの連隊長が、この様に他組織との連携を考えていることに感心していた。
「我が陸軍の航空隊が使えんとなれば、面妖なれどこの様な連中に頼るしかなかろう」
いやホントは使いたくないが、と言いそうになったのを、玉田は何とかこらえていた。
不躾な言葉に、ラシェンは一瞬ムッとした顔になって、慌てて取り繕った。
上山が横目で見ていたからである。
「敵側も同じような航空戦力を繰り出してきますかね?」
そ知らぬ顔で、上山は会話を続けた。
少しだけにやけた顔を、ラシェンは見て取った。
「知らん・・・が、万が一、ということもある。
誤射を防ぐために、馬には日章旗を結わえ付けてある。
ちゃんと識別しろよ。誤射で撃墜、なんて事があったらただじゃおかんぞ。
通達することは以上だ、行け」
「了解しました・・・では、他にないようなら。」
「おう、早く行け」
「では、失礼します。」
猫背を精一杯伸ばした敬礼。玉田の返礼の後、上山は踵を返して天幕を出て行った。
玉田は一層渋い顔をして、大きくため息をついた。
「なんだか、軍人には見えない方ですね」
天幕を出て行く上山を見送ってから、天馬兵はポツリと呟いた。
「普通の人と変わらないですもの。笑ったり顔を赤くしたり・・・」
「そうかな・・・」
率直過ぎる人物評に、玉田は困惑する。
「まあ、本土で漁でもやってたほうが似合う男だがな。」
自分で言ってから、想像して思わず笑ってしまう玉田。
帰れなかった玉田は、やはりふとした拍子に本土のことを考えてしまう。
異世界の帝國で、果たしてマグロは食えるのだろうか。
寿司が大好きな玉田にとっては、重要な懸案の一つだった。
「じゃあ、私も出発準備に取り掛かります。失礼します。」
「わかった、行け。」
ラシェンも天幕を出て行った。
そろそろ、連隊の天幕も引き払う準備をせねばならない。
「・・・よし、俺も行くか」
座っていてもしょうがない。
玉田は腰に力を入れて、まだ見ぬ戦場へと向かうために立ち上がった。
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「おー、飛んどる飛んどる」
一切の荷物をまとめ、再び進軍を開始した戦車第四連隊の上空を、一頭の白馬が通り過ぎてゆく。
その下腹には、白地に朱丸の日章旗が結わえられていた。
白馬には、その体色と同じ、真っ白な翼が生えていた。
「正に異世界、という感じだな」
空には天馬、地上は幾らか起伏のある、見渡す限りの草原。
日本では絶対に見られない光景であった。
上山が見上げる最中、天馬はふわふわ飛んで、小高い丘の向こう側へ消えていった。
「中隊長、連隊からの通信ですが、他部隊の天馬が敵部隊を発見したそうです。」
前方機銃手兼無線手の宮平伍長が、エンジン音に負けない声で言った。
中隊長車には、遠距離通信可能な短波無線機が装備されていて、遠く離れた連隊本管との通信も可能であった。
「よし。各小隊、まとまって丘を越え・・・あれ?」
先ほど消えた天馬が、慌てた様子で再び飛んできた。
そして、最前線を走る戦車を、見るや否や急降下し、直前でふわりと着陸してのけた。
「ご苦労、第二中隊の上山だ」
自己紹介はしていたが、いざとなると改まってしまうものだ。
「て、敵です、敵が」
慌てた様子で可愛らしい天馬兵がまくし立てるのを、上山は上手く制して言った。
「判った判った。敵の数とかは?」
「・・・ざっと数えて五百は。」
「歩いてる奴だけ?」
「はい・・・騎兵も幾らかしか・・・」
敵は小規模。
この世界での初陣を飾るには、いささか無難すぎる相手ではあるが。
「本管はなんといっている?」
「連隊本管より、攻撃を許可する・・・だそうです。」
「よーし、各小隊、戦闘だ。まとまって丘を越えるぞ」
「「了解!」」
外に出ていた戦車の車長たちが、バタバタとハッチの中へ消えていった。
随伴歩兵隊もちょろちょろ移動を開始した。
戦車に随伴する歩兵の重要性には、相当なものがある。
これも、ノモンハンの教訓だった。
「いよいよだな・・・」
「あ、あの」
ラシェンが困った様子で問うた。
「私はどうしていれば・・・」
「・・・適当にやっててくれ!」
紋切り型にそう言うと、上山は軽戦車のハッチを閉じた。
「全く、調子が狂う・・・」
上山は一人ごちる。
不思議なものだ。この様な娘が空飛ぶ馬に乗って、最前線を駆けている。
展視孔から覗く外の景色は、ひどく狭い。
上山はここから見える風景を見る度、自分がどんな立場にいるのか思い知らされる。
「前進するぞ!」
叫ぶ。戦うために一歩踏み出す。
彼らはまた、その地へ帰ってきたのだ。