『帝國陸軍 戦車隊奮戦記』1


晴れやかな五月の陽気にふさわしい、さっぱりとした風が吹き抜ける。
青々とした背の低い草花は揺れるたびに太陽を照り返し、瑞々しい碧の波は広い海を想起させた。
空は貫けるような快晴。どこまでも続く平原。
「大陸」の春は、日本とはまた違った、雄大な美しさに満ちていた。
カーキ色の軍服を纏った兵士達は荷馬車に乗って、広大な平原に刻まれた細道を進んでいく。
その横を、草の背が低い地帯を選んで走行するのは、大日本帝國陸軍が誇る機甲部隊、モータリゼーションの波が生み出した時代の寵児達だ。
その主力は、不整地を物ともしない走破能力と快速を併せ持つ九五式軽戦車である。


「いい天気だなあ」

中隊長車(無線のついた指揮車両である)のハッチから身を乗り出して、戦車第四連隊第二中隊長、上山大尉はため息をつく。
直列六気筒ディーゼルエンジンがけたたましく嘶き、上山の耳を苛んだ。

「満州とはまた違う感じだ」

視界は非常にゆっくりと動く。
歩兵を乗せた荷馬車に随伴しているからだ。
戦車第四連隊と行動を共にする歩兵第二六連隊と第七二連隊が保有する車両は、ごく少ない。
装軌車両は背後に随伴する砲兵部隊にまわされていた。
履帯が大地を踏みしめるたび、振動がゴトゴトと響く。辺りを見回せば、目に入るのは一面の草原と戦車。
大平原を征く戦車隊は壮観ではあったが、上山は憂鬱だった。

『諸君!我が連隊は新大陸の大沃野への一番槍の誉れを授かった。
諸君らは再び広大な新大陸においての戦いに身を投じることとなる。
各自戦車兵精神を遺憾なく発揮し、我が皇軍の威光を知らしめるのだぁ!!!』

エンジン音をバックに、連隊長、玉田大佐の訓辞が脳裏にリフレインする。
喜色満面でスピーチをがなりたてる、熊みたいな大佐の顔を思い出すたび、上山は何もしていないのに疲労困憊した気分になった。
ふと、少し距離があるが、並走している荷馬車から歌声が聞こえた。

俺は日本のつわものだ

選び出されてきたからにゃ

正義に向かう 敵兵を

撃ってこらさにゃ二度とまた

御国の土は踏まないぞ・・・

荷馬車の兵士全員で音頭を取って歌っていた。時たま調子をとって、荷馬車の御者がぴしゃりと鞭を振るう。
野太い声に悲壮感を覚えたのは、気のせいではないのだろう。上山はぼんやり思う。
彼らもまた、再び征く者達なのだから・・・


帝國陸軍 戦車隊奮戦記


「いや、これ懲罰人事だろ・・・」

四月のある日。第四戦車連隊の仮駐屯地。
いきなり召集を受け、連隊長の訓辞を受けた上山の第一声である。

「なにぃ!?」

ぼそりと、僅かに口を動かしただけの一声であったが、地獄耳で知られる玉田大佐の耳からは逃れられなかった。
玉田はつかつかと歩み寄って、子供が見たら確実に泣き出す表情で上山をにらみつけ、至近距離で怒鳴りつけた。

「ノモンハンに引き続いて、この新大陸における戦闘任務をも命じて下さった陸軍、ひいては大元帥閣下のお心を理解できぬとは、貴様それでも帝国軍人か!?」

輝く唾が上山の顔面に飛来する。避けられる筈もなく、甘んじて唾を浴びながら直立不動する他なかった。
鉄拳制裁がないのはこの人なりの気配りなのだろう、と上山は思った。

「貴様は全くもって気合が足りん、根性もない!何故戦車将校になれたのか不思議な位だ!!」

口角泡を撒き散らして、説教は続く。
時折「わかるか!?」などの問いが来るので、「はいっ!!」などと相 槌が打たれる。威勢のいい返答をしながら別のことを考えるスキルを、上山は持っていたのだ。
他の中隊長は、あるいは憐れみの眼で、あるいは侮蔑の念をこめた眼でその一方的なやり取りを観戦していた。

「皇軍兵士が」「貴様それでも」「卑しくも大元帥閣下の」を三回位繰り返し、やっと開放された上山はつかれきった足取りで自分の中隊へと戻った。

「あ、中隊長!」

忙しそうに歩き回っていた部下の副中隊長が、上山を見るや慌てて姿勢を直し、敬礼した。

「あー、楽にしてろ。」

「は、はあ。」

楽にしろ、と言われても休めの体勢をとる副中隊長はまだ年若い少尉だった。
その背後の天幕には中隊の戦車が並べられている。

「全部完調?」

「はっ!」

「定数は?」

「丸々一個小隊分足りません。」

「人員は?」

「うちの中隊は去年のアレで損害二台、六人やられただけです。」

定数に満たない部隊編成はここでも健在であった。

「小隊につき軽戦車三両、二個小隊分と中隊本部に二両で合計八両か・・・」

第四戦車連隊は九七式中戦車の配備の遅れから、未だ全戦車が九五式軽戦車である。
五つある中隊のうち第五中隊は八九式中戦車で構成されていたが、去年の戦闘でほとんど全ての車両を喪失していた。

「たぶんその内補充がくるだろうから準備しとけ。忙しくなるぞ。」

「了解しました!」

姿勢良く歩いていく後姿が、猫背の上山にはことさら格好良く映った。

「若いって良いよなあ・・・」

ぼやきながら「誉」に火をつける上山はもうすぐ三十代後半である。
手近な戦車に腰を下ろす。
連隊長が見たら怒り狂うだろうが(「天皇陛下から賜った装備に・・・」)、真面目な副中隊長のいない今、少なくともそういうことにうるさい士官は見当たらなかった。

「また前線送りか・・・」

大陸の風に揺れる紫煙を眼で追いながら、上山は思索に耽る。
「あの七月」からまだ一年も経っていない。
支那派遣軍も、朝鮮の第十七方面軍も、関東軍も、みんな本土へと帰ることが出来た。
彼らだけが、半ば懲罰として異世界の大陸に残り、今再び戦場へ駆り出されようとしているのだ。
鉄と火が唸るあの世界を、上山は思い出す。
夜闇に灯るかがり火となって燃え尽きた仲間達を。一瞬にして鉄の棺桶となった彼らの武器を。
そして上山は想像する。
再び立つ戦場の、異世界の戦場の光景を。




「おっ!」

大きな質量が停止する時の僅かな慣性によって、上山は回想から引きずり出された。

「おお、あれがこの世界の軍隊か!」

「あの天幕を見ろよ、鮮やかな色だなぁ」

戦車から顔を出した兵達は、目の前の光景に驚きを隠せなかった。
大草原に、朱や青や橙、とりどりの天幕が無数に建っている。
草原の緑と相まって風景画のような美しさをかもし出すそれらに、小高い丘を超えて戦車は近づいていく。
天幕の住人達も戦車隊に気付いたらしく、天幕と天幕の間で戦車を指差して何か騒いでいた。

昭和十四年七月始め、日本列島と大陸派遣の日本軍は突然この「世界」に召喚された。
奇しくも日華事変の最中、しかも満ソ国境ではノモンハン事件の真っ只中。
混乱の収拾のため、支那、関東、朝鮮の各大陸派遣軍はその部隊の全てを翌年三月までに撤退させた。
ノモンハン事件における、日本軍が被った大損害の責任を追及されることを恐れた関東軍上層部は、直接戦闘に関わったノモンハン展開部隊をスケープゴートにすることによってそれを解決した。
新大陸への在留、そして現地において日本が接触に成功したムストラント王国との同盟、生存圏確保のためと称し、北方の王国と戦争状態に陥ったムストラントへの軍事的支援、その先鋒としての派兵。
その全てをノモンハンの陸戦部隊とその支援をした陸軍第二航空集団に課したのだ。

荷馬車列の先頭を走っていた六輪乗用車が停車し、一人の将校が降りた。
将校の名は安岡。
異世界派遣の貧乏くじを引いた元「安岡支隊」の隊長である。
それに呼応するように、一際立派な彩色の天幕から、一人の壮年が歩み出て、野太く、それでいて凛とした声で名乗り上げた。

「ムストラント聖堂騎士団長、ヴォルフラムだ」

天幕の周りにいた兵士達が震えるほどの、凄みのある声だった。

「新大陸派遣軍、第二支隊の安岡だ」

安岡中将もドスのきいた声で名乗る。

「我が支隊は聖堂騎士団と協同し、北方魔導王国攻撃の先鋒にあたれと命令されているが」

「こちらも国王陛下から話は伺っている。
・・・目的地まではまだ遠く、我が兵は疲れている。
今宵はここで野営する。」

「了解した。我々もそうさせてもらうことにする。」

なんとなくギクシャクしたやり取りだったが、とにかく部隊のやることは決まった。
上山は足取りも軽く、いの一番に戦車から降りた。その後に、のそのそとハッチから這い出る前方機銃手と操縦手が続く。

「よっしゃー、露営だ露営だ」

「嫌に嬉しそうですね、中隊長・・・」

設営が一通り終わったころには、空に星が出ていた。
露営といっても「勝ってくるぞと勇ましく・・・」の様な暗さは無く、いたって和気藹々としたものである。
喪失車両の補充も出発前に行われ(それでも定数に満たない部隊があったが)、食料は潤沢、連隊弾列には弾薬を満載したトラックもある。士気も自然と高くなっていた。が、しかし。

「帰りたいなぁ、本土に・・・」

ぽつりと呟いたのは、上山車の操縦手、国坂軍曹だった。
飯盒炊飯の焚き火が、草原のそこかしこを紅に染め上げている。
揺らめく炎に、思わず郷愁をそそられる兵士が居ても無理は無い。
事実、同じ焚き火を囲んでいた兵士達も、何人かは感慨深げに頷いている。

「この戦いが終わったら、帰れるさ」

「ぎゃっ!!」

いつの間にか背後に居た上山に、全く気付かなかった国坂は仰天した。
上山はどこから持ってきたのか、数本の大瓶を抱えていた。瓶は透明な液体で一杯だった。

「・・・中隊長、それ・・・」

「あ、これ連中の。」

そう言って、騎士団の天幕を指差す上山。

「いいよなあ、あいつら。酒樽で一杯の天幕もあったし」

「そうじゃなくて・・・どうやって持ってきたんです?」

「酔っ払った奴に頼んだらくれた」

「・・・・」

つまるところ、上山はこういう人間だった。
社交的というか何というか、堅苦しいところの全く無い、陸軍の将校としてはかなり珍しい性格をしていた。
軍曹と言っても年若い国坂は、自分がイメージしていた「日本陸軍の上官」と彼のギャップに、狼狽することもしばしばだった。

「中隊長・・・陸軍の将校としてそれは・・・あれ?」

そう言いかけた時には、すでに上山の姿は無く、振り返れば、国坂と一緒に火を囲んでいた兵士達は一直線に騎士団の天幕へと走り出していた。
彼らも酒を探しに行ったのだろう。

「あ、あいつら・・・」

そう言ってはみたが、もう遅い。
一人になった国坂は、思い切り大きなため息をついた。
焚き火のほかに、幾らか篝火も灯っており、歩兵銃を担いだ警衛がその火に照らし出されていた。
そこかしこに建てられた陸軍支隊の天幕も、王国から譲渡された物である。
噂には、戦車と砲兵による派手な演習を王国に見せつけ、半ば脅し取るように貰いうけたらしい。
落ち着いて考えれば考えるほど、非現実さに頭がくらくらする。
やがて、騎士団の天幕の方向から、歌が聞こえてきた。

天に変わりて不義を討つ

忠勇無双の我が兵は・・・

どうやら酒を探しに行って、そのまま意気投合してしまったようだ。
国坂は、それ以上考えるのを止めてしまった。面倒になったのだ。
夜がゆっくりと更けていく。
満天の星が、二つの国の兵士達を見下ろしていた。


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