『唄う海』58


『なんとか生き延びた、な・・・』
艦に響き渡る歓声のなか、小値賀がひとりごちる
『よぉっしっ!!おい貴様ら、うかれとらんで艦の損害報告をせんか!見張り、配置戻れ!』
ぱしっと両手で両頬をうち一支が艦長としてとるべき態度を復活させる
『ニーギ達の回収に行ってきます!』
五島はそう告げるとダッと艦橋から出ていった、心配でたまらなかったのだろう
『前方に黒煙!いえ・・・なにか燃えています!』
黒煙という言葉に皆がギョっとする、燃えているとの付け加えに胸をなで降ろして、なんだろうと双眼鏡を構えた者は、その光景に絶句した
『扶桑が・・・燃えている・・・』
折れた艦橋に、あちこちに見える被弾の跡。帝國の戦艦が絶対無敵であると大陸に居たからこそ思い込んでいた筑紫乗員の多数には衝撃的な光景だった(筑紫が見たのは総員退艦後という事と実際の被害状況は今は知るべくもない)
『志摩さん!』
『うん?』
ミスミが艦橋へ飛び込むように駆けてきた
『大和だ!大和が居るぞ!』
『第一艦隊!なぜもっと早く・・・!』
艦橋がいっそうざわつく中に二人は溶け込む
『虫はあれで終わりじゃありません!』
『どういう事です?』
『それは・・・わかりません』


『わからない?』
『多分、ニーギさんやターニャさんに聞けば同じ違和感を感じたとおっしゃるはずです』
『ふむ・・・』
歌に関しては彼女達が専門だ、あれこれ言う立場にないが
『だから何をしろ、と言ってくれると実はありがたいんだがな・・・』

ドゴーン!!!ドゴゴゴゴ!!!

大音響が二人の会話を中断させる
『扶桑が・・・』
大和の主砲弾を受け大爆発を起こして三つに割れて、沈んでいく
『あの・・・』
『・・・すまん、少し黙ってくれ』
志摩が扶桑に向けて敬礼を送る、それにならってか、一人、また一人と敬礼を送る。船体が裂けた扶桑が沈むまで、そう時間はかからなかった
『偵察機を放ってもらうよう、小値賀さんと諮って具申はするよ、でも実行されるかはわからない』
前にも何度か述べたが、地上基地か、格納庫をもたない艦からは水上機が撤去されていた、雨ざらしのため整備等の面で問題があり、壊す為に積んでいるより、一機も無駄にしたくない。というよりかは貧乏性が底にあってそれは行われていた
敬礼を降ろした志摩が言ったのは彼自身に出来る精一杯の事だ
『はい・・・』
『それから』
うなだれるミスミの頭を撫でる
『よく頑張ったね。凄いよ、君は』


一方ニーギと五島、そしてターニャは甲板で扶桑の最期を見送っていた
『いい艦でした、音が程よくのっていて・・・もう、あの曲を聞くことは出来ないんですね・・・』
ターニャがぼそり、ぼそりと呟く
『ゴトー・・・』
『ん?』
『あの艦歌ってる、物凄く悲しい音で』
沈んでいく鋼鉄の軋む、悲鳴のような、嘆きのような音、ニーギはそれを感じ取っていた
『さようならって・・・言ってるんだろうな』
それは、五島にも感じとられた、生命が宿っているという訳でもないというのに
『ゴトーはもう三度もニーギにさようならしたんだから、四度目は、絶対にやだからね!』
一度目は出会いの時、そして疫病での二度目、三度目は今さっき
『ああ、ごめんな』
肩に手を置いてニーギを抱き寄せる
『ねぇ、ゴトー。あの虫さん達、実は最後おかしかったと思うの。ターニャちゃんは、どう?』
ニーギがそのままの姿勢で聞く
『それは私も感じました。では、私だけじゃなかったんですね・・・なにか、急に目的意識を無くしたような』
頷いて頭を傾げるターニャ
『そうか・・・考えられるとしたら、奴らの本営で何かがあった。か?』
『調べた方がいいと思う・・・何か物凄く悪い予感がするの』


『二人とも同意見か』
上申のため五島が艦橋へと足を運ぶと、すでに志摩が小値賀へと同じ要請をしていた
『通信機械が回復していない現状だが、だからといって手旗で具申する訳にもいかぬ。人を送るしかあるまいな・・・五島君、ニーギ君達三人と共に行ってくれるな』
志摩と五島二人を見て小値賀が告げる
『私も行きましょう、あの国について多少なりとも知っているのは私だけです!』
志摩がこう言うが、小値賀は一喝して取下げる
『馬鹿な事を言うな!君は無理をし過ぎる。今は体を休めたまえ!』
ここまで隊に被害を受けていては、撤退命令が下るだろう。報告後は主力に任せておけばよい
『しかし!・・・あ』
はらりと制服から紙切れが落ちる。写真だ。ミスミがそれを拾いあげて、一瞬硬直してから志摩に返す
『どうぞ』
『ありがとう。とにかくこの際情報を持つ人間は何人でも待機させておくべきです!』
ミスミのちょっとした変化に気付く事なく小値賀へ志摩が噛み付く
『写真の御内儀の所へ帰ってやりたまえ!半死人まで活用するほど、海軍は堕ちてはおらん!』
正直な所、飛行艇でも呼んで他の負傷者と共に内地送還されてもおかしくない。情報を保持しているなら、なおさらだ


『大丈夫です、志摩さんが居なくても』
『っ!?』
いきなりのミスミの言にさらに言いつのろうとしていた志摩が詰まる
『あの国については、私自身住んでた事ですし、あの虫に関しては誰よりも知識があります』
王宮からほとんど出たことないけれども
『ですから、必ず帰ってあげてください、奥さんの所へ』
『少佐、ミスミさんもこういっておられるんだ。意地はっとらんで、帰りたまえ、彼女の顔まで潰す気かな?』
小値賀は年の功かミスミの言わんとする事がわかったらしい
『志摩さんの左腕の代わりはちゃんとしますから』
ここまで言われては、折れるしかなかった
『・・・わかりました。お言葉に甘えます。ミスミさん、連れて来た以上あなたへの責任は私にあります・・・左腕を二度も失いたくはありません、無茶はしないように、いいですね?』
『勿論です』
にこりと笑って返事をするミスミ、感づいた人間が見れば、非常に痛々しい笑みだ
『それでは・・・お願いします』
一礼をしただけでふらっと身体がよろけてしまっている。これには本人も驚いたようだ
『たしかに、ざまぁ、ないですね、気を抜いたらこれですよ、ははは』
そう言い残して付き添っていた軍医に連れていかれる


『・・・五島、カッターをすぐに準備してやる、それに乗っていけや』
場の空気を変えるように、一支がそう言って準備を始める
『は、はい!ニーギ達も着替え終わってることでしょうし、呼んできます!』
五島はそう言ってまた出ていった、他の乗員もあたふたと仕事を見つけては散っていく 『辛いな、片思いというのは』
『私は・・・あの人の左腕の代わりとして、誠心誠意、全力で仕えるだけです』
『そうか・・・』
小値賀とミスミのこの会話が全てを物語っていた
『本土への航路選択、でよろしいですか?司令』
対馬が問う
『おそらくは、な、虫に対しての被害算定や調査は本土で徹底的にしたがるはずだ、大和の方へ人員派遣の連絡は信号員、きちんとしておけ』
何事も対策は本土優先、これだけは変わらないだろうな
『はっ・・・!』
信号員が手旗を振るあいだ、周辺の海域を見渡せば、帆船の大集団や第一艦隊の艦船で騒然としている
『どう、決着をつけるつもりなのかね、上は』
ここまでの大事になって、収拾がつくのだろうか。


三十分後
『松浦中佐!?よくご無事で!』
『五島君か!無事だったか!』
大和の登舷でばったりでくわしたのは、扶桑に乗っていたはずの松浦中佐だった
『志摩君はどうした?こういう時に馬鹿みたいに責任感がある彼なら来ると思ったが』
後ろを眺めて知った顔を探す
『負傷なされて・・・命に別状はないのですが、軍人としては、もう・・・』
五島の顔が曇る
『そうか・・・近郊の二式大艇隊全てがこちらへ向かっている、ひどい負傷者はそれで移管する事になったから、それほどの負傷ならそれで運んでもらうことになるだろう、足りるか怪しいがな』
第一艦隊内で困ったことに負傷者への対応が飽和してしまっていた。かといって負傷者や艦を失った者を乗せた艦をいちいち戻すのも手間だ、帝國海軍初の大量死傷者にとまどい、出来得るかぎりの手を尽くした結果。二式大艇隊の泥縄の大動員そんな所だ

『中佐は、どの艦へ?』
『いや、私はこれから停戦交渉だ、列強と戦う意味は、もう無くなった』
『っ!?それはどういう』
『対馬丸事件の犯人は、ヴァイスローゼンの手の者による犯行だった。戦う相手を、間違えていたのだよ、我々は』
薄々気付いていたとはいえ聞かされると衝撃だった


『そっちはなにがあったんだ?』
あとはヴァイスローゼンを列強と帝國双方か、どちらかで滅ぼせばこの局地紛争は終わる、その予定だ。第二十一根拠地隊は計画では帰還命令が出される手筈になっている、わざわざぞろぞろと報告に来る事は・・・
『以前、陸さんの航空隊を行方不明にした奴らと交戦しました。こちらも海防艦2隻を失い・・・なんとか。それで確認したいことがあるので報告も含めて、偵察機を貸していただきたく。ここに来た訳です』
例のヴァイスローゼン唯一の不確定材料か
『わかった。あとで詳しく聞かせてくれ、先方をあまり待たせるとまずい。しかし、貴様の情報、切り札になるやもしれん』
『はっ!』
登舷を松浦が降りていくのを見送って、五島たちも大和艦内へと入っていく


いまだ危機を知らぬまま、列強と帝國は戦いから別の局面へと移ろうとしていた


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