長崎県人『唄う海』55


ハマの街の方向から、黒い霧のようなものが湧きあがって、こちらに向かってきているのを最初に見つけたのは、単縦陣の一番先頭、筑紫の艦橋後部見張り員だった
『あれは・・・雲か?』
報告に迷う、なんと伝えたらよいものやら、あれほど沸き上がる霧や雲といったものは、いままで見た事が無い
『六時上空、注視されたし!』
ならば他の見張りだったらどうだろうか?狭い艦だ、艦長らの耳にも声が入るだろう
『なんだ!?何か見えるのか!?』
艦長の一支自らが、デリックに出て来て双眼鏡を構える
『・・・なんだ、ありゃ?雲か?にしては、いや、ずっと早い!こっちに来る!』
『艦長、操艦をたのむ、隊に命ずる、対空戦闘用意』
『異常事態とは言え、まだ早いのでは?』
小値賀が下した命令に静かに対馬が反駁する
『恥ならいくらでもかける、何も無ければそれでよい』

ブーーーン

航空機の爆音、ニーギ達が学校で聞かされている二式大艇の爆音のような、どちらかというと重低音が響いてくる
『音探!似たような音は無いか!?』
五島が伝声管に叫ぶ
『ありません・・・ただ』
出たのはニーギでは無くターニャだった
『ただ?』
『蜂のはばたく音に似てるとニーギさんは。』


『蜂・・・だって?』
ある虫の生態としてまず例に蜜蜂をあげたい、彼等が外敵、たとえば、あの凶悪なスズメバチを彼等が撃退するのに使用する方法だ。
彼等は数十匹の蜜蜂でスズメバチを取り囲むと羽根を羽ばたかせる、本来は巣を温めるが為の能力で高周波を放つ、するとスズメバチは死んでしまう、囲んだ蜜蜂の数匹も共に
『電探不調!』
『なにぃ!?』
ようは電子レンジ、どちらも波で水分なりを振動させ熱を発生させる。
音波も電波もその本質は名の通り、そう変わらない、ならば干渉は・・・不可能ではない!

『日振、大東、舵を切ります!』
見張り員の叫びと共に第二十一根拠地隊の第二分隊を構成する2艦が舵を切る、対空火力を指向する為に艦腹を見せるのだ
『本艦も舵を切ります!』
一支が小値賀に告げる、小値賀が頷き、一支は号令を
『取舵一っp』
『待ってください!艦は舵中央で直進です!全速力で!』
かけられなかった。艦橋の入口に、ぜいぜいはぁはぁと息をあらげつつ駆け付けた志摩少佐が叫んだからだ
『それは逃げろ、という事か?少佐』
心外だとの表情で対馬が振り向く
『航海長、あれには我々の力では対抗不可能です!いえ、まだ時間が必要なのです』


『少佐、無理をしてはいかん!』
『志摩さん!』
その志摩の後ろから輸血パックと注射器をもった軍医とミスミが駆け付ける、志摩の右腕には血の流れた跡が、床にもぽたぽたと垂れた跡がある。注射器を無理矢理引き抜いて来たのだろう
『あの音を聞いては寝ていられませんからね・・・ミスミさん、そっちこそ大丈夫?』 軍医もミスミもそばに居ながら志摩が抜け出せたのは、あの音を聞いて、以前もそうなったように、ミスミがある意味発作のようなものを起こしたからからだ。記憶のフラッシュバックのようなものと、後に聞かせてもらった
『日振、大東、射撃始めました!』
見張り員が叫ぶ、ドン、ドン、ドンと後方から射撃音が遅れて聞こえてくる
『少佐、これでは2艦を見捨てることになる』
『ダメです!絶対に舵を切ってはなりません!』
かたくなに志摩が異を唱える。しかし、どちらにしろ決断しなければならない、2艦との距離がこれ以上離れては、舵を切っても意味は無い、また志摩に理由を問い質している時間もまたなかった。小値賀はしばしの逡巡の後、決断した
『・・・直進する、責めは、私と志摩少佐で何とかなろう、それから聞かせてもらうぞ、対抗不可能とはどういう事かをな』


『あれは、あの黒い雲は虫の集合体なのです。とてつも無く強暴かつ凶悪でイナゴのような』
『イナゴ・・・って、あれか?中国大陸で起こったというヒコウという奴なのか?あれは!?』
一支が思い当たったのかある面での彼等の生態を当てて見せる
『こ、高角砲、効果確認できません』
見張り員がうろたえ声で報告する
『効果が無いわけじゃ無い、ただあまりにもあれの数が多すぎて効果が見えないだけです』
高角砲程度の裂薬量で、どうにかなるものではない
『しかし対抗不能とは何か?虫ごときに海軍艦艇がやられるとは思えんが』
『あれは人を、肉を喰らいます。おそらく草も、金属はどうかわかりませんが。かじっていけば数があります、弱装甲であれば穴をこじ開けることは可能でしょう、過吸器等に飛び込まれれば・・・』
落ちる、または穴が開く、そうなれば速力は落ち、結局喰われる
『陸軍の航空隊がやられたのはそれか!』
合点がいったと小値賀がお猿の腰掛けから身を乗り出す
『対馬、お前は航海畑だから見逃してるぜ、本艦はモーズイでのあの化け物と戦かった後に高角砲の防盾をきちっと全周囲ったが・・・普通は砲員剥きだしだぞ!』
防空指揮所なんて、基本が露天じゃねぇか


この艦橋だってガラスを張り戻さなければ窓は開いたままだ(弓矢対応もあってハンモックは張り付けているが)虫の進入を拒めはしない、それに割られてしまう可能性の方が高いだろう
『大東に虫の大群、突入します!』
双眼鏡があるものは大東を注視する
『く、喰ってやがる・・・乗員を』
高角砲に取り付いていた砲員が遠目には踊っているように見える、何のことは無い、身体に張り付き、自分の身を噛る虫を取り外そうとあがいているのだ
やがてそれも身体の至るところに張り付かれ、羽根を羽ばたかすことでレンジでチンされたのと同じ事をされた人間は虫どもにおいしくいただかれる。それでもマシな方だ、本当に生きたまま噛みちぎられるよりは
『大東!迷走を始めました!』
航路が有り得ない方向に振れる
『艦内に入られたな・・・おい!発光信号で日振にも注意を促せ、あと逃げろともな!手隙の乗員はガラスを張り直せ!』
大東は艦内にあふれた虫で、おそらく舵を支えることができなくなったのであろう。
また、一支の言で日振に目を転ずれば、大東で行われている惨劇を見て、慌てて逃げ出している。砲員も艦内に入れる命令を出したようだ、あちらは何とかなるだろうか・・・いやダメだ


『ガラスで食い止められるはずが無い・・・』
こちらの世界にだってガラスくらいある、割ることぐらいたやすい筈だ
『ああそうだ、五島大尉、くわえていうならば本艦も追い付かれたならば、長くは持つまい・・・今は離れることだけが手だ』
以前、虫を使う際に飛行船を利用していた。命令を伝えられる距離に制限がある為だろう・・・これも憶測に過ぎないが
『篭っていれば何とかならないのか?』
対馬が冷汗をかきつつ大東を見て問う
『こちらでは舷窓を塞ぐことが徹底されてません』
規律にうるさく、いままで内地に居留していた第一艦隊他艦艇では三年ほど前に出た艦隊令で舷窓の封鎖が命令され、それがよく守られていた、しかし大陸に駐留している根拠地隊などの部隊所属艦は気候の変化や元々の海防艦の居住性の劣悪と驚異のなさから、まったく守られていなかった。
『伝声管もやわらかいですからね、一箇所とられてしまえばそこからあらゆるところに進入してくる可能性も捨てきれません』
伝声管は頭をぶつければ変形してしまうほどのやわらかさでしか無い
『日振の・・・舵が・・・』
見張り員の声が震えている、どうやら日振も襲われてやられたようだ・・・残るは 『我々だけだな』


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