『唄う海』53


帝國海軍は、己の編成した第三艦隊の航空攻撃力の強大化を省み、あるかも知れぬ対米戦の為、と、対空火力の増強を、建前としては海上のジャンク、帆船らの制圧火力を得るという理由をもって(これはこれで是非とも必要だったが)対空火器の更新や多数の機銃設置を行う事で解決することに奔走し、それに成功させてきた
そこで新たに問題になったのが1945年のヴァイスローゼン事変に於いて列強各国の行った、ワイバーンに依る全方位からの対艦魔法の槍を使用した飽和攻撃に、艦隊が大打撃を受けたことである。
個艦の対空火力は出来得るかぎりの増強はして来た、しかし命中弾は最悪の条件下であったが、現実に発生した。何故か?
議論は、火力をもたせたは良いが、兵員らがうまく統制が取れていなかったのではないか?となったが、これはすぐに否定された。確かに指揮装置が付いてないハンデはあるが、機銃を何丁かで群にわけ、統制官を置くことで各目標への分火射撃、統制射撃を行い成果も実際にあがっている
現場の問題としては、機銃の射撃音が邪魔で身ぶり手ぶりを使って連携する場合も多かった事だが、鉄帽の改良と、統制官の分だけでもとマイクやレシーバーを持たせる対応策が採用される事になる


分派艦隊の回避運動についても問題は波及した、対艦魔法の槍に対しての回避運動について、だ
最初に撃沈されてしまった加古は敵弾に向かって艦首を向けることで、当時、誘導方法が必ずしも解明されている訳ではなかった対艦魔法の槍に対して被害の局限を図ろうとした。
しかし結果は裏目に出た、人に対して感知する対艦魔法の槍に映る人間の数の濃さが増大してしまい、戦死した加古艦長の想定以上の敵弾を呼び寄せてしまったことだ。

艦首を敵弾に向けたことによってもう一つ問題は発生した、対空火器の射界を遮ってしまったことである、元より対空火器は一部の艦船を除き、艦の中央線上ではなく両舷に配置されており、この点を見れば防空上の大失態を犯したと言えよう、現に同じ現場に居た同級の古鷹は数発を被弾しつつも護衛すべき対象である扶桑に向けて対空火力の傘をかける事に成功し、自艦を飛び越えた後の対艦魔法の槍(以下ASMLと略す)の撃墜すらしている。
しかし、現在の大陸における2艦、将来では単艦による行動すら、考慮に置かなくてはならない我が海軍にとって、敵からの被弾ずくで考え、自らを的にして被害の局減を行った加古艦長の回避行動は一考の余地があるのではないか?


かつて長良で発生した艦首欠損の事例や、第四艦隊事件での初春、夕霧の艦首部欠損でも両艦は港に無事帰還しており、最悪の場合に艦首切断が発生したとしても自艦を連れて帰れると加古艦長は判断したのではなかろうか?
実際には上空直援がないため、列強のワイバーン隊が上空に居座り続け、乗り込んでくるとともに乗員と戦闘を始めるという、普通の航空攻撃では有り得ない事態が立て続けに発生し、応急処置にかかれず、機関室に流入した海水と缶室の高熱圧との出会いが加古爆沈を招いた。

しかし、長時間の航空攻撃自体、相手側の上空直援が無いことと、残存の対空火器での対応が難しいほどの数のワイバーンを用意しなければならない、というハンデが相手側に科せられるため、現状では除外してよろしかろう。なにより分派艦隊自体の構成規模が少ないことも列強の攻撃側優位に働いた

では、大陸に派遣してある海防艦らの、2艦、または単艦行動の場合でゲリラ的な襲撃を受けた時、艦の保全を考慮するならば。艦首を敵ASMLに向けた方が被弾を間逃れぬ場合有効な対応ではないだろうか?

そういった議論がなされ、艦隊編成時と単艦行動時の回避行動の対応マニュアルが作られることになった。


そして一番問題になったのが多方位からの攻撃に対しては何にしても各々の艦の対応が分散されてしまうことにある

ならば戦局全体を見通して指揮をする艦が要る、最低で戦隊に一隻、出来得るならば全部の艦に、と結論自体が出るのには時間がかからなかった

ではいったいどうするのか?

電子機器等の搭載とその性能の向上で幸か不幸か情報自体は伝令や伝声管ではやり取り仕切れぬほど多くなっている

情報源が分散しているから面倒になる、ならば一箇所に情報を集めて、艦長なり司令なりを、オールウェイズオンデッキをやるならばそこに誰か担当を置くなりすればいい、総合して情報をみれば見えてくる事もあるんじゃないか?
しかし反論がでた、案自体にではなく、設置するスペースはどうなるのか?とだ
艦内に一室を新たに設けるのは難しい、司令部機能を付加した大淀の様な改装にスペースのある艦は少ない、情報が集中するなら防御上の問題もクリアしなければならない

検討が開始された。いかに戦闘中央指揮所を、つまり史実の英米海軍におけるCICを既存の艦のどこに設置するか
くわえて改装にもドックと時間と予算がかかる、それに対するスケジュール管理や対策も必要とされていた


まず改装艦として選ばれたのが伊勢級の2隻の戦艦だった
最初は金剛級の四艦からとなるはずだったのだが、伊勢級と長門級が中央戦闘指揮所を第一煙突と前艦橋の間の空間に置く事に決定したが金剛級ではその間が狭く、選定に時間がかかると却下されてしまった(伊勢級では10メートル内火艇の置場、長門級はケースメイト副砲廓廊の空間がある)

この試験結果は良好で(伊勢級は実験艦のような扱いで80年代まで運用される事になる)各艦に順次搭載され、長門級も同様の場所に 、大和級は残っていた副砲を全撤去、副砲弾庫に中央戦闘指揮所を設置した、上部には250oの甲板を敷き、その上に箱ものの噴進砲が設置された
金剛級と山城は結局のところ設置が諦められた

重巡の方は指揮機能のあった高雄級から改装が行われ、最上級は前艦橋の下部を拡張し設置、利根級は四番砲塔の位置上、設置は難しかったのだが大改装を行い、艦橋の再構築さえされた。設置されなかったのは青葉・妙高級である、やはり古過ぎるのと空間の欠如が問題となった

のちに電探の技術向上で水偵の必要が無くなり、飛行甲板に装甲を敷き、その下に指揮所を設置した艦よりも、艦橋下に設置した艦の方が使用実績では上であった。


軽巡は大淀級ならびに阿賀野級以外の改装は行われず、新造艦に指揮所を取り付けることでお茶を濁した、軽巡洋艦自体、更新時期であるためそれでなんとかなったのだが、駆逐艦は深刻で、既存の艦の改装は島風級と秋月級に駆逐隊旗艦となっていた陽炎・夕雲級しか行われず、これもまた多くは改・松級や新造艦に譲ることになる

海防艦は建造隻数が多いことと、ブロック式の建造の為、再設計にこそ多少の時間がかかったものの、数隻のうちに指揮海防艦一隻を建造するペースで、多数が一年内に就役することになる


しかし、様々な制約を受け、最初は一艦隊分しか整えられなかったこの改装も、新造艦の就役や技術の向上とともにやがて普及していく。列強との戦端がヴァイスローゼン戦以降、今後10年は開かれない事が確実視されていた事がそれを可としたのだった
艦隊としての連携強化は対空火力の向上をもたらしていくばかりでなく、その運用にも一層の磨きがかかり、性能が頭打ちのワイバーンだけではなく、帝國が現用する航空機すらおいそれとは近づけなくなる存在へと変貌していくのである。


その成果は、仮面の戦争と呼ばれた陸海が皇軍相討つ激戦の中で最大限発揮されることになる


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