『唄う海』44


西から昇る朝日が、扶桑の影を大きく浮き上がらせる
『おはようございます』
松浦が昼戦艦橋に出向くと、既に左近丞は白の第二種軍装を着込み、ゆったりと配置についている艦長以下を見回していた
『中佐、よく眠れたかね?』
『はい、どうやら寝坊してしまったのは私だけのようですが』
制帽を脱いで頭を掻く
『なぁに、みな、目が早く覚めてしまっただけさ、戦闘を前に眠れるのはたいしたもんだよ。主計兵、朝の戦闘配食を中佐に』
『はっ!!中佐、これをどうぞ!』
主計兵が、盆に用意してあった水筒を二本と、どこに収納していたのか、筍の皮に包まれた柏飯のおにぎりとタクワンを受け取る、水筒は保温瓶になっており、一本にはけんちん汁が入っていた
おにぎりは完全な白米、普段は飯に麦が混ざるのだが、遠洋航海になるほど麦が余ってしまい、海に捨てるほど海軍軍人の大好物たる白米の握り飯は、ここ一番の戦の前に食べるとなると、何故か元気になるものだ、いい塩梅に塩が効いている、続けてカップにけんちん汁を流し、あおる。本艦は白味噌らしい、喉元をするりとご飯と共に抜けていく
『うまい!』
手についたご飯粒を舐めとりながら主計兵に向かって言う、主計も嬉しい事だろう


もう一つの水筒にはキンキンに冷えた真水が満たされていた、食事のあとの一杯で喉が潤う
『随分と冷えているが、これは?』
どうやったんだ?
『昨夜、弾火薬庫に砲術長へ牛缶を何個か酒保を開いた際、横流しして、冷房しておきました』
主計兵が松浦が飲んだ事を確認してからそう答える、て・・・ちょっと待て、弾薬庫のそんな使い方
『本来は怒鳴り付ける所なのだが、わしも皆も同伴にもう預かってしまってな、中佐も飲んだからには共犯だぞ』
『皆さんグルですか、参りましたね』
艦橋に談笑と穏やかな空気が流れる
ふと、外に目を向けると夜までの単縦陣から陣形の変更が成されていた。扶桑の前方、30度、及び150度の方向五キロ先には古鷹、加古が位置しその優美な姿を見せてくれている、後方には初春級の駆逐艦四隻が雁行陣で展開しているはずだ。変則的、且つ、密度がかなり薄い輪形陣を形成していると言えよう。ハマに先行した第二十一根拠地隊が居れば輪形陣の穴である前方に展開していたはずだ
陸地の緑が水平線の向こうに見える、空から見ればハマに向かう我が艦隊の存在は丸見えだろう、さらに発見されやすいよう、航跡を長引かせる為に第一戦速、23ノットでわざわざ航海していた


『電探に感あり・・・敵機!方位、本艦より80度!数多数!』
鐘楼トップに新たに設けられた二十一号電探が敵を捕らえる
『総員、第一種戦闘配置につけ』
艦長は歌人の家系のせいか命令の通りが良い、わぁ〜と船体各所に兵員が散っていく
『では、本官は夜戦艦橋に』
『うむ、そこからよく見ていたまえ』
これまでの戦訓から、人が集まらず、かつ装甲の厚い夜戦艦橋へと篭るのが松浦の元からの予定であった
『砲術長が三式弾の発射を求めておりますが・・・』
伝令と松浦が入れ違いに艦橋へ入る
『艦長』
どうするね、と左近丞が首を向ける
『使ってみましょう、出鼻をくじけるかも知れません、砲術長、接敵前に三斉発を許可する、そう伝えろ』
『はっ!』
しばらくして今度は伝声管で返答が来る
『射角から考えて、前部の第一、第二、第三砲塔による射撃を行います』
『よろしい、機銃員に一時退去のブザーを知らせ』
ゴロンゴロンと重厚そのものの砲塔が旋回する、一旦外に出ていた機銃員達も艦内に退避する、外に出ていたら吹き飛ばされてしまうからだ
『敵機視認!こちらに来ます!』
見張り員が叫ぶ、見れば墨汁のようにうごめいているものが見える・・・計300機程度であろうか


『加古から発光信号、発射マダカ、です!』
一番近い所に居る加古がしびれを切らせて連絡してくる、旗艦が撃たない限りは自分も撃てないからだ
『すまんが、もうちょっと待ってもらおう、ワイバーンは生き物だからな、いかにペースを乱れさせるかが寛容よ、砲術長はよくわかっておる』
左近丞がうんうん頷いている。見下ろせば、ズリズリと砲塔と砲身が左右に動いて微調整を行っている
それが不意にぴたっと止まった、艦長がそれを見逃すはずが無い、かっ!!!と目をみひらき叫ぶ
『撃ち方始め!』
『撃ぇー!!!』
艦長の号令とともに主砲指揮所にいる砲術長が発射の引き金を引く

ドドーン!!!

『号砲一発、だな』

発射の衝撃が体を包み、残像として砲弾の飛ぶ軌跡が嬉しそうに呟く左近丞の目に焼き付く

ズドーン!!!ズドーン!!!

都合三回目の主砲斉発が終わると、わらわらと艦内に爆風を避ける為隠れていた機銃員が出て来て機銃に取り付く、主砲はとりあえずこれでお役御免だ
加古は主砲、高角砲、機銃を全て動員しての射撃を始めている、まるで全艦火の玉だ。古鷹以下各艦も激しい対空砲火を空に向けて撃ち上げている

今まさに、ハマ沖海空戦が始まったのだった


『大きい!!まるで城塞そのものが海の上を動いているようだ!!』
帝國の戦船を発見した時の驚きは隠せなかった、彼等がこれまで見聞きした船など、それと比べては、蟻とワイバーンほどの違いがある
『だが、その大きさが命取りだ!!』
どんな妖術を使おうと、発見されてしまってあれほど大きいとなれば、動きは鈍く、当てやすい事だろう、なにせ我々は蟻のような帆船に当て得るべく訓練しているのだ!
『護衛は六隻か』
先の300騎行方不明が脳裏を過ぎる
『・・・各隊分散!別個に攻撃を開始せよ!空中騎士団の意地を見せてやれ!我が隊はあのデカいのをやる!』
掛かれ!!!と叫びかけたところで自騎の脇を何かが目にも止まらぬ早さで通り抜けた ドドーン!!!
音の方が後からやってきた、振り返ると何騎かが空から忽然と消えている、少し前の密集状態だったとしたら、と冷汗が出た
風を切る音がさらに聞こえた
『いかん!動き続けろ!被害報告!誰がいなくなった!』
『隣のヤメィダが居ません!』
『ニッキはバラバラになりました!』
『隊長!すいません、ワイバーンが驚いて爆弾を投下してしまいた!しかしブレスでやります!』『私のワイバーンも爆弾を・・・申し訳ない!』


次の爆発ではやられたものは少なかった、三度目は誰も居ない所で爆発が青空を穿った
『最初の一撃さえ注意すれば避けれるぞ!爆弾を落とした騎は帰って積み直して来い!ブレスだけじゃどうにもなりそうに無い!』
『隊長・・・御武運を!』
『戦果を期待しておきます!』
爆弾を失った二騎が引き返す、他の隊も同様のようだ、本来なら貴重な爆弾を失うなど・・・となるが、今は騎数が減ったため弾余りだ、何度でも攻撃させた方が良い
『くっ・・・!!!』
今度は沢山の火の玉が帝國の戦船からあがってくる、奴ら、帆が燃えるとか考えないのか!!
はやる一隊が急降下爆撃に入った、ワイバーンが翼を広げ降下する、あっ、あのデカいの舵を切った!意外に速いぞ・・・!先頭の隊長騎が目標に向けて進路を変えようとして速度が落ちた所をズタズタに切り裂かれた、これでは部下達は何も無い所に爆弾を落とさざるを得ない
『ダメだ、一時的にみんな高度を取れっ!』
とてもじゃないが、近づいた方が危なそうだ、少なくともワイバーンが上がれる限界まであがったならあの黒煙(高角砲)に運悪く捕まらないかぎり、やられないですむ
『逃げ回りゃ、死にはしない』
しかし、どう攻撃したら良いんだ?


『敵機!散開しています!』
『弾着、今!』
見張り員と砲術科で時計係をしている者の声が重なる、花火のような三式弾の弾着にいくらかのワイバーンが消えたように思えた、そして左近丞中将の思惑通り、爆弾を手放したものが居たのだろう、敵部隊の直下で水柱が林立する
『六十キロ、ぐらいかな、艦長』
『おそらくは』
水柱で爆弾の威力を推測している
『しかし、惜しいな。本艦が空母の直衛として輪形陣の外周に存在したならば、展開する前の敵編隊に三式を打ち込めたはずだ、ま、結果自体は重畳だがね。砲術、今の射撃、見事である!』
松浦が詳しいことは戦闘詳報と共に分析して戦訓にしてくれるに違いない
『武器使用自由!対空戦闘始め!』
艦長が一々艦橋から対空戦闘を指揮するわけにはいかない、後は各自に任せるのが手っ取り早い。
命令に従い、艦の各所に配置された高射装置がそれぞれの指向した目標に対し測距を始める、指示下に入っていない機銃は射撃統制官の指示に従い目標を選定する、ワイバーンが数十騎、上空を舞っている
『目標は、あれだ、撃てーっ!!!』
指示棒でワイバーンを指して統制官が叫び、機銃群が撃ち始める、それが端緒となり、扶桑の対空砲火が始まった


『撃て〜!撃て〜!!撃って撃って撃ちまくれぇい!!!』
青筋立てて統制官が怒鳴る、下手すると高角砲の砲声よりうるさいかもしれない
『ガハハハハハハ!!!撃墜なんて、どぉうでも良い!!!列強のハエどもを追い払うのだ!!!』
拳を握り、力こぶを作る
『あの・・・吾妻統制官・・・棒で目標を指示してください』
『ガハハハハハ!!!』
聞いちゃいやしない
『ぬぅっ!?奴ら、一本棒で急降下してくるぞ!あれだ、後ろの奴はどうでも良い!!先頭の奴を撃てぃ!!』
ぐぐぅ〜と扶桑が舵を切るのがわかる
『よぉ〜し、良しよ〜し!!こいつは避けた!!!がぁ〜っはっはっはっ!!!』
先頭のワイバーンが進路を変えようと羽ばたく、そこに彼の機銃群からの銃弾が交錯しズタズタにワイバーンを切り裂く
『見たぃかぁっ!!!飛ぶ蝿も止まれば討ちやすーし!!!』
『後続、そのまま降下!!統制官!みんな伏せろ!!』

ザッパーン!!!

着発信管なのだろう、海面と接触するなり盛大な水柱があがる
『ふぃ〜』
兵らがおそるおそる頭を上げると、統制官はヘルメットこそ失っているもの被った水で毛の無い頭を撫で回して一言
『がっはっはっ!良い湯じゃのぉ〜』
おいおい


『敵機!右舷前方より降下!!』
『面〜か〜じ!!いっぱ〜い!』
ワイバーンが降下してきた方向へと艦首を振る、心理的には敵に向かう方向へ舵は切りたくない、が取り舵をとるならば、艦橋への直撃は確かにまのがれるだろうが、艦中央より後ろに最低一発は被弾してしまうだろう
『先頭のワイバーン、進路変えま、あっ!!』
こちらの意志に気付いたのであろう、先頭の機が進路を変える頭を押さえ直す気か、と思ったその時、機銃がそのワイバーンを貫き、貫かれたワイバーンはヒラヒラと破れたタコのようになりながら遠くに着水、爆弾の着発信管が働いたのだろう、水柱と共に粉々になる
『後続そのまま降下!投弾!!』
『衝撃に備え!!見張り!かまわん、中に入れ!』
各々が手近な固定物で体を支える、艦長は見張り員にも持ち場を離れて良いとし、命ずる

ザッパーン!!!

『うおっ!』
昼戦艦橋は高い所にあるせいか、少し揺れる
『被害報告知らせ!!!』
『見張り、位置に戻ります!』
『機関室、異常な〜し』『主砲指揮所、軽傷1、デコ切っただけです!』
『高角砲、機銃座各位、損害ありません!!みな、健在です』
どうやらうまく回避したようだ、被害は皆無と言っていい


『艦長、うまい回避だった、たいしたものだ』
左近丞が褒める
『まだまだです、空襲の途中ですから。ただ、歌と同じように流れを見るだけですよ』
敵の攻撃してくるリズムを読み取る、彼独自のやり方らしい
『しかし敵もやるものだね』
『は?』
左近丞が上空を見上げ、目を細める
『今のを見て攻め方を変えるようだ』
ワイバーンが獲物を狙う禿鷹のように回転しながら上空を舞っている、機銃は届かない
『どうしても随伴艦が少ないからな、本艦や古鷹ら二隻の高角砲だけではまぐれ当たりを期待するしかない、機銃は基本的におりてくる相手に使うものだ・・・機銃や高角砲の間に何かが欲しいものだ、それなら個艦防空でも相当の期待できるだろう』
『低、中高度には噴進弾が本艦にもありますが・・・あと、高射機銃といった物ですな、中、高高度となりますと確かに穴がありますが・・・』
該当しそうな兵器が見当たらない、しかし問題は今だ、相手が
『どうでるか、ですね』
『・・・どうでるか、だな』


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