『唄う海』34


『港に水上機はおらんのか!?』
小値賀が問い合わせている、筑紫の搭載機はいつぞやの破損喪失以来、横須賀空からの分派も補充もなく、未だ空のままだった、当然だ、一機というわずかな機数と劣悪な整備状況、津々浦々の港や本土で使ったほうがマシなのだ、出し渋りも仕方がない
元来、帝國各艦の水上機は数を乗せておいて実際使うときに一機でも使えれば良い、という構想であった、大淀級の格納庫が革新的だ、と言われただけはある
『他の停泊地等問い合わせてくれ、全域でだ!』
『司令、潜水艦の零式小型水偵なら、いれっぱなしにしちまって使ってない可能性があります!』
『おぅ、そうだな!今のに付け加えろ!いいな、ああ、第六艦隊で根拠地隊とは指揮系統、所属が違うとか、ぐだぐだぬかすならあとで有無を言わさず沈めてやる、とな』 『到着時間は日没寸前になりそうです』
海図とにらめっこしていた航海長が伝える
『日没前に着けるだけでも上等だ!夜になってからでは!』
一支が焦りを振り払うように叫ぶ
そう、救助漏れや未発見率が高くなり過ぎる・・・他にも見える範囲が減り、遭難者の孤独感、絶望感は計り知れない、気力の問題でもあるのだ、生存とは
『急げっ!!!』


『これは・・・むごい・・・』
艦を飛ばしに飛ばして五時間、夕日に赤く染まる海に漂うのは、沢山の子供の死体とそれになりかけている大勢の大人と子供
『救助作業開始!!急げ!!』
悲痛な表情で小値賀が命を下す
『三千隻だ・・・』
一支が呟く
『今までこの周辺を往来した船舶はのべで三千隻、この航路だけでも百七十隻・・・どうしてよりにもよってこの船なんだよ!!!』
前途有望であったはずの子供が遭う目じゃないぞ!!なぜだ!!
『総員上甲板!拾え拾え!全部だ!子供を優先しろ!体力が持たん!』
バシャン、と魚が立てるよりは大きな波音がした
『ターニャ水測士が飛び込みました!』
居ても立っても居られなかったらしい
『さっさとこっちもカッターを降ろせ!遅れるんじゃない!』
『はっ!』

重油がこびり付いて皮膚が剥がれてしまった子供、海水を飲んで衰弱してしまった子供、傷口が耐えない子供、そして運よく生き延びた大人を引き上げていく
『大丈夫かぁ!!!生きてたら返事をしろー!!!』
カッターから返事を呼びかけ、声がなくとも、ターニャが泳いで確認に行き、漏れがないよう探していく
最悪の事態であっても救助はうまくいく、誰もがそう思っていた


『ターニャが居てよかったと思います、我々だけでは水に漬かってまでは助けに行けない』
一支の言に小値賀がうなずく
『しかし、生き残りの船員によると沈没に要した時間は13分程度。助けられるのは投げ出された二割程度だろう・・・やりきれんよ、だが、やるだけの事を』
ドーン!!
やるだけだ、と小値賀が言う前に爆発音が海上に響く
『何事だ!?』
『六連被雷!!艦首から黒煙!!』
『対馬・・・!』 一支が僚友の操る艦の被雷に絶句する 『艦長!!』
見張り員が報告する
『今度はなんだ!』
『遭難者に紛れて機雷が、浮いています・・・!』
それは、今、救助を待つ者にとって死亡宣告と同意だった
『二次遭難は避けねばならん・・・』
小値賀が唇をキツく結ぶ
『ですがここで引いた場合、遭難者で生き残って居る者が居たとしたら!』
見捨てられたと絶望するに違いない、そしてその絶望感は、その者の命の火さえ消しかねない
『二次遭難でさらに六連のような死者を増やしたいか一支!!!』
小値賀が珍しく怒鳴り返す
『第二十一根拠地隊、二次遭難回避の為、本海域より離脱する、六連艦長は、艦の保全を第一とせよ』
しかし、これを聞けない人物が居た、ターニャである


『私なら機雷などお構いなしに助けられます!』
裸かつ水浸しで艦橋の小値賀に意見具信しにくるターニャ、所々、やはり油で皮膚をやられている
『一人でも多く助かるなら、是非!先ほど一人、見つけたんです!』
『司令!ターニャ水測士は助けられる人間を発見したんです!行かせてやってください!』
一支も訴える
『・・・』
『司令!!』
『助け、られるんだな?』
『行ってきます!!』
その言葉とともにターニャは海に飛び込んでいく
『ありがとうございます!』
『・・・』
一支が頭を下げても小値賀はただ黙って海を見つめるだけだった


『君、大丈夫!?』
先ほど見つけた、一人廃材につかまって漂っていた少年にターニャが近寄る
『お母・・・さん?』
少々朦朧としているようだ
『いいえ違うわ、海軍よ、助けに来たわ』
『おっきなお船?大和?・・・それとも扶桑?』
目を輝かせる
『どうして?さ、お姉ちゃんに捕まって』
適当に話しつつ、廃材があっては逆に泳ぎにくいし、離れ行く筑紫に追いつけないので自分にしがみつかせる
『お父さんが乗ってるんだ・・・すごい・・・でしょ。でも男の世界だっていってたくせに、嘘つきだ・・・お姉さんが居るじゃないか』


『私の乗ってる船は小さいもの、だから君のお父さん、私の事知らなかったのよ。嘘つきなんて言っちゃだめ、でも凄いのね、君のお父さん。お父さんもすぐ来てくれるはずよ』
抱えるように両手で少年を保持しターニャはヒレだけで泳ぐ
『本当?お父さん、大好きなんだ・・・僕も水兵になるんだ、なれるかな?』
『大丈夫、なれるわよ、お姉ちゃんも待ってるからね』
『うん!』
少年が嬉しそうにターニャの胸に顔を埋める、とてもいい笑顔だ
『もうすぐ着くからね』
筑紫が段々近づいてくる、担架を降ろしてもらい、それに乗って甲板にあげてもらう、軍医がすぐに少年を診る為に駆け付け脈を取る・・・いくらか逡巡したあとターニャに告げる
『ターニャさん、その子は、もう・・・生きていません』
『キュ・・・?』
理解できなかった
『その子はもう死んでます』
『そ、そんな・・・』
おそるおそる自分の胸元の少年をみるとあの笑顔のまま小さな身体はぴくりとも動かない
『あ・・・ああ・・・っ』
両目から熱いものが溢れてとまらない、助けられる、そう思っていたのに助けられなかった
『ぁあああああーっ!!!』
ターニャの慟哭は日が落ちるその瞬間を切り裂いて海に鳴り響いた。


翌日

掃海作業を行いつつ、やっと来た水上機とともに生存者を捜索するものの発見できず、腐乱の事もあるので、甲板で亡くなった人の水中葬が行われることとなった
一支艦長が念仏を唱え、小値賀司令が喪主を勤める、そして柩の海中投棄
『ターニャはとうとう部屋から出てこなかったか』
『・・・艦長、言い訳にしか聞こえんだろうが、子供が耐えられる時間は過ぎていた、夜になれば機雷の発見は難しい』
『わかって・・・ますよ、わかっては。だから、何も言いません』
『・・・』
指揮官のつらさもわかるが、こちらもつらい、黙ってて欲しかった
『ターニャが連れて来た子です』
小さな柩が海中に・・・
『待って!』
叫んだのは部屋に篭っていたターニャだった、手には旭日旗と小銃が掴まれていた
『ターニャ君・・・』
『あの子は、水兵になりたがっていました。せめて、せめて・・・こうしてあげたいんです』
『そうか、そうだな・・・他の者も武器保管庫から小銃を取ってこい!』

『捧げ筒!撃て!』

ダダン!ダダン!

弔銃の一斉射撃の中、ターニャがアカペラで歌う物悲しい海ゆかばと旭日旗に包まれた柩は海に沈んでいった。

それは見事、かつ悲しい海軍葬であった


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