『F世界帝國物語』4


なんとも陰気で薄暗く、かび臭いにおいでも漂ってきそうな部屋があった。
見た目の印象とは裏腹に室内は常に清潔にされており、かびどころか虫一匹さえいないのだが、どうしても暗い。
牢獄やら拷問部屋といった名称が実に良く似合う。
もしくは、魔法使いの秘密の実験場か。
実際、その部屋には何人もの魔法使いがいた。何百人もの、ローブを着込んだ者達が。
そして奇妙なことに、円形状の部屋の中央には、天井から球体がぶら下がっている。
植物のツルのようなものに絡めとられているそれは血のように赤く、中心は黒い。
まるで巨大な瞳のような、不思議な物体だった。


「……私は君達に謝る資格さえない」

ヨアヒムは沈痛な面持ちで、その胸の苦しみを表していた。
声色からもどれほどの苦悩があったかをうかがわせる。

「だが、もはやこうするより他にないのだ。犠牲を最小限に留めるには……」
「分かっております、陛下。どうかそのようなお顔をなさらないでくだされ」

魔法使いの一人がにこやかに微笑んで言う。
齢七十を過ぎた老人だった。白く長く伸びたあごひげが特徴的である。
「わし等はみんな、陛下がいなければまともに職にもありつけんかったのです。それがやっとご恩返しできるときがきたのですぞ。誇りに思いこそしても、陛下を恨むようなことは絶対にありません」
老人の言葉に、集まった者達からは一様に同意の言葉が発せられた。
よく見ると、ここにいる人間はそのほとんどが老人と同年代の高齢者ばかりだ。

「なあに、どうせ生い先短い身ですよ。むしろ最期に若いもんのために働けて満足ですわ」
「そうですよ、陛下。どんと任せておいて下さい。それでもって、わしらの活躍を本にでもしてくだされば」
「そいつはいい! はっは、あの世で孫に自慢できるな!」

魔法使い達が口々に軽口を言い合い、ほがらかに笑い声を上げる。
そんな様子を見て、ヨアヒムは感極まり涙を流さずにはいられなかった。

「……ああ。必ず本にするよ。約束だ。だから、頼んだぞ。頼む……ありがとうっ……!」

即位してより三十年。
妻に先立たれようとも息子を戦地で亡くそうとも、決して流すことを許さなかった涙である。

ゼントラウス王都から南へ約四十キロメートルの地点。
その数を五万に減らしたとはいえ、オーク軍は未だに快進撃を続けていた。
とはいっても文字通りの猪突猛進で突き進んでいるだけだ。
先の大敗から王国軍は手出ししていないので、障害がなければオークが止まらないのは当然である。
オークとはそのような生物だ。進めるだけ進む。飽きれるような愚直さで。


つまり彼らの思考は単純明快、何ら先のことを考えないということである。
脳が単純。そういうわけなので、その日のオーク達の気分は実に良かった。
なにせ大進撃である。人間達の領土を蹂躙し尽くすときの快感は素晴らしい。
ここにくるまでに通りすがった村での略奪行為の余韻に浸る。
金品が少なかったのは不愉快だったが、まあ些事である。
実に有意義な宴の一時を過ごせたのだから、輝く品物は諦める。
男はみんな脳天をかち割って脳味噌をすすって臓物を引きずり出して食ったし、
女もみんな犯して殺して食った。枯れ木のような爺や婆は燃やして楽しんだ。
げらげら笑った。腹が痛くなるまで笑った。顎が外れそうになるまで笑った。
人間で遊ぶのは本当に楽しい。オーク達は全員がそう学んでいた。
人間などすべて同じ。少し小突いただけで壊れるような安い命だ。
虫けらである。そして、虫けらに自由に生きる権利などあるわけがない。
そんな虫けらのような存在を好き勝手に支配してやるのは強者の特権だ。
金品だろうが命だろうが強者が弱者から何を奪っても罰せられることはない。
その証拠に、自分達は今もこうして好き勝手に生きている。何ら罰せられることもなく。
小さな村は襲いやすくていい。大きな町になると兵隊がいて少し厄介だ。

オークが大きな国そのものに喧嘩を売らないのは、そういう理由があるからだった。
彼らは弱きを挫くが、強きに弱い。

だが彼らはあの平野で始めて知った。大勢で大勢をくびり殺す快感を味わった。
それはかつてないほどの快感であった。
常日頃はいつも人間の兵器に負けていたが、あの時は違う。
こちらがあちらを打ち負かしたのだ。
強力な大砲が撃ち放題、すると面白いように虫けらの命が散っていった。
あとはオークの圧倒的な物量の見せ所である。踏み潰して蹴散らした。

圧倒的な戦力というものはあんなにも気持ちがいいものなのか。
思い出すだけで涎が垂れる。股間がいきり立つ。

キングが人間と共にゼントラウスへ攻めこめと言ったときには何事かと思ったが、
なるほど、これなら勝てそうだ。もうあの大砲持ちの人間はいないが、後はなんとでもなる。
もう王国に多くの大砲はないと知っている。
数でこちらが勝っているのも知っている。
だから勝てると知っている。

さあ、ついに人間達が大勢いるところに攻め込むのだ。この国の中心へ。
そこでは多くの虫けらがアホ面を晒していることだろう。
好きなだけ食べ物があり、好きなだけ金目の物があり、好きなだけ人間がいる。
それはこの世のパラダイスだ。何日かけても遊び足りないに違いない。


邪魔な城壁を自慢の腕力で打ち壊し、門を砕き、中に押し入る。
そして中にいる人間達を支配するのだ。オークの暴力で。
男は殺す。一人たりとも生き残りは許さない。面倒なので全員焼く。
女は生かそう。死ぬか壊れるかするまでずっと玩具にしてやる。
爺や婆はどうする? やっぱり焼き殺そう。人間は、焼くと面白いダンスを踊ってくれる。

そんな想像をしていると、もう待ちきれない。すぐにでも楽しみたい
。 ああ、王都はまだか。王都はまだか。オークのパラダイスはまだか。
我らの強欲で焼き尽くされるためだけに存在してきた、肉の都はまだなのか。


「……?」

最初にその異変に気付いたのは、大群の最後尾をぼてぼてを歩いていたオークだった。
といっても、どんな異変が起きたのか明確に知ったわけではない。ただ、なにか特殊なものを感じた。肌がひりつくような嫌な感触を。
オークは本能で生きているような種族であったので、そういうことを感じる力は優れている。
最後尾のオークはそれを不快に感じたが、特に気にするようなことでもないか、と――
突然、視界が薄暗くなる。ふと頭上を見上げてみれば、空が曇っていた。
先ほどまではあんなに晴れた、あんなにいい天気だったというのに。
今ではまるで雨の日のような曇り空だ。一雨くるのだろうか?
オークの醜い面構えが訝しげに歪められる。


空が光っていた。赤や青や黄、様々な色に染まった雲が、虹色に輝く。
それは尋常ではない光景であり、幻想的で、なによりも寒気がするほど恐ろしかった。
美しいが、非現実的で気色が悪い。とてもではないが正視できるようなものではない。
しかし、見てしまう。不規則に発光する雨雲に魅入ってしまう。
いつしかオークは全軍が足を止め、頭上の不可思議を仰ぎ見ていた。
彼らはこんな現象を知らなかった。こんな圧倒的な摩訶不思議は。
そんなだから、虹色の空が黄金の光で満たされたときでも、呆けたように突っ立っていた。
直後、平野に鳴り響いたのは、一千万匹の猛獣が一斉に咆哮したかのような轟音。
そして天空からそれは降り注いでいった。他ならぬオーク軍五万の真上から。


遠くからすべてを見た者がいたとすれば、それはまさに巨大な槍だと思ったことだろう。
落雷にも似ている。雲を突き破り地上に突き刺さる、巨大なる金色の槍。


その矛先は地面に激突したと同時に溶けるようにして広がり、見渡す限りを包み込む。
黄金の衝撃波はオーク軍すべてを飲み込んだ。
だがその波紋はすぐさま霧散し、用は果たしたとばかりに消え去っていく。
――そして、後には何も残らなかった。
ただ平野に穿たれた大きなすり鉢状の穴と、空気が焼け焦げたようなにおいが漂うだけである。


南方での異常な事態に気づくこともなく、王都の民は日常を謳歌していた。
王立騎士団がオークに破れたという情報は、まだ彼らの耳に入ってきていない。
知っていれば、家を捨てて逃げ出したかもしれなかった。
だが幸いというべきか、そんなことは露とも知らず、彼らは生きている。


木村軍曹がふと南の方の空に目を向けると、何かが光ったように見えた。
雷でも落ちたのだろうか? しかし今日はこんなに晴れているというのに。
疑問に思っていると、
「あれが『裁きの槍』だ」
隣を歩く少女が言う。
ねずみ色のローブを着込んでいるのは木村や他の四人の二等兵と同じだ。
フードを被っているせいで顔は見えないが、きっとその表情は愉快げに歪んでいるはずだった。
「見たか、あれこそが滅びの光だ。実に禍々しくて美しい」
新しい玩具か、さもなければ新しい遊びでも見つけたかのような声色。 やはり楽しんでいるらしい。
例え畜生同然の輩のものであろうとも何万もの命が散ったというのに、それを認識しているというのに、少女は笑う。
まるで演劇を楽しむかのように。蝶の羽を無邪気に毟り取る童女のように。
木村はこのカーラという少女の残虐性を改めて垣間見た気がして、身震いした。

六人は多くの人が入り乱れる雑踏の中を歩いている。王城にほど近い道だ。
顔まで隠れるようなフードをつけて、集団で行動しているというのに、誰もカーラ太刀の姿を不信に思う素振りを見せない。
それが逆に不気味であった。まるで周囲の人間には六人の姿など見えていないかのようだ。
大小の音で混雑している中、足を止めないままに木村がを開く。

「オーク共は滅びましたかね」
「跡形も残さずにな。蒸発したろう。こんがり焼けた豚肉もないぞ」
「それほどまでに強力な平気を作り上げるとは……今更ですが魔法とは恐ろしい」
「あれは特別だ。私が使う魔法や魔術などとは次元が違う。まさに兵器だな」
「魔法を用いた兵器なので?」
「そんなものなのだが、そんな生易しいものではないよ、あれは」


珍しく、苦笑しつつも言うカーラ。木村はそんなダークエルフの態度を訝しげに思う。
「あれの正体は、おそらく『真紅の瞳』というアーティファクトを介して使用される魔力の塊だ」
「『真紅の瞳』?」
「そうだ。超強力な魔力増幅装置――と、まあそんなものだと私は思っている」
そう説明されても木村にとってはわけがわからない。
だいたい魔力なるものがどういうものなのか、まったく理解できない。
「魔力とは、魔法を使うために必要な燃料だ。つまり『真紅の瞳』は魔法の威力を爆発的に増大させる」
そんな木村の疑問を読んでのカーラの言葉。
「もともとは下等な神々や魔神やらの類が己の力を示すために使っていたらしいが、どういうわけかゼントラウスはそれを手に入れた」
「そして、切り札として用いている、と」
「まあ、そんなところだ」
「では、それを我々のものとすれば、多大な戦果が期待できますね」
「かもしれんな」

くつくつとカーラは笑う。

できるわけがない。カーラは内心で悟っていた。
まったく魔法に対して過度の期待をかけすぎている。自分達にはすでに鉄火の術という便利なものがあるではないか。
人間とはいつもこうだ。何から何まで欲しがる。その強欲の底無しぶりときたらオーク以上だ。
このローブと同じように考えているのではないだろうか? まあ、確かにこれは便利なものだ。
いわゆる気配というやつをある程度は消し去ることができる。
これを着こんでさえいれば、物音などを立てない限りはほぼ透明になったも同然だ。
王都に堂々と侵入できているのはこれのおかげといっていい。
しかし、こういうものはしょせん小手先の技だ。『真紅の瞳』とは根本的に次元が違う。
あれは下級とはいえ神が使うような代物である。もとより人間が運用するには無茶があるのだ。
人間の分際で、神にも匹敵するほどの強大な力を思うが侭に使おうなどと、おこがましいにもほどがある。
今回の『裁きの槍』の使用にしても、使用を決めた王はいったいどれだけの生贄を差し出したのだろう?
二百か三百か。ゼントラウス王立魔法学校の者を、それも死に損ないの爺や婆を使ったに違いない。
全員『真紅の瞳』にその生命力を残らず差し出し、ミイラのようになって絶命しただろう。
蒸発して跡形もなくなり霧のようになって死んだかもしれない。
神のように無尽蔵の魔力を持っていなければ術者は必ず死ぬ。
制御など不可能だ。いったん魔力を流し込めば最後の一滴に至るまで残らず吸い取られる。
ゼントラウスにできたことといえば、ただ裁きを与える者を決めたことだけだ。

ゼントラウスという国を語る際に『裁きの槍』を忘れることはできない。
五百年間もの冷たい時代にあっても他国からの侵略を良しとしなかった最大の理由がこれだ。
六百年以上も昔には十万もの怪物の軍勢に大挙して攻め入られたのだが、王国の絶体絶命の危機に突如として天より現れた『真紅の瞳』に王が願うと、怪物達に『裁きの槍』が振り下ろされたと言う。
怪物の軍勢は跡形もなく消え去り、王の命と引き換えに国は守られたそうだ。
その他にも同じようなことが過去に二度ほどあった。その度に『裁きの槍』は振るわれる。
しかし最初の一回を例外として多くの命との引き換えにその力を振るった『真紅の瞳』。
もはや吸収した命の数は五百以上だろう。ともすれば千に届くかもしれない。
あの禍々しき紅い瞳が命を吸うたびに美談のようなものが作られてきたが、実際はおそらく違う。
きっと無理やり生贄とされたに違いない。まあ本当のことを書き記すわけがないのだが。
カーラにしてみれば、最初だけは王一人の命で動いたとかいう話も眉唾物だった。


この話はこの国どころかどんな国でも知っている有名な話だ。
でなければ、こんな危険な代物が国を守っていると知らなければ、こんな国などすぐにでも滅ぼされている。
どんな国でも知っているからこそ『真紅の瞳』を持つことに意味があるといえた。
『裁きの槍』はいわば抑止力なのだ。そこにあるというだけで国を守ってくれている。
ただ、あくまでもこの『真紅の瞳』というものは人知を超えた超技術の塊。
これを使って繰り出される魔法は制御できない。
射程距離が決められているのだ。それ以上遠くに撃つことはできないし、近くてもいけない。
しかも王城のいずこかに存在するという秘密の部屋に安置されていて、そこから動かすこともできない。
膨大な魔力を内包した物質なのだ。持ち運ぼうとして刺激でも与えれば、どうなることか分からない。
守るためだけの、最終防衛用魔法兵器――だからこの国は五百年以上をここまで怠惰に過ごしてきた。
数々の暗愚を生んだのは『真紅の瞳』というアーティファクトに他ならない。
強力なアイテム『真紅の瞳』で他国を攻めることはできないが、攻められる危険もない。
もし侵略を受けても『裁きの槍』がこの国を守ってくれる。そういう安心感が堕落をもたらした。
神ではなく悪魔が与えた道具だとカーラは思う。伝説では唯一神の贈り物ということになっているらしいが。
しかし悪魔が神の姿を気取ることなど珍しくもない。
もとより、死にかけた国の窮地を救うという行為自体が神らしくないのだ。
絶対にして全能である神は死に逝く者のことなど放っておく。
神にとって人間の存在など蟻にこびりついた汚れのようなものだろうに。
そもそも神とやらは、人間という存在を意識したことがあるのだろうか?
カーラは思う。すべてはきっと矮小な人間達の独り相撲だ。
神は助けを求める人間のことを助けたりなどしない。求める者にものを与えたりなどしない。
それらはすべて神に陳情しているのだ。疑うに等しい行為だ。
疑われてもなお救いの手を差し伸べるなどという甲斐性は神の中にはない。
あったとすればこの世はもっと幸せに満ち満ちているはずだ。
奇跡を受けたという者のすべては、勝手に自分で助かった者だけである。
勝手に自分で助かった者が、勝手に神に助けられたとはしゃぎたてる。
神にしてみれば、実に――ああそうか、とカーラは思い至った。
鬱陶しいから話しかけるな、というほどには思っているのかもしれない。
神は。人間を。世界の塵を。


と、カーラはそこで詮無き思考を打ち切った。

「『裁きの槍』か」
何百もの命を使い捨て、何万もの命を奪う。それはきっと大戦果と呼ばれるようなものなのだろう。
この上なく効率的だ。しかも捨てるのは老い先短い者達でも構わないのである。
ただ、ゼントラウス国王はもう二度とはこれを使うまい――いや、使いたくても使えないのか。
『裁きの槍』はあまりにも強力過ぎる力だ。
直撃を受けたかの地では魔素が乱れ、十数年は不毛の土地となるだろう。
過剰過ぎる魔力は生き物の呼吸を妨げ、その肺に毒を宿し、子は奇形となり生まれ落ちることだろう。
そんなものをまさか自分の首根っこを掴まれた状態では使えないに違いない。
『裁きの槍』の射程距離は、使用者にまでそんな被害が及ばないというぎりぎりのところだ。
それでも乱発はできない。もとよりそこまで生贄がいるわけでもないだろう。
せいぜいあと一度きり撃てるかどうかといったところか。仮に撃てたところでもはや意味はないが。
長すぎる槍を持つ相手に対しては、間合いの内側に入ってしまえば問題ないのだ。


「もはやゼントラウスは得物を失ったも同然だな」
「そして今や手足さえももがれようとしているわけです」

木村はカーラに応えて薄く笑った。すべてが良好だ。
と、その時、どこからか新たに四人ほどのローブ姿が一行の元に加わった。
一人が小さく呟くようにして言う。
「軍曹殿」
「外田か。首尾は」
「上々かと」
「良好だ。――魔術師殿。これですべて順調にことが運びましたが」
「予定通りだな。予定通りということは、我々が勝ち得るということだ。良いことだ」 「まったくです」
「……もう一つ、軍曹殿。お耳に入れたいことが」
「うん?」
「王国軍は一万数千の兵力を第二次討伐隊としてオークの根城へと差し向けるようです。日暮れまでにも」
「ほお……。それはまた、」

ついつい笑みがこぼれてしまう。
予定通りだ。すべてが予定通りだ。まったく何から何まで上手い具合にことが運んでいる。
ゼントラウス王国南方に住みついたオーク軍の総勢は、オークキングと共にある残り数千といったところだろう。
南の森という地の利を活かして善戦するかもしれないが――しかしとてもではないが、王国軍に対抗できるだけの兵力はない。
もはや早瀬達の兵器さえありはしないのだ。今度は彼らが数で押されて朽ち果てる番だ。
これでこの国を手中に収めた後に邪魔となるであろう蛆虫は排除されたことになる。
早瀬達の手をまったくといっていいほど煩わせることなく。
ゼントラウスとオーク、この両勢力は互いにぶつかり合い消耗し、勝手に弱体化してくれた。

「くっく! 実に恐ろしいな」

カーラが喉の奥で引っかかったような笑い声を上げる。愉快げだが、どこか陰惨だ。
恐ろしい? この戦乱と暴虐を司る魔性の女神が? 木村の眉が訝しげに曲げられた。

「恐ろしい、とは?」
「早瀬さ。あいつは何から何までお見通しなのか? 恐ろしい男だ。実に面白い」

表情こそ見えないが、この少女がどんな顔をしているのか木村には分かったような気がした。

「面白い面白い。と、こうしてはいられないな。ごくろう、軍曹。お前達は役目を果たした。完璧に」
「はっ、それでは我々は本部へ戻り、次の指示が下されるまで待機しますが、――魔術師殿は?」
「私にはまだ仕事がある。ここからは本隊とは別行動だ。先に帰っていろ」
「魔術師殿お一人で? お供は必要ありませんか?」
「いらん。こればかりはお前達ではどうしようもないことだからな」
「はっ、了解しました。それでは魔術師殿、どうぞお気をつけて。ご武運を」
「祈られるほどのこともない。かわいい我が子らの首輪を緩めてやるだけさ」

からかうように言って、カーラはその姿をかき消した。蜃気楼のように。
おそらくは魔法を使ったのだろうが、しかしいったいいかなる魔技によるものなのか、木村には想像もできない。
まさに人知の範疇を超越した術である。あんなものを理解するすべを木村は知らなかった。
正直に言うと恐ろしくある。理解できないものは怖い。しかし同時にこの上なく頼もしくありもした。
この狂ったように摩訶不思議が吹き荒れる世界の中で、彼女こそが地図と方位磁石のようなものなのだ。
彼女がいなくては右も左も分からないし、彼女がいなくては歩くことさえままならない。
その想いは他の皇軍兵にしても同様だ。みなカーラを恐れ敬い、畏怖と嫌悪と尊敬と憧憬の情を抱いていた。

埒もあかない思いを振り払うかのように、木村は唇を引き締めた。
今はそんなことを考えているときではない。とにもかくにもこれで任務は完了したのだ。

「全員は速やかに本部へと帰投する。日の丸作戦はその第二段階を終了した」

あとは最終段階を残すのみ。

王国崩壊のそのときは近い。


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