『F世界帝國物語』3


ちょうど太陽が頭上に昇りきる時刻だった。
見渡す限り平地が広がる大平原に、異様な光景が広がっている。
それは無数の人影だ。黒山の人だかりとは言うが、そんな生易しいものではない。
まさに無数。有象無象の焦点。
あまりにも多すぎるせいで、それはなにか複雑な色彩で描かれた絵画のようにも見えた。
赤がいれば黒もいるし、茶褐色や白もある。金や銀も。
総勢三万を数える人の群れ。
彼らはそのほとんどが若々しく逞しい青年達ばかりで、鍛え上げられた肉体を鋼の甲冑で包んでいる。
兜には彼らの主である国の紋章――『剣を持つ火吹き竜』が施されている。
その姿を見れば人々は羨望と敬意に満ちた眼差しを向け、溜め息さえ吐いた。
勇猛果敢と名高い猛者の群れ。ゼントラウス王国が誇る王立騎士団の勇姿がそこにあった。
だが見るものが見ればさらに驚き、目を疑ったことだろう。
騎士団の先頭には竜騎兵がいたからだ。あの竜騎兵が。
彼らが戦場を駆けるために跨るものは馬ではない。もっと気高く強力な生物だ。
竜騎兵の名の通り、彼らはドラゴンに乗る。この地上で最強と謳われる種族に。
大きさは牛などよりも二周りほど大きいだろうか。
ドラゴンとしては中型だが、人が乗るには十分すぎる。
地を這うタイプのドラゴンではなく、馬のように四本の足を伸ばして立っている竜達。
しかしその背中には象徴的な翼があり、大空を支配することができる。
長く突き出した口にはナイフのように鋭い牙が並んでいて、
時折せきをするように小さな炎を吐き出していた。
誰もが一目でも見ればドラゴンだと理解できる。それほど、ある意味で完成されたドラゴン。
だが、ドラゴンに乗るのだ、彼らに乗る者ももちろん尋常ではありえない。
その数は三万のうちの二千といったところだろうか。
それもそのはずだ。彼らは選ばれし者達。厳しい選抜を勝ち残った者だけが竜に乗ることを許される。
装備も一般兵などの比ではない。選りすぐられ、充実していた。
彼らこそがゼントラウス王国にその勇名を轟かせる竜騎兵。
そんな誇り高き竜騎兵のさらに先頭に、紅のマントをはためかせる者がいた。
その男だけはひとり兜をかぶらず、短めの黒髪を風になびかせるままにしている。
左手には真紅の盾。右手には矛先が銀に輝く巨大な槍。
彼の名をギル・アーガスィといった。精悍な顔つきの、まだ二十代後半の年頃だ。
まだまだ十分に若いが、彼こそが竜騎兵隊の隊長なのである。
「伝令!」
「許す」
こげ茶の馬に乗って駆けてきた兵士に、ギルは小さく頷いた。
兵士は片手で手綱を引いたまま敬礼すると、
「はっ。オークの群れは凄まじい勢いを持ち、すでに南の関所を突破したとのことです!」
「そうか。分かった、下がっていいぞ」
「はっ!」
去っていく兵をそれ以上見ようとはせず、ギルはただ地平線の彼方を睨んだ。
「不可解なこともあるものですね」
近くにいた竜騎兵の一人が言う。
「オークの大移動……いえ、我が国への進撃が、こんな時期に」
「畜生の考えることは分からんものだろう。気にしていても始まらない」
「それはそうですが。しかし本当に六万もの大群が?」
「国境警備隊によればな」 ゼントラウスに向けてオークの群れが進撃を開始したという報せは、すぐさま王都に伝わった。
凶暴なオークが六万という数をそろえてやってきたという前代未聞の事態に、
ゼントラウス国王ヨアヒム三世はこれを国家への挑戦と見なし、大規模な騎士団の投入を決断。
それだけではなく、本来ならば国防のためだけに動く竜騎兵まで動かしたのだ。
かくしてここナルタ平野での決戦の火蓋が切って落とされようとしていた。

「砲兵隊に最後の確認を。いくら準備させてもやりすぎということはないからな」
「はっ。分かりました」
ギルの命令を受けて、兵士は後方に駆けていく。
今回の迎撃作戦では砲兵こそがものを言うだろう、とギルは思っていた。
近距離での混戦になってしまえばこちらに勝ち目はない。数が違いすぎる。
要するに、オーク達を近づかせず、遠距離にいるうちからできるだけ出鼻を挫き、数を減らす。
それができなければおそらく負けるだろう。騎士団といっても人間だ。オークとは種族としての差がある。
こちらが勝てるのは単純に兵器の差があるおかげである。
オークは豚が進化したような生物だ。豚の延長線上でしかない。
彼らは兵器を持たず、武器といえば棍棒のような原始的なものだけ。
ただ圧倒的な暴力で攻め殺すために生きているような生物。
対するこちらには彼らの腕が届かないところから一方的に攻撃できる兵器がある。
それこそが大砲だ。これを用いれば倍ほどの兵員をもつオークに対抗できる。
オーク軍六万のうちの半分――いや、一万程度でもいい。減らすことができればいい。
劣勢と見れば逃げ出すオークもいるだろうし、隊列を乱すことができればしょせん烏合の衆だ。
こちらには肝心の大砲が百門ほど配備されている。べヘモスが突撃してこようとも退ける自信がある。
ゼントラウス全軍七万から三万を
、そして強力な兵器を大量に持つことを許された。
これで負けてはならないし、負けるとも思えない。思いたくもない。
敵の足が速いか。こちらの砲兵の優秀さがそれに勝つか。
この戦いは敵が見えたところからもう始まっている。
――その時、地平線が黒く彩られた。線を濃くしたかのように。
その線は刻一刻と膨れ上がり、厚みを増していった。
「きたか」
ギルが表情を厳しくしながら呟く。
オーク共の到来は瞬く間にしてゼントラウス騎士団の全軍に知れ渡った。
「大砲の発射準備を急げ! 俺の号令でいつでも撃てるようにできているな!?」
「はっ! すでに万全であります!」
「良し……射程距離のぎりぎりまで引きつける」
手に汗を握る。オークの軍勢の勢いときたらどうだ。まるで風のようだ。
蛮族が猛り吼えるその声までも聞こえてきそうだ。勇ましい。まさに蛮勇である。
ギルは短めの筒のようなものを取り出した。板を丸めたような単純な筒に見える。
これには宮廷魔法使い達の術がかけられていて、遠くのものを見通すことができた。
「……?」
遠見の筒でオーク共の忌々しい姿を認めたギルであったが、怪訝そうに眉根を寄せた。
おかしい。動きが止まっている。破竹の勢いがなりを潜めている。
「どういうことだ?」
ぽつりと呟いたが、その後には驚愕の呻き声をあげることになる。
オークの軍勢の所々から、巨大な筒が現れた。
大砲だ。こちらのものとは多少差異が見られる形状だが、間違いない。
「オークが大砲を!?」

そんなこと、見たことも聞いたこともない。
オークは知能が低く、まともな文化さえもない畜生ではなかったのか。
ギルはこれを腹心の部下である竜騎兵に話した。部下もこれには混乱したようだった。
「国境警備隊の連中から奪ったものではないでしょうか。もしくは見よう見真似で作り上げたとか」
「だろうな。しかし使えるものなのか、オークが」
「猿でも棒切れを持てば何らかのために使うものです」
部下は明らかにオークを低脳な豚に等しい者共として侮っていた。
しかしそれは至極当然のことである。オークは低く見られて当然の種族だった。
あの醜悪で知性の欠片もなさそうな容貌を一目でも見れば、道具を使えると考える方がどうかしている。
「あんなところから撃つつもりなのでしょうが、まったくものを知らない連中だ」
ゼントラウスが保有する大砲の射程距離は、せいぜい二キロメートルから三キロメートル。
そしてそれがこの世界における最大射程距離といってもよかった。
しかし両軍はおよそ五キロメートルほど離れているのである。
奪ったものだろうがオークごときが作ったものだろうが、あそこからでは届かない。
それが討伐隊全軍の見識であり、間違っているはずもない事実、――のはずだった。
オーク軍の大砲が、ついに火を吹いた。四メートル近い砲身が、まるで火山のように。
騎士団はせせら笑う。やはりオークの目と頭では距離も測ることができないのか。
だがギルだけは表情を硬くした。顔がやや青ざめる。

だが、そんなギルの様子にも気付かず、兵士の一人が気楽に言う。
「まあ、連中にはせいぜい無駄弾を使ってもらいましょうか」
「届く……」
「はい?」
「これは届くぞ! ここに届く!」
だがその叫びと理解も時すでに遅しといったところ。
顔を上げたギルの頭上を、竜騎兵達の頭上を、まさにそのとき砲弾が突き抜けた。
あっ、と思う暇もない。
その砲弾の弾速はまさに風を超え音を超え――いまさらのように発射音が聞こえた。
僅かに湾曲した起動を描き、砲弾はギルの遥か後方に着弾。
そこには百門の大砲と多くの砲兵が。つまり、野戦砲兵連隊の真っ只中に見事に砲撃が加えられたのだ。
砲弾は着弾と同時に張り裂け、弾殻が弾け、周囲に多くの被害を生む。
何人もの人間の体が千切れて吹き飛び、大砲も三門ほどが失われた。
「馬鹿なっ」
どよめく全軍。特に攻撃を受けた砲兵達はといえば恐慌状態に陥っている。
なぜ当たる。なぜ届く。あんなに遠い場所からこんなところまで、なぜ砲弾が飛んでくる。
まったく常識外の砲撃――気付けば、それはすでに連続していた。
燕よりも素早く大空を駆けた魔弾は正確に砲兵達を強襲する。
おそらく十五門ほどあるオーク軍の大砲が、狙い定めて一斉射撃を行っているのだ。
ギルは歯噛みした。こんなことはありえない。ありえるはずがない。
オークが大砲を使う。オークの大砲が自分達の大砲を凌駕する。オークに負ける。
どれもこれもありえない、非現実的すぎる。
「隊長、すでに砲兵の三分の一が撃破されております!」
怒涛の勢いで撃ちこまれてくる破壊の嵐は、それだけの被害を生み出していた。
残った大砲の数は当初の半分以下だろう。それすらも失われていく。
狙いは常にゼントラウス軍の後方だ。そこに大砲があると知っていたからか。
しかしなんという正確な射撃だ。これが本当にオークの手による戦果か。
もはや砲撃でオークの数を減らすという作戦は始める前から失敗に終わっていた。
「……突撃」
「は!?」
「突撃だ! 全軍で突撃! オーク共を撃破する!」
「し、しかし――」
「このままでは狙い撃ちされる! 黙って死ねるものかよ!」
「は、はいっ!」
指揮官であり最強の竜騎兵でもあるギル・アーガスィ自らが真っ先に飛び出すことを決意。
彼が操る竜はその逞しい四肢で大地を蹴り、巨大な体躯とは裏腹に俊敏な獣のように駆ける。
それだけではない。竜は翼で空を叩くようにして舞い上がり、ギルを空へと運んだ。
獣のように走り、鳥のような速度で飛ぶ。ドラゴンはあらゆる生物を超越する。
もちろん他の竜騎兵達と彼らが駆るドラゴンも隊長に続いて飛翔した。
多くの竜騎兵達が空を往く様は、血生臭い戦場の只中にあっても見惚れそうになるほどの勇姿である。
古来よりゼントラウスの詩人たちは彼らの姿に湧き上がる詩情を感じずにはいられないという。
地上の歩兵達も負けてはいない。砲弾が降り注ぐ平野を勇敢にも突き進む。
ギルはもうオークの雄叫びがかすかに聞こえる距離にまで接近していた。
砲撃される心配はないだろう。さすがに高速で飛ぶドラゴンを狙える大砲など存在しない。
猛烈な勢いで急接近してくる竜騎兵達を確認して、オーク達も負けじと進軍を再開した。
オーク軍はそのほとんどが歩兵だ。稀にどこからか略奪してきたのか馬に乗っている者もいる。
それらが一斉に大地を踏み鳴らして突撃するのだ。その光景は凄まじく、見る者の足をすくませる。
これもまた勇敢な軍隊の一例かもしれない。

「拙いな」
ギルは独りごちた。戦力差が開きすぎている。
こちらの優位といえば長い得物――すなわち敵の射程距離外から一方的に攻撃できる武器があったことだ。
誰でも敵が槍を持っていたら素手で挑みたくはないだろう。
たとえ自分の方が開いてよりも明らかに腕力で勝っているとしても、武器の差がある。
だがゼントラウス軍は武器を失った。
砲兵は半分以上を敵の砲撃によって失い、残った大砲はそのほとんどが使い物にならない。
こうなってしまえばもう敵がこちらを恐れる理由はない。
ただの近接距離での殴り合いは向こうの独壇場だからだ。なにせオークである。
こちらとて仮にも騎士団として訓練を積んできたのだ、並みのオーク達なら相手にしないだろう。
しかし数が数だ。向こうは六万。こちらは三万以下。圧倒的に不利だ。
こうなってしまっては自分達が砲弾の役目を果たすしかない、とギルは決断した。
竜騎兵の渾身をもってオーク軍の先頭部隊を叩き潰し、出鼻を挫く。
こういうときはまず敵将を討ち取り全軍を混乱させた方が良いのかもしれないが、
オークに対して指揮系統の断絶などしてみてもまず意味がないことは知っていた。
人間の軍隊と違って、命令に絶対服従という概念などないからだ。
好きなように暴れて好きなように食う、それだけが彼らの頭の中にあるものであり、存在価値。
一応命令を下す上官敵な役割をになうオークはいるようなのだが、それが死んでもさして問題にしない。
もともと彼らにとって戦いとはただ愚直に突き進むだけであり、戦術などありはしない。
目に入った獲物から叩き潰すという本能で戦っているのだ。
上官が下す命令は『走って殺して食え』だし、彼らが自身に命令するのも『走って殺して食え』なのである。
とどのつまり、彼らにとっての絶対的な主君は常に自分自身の本能といえた。
「竜騎兵よ! 俺に続け!」
ギルはオークに負けないほどの雄叫びを上げ、蛮族共の先陣に向けて急降下していく。
勇猛果敢な竜騎兵はもちろんそれに続いた。ギルと同じく決死の思いを咆哮に変えて。
それを迎え撃ったのは、容赦のない砲弾の雨だった。
地上から空中へと射出されるというのに雨とは奇妙な例えだが、それほどのものである。
すでにゼントラウス砲兵部隊をほぼ壊滅まで追い込んだオーク軍の恐るべき大砲は、次の標的に竜騎兵を選んだ。
先ほどまでは空中を移動しているということで撃っても当たらないようなものだったが、今は違う。
大挙して降下してくるということは、横腹を見せたようなもの。的が大きくなったのだ。
さらにいえば狙いをつけずにとにかく撃てば当たるような大群だ。密集していることが仇となった。
「くそっ、奴らめ」
と、口汚く罵った竜騎兵が駆るドラゴンに砲弾が命中。
いかに鋼のような鱗を持つとされるドラゴンといえども、まともに砲撃を食らえばただではすまない。
ましてや乗っているのはただの人間なのだ。着弾の衝撃に耐えられるはずがない。
ドラゴンの胸には大きく穴が開いて砲弾がめり込み、空中で盛大に血の華が咲く。
乗っていた騎士は大きく吹き飛び、何もない中空に放り出されると、そのまま自然の法則に従った。
あれだけのダメージを受けてはドラゴンの生命力でも絶命は必至だろうし、落ちた騎士が助かるわけはない。
さらに悪いことに、傷つきよろめいてバランスを崩したドラゴンは他の竜騎兵にぶつかった。
幸いドラゴンは何ともなかったようだが、不幸なことにこれも人間は落下した。
ギルがいる先頭と部隊の後方ではなんとか避けているものの、中間ではそのような事態が相次いでいる。
二千のうち辿りつけて千五百がいいところだろうか? ギルは考えてぞっとした。
ただでさえ戦力が足りていないというのに、敵の砲撃はまだこちらを減らすというのか。
真っ先に潰すべきは砲台だった。あれさえなければ――

「ぬおおおおっ!」
怒りを力にして、ギルは自慢の槍をオークの先陣に向けて振るう。
横薙ぎの一撃で幾つものオークの首が宙に舞い、槍は血に染まる。
返り討ちにしようと背後から襲い掛かったオークには、相棒であるドラゴンが尻尾で額を一突きにした。
ドラゴンがその口腔を赤々と輝かせ、灼熱の業火を吐き出す。
鉄をも溶かすという炎に舐められて、周囲のオーク達はすぐさま燃え上がる。
圧倒的な強さにオーク共が怯んだと見るや、ギルは大音声を上げた。
「俺は竜騎兵隊――『紅き盾』のギル・アーガスィ! 死にたい奴からかかってこい!」
この隊長の勇姿に闘志を奮い立たされ、他の竜騎兵達も次々と地上に降り立ち、オークに怒りの刃を振るった。
オークは数で挑むが、竜騎兵はそれを個人の能力で凌駕する。
ドラゴンが火を吹けばオークは火達磨になり、槍は正確に豚面の額を穿った。
圧倒的に見える竜騎兵の活躍。――しかし、それも長くは続かなかった。
獅子奮迅の戦いぶりを見せていた竜騎兵の一人が、押し寄せるオークの波に飲まれる。
肉団子のようになった中心からは怒声が聞こえたが、それは瞬く間に消え失せた。
そんな光景が戦場の最先端の各地で見られるようになっていく。
もはや千名ほどにその数を減らした竜騎兵が、オークの圧倒的な数に競り負けていた。
オーク六万の両翼が中心に向かって移動したのだ。
それは自然と竜騎兵を取り囲むようにして陣形を組んだことになる。
今や彼らは完全に孤立させられていた。
二万ほどの軍が向かってきてはいるものの、それまで持ちこたえられるかどうか。
いや、二万程度の援軍など焼け石に水ではないのだろうか?
相変わらずオークは恐れを知らずに突進して、多勢で無勢を飲み込んでいく。
「くそ!」
歴戦の勇士であるギルはさすがに上手く立ちまわり、人海戦術を退けていたが、
彼とて力尽きるのは時間の問題としか見えなかった。
これではたまらないとばかりにドラゴンの翼を叱咤して上空に逃げた竜騎兵もいたが、
それらは例の大砲によってほとんどが撃ち落されていく。
上を塞がれ、下は煮えたぎる地獄のような戦場。
狂った笑いを浮かべて闇雲に剣を振り始める者が現れた。
武器を捨てドラゴンから降り、跪いてひたすら神に祈り始める者も現れた。
そのどちらも瞬く間に肉の波に飲まれていった。
と、執拗に続いたオークの攻撃が止まった。彼らはその醜い鼻をひくつかせると、一目散に駆け出す。
新しい獲物を見つけたのだ。ギル達よりももっと簡単に殺せて、もっとたくさん食べられる獲物を。
ギルは驚くほどの勢いで自分達を素通りしていくオークの群れに槍を振るい続けたが、効果はあまりなかった。
突撃してきた二万のゼントラウス軍と、突撃していったオーク軍六万が衝突する。
恐るべき数と数とのぶつかり合いだ。それを、
「やはり規模が大きいと見栄えもいいな。スカッとする」
などと言い表し、片手に持った林檎を齧りながら見ている少女がいた。
長い黒髪を頭の後ろで一纏めに括った、褐色の肌を持つ少女だ。
戦場からは遠く離れた小高い丘の上である。あの戦地にいる誰一人として少女を見つけられはしない。
少女の正体はもちろんダークエルフのカーラである。
「どちらが勝つかな、ハヤセ」
「オークだろうな。数が違う」
隣に立つ早瀬は双眼鏡で現地の様子を観察しつつも答えた。
「――勝ってもらわなければ困る。何のために榴弾砲と我が隊の兵を貸し与えたのか分からん」
「それもそうだ。まあ、心配は杞憂に終わるだろうよ」
オーク軍は戦場の各所で次々に王国軍を圧倒していく。勝利は目前だろう。
早瀬達のおかげともいえる勝利だ。
九六式十五糎榴弾砲がなければオーク達は狙い撃ちにされ、勝敗の行方は分からなかった。
皇軍が誇るあの榴弾砲の射程距離は十一キロメートル以上。
王国軍の原始的な大砲とでは、そもそも比べるに値しない。
さらにカーラが魔法で変身させた皇軍兵士を砲兵として送り込んだ。
さすがにオークの知能では早瀬達が使うような兵器を操ることなどできない。
そう、この戦いの裏で糸を引いていたのは早瀬達なのである。

「しかし、よく働いてくれるじゃないか。オークも存外に使い勝手がいいな」
「まさか本当に動いてくれるとは思わなかったが」
「あんたらの技術を見れば嫌でもその気になるさ」
早瀬とカーラは、オークの王であるオークキングと同盟を結んだ。
貪欲で底無しの野心家であるオークキングにとって、早瀬達の登場は渡りに船といったところだった。
無駄に兵隊の数だけは保有しているものの、人間の知略や兵器によって負け続けていたのだから。
この世界の技術とはまったく別次元の兵器によって、一気に領地を拡大するチャンスだ。
領土が大きくなれば食べ物が増えるし、もっともっと大暴れができる。だから奪う。
オークにとって戦争の動機とはそんなものだったが、その単純さがありがたい。
一方の早瀬達にとってもオーク軍との同盟は必要不可欠なものであったからだ。
この世界に飛ばされた皇軍はせいぜい六千人ほどの旅団規模に過ぎない。
多くの兵やドラゴンなどを保有するゼントラウス王国に正面から戦いを挑むことは無謀といえた。
確かに武器の面では皇軍が圧倒的に優れているが、やはり最後にものを言うのは数の力だ。
それは今まさに眼前の戦場こそが証明しているではないか。
「しかし、あれをすべて捨て駒にするのか、ハヤセよ。ちょっともったいないと思うが」
「かまわん。ここからはこの世界における皇軍の晴れ舞台だ。大根役者には退場願う」
「なるほど。恐ろしい男だ。あんたなら地獄でもきっと上手くやれるよ。まあそうだな、しょせんは糞豚か。いいように使い潰すさ」
さらりと不穏なことを言ってのける二人の視線の先では、すでに勝敗が決していた。
さざなみが津波に押し負けるように、王国軍の姿が消え失せていく。
ついに敗北したのだ。ゼントラウス三万の軍が。一人の生き残りも出さずに。
オーク軍は王国軍の必死の抵抗によってさすがにその数を減らしたが、それでもまだ五万はいるだろう。
ほぼ圧倒的な戦果だった。このまま進撃すればこの数を残したままで王都に辿りつく。
勝ち鬨が上がった。オーク達が喉を振るわせて禍々しい勝利の歌を詠った。
「決着か。いい見世物だった。勇敢なる兵士諸君の健闘に乾杯!」
芯だけになった林檎をワイングラスに見立てて掲げ、カーラが高らかに笑う。
だが、その表情がすぐに曇った。オークの群れの中からドラゴンが飛び立つ姿を認めたからだ。
「紅い盾――ギル・アーガスィか」
「誰だ?」
「竜騎兵隊の隊長だ。この国ではおそらく一番強い。厄介なのが死に損なってくれた」
そう、強靭な体力と精神力、そして強運に守られて、彼は生き残っていたのだ。
部下達が決死の思いで守ってくれていたことも、もちろん生命を助けてくれた一因だ。
彼とそのドラゴンは満身創痍だったが、それでもなんとか飛んでいる。
勝利の興奮に我を忘れたオーク達の目にギルの姿は入っていない。
早瀬が派遣した砲兵も、さすがに空高くで小さな点のようになってしまったドラゴンを撃つことはできない。
そもそも傷ついているとはいえ凄まじい速度で飛んでいるのだ。
撃てば当たる先ほどのような状況下ならともかく、榴弾砲は空飛ぶものを撃ち落すためにあるわけではない。
高射砲でさえ準備が整っていなければ役立たずだろう。
そういうわけで、カーラが手を出そうとした。
小さく何事か呟くと、掌中に炎が生まれ、林檎が一瞬で炭化する。
「待て」
早瀬が待ったをかけた。
美しい面差しに浮かべた不機嫌さを隠そうともせずにカーラが振り向く。
「落とさんでいいのか。王都に向かって飛んでいくぞ。あんたらの大砲のこともバレる」
「構わん。彼にはおめおめと逃げ帰ってもらう。そして伝えてもらうとしよう。我が軍の脅威を」
と、言ってから、早瀬は珍しく皮肉げな笑みで頬を歪め、言葉を訂正した。
「――いや、オーク軍の脅威を伝えてもらう。国が滅びかねないほどの強大な脅威を」
「ほお。まあ、あんたがそう言うなら間違いないんだろうな」
炎を握り潰して、カーラは踵を返した。早瀬もそれに続く。

先ほどまで戦場だったところにはもはや王国軍とオークの死体が累々と並ぶだけ。
二人とも、そんなものを長く見つづけているほど酔狂ではなかったし、それほど暇でもなかった。
すでに王都の西側方面にて待機している本隊と合流する必要があるからだ。
ただ、派遣した砲兵と砲を回収する必要があるだろう、と早瀬は決めていたので、トラックを何台か向かわせることにする。
彼らには王国軍の砲兵隊を打ち破ればそれ以上オーク軍に付き合う必要はないと命令してある。待機しているはずだ。
それに榴弾砲は優れた兵器であったし、なにより貴重だ。ただでさえ兵器が足りていないのだから。
オーク共がやたらと触って不具合を起こしていないかどうかが気がかりだった。
近付いてくる二人の姿を見て、軍用トラックの脇に待機していた伍長ほか数十名の皇軍兵士が敬礼する。
返礼して、早瀬はいつもの癖で軍帽の位置を直しつつ、きびきびと言葉を述べた。
「作戦の第一段階はすべて良好に終了した。これより作戦は第二段階に移行。本隊と合流する」
「はっ!」
兵士達は何台かあるトラックにそれぞれ乗りこむと、出発の準備を整える。
それを横目に見つつ、カーラは王都の方角に目をやらずにはいられなかった。
ことが上手く運べば、そこは自分達のものとなるのだから。

ゼントラウス王国は南方の先端、どちらかといえば辺境に位置した国家である。
領土はそれなり、経済もそれなり、取り柄といえば強豪と名高い竜騎兵を始めとした騎士団、
そして他には鉄や銀などの鉱石資源が豊富なことでも知られている。
ただ強国かといえば、そうでもない。そもそもここ五百年は大きな戦争さえ起こっていない。
成り上がるための要素はあったのだが、いかんせん王に恵まれなかった。
千年の歴史で順風満帆といえたのは初代国王が建国して二百年ほどの間だけ。
建国五百年を過ぎてからの歴代の王達はみな外交政策に弱腰な暗愚ばかりであり、戦力もどんどん衰えた。
一時は国家の象徴的存在とも言える竜騎兵でさえ解体しようかという話が持ち上がったほどだ。
国民の暮らしが悪かったというわけではないが、良くもなく、不満を言い出す者もいた。
百年前からは悪いことに西から流れてきたオークの大群が国の南側に住みつく始末。
民を襲うほど凶悪なオークの出現に、当時の王が慌てて軍備を強化し始めたのはいいが、
平和に溺れて弱体化した軍の強化は難航を極めた。そしてそのままずるずると何十年もの月日が過ぎる。
暗黒時代の到来とさえ囁かれたこれに終止符を打ったのが、現国王であるヨアヒム三世だ。
即位と同時に軍備の強化を徹底的に推し進め、自ら戦線におもむき、オークを蹴散らした。
賄賂と不正の豪遊に爛れて役に立たない臣下をすべて政治の舞台から叩き出すと、
急遽選抜した真に能力ある者だけを直属の配下に置き、外交政策をこれも強力に進める。
かくしてゼントラウスは何百年もの夜から立ち直り、日の光を浴びることができたのだ。

王国軍三万、オークの前に敗れ去る。
その報せを当の王国軍を率いていたギル・アーガスィ本人から受けた王の驚きは並大抵のものではなかった。
「馬鹿な。オーク如きに我が軍が敗北しただと!?」
「申し訳もございません、陛下……」
跪きこうべを垂れたギルの沈痛な声。体の痛みよりも心の痛みの方がよほど堪えていた。
ゼントラウス王都にそびえ立つ王城の玉座の間には数十人の兵士達が居並んでいたが、これにはさすがに困惑が広がる。
言葉こそ発しないものの、みな一様に信じられないとばかりに自身の耳を疑っていた。
「ですが事実でございます、陛下。オーク共の勢いは我が軍を圧倒し、竜騎兵までも」
「ぬう……アーガスィよ! お前ほどの者がいながら、なんとしたことだ」
「お言葉の通りでございます。申し開きなどいたしません。なんなりと処罰をお受けします」
ギルはただただ低く頭を下げ、己の力不足を嘆くだけだ。
自分に力がなかったせいで百門もの大砲と部下すべてを喪失した。
生き恥など晒さずに自刃すればよかったとも思うが、しかし、伝えなければいけないことがある。
「しかし、陛下。その前にお伝えしたいことがございます」
「なんだ。申してみよ」
「はっ。恐れながら、我が軍が大敗を喫した原因は、オーク共の大砲にこそあるのです」
「なに、大砲?」
またも王は驚き、兵士達の中にも困惑の色が強まった。
オークが大砲を使っただと? そんな馬鹿な。聞いたこともない。
「しかもあの大砲、ただの代物ではありませぬ。我が軍の大砲を完全に凌駕しております」
「我々の大砲を? それはまことか」
「はっ。すべて嘘偽りなき真実です」
王はしばらく目を閉じて玉座に深く体を預け、物思いに耽っていたようだったが、やがて重々しく口を開いた。
「にわかには信じがたい話だ。しかしお前が言うのであれば、そうなのだろう」
ヨアヒム三世はまだ五十代前半という年頃であったが、すでにその髪は白く染まり、顔には深く皺が刻まれている。
長年の為政者としての心労の結果だ。彼こそは傾きつつあったゼントラウムを建て直した最大の功労者である。
ゼントラウムの窮地には七日七晩を眠らずに王として働きつづけたという逸話から、眠らずの王と呼ばれることもある。
しかし、もちろん一人だけで国を動かしてきたわけではない。影で支える者がいたからこそだ。
ギルこそはヨアヒムが二十の歳で王座に即位して以来の三十年間、最も優秀で、最も信頼できる家臣だった。
その男が部下を失い重傷を負いながらもここまで帰ってきたのだ。
ヨアヒムはギルのことをそのような大失態を犯せば自ら果てる男だろうと知っていたので、
生き恥を晒しながらもここまで帰ってきたということは、並大抵の決意ではないということが理解できた。
それほどまでに重要なことなのだ。オークの大砲とやらは。
「もうよい、処罰など与えぬ。お前にできないことならば、他の誰にやらせようとも無駄だったろう」
「ありがたきお言葉。陛下、さらなる兵をお与え下されば、次こそは、次こそは」
「いや。それほどまでに強力な大砲だというのであれば、尋常の兵をいくら向かわせても同じことだ」
「……それでは?」
「うむ」
と、頷いたものの、ヨアヒムはなかなか言葉を続けようとはしなかった。
それはまるで忌むべき単語を口に出そうとしているかのような、躊躇い。
ギルはやっと気付いた。王が言おうとしている言葉を、行おうとしていることを。
「陛下、まさか」
「――その通りだ。『裁きの槍』を使う」
その言葉に、玉座の間には一瞬にして冷たい緊張が走った。


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