『旧満鉄技術者の日誌』1


1941年12月8日(月)
考えられないほど不思議なことが起きた。
昨日、気がつくと、日本の実家に寝ていたのだ!
しかも、満州の自宅に運んであった家財道具、書籍、現金、その他諸々も運び込まれていたのだ!
家族に聞いてみたが、彼らもいつ私が家に帰ってきたのか分からないらしい。
新聞を読んでみると、あちこちで、海外に出かけていた人たちが戻っていたらしい。
彼らも昨日気がつくと家にいたらしい。
一体どうなっているのだ!

12月9日(火)
満州に戻るために釜山行きの船を予約しに行ったら、全便欠航だった。
釜山だけでなく、台湾や支那行きの船も欠航らしい。
仕方が無いので、その足で国鉄に残った友人を訪ねに行ったところ、 おいしいお茶を御馳走になった。
彼に聞いた所によると、満鉄の車両が国鉄や工場の線路の上に現れて、線路を塞いでいるらしい。
本線上ではないので営業には影響は無いらしいが、軌間が違う為脱線状態になっているようだ。
今週中には移動されるらしいので、明日現場に確認しに行くことにした。

12月10日(水)
実家から省電に乗って尾久客車区(上野の近く)に行ったところ、
満鉄の、しかも「あじあ号」の客車がそこにあった。
そこで作業を眺めていたら、島さん(島安次郎、鉄道技術者)に会った。
話を聞いた所、近々広告を出して満鉄関係者を集めるらしい。

(中略)

12月15日(月)
久しぶりに同僚と顔をあわせる事が出来た。
しかし、島さんの話によると、満鉄は一時休業になるらしい。
幸い、技術者は島さんのご子息、秀雄さんの下に大半がつくことになった。
秀雄さんも高速列車の計画を進めているらしい。
満鉄で培った技術を使うと思われる。

12月16日(火)
島さんから連絡が入り、急遽来てくれと言われたので、島さんの家にお邪魔した。
どうやら昨日の集まりの後、政府関係者に事情聴取されたらしい。
どうも様子がおかしいということで、大調査部も動き出したそうだ。
満鉄は一時休業としたが、整理をするため、明日からまた集まってくれと言われた。
島さんに頼まれたら断れないけど、その理由が独身で、家を留守にしておいても大丈夫だからって…。

12月17日(水)
あれから10日が過ぎたが、未だに異変は続いている。
今日、華北交通や朝鮮総督府鉄道の人とあった。
彼らも私たちと同じような状況らしい。
他にも満州航空の人がやってきたけど、やはり彼らも同じらしい。

12月19日(金)
大調査部が調べてくれたお陰で、おぼろげながら様子がわかってきた。
現在、車両は各地の区に集めてもらっている。
資料などの紙も、鉄道省や大きな駅で続々と見つかっているらしい。
ただ、レールや標識はどこにも見つからないらしい。
満州航空の人たちは一部の飛行機が羽田飛行場で見つかったと言って喜んでた。
しかし、飛行禁止の命令が出ているらしい。

12月22日(月)
今日は、御殿場の機関区にあらわれた満鉄の機関車を確認しに行ったついでに、
秀雄さんがすすめている「弾丸列車」計画の工事のひとつ、日本坂のトンネル工事を見学した。
彼は、パシナをこの弾丸列車の線路に走らせたいそうだ。
しかし、あの重たいパシナを日本で走らせることが出来るのだろうか?

12月23日(火)
今日、政府が今回の一件は「国の実験で、内容は国家機密」と発表した。
一体、何の実験で私は日本に戻されたのだろう?
まさか、再び鎖国をしようというのではないだろうか?

12月24日(水)
大ニュースを大調査部の人たちが持ってきた。
初めて聞いたが、小笠原の近くに「神州大陸」という陸地があるらしい。
そこへ、満州や朝鮮にいた日本人が向かったらしい。
大陸なら鉄道をひくに違いない。
ならば、私たちにも出番がきっとやってくるだろう。

12月26日(金)
今日は仕事納めで、資料の整理にあたった。いつもより人が少なく、量が多いので、丸1日かかった。
暇な人をもっとよこしてくれれば良いのに、と言ったら、
他の人は各地の駅に行って、資料を分別、箱詰めしてるのだと言われた。
機密書類もあるので、満鉄関係者以外には見せられないようだ。
しかし、疲れた。

12月27日(土)
昨日の資料整理で、全身が筋肉痛に襲われている。
しかし、私の荷物の整理もしなければならない。
(空白)明日、整理しよう。

12月28日(日)
必要ないものを物置にしまいに行った戻り道、学生時代の親友を垣根越しに見かけたので声をかけた。
彼は、海軍に所属しているのだが、海軍も何故か慌しいらしい。
今度東京湾で観艦式を行うと言っていた。詳しくは明日発表されるらしい。

12月29日(月)
筋肉痛悪化。寝る。以上。

12月30日(火)
新聞を読むと、来年の1月の3日に観艦式を行うらしい。
折角の休みだし、親戚の子供達と一緒に観に行くことにした。
あと、今日から運動をすることにした。
体力が落ちてきたなあ。

12月31日(水)
1941年も今日で終わりだ。不思議なことは起きたが、家族らは不自由している様子は無い。
両親は、むしろ、無事に日本に戻ってきてくれて良かった、と言っている。
しかし、私は満鉄の今後が気になる。
豊富な人材、車両、経験が満鉄にはある。
来年は私と満鉄にとって良いことがあることを願う。
除夜の鐘が聞こえてきた。1942年までもう少しだ。


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