『ある日の黒部』


帝國男爵黒部家初代、成之卿。
その隠然または公然たる勢力もさることながら、それにも増して『恩賜の鰻』を始めとした食にまつわる逸話の数々で知られ、
加えて大陸一帯における宮廷から救荒までの食を網羅し、南ガルムに赴く帝國臣民必携の書と評される
「タブリン食道楽」の編纂を川島四郎陸軍主計中将と共に監修、
第二の村井弦斎として文筆でも名を高めたこの一代の英傑の食への執心は老いてなお盛んであった。

しかし、齢を重ねかつてのような鯨飲馬食がようやく不可能となった今は、山海の素材を膳上に凝縮して小天地と成す懐石料理に惹かれ、
洋食を基本とするタブリン料理にその精神を活かすべく探究に勤しみそして楽しむ日々を送っている。

飯にして肴、汁にして菜。
そしてタブリン懐石の極致たるべく彼がその論理的思考と非論理的嗜好から選んだ一品こそカレーライスだ。
「如何ですか、御館様」
「ふむ、志摩波切節か」
そこまで真似ては茶懐石への追従に過ぎん、などと思いつつも、懐石に用いる八寸四方の盆ならぬ八寸四方の重箱に
山と盛られたカレーライス−鰹(モドキ)出汁が入る所謂『蕎麦屋のカレー』−を悠然と平らげた黒部卿であった。


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