『老人と海量』


老人は独り、酒杯を友としていた。
専ら技芸を練り鍛えるのに費やした長い歳月はその矮躯に、隠すべくもなくあからさまに時の経過を刻み込んでいる−
風雨と寒熱に曝され続けた巌が柔弱な箇所を削り落とされ、堅強な芯のみへと磨き上げられるように。

富強で知られる一族には珍しく、酒には付きものとされながらも真に酒そのものを味わうにはむしろ妨げとなる、
肴も歌舞音曲も遠ざけてある。
それほどこの液体は貴重なのだ。

杯を干し、遥か遠き異国からもたらされた強い火酒を、
そこに合わせられた豊潤かつ芳醇な香料の精髄を、舌と鼻とを駆使して存分に楽しむ。
新しい酒は新しい皮袋に、と言うが。
古び、擦り切れかけた皮袋である我が胃に新しい酒を満たすのも、悪くはない。
思わぬ発見−どうした事か小瓶が別の荷に紛れ込んでいたのだ−である、
この美酒が醸された国に思いを馳せながらならば、それは尚更だ。

老人はいまこそ、初めて真剣に隠遁を考えていた。

資本主義の尖兵として国策「帝國製品高級化計画」に邁進する某大手化粧品企業も、 ドワーフ族の一長老からオーデコロンを大樽単位で発注されるとは予想だにしていなかったと言う。


inserted by FC2 system