『珈琲の日』 昭和2○年某月。 神州大陸から初めて珈琲豆が東京に送られてきた。 南米から日本に転移してきた移民達が神州大陸でコーヒー栽培を初めて早数年。 ようやく、製品として充分な量と質を出せるまでに至ったのだ。 元々、日本には珈琲豆の備蓄など少ない。 なので、転移から数年が経た今では、本物の珈琲を飲めるのは政府要人か軍上層部、政財界の重鎮、皇族ぐらいだった。 他の大多数は大豆で作った不味い代用珈琲を飲むしか無かった。 後に大陸から輸入された黒豆茶(珈琲に似た色と苦みを持つ)に取って代わられて今はそれが主流である。 それでも、やはり本物の珈琲を味わいたい。 そう思うのは珈琲好きにとって無理からぬ心情では無かろうか? しかし、臥薪嘗胆の日々は終わった。 まだ数は少ないものの、今年からは珈琲豆が本土に輸入されてくるのだ。 東京に多く棲息する珈琲党は歓喜の涙に咽んだ。 そして、第一便が横浜に到着。その様は新聞やマスコミにも取り上げられた。 話題を集めるため運輸会社がイベントを開き、多くの珈琲好きがその様子を見る為に集まる。 何故なら、そこに行けば珈琲を試飲出来るかも知れないのだから。 新聞の記事にはこう書かれていた。『記念として、会場にお集まりの方から抽選で神州珈琲を試飲して頂きます』 会場は珈琲党で溢れかえり、抽選券を握り締めた手が強く握り締められる。 壇上には、長大な机と十数席の椅子がある。つまり、試飲できるのは百人を超える珈琲党の内、たった十数人しかいないという事だ。 しかも、既に五つの席は陸海軍の軍人、運輸会社の社長、横浜市のお偉いさん、ダークエルフで塞がれていた。 結果、10人分の席を争い、会場は殺意と悲嘆に溢れかえる。 十数分後。10人の歓喜の声と、大多数の嘆きの声が会場にリフレインした。 それから少しして、机の上に給仕がコーヒーカップとスプーン、角砂糖の入った瓶を並べていく。 やがて、香ばしい香りを内包した珈琲ポットが給仕によって運ばれてくる。 何とか香りだけでもと誰も彼もが前に詰めかけ、運の悪い数人が危うく圧死しかけたが、つつがなくイベントは進んでいく。 コーヒーカップに注がれるブラジル豆のコーヒー。匂いに中てられ、数人が卒倒する。 「それでは、コーヒーをお楽しみください」 司会の声と共に、彼等はコーヒーカップを傾けていく。 おお、何という至福か。コーヒーを啜り込んだ人々は涙を流し、口々にその味わいを讃え、互いに抱擁し珈琲の有り難さを噛み締めた。 悪魔のように黒く 地獄のように熱く 天使のように清く 愛のように甘い 汝の名は 珈琲。 会場は珈琲党の天国になったように……思われたのだが。 「すまないが……角砂糖ありったけ」 その声に、会場は凍り付く。何て事を、角砂糖は出されても、誰も1つとして使って等いないのに。 珈琲のありのままの旨味を味わうこの機会に甘味を使う愚か者など居ない筈だ……筈だった。 会場の珈琲党の動揺を余所に、その白い背広を着て白いコートを肩に掛け、眼鏡っ娘のダークエルフは差し出された角砂糖の瓶をガシリと掴んだと思うと。 どぼどぼどぼどぼドボドボドボドボドボドボドボドボドボドボドボドボドボドボドボドボ……。 一気にコーヒーカップにぶち込んだ。 まるで、マンドレイクが合唱団組んだような、声に鳴らない絶叫が会場を覆う。 珈琲が溢れかえり、カップからかなりの量がこぼれ落ちる。これでは、珈琲を飲むのか、珈琲に入れた砂糖を飲むのか解らないではないか。 だが、阿鼻叫喚の会場の様子など露知らずとばかりに、ダークエルフは容量の半分が砂糖で構成された黒い液体をくいっと飲み干し。 そして一言。 「あまぁい!」 「あ た り ま え じ ゃ あ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ !!!」 大暴動。大暴動。大々暴動。 かくして、無粋な甘党ダークエルフにより、イベントはしっちゃかめっちゃかになってしまったとさ。