『終焉の陽』 帝國が異世界よりこの世界に転移して早十五年。 類い希なる技術力と国力で瞬く間に広大な領地と属国を従えた帝國。 その勢いはまるで沈むことの無い太陽に思えた。 だが、終焉はあまりにも唐突に、呆気なくやってきた。 昭和三十三年 某月某日 スコットランド王国 アバディーン市街地 街が火に包まれていた。 轟々と燃え盛る火の海は木造建築、煉瓦造りの家の区別無く飲み尽くしていく。 一部の鉄筋コンクリート製の建物は残ってはいるが、それも長くは持たないだろう。 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず。唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ……か」 火に沈んでいく町並みを見つめる中年のダークエルフ。 纏う外套はスコットランド軍のものであり、襟には大佐の階級章が縫い付けてある。 その足下を、数匹の火の精霊サラマンダーが火炎を纏いながら駆け抜けていく。 それを見下ろした精霊使いである男の目は、失意と絶望に満ちていた。 「大佐殿、此処に居られましたか」 「ああ……少し、別れを惜しんでいた。少尉、工兵隊の作業の方は滞り無いか?」 「はい」 後ろから来た若いダークエルフの少尉の顔も、疲れと憔悴に満ちていた。 だが、彼は休むこと無く大佐に報告をする。 まるで、動かないと自分がその場に崩れ落ちてしまうのを知っているかのように。 「王都の処理は昨日終了したとの事です……交通網は全てヘビモスによって破壊……南部港は海没させたそうです」 「そうか……まさしく順調だな。我が祖国の幕引きは」 「…………!!」 大佐の空虚な言葉に耐えれなくなった少尉がその場に蹲り、激しい嗚咽を漏らし始める。 普段なら叱責したであろう大佐は、少尉を責めなかった。 ただ、パチパチと爆ぜる火の音に耳を傾けながら、懐に残っていた一本の紙巻き煙草を取り出す。 最後に残った帝國産煙草、"誉"。彼等がこの世界のタバコの葉を使って生産したもの。 飛んできた大きめの火の粉で煙草に火を付け、静かに紫煙を吐き出す。 煙は、少尉の嗚咽と共にゆっくりと空に舞い上がっていく。 まるで、アバディーンへの手向けのように。 帝國は、消えた。 現れた時と同じくらい唐突に、一分足らずの間に全てが掻き消えた。 かつて帝國本土が存在した場所は何もない海に戻り。 神州大陸は良く耕された畑の痕が残る無人島に戻り。 直轄地や属国の帝國関係の施設は人気のない無人の建物となり。 大陸の陸軍駐屯地は無人になり、飛行場は只の広い空き地になり、海軍の軍港は一隻の船も存在しない広い湾となった。 そして、帝國に従う、或いは組む事で陽の当たる世界に出る事を許された種族達。 ダークエルフ、獣人。彼等の後ろ盾は消滅した。 後ろ盾を無くしたダークエルフ達の動きは素早かった。 帝國の直轄地、属国に駐屯していたダークエルフ達は次々と姿をくらましている。 僅かに残っていた、この世界の材料で作られた帝國製の資材や装備の数々と共に。 列強や大陸の国々が帝國消失に狼狽え途惑っていた点があったにせよ、彼等の逃げ足は鮮やかの一言だった。 この辺、混乱し錯綜しろくな手を打てずにマケドニアを各国に蹂躙され、跳散した獣人達とは好対照だと後世の歴史家は語る。 大陸を脱出した彼等は、世界各地にある隠れ里かスコットランド本国に集結した。 その頃には状況を把握した列強がかつての帝国領や直轄領に迫り始め、大陸は大混乱の状態になっていたと言う。 帰還したダークエルフ達は大陸の状況を報告した後、会議室に集まっていた長老達にこう訪ねた。 「本当に、本当に帝國は消えてしまったのでしょうか!?」 「ああ、事実だ。帝國は、神州は、その姿をこの世界に出現させた時と同じように消えてしまった」 信じたくは無かった。信じられなかった。 だが、大陸にいた彼等も自身の目で見たのだ。 食堂で珈琲を共に飲んでいた同僚の日本軍将校が目の前から消え失せるのを。 日本の映画を観ていたら、閃光が目を眩まし、気が付くと何もない『映画館跡』に座っていたのを。 軍港がある丘の上の見晴らし台で艦隊の壮観を眺めていたら、一瞬後にあったのは何も存在しない海原だったのを。 日本人街で買い物をしてたら目眩を覚え、気が付くと其処にあったのは何も店舗が入っていない無人の町並みだったのを。 まるで悪夢のようだ。いや、悪夢だったらどんなに良かったか。 ほんの少し前まで、今まで通りの世界だったのに。まるで、悪夢が現実に侵食したかのような現実。 そして帝國消失から2年後、スコットランド本国にも脅威は迫る。 僅か2年足らずで、帝國が大陸に築き上げた勢力圏が全て崩壊したからだ。 凄まじい混乱の中マケドニアが瓦解、国王を始めとする多くの獣人が国と運命を共にした頃。 ダークエルフ達のスコットランドにも列強の影が徐々に迫りつつあった。 帝國が大陸に進出するのに尽力した忌まわしい存在ダークエルフ。 列強にとって、ダークエルフの国家の存在を許す理由など何処にもありはしなかったのだ。 無理な出費と複雑な外交上の問題をエルフの調停で乗り越えて、急遽組まれた列強の『スコットランド王国攻略連合軍』。 未だ戦火や動乱で燻るかつての帝國領を後にし、大船団は海を渡りかの国を目指す。 かつての、十字軍エルサレム遠征のように大義を胸にし。 エルフ達の導きを得て彼等は海原を進む。 ダークエルフをこの世から殲滅し、帝國の影と足跡を一掃する為に。 昭和三十三年 某月某日 スコットランド王国 アバディーン沖合数q地点 一隻のスコットランド軍大型飛行船が潜水艦の頭上をゆっくりと通過していく。 大佐は最終便である潜水艦隊の旗艦である海大型の甲板上に立っていた。 海大級潜水艦の周りには数隻の二等潜水艦が浮上状態で待機している。 その甲板にも多くのダークエルフ達が立っていて、未だ炎上しているアバディーンの街と爆破された桟橋を見つめている。 「特務大隊の飛行船だな」 「殿の部隊を運んでいる筈です。最早、あそこには我等一族はおりませんでしょう」 ダークエルフは、帝国崩壊の数ヶ月後にはこの事態を見越していた。 そもそもダークエルフが公然と国を建て、活動出来たのは強大な帝國が居たからこそ。 後ろ盾が無くなった今、昔以上に彼等を憎んでいるであろう人間達が、その存在を消したがるのは解りきっていた事。 だから、彼等は逐次スコットランドから離れていった。 列強の手が及ばない大陸の端、或いは離島へと。 自国で生産した数少ない輸送船やスコットランド海軍の総力を用いて。 航続距離の足りない艦船を使用しての輸送作戦は、人員だけでなく機材をも運んだので難儀を極めた。 あらゆる手段を講じて実行し、海流すら操りスコットランドは輸送作戦を大方完遂させた。 残された施設やインフラ、市街は悉く破壊された。 自分達がようやくにして手に入れた悲願の楽土。 ダークエルフ達の神聖な夢の地を、列強どもの野卑な簒奪に遭わせたくなかったからだ。 かくしてスコットランド、闇妖精達の約束の地は火に包まれた。 彼等自身の手によって。 「大佐殿、そろそろ出発します。急ぎませんと先に移動している輸送船団と主力艦隊に追いつきません」 「ああ、解っている」 船長の少佐は真っ赤になった眼を大佐から逸らし、艦内へと戻っていった。 自分の艦を係留していた桟橋を浮上砲撃で吹き飛ばしたのは、彼である。 その心中を察してやるしかない。そう思いながら、彼もハッチへと身を潜らせようとした。 「……」 もう一度だけ、島の方を見る。 かつて、その島には帝國の船に乗ってやって来た。 多くの同族達が歓喜を持ってこの地へとやって来た。 ようやく、安息の日々が我等にも与えられる。 誰に憚る事も無く、憧れていた普通の生活を送る事が出来るのだと。 「唯春の夜の夢のごとし……十五年間の夢か」 ポツリと呟くと、大佐は梯子を伝って艦内へと降りていった。 こうして、スコットランド王国は滅亡した。 ダークエルフ達はより一層苛烈になった弾圧を避けるかのように歴史の闇へと姿を消した。 そして、数十年後。 ダークエルフ達は再び『ニホン』と言う名の国と出会う事になるのである。 それはまた、別のお話。 完