『悲しみの砂漠』中編 「きぃあぁぁぁぁぁぁ!!」 化鳥の如き叫び声と共に曲刀が一閃し、日本兵の胴を袈裟懸けに切り下ろす。 血を盛大に噴き出しながら崩れ落ちる日本兵には目もくれず、サルジャインは振り向き様に自動拳銃を抜き放ち連射した。 「ぐはぁ……!」 「水を与えし者には恩を、血を与えし者には報いを!」 ぶしゅうという鈍い音と共に、将校の胸元に深々と短刀が突き刺さる。 ターバンと口元を覆う布、柔軟な皮で作られた皮鎧に身を包んだ砂漠の兵が誓いの叫びを上げながら突進していく。 刀技兵の何人かが銃撃に捉えられ、血を噴き出しながら倒れるがそれでも怯まず距離を詰めて白兵戦に持ち込んでいった。 炎上する機関車、彼方此方から黒煙を噴き上げる貨車。 貨車の上にある重機関銃は狂ったように暗闇に向かって銃撃を行い。 停車した列車の周囲では銃声と怒号、悲鳴や断末魔の叫びが交響曲のように束ねられていく。 貨車の1つに手榴弾を放り込んで中の資材を吹き飛ばすと。 線路の枕木に灰色の小瓶を叩き付けながらサルジャインは声を張り上げた。 「撤収、急げ!」 「撤収!」 「撤収!」 「負傷者を見捨てるな!」 長の叫びに呼応するように、砂漠の戦士達は貨車や線路に次々と小瓶を叩き付ける。 たちまち辺りは白煙に包まれ、視界が全く効かなくなる。 更に銃撃が激しくなるのを避けるようにして、彼等は砂塵に紛れ近くの渓谷へと後退した。 あの悲劇の日から2年近くが経過した。 クカーン砂漠は日本帝國が統治する事となり、現在では各地に油田が建設され原油が汲み上げられていた。 それらは突貫で引かれた線路によって次々と後方の大陸に建設された精油所へと送られている。 悲劇の日から僅か数日後に、準備していたように迅速な速度で進軍して来た日本軍は速やかに砂漠の各拠点を制圧した。 抵抗は拍子抜けする程に無く、彼等が目にしたのは天幕や家財一式を砂馬や駱駝に積んでオアシスから去っていく遊牧民達。 無論、"併合"を宣言する為に訪れた氏族の屋敷でも同じだった。誰も彼もが、クカーンから去る準備をしていた。 彼等の日本人達を見る目。それは極めて冷ややかだった。 尤も、それは日本帝國にとって歓迎すべき事でもある。 なまじ居座られてゲリラ活動を行われたりするよりは遙かに良い。 日本帝國がクカーン砂漠に求めているのは領土的価値でも産業でもない。 原油、ただ1つだ。油田を建設出来て、原油を産出出来ればそれでよし。 それに、彼等に去って貰った方が、保証やら現地への気遣いに頭を悩ます事はない。 実際、"併合時"に残余していた氏族達は帝國が提示した条件には一切興味を示さなかった。 その彼等も、世界を巡回して戻ってきた商隊や傭兵団に連絡と指示を出した後、次々とクカーンから姿を消している。 帝國の空爆から僅か半年で、千年以上の歴史を誇るクカーン遊牧民族の全てがその故郷から去っていった。 全ては順調。 そう思えても不思議では無かっただろう。 実際、2年間の間、全く妨害は無かった。 聖域の掘削作業時ですら平穏そのものだった位である。 しかし、それは嵐の前の静けさに過ぎなかったのだ。 油田の産出量も右肩上がりで輸送列車が不足し始めた頃。 2年間の沈黙を破り、彼等は行動を開始した。 日本帝國軍司令部 「また襲撃か!」 会議室の空気は非常に重苦しかった。 司令官と参謀達の手にあるのは、クカーン砂漠方面の司令部からの報告書。 そこには、頻発する列車への襲撃と線路の爆破、日本軍施設への破壊工作が事細かに報告されている。 「たった3ヶ月足らずで数十カ所の線路の爆破と、十数回にも及ぶ原油輸送列車と物資輸送列車に対する襲撃ですか……」 「クカーン砂漠の連中め、今更戻ってきて我等に仇なすとは」 「汲み上げポンプも破壊されたらしいですな。発見された工作員がポンプの根本で自爆したらしい」 「その為、計画よりも大幅に原油の産出と原油の輸送計画が遅れています」 「んな事、見れば解る! 警備部隊は何をやっとるのだ。皇軍が遊牧民如きに翻弄されるとは何事か!」 「それが、敵兵は神出鬼没であり出現地が特定出来ない上、拠点も不明なので討伐しようにも出来ない状態でして」 「また、我が軍は砂漠の戦闘に慣れてはおりません」 「そんな事が言い訳になるとでも思っているのか馬鹿者! ダークエルフ達は何をしている!?」 「彼等を此方に回す余裕は無いそうです。大半がローレシア方面や他の列強に投入され、残りも本土で『義挙』の後始末に従事しています」 「ぬ、ぐぐぐ……戦略爆撃も、出来ないのか?」 「爆撃しようにも、クカーンの街や集落の悉くはものの抜け殻ですので、効果は何も得られないかと」 今更ながらに、遊牧民達が砂漠を去った理由がわかる。 彼等は、あの頃から既に日本帝國に対する抵抗を考えていたのだ。 無人の状態では情報の漏洩も無く、おまけに最悪の手段"人質"すらも取れない。 そして、彼等は帝國の手の及ばない遠方や列強の後方に居るのだ。 「民兵達は、我が軍から奪った銃器で武装しているとも報告を受けています。歩哨や監視所が頻繁に狙撃を受けているそうです」 「現状では、線路と油田を堅守して近寄らせない。これぐらいしか手がないとでも言うのか!?」 「はい、彼の地に回せる守備兵力の余剰は、先月派遣した増援部隊で手一杯です。義勇兵達は数は揃っていますが装備も戦意も良質とは言えず、積極的攻勢にはほど遠い有様です」 「陸軍航空隊も半年前にローレシアとの戦線に半数以上が派遣されました。こちらの精油所や都市部の防空を考えると、数が不十分です 「精々が線路沿いに巡回するのが手一杯ですな。それも、夜間は全く期待出来ない」 「既にローレシアとの戦端は開かれている。もう、後戻りは出来んこの時期に……!」 「彼等は、この状況を待っていたのかもしれませんね」 「そんな事はどうでも良い! 儂が聞きたいのは連中を討伐出来る打開策だ!!」 「「「…………」」」 会議室を気まずい沈黙が覆い尽くす。 そんな会議室に吉報がもたらされたのは、不毛な議論を続けた数時間後の事である。 砂漠に点在する岩山の一角。 其処に、クカーン砂漠の民達の抵抗拠点があった。 岩の壁面を利用して巧妙に隠蔽された出入り口を潜ると、天然の洞窟や風穴を拡張した地下陣地が広がっている。 クカーン砂漠には、多くの岩山や枯れた谷があり、それらをクカーン民兵達は隠し拠点としていた。 「サルジャイン様。負傷者の手当、終わりました」 「そうか。内訳は?」 「25名中、9名が軽傷で10名が重傷で国外へ搬送、残り6名は……これ以上苦しまぬよう処置致しました」 「……ご苦労。重傷者は次の定期便の時に搬送する。それまで出来るだけ楽にさせてやれ」 「はっ」 一礼して去っていく薬師長を見送り、サルジャインは僅かに溜息を付いた。 ここは洞窟陣地の最奥、彼の私室であった。ゴツゴツとした岩肌を見つめながら、彼は物思いに耽る。 (また、数多くの戦士達が逝ったか) 帝國との戦端をきって早三ヶ月。 今の所は好調に戦果を挙げている。 物見隊や砂蛇兵(サンドウォーム・ソルジャー)の報告によれば、帝國の黒い水の搬出は大幅に遅れている。 そして、それらを護衛していた帝國兵達にも少なからぬ損害を与えて来た。 この分ならば、ローレシアとの密約通りに帝國軍の兵器の稼働率を下げる事が出来る。 少なくとも、帝國本土から離れた位置での戦線では。 勿論、クカーン兵達の損害も夥しかった。 開戦時の兵士達の約半数が既に負傷して国外に退去したか砂の精霊の御許に召されている。 現在の手勢は、各氏族の精鋭兵と国外の戦場から戻ってきた歴戦の元傭兵達。 彼等は砂漠の各拠点に配置され、サルジャインの指揮に従って帝國軍への作戦行動を取っている。 他にも国外でクカーン傭兵団や義勇隊が待機しており、サルジャインからの増援要請が入れば続々と砂漠に帰還してくるだろう。 しかし、それでもサルジャインは被害の多さに顔を苦渋に歪ませていた。 (やはりテイコクは強大だ……雌雄の時を置かなければ、被害はもっと凄まじかっただろう) 2年間、クカーンの民達は対帝國の準備を周到に進めてきた。 帝國軍とまともに戦えば勝ち目など無い。それは解りきっている事。 だからこそ、サルジャインは復讐の声を上げ猛り狂う部下や民を諫め、2年間を雌雄の時とする事を宣言した。 『勝つ為には、帝國を知れ。総力を挙げて、帝國を知れ。それなくしてテイコクを打倒する事叶わず』 帝國を打倒するには、彼等を解析しなければならない。 指導部と首都を一瞬にして灰燼にせしめた日本帝國に対抗する術を身につける。 その為に、クカーンの民達は各々のすべき事を開始した。 帝國勢力内で商売を行っていた者達が集められ、情報が集積された。 また、行商隊が頻繁に交易を行い、より一層の情報の収集が実施された。 帝國軍が行っている掃討戦区などに間者が送り込まれ、戦いを観察した。 帝國に敵対する国に密約を持ちかけ、交渉を行った。 クカーンの世界規模に達する情報網を対帝國に向け、分析を行い。 それらを参考に充分な準備を行い、刻を待った。 クカーン砂漠占領から2年後。 反帝國姿勢が強硬化していたローレシアと、"義挙"で揺れていた帝國が戦いの火蓋を切ったのだ。 そして、帝國の対ローレシア戦開始から数ヶ月後、遂にサルジャインはクカーンの民に号令を下した。 「好機は来たり、不浄なるテイコク人達を我等が母なる砂漠から追い払うのだ!!」 今のところ、戦いはクカーン側が優位に進めている。 帝國の兵力は幅広い範囲の戦線で戦いを行わなければならず。 クカーン砂漠と側にある属国に駐留している部隊すら、何割かローレシア戦線へと持って行かれた程兵力に余裕が無く。 代わりに義勇兵と称する現地人兵部隊が組まれていたが、彼等は大して脅威とはされてはいなかった。 クカーン傭兵の名を聞くだけで戦意を摩耗してしまう程の弱兵である。事実、あっさり蹴散らされていた。 それに引き替え帝國兵達は強かった。 彼等の強みである"帝國製火器による中遠距離からの圧倒的火力制圧"。 これを封じる為のあらゆる試みが行われた。 クカーン兵達には誇りはあっても騎士達のような行儀の良さはないから躊躇もなく実行されている。 煙幕、擬装攻撃、伏撃、奇襲、狙撃、超近接戦闘、地形を生かした攪乱。呪術との連携攻撃。 少なくない犠牲を払って得た戦訓を元に考え出された戦法は、確かに帝國兵の優位を狭めた。 しかし、それでも彼等は手強く、一部では逆襲を受けた場合もあった。 只単に兵器を作る技術が進んでいるだけではない。それらを扱う人間も強靱。 その事をサルジャイン達は味方の犠牲という代償を持って教えられた。 (だが、一度決起した以上戦い続けねばなるまい) この戦いばかりは、鞘を納める方法が帝國からクカーン砂漠を奪還する以外に収まりようがない。 そうでもしなければ、クカーン遊牧民族は内部崩壊を起こしてしまう。 彼等が世界を巡る事が出来るのも、異国の戦場を駆ける事が出来るのも。 全ては、魂の還るべき場所であるクカーンの砂海があるからだ。 この戦いは、クカーン遊牧民族にとって退く事の出来ない戦いである。 だからこそ、サルジャインはあの悲劇の後、残った氏族全てを説得し、最大の屈辱である砂漠からの総員退避を行ったのだ。 全ては、強大な帝國に打ち勝つ為に。魂切りそうな怒りを抑えて行ったのだ。 (テイコクが損害に耐えかねるかローレシアとの戦いでしくじるかして母なる砂漠を去るか、我等が悉く討ち死ぬか、だ) 今回の戦いは不退転。例えサルジャインが死んだとしても、最後の一兵まで戦い続けるだろう。 クカーン人達の心中の奥に秘められたもの、それは帝國への憎悪だった。 クカーン砂漠に手前勝手な理由で攻め込み民達を一方的に戮殺し、聖地を汚し、我がモノ顔で所有している者達への憤り。 勿論、それはサルジャインにとっても同じだった。 あの悪夢を思い出す度に、心の中をどす黒い感情が吹き抜ける。 焼け落ちていくハガームの街を目にした時から心の中に巣くう悪意は、2年経っても収まらない。 「……む」 悪夢を思い出してしまったのか。 拳を強く握りしめ過ぎて自分の掌の内側の皮が破けてしまっているのに気付き、今度は大きく溜息を付く。 (いかんな、このような有様は部下達に見せられん) 指揮官が激情に走るのは危険である。 あの爆撃で死んだ『刀技』の長の教えを思い出し、呼吸と感情を整える。 と、その時、側近の刀技兵がサルジャインの部屋へと飛び込んできた。 「大変です、サルジャイン様!」 「何事だ騒々しい」 「ニマラ渓谷が……東部拠点が襲撃を受けました!」 「何だと!?」 部下は、思わぬ凶報を持ってきた。