『悲しみの砂漠』前編 「報告によれば、明日、連中はこの場所に集まる。作戦を敢行するまたと無い好機です」 「……確かに今は一刻の猶予もない。だがこのような作戦は!!」 「……やらねばならないのです。彼処ほど好条件の確保場所は他にはありません。致し方が無いのですよ」 「……貴様」 「全ては、我が皇国と陛下、臣民の為に。その為ならば、手段は問う必要などありませんよ」 クカーン砂漠。 とある大陸の端に広がる砂漠地帯である。 広陵な砂地とステップ地帯が交互に広がり、僅かな緑地帯とオアシスに多くの遊牧民が住んでいる。 彼等は母なるクカーン砂漠を拠点とし、世界中を巡る行商人達であり、戦場で名を馳せる勇猛な傭兵であった。 その日、遊牧民達の首都とも言えるオアシスの街"ハガーム"は、大いに賑わっていた。 何せ、この砂漠に点在する18の氏族の長達が集結しているのだ。 長が連れている側仕えの者達、護衛達は相当な数になっている。 この様な大きな集会は砂の精霊を讃える祭りでも有り得ない。 だが、彼等は集まる必要があった。この砂漠に生きる者達の運命が、この日決まるのだから。 「族長の方々は集まったようですな父上」 「うむ、そろそろ儂も議場に入らねばなるまい」 オアシスの側にある街の中央、其処に立つ大邸宅のベランダで老人と美丈夫が話し合っていた。 彼等の目線の先にあるのは、円状のドームで構成された議場。 この砂漠に住まう遊牧民達が大事な議題を話す時に使用する会場である。 その出入り口には、各々の族長の家柄を示す旗が大きく靡いている。 警護の兵士に囲まれた族長と側近らしき者達が会場の扉を潜るのが見えた。 「しかし、申し訳ありませぬ父上。このような重大な日にお側に立つ事が出来ぬとは」 「よいよい、サルジャインよ」 皺深い顔を僅かにくしゃりと動かし。 ターバンを巻いた老人―――この砂漠で屈指の勢力を誇るハガームの氏族長は息子に向き直る。 彼の息子であるサルジャインは彼の父親と同じく氏族の誇りであった。 屈強な身体、秀でた武術と聡明な頭脳。老年に達して久しい今の族長が退けば彼が新しい族長となる。 誰もがそうなると信じて止まない程彼は秀でていた。他にも親族内に族長候補が該当するものの、彼等が謙遜した位である。 「南の交易路は我等の守備管轄。そこに隊商を襲う輩が現れたとなれば征伐するのが武の頭領の務め。のぅ、サルジャインよ」 「……は、解っております」 「まぁ、そんな顔をするでない。まだ、テイコクとの交渉が決裂した訳でもあるまいて?」 テイコクの単語に、サルジャインの眉が微かにピクリと動く。 それを見て取った族長は僅かに苦笑した。それは、息子が不機嫌になった時の証なのだから。 「父上、あの者達は列強よりも油断なりません。確かに、彼等の統治は優れていると聞いております。ですが」 世界を巡る行商人達の集めた、或いは間者達が集めたテイコクの情報。 それは正しく雑多であった。讃えるものから、憎悪するものまで様々である。 その中で、サルジャインの警戒心を煽るモノが多数含まれていた。 彼等がこの世界に現れて数年の間、彼等の現れた地方にあった小国が幾つも滅ぼされているのである。 その後、ロッツェル王国がテイコクの傀儡となり、列強の1つに数えられていたレムリアも軍門に降っている。 野心的で覇権主義なのは列強も同じである。愚かな領土的野心でクカーンが攻められた事は幾つかあった。 だが、いざとなれば彼等以上に無茶をする危うさがテイコクにあるのを、サルジャインは寄せられる情報から感じ取っていた。 そして、一ヶ月前からこの地に訪れているテイコクの使者、彼等からも不穏なモノを感じ取っていた。 「テイコクの統治下に降り、おまけに多くの土地、特に"聖域"を割譲しろ等と……とても受け入れられません!」 "聖域"とは、彼等砂漠の民の伝承で"砂の精霊との契約を結んだ場所"とされている大きな巌のある窪地である。 それと同時に、この砂漠の彼方此方にわき出る黒い水が多く産出する場所でもあった。 遊牧民達は、この地に祭事以外に立ち入る事を同族であろうと堅く禁じている。 何故、テイコクがクカーンに手を伸ばして来たのか。何故、聖域に拘るのか。 サルジャインは、テイコクがこの地の近くまで進出して来た頃から間者を使って彼等の動向を探っていた。 そして、彼等が使う兵器やカラクリにあの黒い水が必要らしいと言う事を突き止めていた。 「お前が報告してきたように、テイコクはあの黒い水を欲しておる。だからこそ、このクカーンを手中に収めたいのじゃろ」 「ですから、こちらもあれが吹き出ている土地を幾つか融通すると申し出ているのです。それなのに!」 基本的にクカーンの民達は戦争を避けたがる。 如何にクカーンの兵士達が精兵であろうとも、消耗戦となれば多大な被害が出る。 故に、巧みに外国からの干渉を退ける事に長けている。 クカーンにはダークエルフを頼らずに独自に育てた間者が多数居て、世界中を行商人として歩き回っている。 遊牧民の集まりに過ぎない彼等の諜報力がずば抜けて高いのはその為であり、彼等のもたらす情報によって外交に先手を打てていた。 尤も、クカーンは列強同士の勢力争いの版図から大きくずれた位置にあり。 砂漠地帯である為攻めにくく、占領したところで"旨味"が無いから攻められないという部分が大きい。 だからこそ、クカーンは長らく平和を謳歌して来たのだ。 ―――テイコクに、目を付けられるまでは。 「そういきり立つでない。彼等が無茶を押し通そうとしているのは儂にも解る」 事実、十日前に訪れた使節団の態度は極めて高圧的だった。 彼等の連れてきた兵士達も噂に聞く鉄の筒で重々しく装備しており、ハガームの兵達と一瞬即発の雰囲気になりかけていた。 使節団と共にいた上級軍人と覚しき男など、恫喝に近い言葉を言ってのけている。 殺気立った『刀技』の長や『呪術』の長がまなじりをつり上げ、族長が一喝しなければどうなっていたか解らない。 普段は穏和な性格で有名な『書記』の長でさえ、会話を記録していた筆をへし折った程険悪な会談であった。 「だからこそ、次の使節団が来る半月後の日に出す答えを、儂らは話し合うのじゃよ。この母なる砂漠に住まう者達の総意をな」 「……結果は、出ていると思います。何があろうとも、聖域を手放す事は出来ません」 「じゃが、聖域の代理を捜し出す事は出来る。現に、呪術使いの者達を用いて、黒い水の探索が始まっているからの」 「ですが、それでテイコクは諦めるでしょうか?」 彼等は酷く焦っているように思えた。 だからこそ、あのような力尽くとも思える脅しをかけて来たのかもしれない。 焦った人間と国家は何をするか解らない。 少年時代に傭兵として諸国を見聞していた頃に、サルジャインはよくその事を学んでいた。 「何とか諦めて貰わねばならん。彼等の力は強大じゃ。列強を相手にして打ち負かせる程に」 「伝え聞いております。ローレシアとの緊張が高まっており、他の列強も警戒を厳に高めているとか」 「そのような時期に武力を要した事態となれば、クカーンと民達は多大な被害を被るであろうよ。じゃからこそ」 「可能な限り、外交での決着を試みよと」 「その通り。戦いとはあくまで最後の切り札よ。剣を抜く事は容易いが、逆に抜いた剣を鞘に戻すのは容易くないのじゃ」 サルジャインは偉大な父親の言葉を胸に刻みながら、傍若無人なテイコクに対する憤りを胸の奥へとしまい込んだ。 そして誓った。族長がそのように指針を定めたのならば、自分もそれに従おうと。 「この老骨はもうじき族長の座を降りねばならぬ。その時は、お前がハガームの旗と一族を背負う事になるのじゃ」 「はい」 「お前は少し武に走りやすい気がある。全てを背負う者は広くモノを見なければならぬぞ」 「承知しております父上」 深々と頭を下げるサルジャインに、僅かに頷いて見せる族長。 彼は信じていた。この頼もしい息子が、ハガームと、クカーンの全てを守護する人物になる事を。 議場へ向かう族長と別れ、サルジャインは自分の兵達が集結している鍛錬場に向かう為馬に乗ろうとしていた。 「では、行ってくる。サーシャ、父上の世話、よろしく頼むぞ」 「はい、あなた。御武運をお祈りしております」 「いってらっしゃい父上!」 門の手前で愛妻との抱擁を交わし、馬の鐙に足をかけようとしたサルジャインに幼く甲高い声がかけられる。 模擬刀を片手に持ったまま小さな手を振って来る息子に、口髭に覆われた口の端が僅かに緩む。 普段は厳しく接しているものの、彼は息子を溺愛していた。 「うむ、行って来るぞガリシュ。私の居ない間、剣の訓練を怠らぬようにな!」 「当たり前です。今度こそ父上から一本取って、僕も戦いの場に連れて行って貰いますから!」 「はは、頼もしい言葉だが。一本取る前に、いい加減私に転ばされないようにしておくのだな」 「う、あ、当たり前です! もう、もう転ばされたりしません!」 ムキになる息子に苦笑し。妻に目を転じると彼女も苦笑していた。 立場上忙しくて、なかなか家族だけの時間を持てない。 そんな彼等にとって、このような団欒は貴重であり、とても幸せな時であった。 サルジャインは知らない。 これが、彼の人生において最後の幸せな時間である事を。 異変が起きたのは、サルジャイン率いる討伐部隊がオアシスを発って2時間程南下した頃だった。 「サルジャイン様、風読み達が呼んでおります」 「何だ、異常でも感じたのか?」 「いえ、何か、上空で大きな動きがあると、その動きが凄い早さで近付いているそうです」 副官の言葉に眉を顰めたサルジャインは、砂馬の腹を蹴って隊列を遡る。 縦列の中央程にある馬車の上で、風読み―――広範囲の索敵を行う呪術師達が精神を集中していた。 「どうした。以前のようにワイバーンでも侵入して来たとでも言うのか?」 「いえ、違います。何か……全く、未知の存在です。動きが速すぎて、補足するのが手一杯です!」 汗を垂らしながら近付いてくるそれを補足しようとしている風読み達。 「信じられません。ワイバーン・ロードよりも早い飛行物体が接近中です……数、二十数体前後!」 「サルジャイン様、前方より妙な音が聞こえます!」 グオォォォンという腹に響く音。 彼等砂漠の民は直接知らなかったが、これが飛行機の出す爆音だった。 それは、急速に大きくなり、やがて上空に何かが見えて来る。 「な、何だあれは!」 「あれは……テイコクの機械竜です!」 「何だと、あれがそうか!」 「はい、自分はレムリアの空を舞うあれを見ました!」 「上空警戒のワイバーン隊、追撃出来ません!」 最近、砂漠に帰還した部下が上空を猛スピードで駆ける編隊を指さす。 それら機械竜は、追い掛けようとするワイバーン数機を易々と振り切ってしまった。 空を見上げて驚きの声を上げる討伐隊を余所に、胴長の機械竜達は上空を徐々に高度を下げながら通過して去って行った。 その編隊が向かう先。 それは―――彼等が出て来たハガームの方角。 「ま、まさか!」 ワイバーン達の爆撃は、戦場で何度も見てきた。 空からの爆撃がもたらす脅威とその効果も充分に知っている。 テイコクが従来の防空迎撃を無効化して思う様に爆撃を行う事が出来るのも伝え聞いていた。 しかし、まだテイコクとの交渉は続行中の筈だ。宣戦布告すらされていない。 しかも、何故このタイミングで、何故この日にあのオアシスを目指す? 「全隊反転、ハガームへ戻るぞ!!」 言い知れない焦燥を胸に抱き、サルジャイン率いる討伐隊は全力でハガームを目指す。 サルジャインは願っていた。自分の抱いている焦燥と、彼の思い描いてしまった予測が杞憂である事に。 そして、彼の願いは。 「前方より、爆発音多数!」 「風読み隊より通達、ハガーム周域の風がかつて無い規模で乱れつつありとの事です!」 「わ、ワイバーン隊より、ハガームより、多数の黒煙が上がってるのを視認……なんて、事だ!!」 敢え無く、断ち切られたのであった。 ――― 「……爆撃隊、離脱します。ハガームの街は?」 ハガームの街から数キロ離れた砂丘の上で、2つの人影が蠢いていた。 砂漠と同じ色の服を着込み、上に迷彩と砂漠の炎天下を防ぐ為のシートを被っている。 1人は、双眼鏡を覗き込み、1人は長いアンテナを伸ばした通信機を弄くっていた。 「……爆弾と焼夷弾満載した呑龍二十数機の精密爆撃だぞ。結果は見ての通りだ」 「…………」 爆炎と無数の黒煙が立ち上る街を見つめつつ小さな声で呟く。 その表情は、必要以上に無表情であった。 「報告は……そうだな、『爆撃機群は作戦目標を果たした』。以上だ」 双眼鏡を覗いていた方が、無線機を弄っている方を見る。 表情を殺しては居るが、彼がこの作戦に極めて不本意な思いを抱いているのがありありと解る。 そんな相棒に対し、日焼けして彼等の名前通りに"真っ黒になった"長い耳を弄りながら男は呟いた。 「しょうがないだろ今更そんな顔しても。あの街に今日この辺の族長が集まるのを伝えたの、俺達だぜ?」 「そうか、作戦は成功したか。直ちに大陸総司令部に連絡を取れ」 「は!」 秘書が退室した後、部屋には司令官と派遣された参謀だけが残された。 「上手くいきましたな。これで、クカーン砂漠の主な指導者達は一掃された」 「そうだな」 「後は、手早く残存している氏族達を制圧。線路を敷いた後、採掘する設備と人を送り込めば全て事は済みます」 「…………」 「少将閣下、今回の作戦には不本意なのですか?」 「当たり前だ! 幾ら、列強との戦端が迫り、石油が今まで以上に必要だからとはいえ、あのような蛮行!」 「そうですね。宣戦布告も無しに、あのような騙し討ちと無差別爆撃。確かに気分の良いモノではありません。しかし」 参謀は、優雅な仕草で手にしていた紅茶を啜り、自分を睨み付けている司令官に向かって穏やかな口調で囁いた。 彼等にとって、絶対とも言える言葉を。 「これは、御国の為なのです」 ――― 猛火に包まれているハガームの街。 特に議場を含む中心は火の海と貸していて、消火活動すら行えない有様になっていた。 無論、其処にいた人々は悉く焼け死に。たった数時間で、クカーンの主な指導者達は全て失われてしまった。 「そんな……父上!」 あまりの惨状に、討伐隊の者達は言葉すら失っていた。 中には泣き叫んで蹲ったり、絶望の叫びを上げる者も多数居た。 当然だろう、彼等に取って此処は故郷なのだから。 火災は、オアシスの水全てを使っても足りないと言わんばかりに凄まじい勢いで燃え盛る。 ハガームの全てを、焼き尽くさんとばかりに。 「サーシャ、ガリシュ……!」 サルジャインの屋敷も、議場に近い場所にあった。 彼の目に、焼け落ちて崩れていく屋敷の屋根が見える。 ガリシュが昇って降りれなくなり、自分が昇って助け出した屋根。 それら全てが、紅蓮の焔によって包まれ、全て灰へと変えられて行く。 「何故だ……」 見開かれた目から涙が流れ落ちる。 故郷を焼かれたショックに打ちひしがれていた副官がサルジャインの方を向き、思わず後退る。 「何故だテイコクゥ―――――――――!!!!」 サルジャインは、血の涙を流していた。 後編へ続く。