『ビック・ホール』 遙かなる太古の昔。 地も天も海も全てが1つの時代。 創世の御世、世界は混沌の只中にあった。 あらゆる種族が生まれ、そして消えていった。 その中に、闇の中で生きる種族があった。 光を嫌い、太陽を忌み、世界が須く夜で閉ざされる事を願った者達。 彼等は人の形をとりて世界を欲し、創世を司った光の神々へと刃向かったという。 ―――仮初めの形しか持たぬ者如きが我等に逆らい、世界を支配しようとは不届き千万。 ―――闇は闇に相応しい地の底の果てへと去るがいい。 主神たる太陽神の怒りに触れ、闇の化身達は地上にぽっかり開いた穴へと放り込まれた。 穴には結界が張られ、その後彼等を見た者は万年を過ぎた現在でも無いと言う。 神々が神話の彼方に姿を消し。 代わりに人間達が世界を支配した。 彼等の事を覚えている者は数少なく、事実は物語や神話に姿を変えた。 更に時代は流れゆき、その物語や神話すら人々は忘れていく。 記憶は遥か彼方に。 誰もが、忘れ去っていった。 だが、幾ら世界が忘れようとも。 幾らその存在が無かった事にされようとも。 確かに、彼等は存在し。 そして、地上への怒りと憎しみを忘れずにいたのだ。 幾万年間、溜めに溜め続けた負の力を刃とし、地上を常闇へと沈める夢を忘れずにいたのだ。 そして、彼等は動き出した―――。 その穴は、巨大であった。 人類未到の地、大陸の遥か奥地。 幾多の文明圏の何れからも外れている平原の果て。 不毛の荒れ地が連なり、猟師も旅人も寄り付かぬ場所にその穴はあった。 直径100M程の巨大な縦穴。 真っ暗で虚ろな穴からは、不気味な風音が響き渡っている。 その闇の空間を何処までも何処までも降りていくと、やがて大きな空洞へと辿り着く。 其処には、大きな祭壇があった。 祭壇の前に広がる空間には、大きな澱みが広がっていた。 どれだけの大きさなのだろうか。そこにはある物質が溜まり込んでいる。 確かめる事が無理な程、それは膨大な質量であった。 昏い笑みが祭壇と暗い空間を包み込む。 笑みは幾重にも連なり、まるで波の様に広がっていく。 祭壇の前に立つ、人状の物質。黒いタールで人間を覆ったような人の形がそこに居た。 彼を先頭に数万人の人影が祭壇の前に集っていた。数万人分の昏い哄笑が空間を覆っていく。 ―――遂に、遂に悲願成就の刻が来た。 ―――憎き神々は既に世界を去り、もはや我等を留めるものは居ない。 ―――あの忌まわしい結界はこの前の時空移動らしき現象で機能しなくなった。 ―――今こそ、地上を手に入れる好機! 哄笑と地上への渇望は留まる事を知らず高まり。 祭壇の前に立っていた人形が両手を大きく掲げて叫ぶ。 ―――いざ、開かれん。地上への道よ。 下に溜まっていた"気体"、彼等の術によってある程度の制御を加えられたものがうねりを上げる。 一度地上への出撃命令が下れば、それらは一直線に地上へと向かい、空を舞うだろう。 空を舞ったそれは、大きな生物反応……例えば人間の密集している都市などに自動的に誘導され突入する。 火に接触すれば引火し都市すら壊滅させる大爆発を起こすとんでもない塊が。 そんなとんでもないものがどれだけこの世界の空を舞うのか。 貯蔵量を考えれば幾百では足るまい。幾千であろうか、万に達するかもしれない。 闇のモノ達の万年に渡る狂気の妄執が、これだけの存在を作ったのだ。 普通に投下されれば、人類の文明圏全てを破壊し尽くせる程のものを。 勿論、迎撃されたり途中で引火して目的を果たせない場合も多いだろ。 これらの気体はちょっとした火気で引火するのである。 しかし、彼等にとってそんな事は問題ではない。 この地下で爆発せず、地上で爆発すれば何処で爆発しても問題は無いのだ。 彼等の目的は地上の殲滅。全てを滅ぼし、己達が住みやすい世界へと作り還る事なのだから。 今存在する地上の全ては目障りであり、不要なモノ。 いっそ綺麗さっぱり消えてしまった方が、彼等にとって都合が良いのだ。 全く持って単純である。 故に極めて危険だった。 そして、一番危険なのは、人間達やエルフはこの脅威に全く気付いていなかった。 世界の守護者を自認するエルフ達ですら知らない程、闇のモノ達は古の存在なのだから。 彼等の行動を妨げるモノはなく、妨げようにも既に行動は最終段階に入っていた。 もう、後は穴の天蓋をこじ開け、"気体"の群れを放つだけなのだから。 世界の破滅は、目前に迫っていた。 ―――開放! 祭壇の真上で閉ざされていた天蓋が開かれる。 神の力で塞がれていた岩戸がゆっくりと開かれる。 遥か上に広がる夜空に、闇の者達が再び歓喜の声を上げたその時。 ―――これは……伝承に伝わる、雨か? 真上を、地上世界へ通じる道を見上げる彼等に大量の液体が降り注いで来た。 「ふー、よく出るな」 巨大な穴の上空で、男は用を足していた。 驚くことに、火竜の背中に仁王立ちの状態でである。 穴の方に僅かに竜の姿勢を尻尾の方を下げる形にし、本人は鞍に縄を掛ける事で半分ぶら下がるような感じだ。 彼の息子から迸る凄まじい量の小水。 それは、人間の出す量の許容を遙かに超えていた。 「しかし、この敢行を始めてから何だか尿の量が増えたな……?」 変なものばっかり食べているからかもしれない。 変な円盤に乗った小人。海底から這い上がってきた変な文様の蛸。 道に立ち塞がって大笑いしてたので撃ち殺した一本足の鬼。(その後、何故か近くに住んでいたホビット族に感謝された) ……心当たりが多すぎて困るのが彼らしいと言うか。 大便の方も量が1回の量が100Kgに達している。 尤も、用を足すのが大小共に数日に一度で良くなっているのでこれはこれでバランスが良いかもしれんが。 そんな事を考えつつも、男は葉巻をふかしながら小便を続けた。 この葉巻は男の探索に付き合っている部下の1人にプレゼントされたものだ。 男の正体が発覚するまで、煙草製造の職に就いていたらしい。 「これもなかなか美味いが……久し振りに誉も吸ってみたいものだ」 出来れば、出発の際に吸った恩賜の煙草をもう一度吸いたい。 小水と言うよりは放水とも言える勢いの小便をようやく終わらせ、男はずらしていた褌に息子を納め直した。 「しかし、嫌な音だな……」 足下から、穴から聞こえる妙な音。 先程から聞こえ始めたのだが、何とも薄気味悪い。 数百キロ彼方の野営地からここまで空中散歩と偵察を兼ねて飛んで来て偶然にこの穴を見つけ。 丁度もよおした尿意を戯れにこの穴に向かって開放したのである。 この有様を知人が見たら、奇行好きめと毒づいただろう。 「あちっ」 気が付けば、葉巻が随分と短くなっていた。 顔を顰め、穏やかな夜風に吹かれて煙を揺らしている葉巻を口から離す。 「お、そうだ……」 男の表情が悪戯っぽく歪み、葉巻を手で摘んで構える。 その先には、真下に広がる暗い穴。先程からの音は、更に大きく鳴っている。 ドラゴンが不愉快そうに首を左右に振った。何か、嫌なものを感じているのだろう。 しかし、男はドラゴンの様子には気付かなかった。 気付かぬ代わりに、手にした葉巻を、 「よっと!」 華麗なシュートで穴の丁度真ん中辺りに放り込んだ。 穴の中に吸い込まれていく葉巻を見送り、男は無意味にガッツポーズを取る。 「成敗!」 不愉快な音でも退治したつもりになったのか、上機嫌の男はドラゴンに急上昇を命じた。 グングンと遠ざかっていく穴と地上、男と竜の前に雲が近付いて来た次の瞬間―――。 「ぬおぉぉぉぉ!!!???」 背後から迫った轟音と衝撃波、そして閃光に男の乗ったドラゴンが大きく前に押し出された。 必死に姿勢制御を取るドラゴンと、ドラゴンから振り落とされまいとする男を翻弄するかのように衝撃波は更に押し寄せて来る。 何度も大きく姿勢を崩しながらも、ドラゴンは全速で上昇を続ける。 そして、何とか男を振り落とさずに雲の上へと辿り着いた。 「い、一体……何が、起こったの……どわぁぁぁ!?」 ドラゴンに必死の形相でしがみつきながら、男は背後を振り返る しかし、其処に広がっていた光景に、男は暫しの間絶句した。 雲を突き抜ける程に高々と盛り上がって行く巨大な雲。 丁度、茸状のその雲は、眼下から聞こえる天地を切り裂くような轟音と共に更に大きくなっていった。 その轟音は絶える事なく、更に爆発音が大きくなっている気がする。 男には、それが何かの爆発によって出来た雲だという事だけは理解出来た。 しかし、一体どれくらいの破壊エネルギーがあればそれが発生するのかについては想像が付かなかった。 そして、どうしてそんな爆発が起きたのか、やはり想像も付かなかった。 「ありえん……一体、何が起こったのだ?」 男の唖然とした呟きは、ドラゴンが再び雲に突っ込むまで消える事は無かった。 こうして古き闇の者達による世界壊滅のピンチは去った。 しかし彼等の計画及び存在と、それを防いだ1人の軍人の活躍は誰に語られる事もなく歴史の闇へと放り込まれるであった まる。