『闇から喚ぶ声』 神州大陸のとある港町。 そこで野外に外出した民間人が行方不明になる騒ぎが発生した。 行方不明になる日は決まって月の出ない夜の深夜。 最初は単なる事故かと思われていたが、警邏の警官ですら行方不明の内に含まれるに至り、軍が腰を上げた。 町人の深夜外出は禁止され、軍の歩哨が町を警邏するようになった。 北部のオークはその大半が駆除されたとはいえ、完全に姿を消したとは言えない。 そう、軍は一連の事件がオークが起こした拉致事件だと考えていたのだ。 だが、事実は異なった。 そして、それを彼等は知る事になる。 事件発生から二ヶ月後。 「あーあ、辛気臭くてたまらねぇな」 「全くだなぁ」 人気の全く感じない港町を巡回する二人の日本兵。 家々から明かりは細く漏れてはいるものの、家の戸は堅く閉ざされている。 しかし、こうするしかないのだ。 現に深夜外出が禁止されてから、行方不明者は取り敢えず出なくなっているのだから。 「町の連中は暗い顔してばかりだし、色町も夕方には店終いだし……おい、どうした?」 愚痴を聞かせている相棒の様子がおかしいので問いかけてみる。 と、相棒は僅かに引きつった顔でこちらを見て気まずそうな表情で呟いた。 「悪い、少し小便をして来ていいか?」 「……なんだ、じゃあ俺は此処で待っているからそこの路地でしてこいよ。ったく、班長にばれたら往復ビンタもんだぞ?」 「ああ、すまん。直ぐに戻るから待ってろな」 セカセカとした動作で側の路地へと駆け込んでいく相棒の後ろ姿を見送り、二等兵は溜息をつく。 夜空を見上げる。月のでない、雲が立ち籠めた闇夜が広がっていた。 「やな夜だな……ん?」 近付いてくる足音に、二等兵は首を巡らせる。 ぼんやりとした灯りと共に、何かが此方に向かって駆けて来たのだ。 ゆらゆら、ゆらゆらと揺れる灯りが大きくなってくる。 銃を構えた日本兵の前に息を切らせながら走り込んできた者。 「助けて、助けてください!」 それは、ランタンを手にした異国人の少女だった。 「悪い、待たせた……あれ?」 小便から戻った時には、路上で待っていた筈の二等兵の姿は消えていた。 代わりに遠離っていく僅かな灯りが、街路の隅を過ぎっていくのが見えた。 彼は先程の少女と一緒に海岸線を走っていた。 少女の様子があまりにも急をようしていたから。 思わず"直ぐ側にいる相棒に声をかけずに"付いていった。 ゆらゆらと前を行く少女と彼女が手にしたランタン。 『探検船が嵐に巻き込まれて漂着した。上陸した仲間の1人がオークに刺されて重体だから助けて』と言われて来たものの。 (これって、班長殿に報告した方がいいよなぁ?) 例え遭難者とはいえ、異国人である。 しかも遭難船付きなら直ぐに相棒と共に警邏班の詰め所に行き、上に連絡を入れて指示を仰ぐべきではないか。 だが、足は止まらない。 ゆらゆら、ゆらゆら動くランタンに付いていく。 「こっちです。こっちに船があります」 前を走る少女の行く先にあるもの、それは岩場だった。 港からそれ程離れてはいないものの、あまり人が寄り付かない場所。 勿論街灯すら無いが、その中を少女は躊躇無く走っていく。 「お、おい。ちょっと待てよ!」 「急いで、船医の方ではどうしようもないの……早く、早くしないとみんな!」 あまりにせっぱ詰まった様子に、二等兵は戸惑いながらも付いていくしかない。 ゆらゆら、ゆらゆら揺れていくランタンの明かりが、岩場の奥まった場所へと入っていって消えた。 「本当に、船なんて来ているのかよ?」 悪態を付きながら、大きな岩と岩で挟まれた隙間を潜り抜けると。 「船……帆船かこれ」 そこは、岩で囲まれるようにして出来た入り江だった。 二等兵の入ってきた側から見て丁度手前の岩場に寄りかかるように、一艘のガレオン船が停泊していた。 船体の前がやや上向きになっているのを見るからに、座礁して動けなくなっているのかもしれない。 ランタンの灯りは、岩場と船を繋ぐ渡し板の前で止まっていた。 「お願い、早く、早く乗って、みんなを助けてください!」 二等兵が近付くと、渡し板の前で待っていた少女が懇願するように叫んだ。 涙すら滲ませて訴える少女に、突き動かされるようにして渡し板に片足をかける。 確かに、急がなくてはならないかもしれない。だって、船からはあんなに助けを求める声と呻き声が――― 「呻き声?」 思わず、乗り出しそうになった身体が止まる。 なんで、オークに刺された1人が重体なのに、こんなにも声が無数に聞こえるのだ? それに、なんでこんな少女が1人で助けを求めに来る? これだけでかい船だ。乗員もそれなりに居るだろうに、何故たった1人の少女が。 何故、疑問に思わなかったのだろうか? そうだ、あの灯りを見てからだ。あの灯りを見てから自分は衝動的について来て――― 「おい、お前そんな所で何をやってるんだよ…………っ!」 聞き覚えのある甲高い声に、思わず岩場の隙間の方を見上げる。 そこには相棒が立っていて銃をこちらへと構えていた。 普段は陽気なその顔は、明らかに恐怖で引きつっていた。 「な、は、早くこっちへ来い! お前、なんで"そんな所"に居られるんだよっ!!」 「えっ……そんな所?」 何を言ってるんだと思った瞬間。 まず、鼻についたのは異臭だった。 そして、二等兵にはその臭いに覚えがある。 彼は、転移する直前は中国戦線で国民党軍と戦っていた。 二等兵達の居た陣地に突撃して来て射殺された中国兵達の死体。 攻勢が長引いて片付ける暇が無いと彼等の身体が腐り、こんな臭いを放っていた。 そう、これは死臭。 「お願い」 後ろを振り向いた二等兵は、思わず呼吸を止めてそれを凝視した。 少女は変貌していた。着ていた服は変色し、手にしたランタンも錆び付いている。 皮膚は青黒く、紫の小さな斑点が無数に浮いている。 綺麗なブルネットの髪は縮れて汚い色に変色し。 先程まで蒼かった瞳は白く濁りきり、目蓋の端から膿が流れ落ちていた。 「みんなを……私達を、助けて……こっちへ、来て……お願い」 青黒い手が二等兵に伸びて来る。 船からの怨嗟とも呻きともつかない声が一層高まる。 ギシリという音と共に、渡り板に人影が現れた。 腐りかけた板を軋ませながら、船員と覚しき男達がゆっくりと迫って―――。 一発の銃声と共に、板が割れて船員達は岩礁の隙間へと落ちていった。 「この馬鹿野郎、早く来い!」 「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」 ボトルアクションを行う相棒の声に正気に戻ったのか、船と少女に背を向けて走り始める。 少女が伸ばした手は僅かに届かず、二等兵はがむしゃらに彼の元へと走った。 「お願い……助けて、お父さんを……助けて」 岩場から走り去る二人の耳に、少女の哀願の声だけが僅かに響いていた。 後日。 日本陸軍数個小隊、及びダークエルフ1個分隊によって岩場の捜索が行われた。 その結果、岩場の奥まった場所に存在した遭難船の存在が明らかとなる。 ボロボロに朽ちて岩場に寄りかかるガレオン船。 其処からは、衰弱死した民間人十数名と衰弱しきった警官1人が見つかった。 そして、百名以上の古びた人骨の山が。 積まれていた書類や航海日誌をダークエルフが解析した所、 百数十年前に神州大陸付近で嵐に遭遇して漂着した船だと判明した。 彼等はこの地で船の修理と物資の補給を試みた。何とかして、母国へと戻る為に。 だが、悲劇が起こる。上陸して付近を捜索していた冒険家がオークに変な棒で指されたのだ。 それが全ての始まりであり終わりであった。 まずは冒険家が死んだ。全身の肌を変色させて。 船医、看護した女性、女性の夫と身の回りの者が次々と倒れていった。 半日で100人以上いた冒険隊の半数が死亡、残りも起き上がる事すら出来なくなっていた。 そして、発病からたった20時間で冒険隊の殆どが死に絶えた。 冒険家の一人娘を残して。 彼女は奇跡的に数日間生き続けた。 その間、藻掻き苦しみ、孤独と恐怖に怯えながら。 ランタンを手に、岩場の周囲にある薬草を摘みながら。 彼女が書いていたと思われる日誌の最後のページにはこう書かれている。 『誰でもいい、助けて、私達を助けて』と。 数日後、船は解体され浜に積まれて人骨と共に焼かれた。 奥まった岩場には、慰霊塔が建てられ、彼等の魂が成仏するよう懇ろに弔われた。 この後、港町で行方不明者が出る事件は起きなくなったという。 しかし、その後も時折噂が囁かれた。 月の出ない夜に岩場に近寄ると、小さな灯りがゆらゆら動いているのが見える事があると。 もし見てしまったら、それに決してついていってはいけない。 ついていった場合、どこへ連れていかれるのか、誰にも解らないのだから……。 完