『動乱の後』前編 神州大陸北部。 乾性低木林が広がるこの地に敷かれた線路の上を、時速62.5Kmで疾走する一列の列車があった。 その列車の名を『あじあ号』、かつて満州の地を横断していた日本が世界に誇る特急列車である。 運営している会社の名前は北神州鉄道株式会社(前南満州鉄道株式会社)。 かつて満州に一大鉄道網を引いていた会社である。 彼等は、転移時に資材や機材、列車などを除いて全ての路線を失った。 最大の苦境を迎えた彼等が起死回生の思いで鉄道を敷いた場所、それが神州大陸。 満州で無数の移民達を開拓地まで運んだ列車達は、同じ開拓民達を今度は神州の各地へと送り込んだのである。 甲高い汽笛が鳴り響き、列車は軌間1435mmの線路を直走る。 流線型蒸気機関車が力強く牽引する6両の列車。 その内容は、満州の地を横断していた頃よりも豪華で華やかだった。 大きな五枚の強化硝子で仕切られた展望車で、後ろに流れていく雄大な神州の風景を飲み物を手に楽しむ事が出来。 食堂車では、本格的な洋食料理のフルコースを堪能。 ラウンジバーでは重厚な木造のカウンターと、本土と直轄地から集められた銘酒がずらりと並び。 銀座から招かれたバーテンダーが様々なカクテルを作ってくれる。特に『あじあカクテル』が好評である 2両の客車は共に一等客用のゆったりとした空間が広がって快適そのもの。 残りの一両は厨房と倉庫。この時代の列車内の厨房としては破格の広さであり、あらゆる料理を作る事が出来た。 隣の倉庫はワインセラーまで完備、この列車に乗る乗客に対するあらゆるニーズに応える為の準備を整えている。 そして、これらの車両の全てに空調が完備されていた。 ちなみに、故障が多い機械式ではなく魔石を使用して温度管理を行っている。 神州に住まう帝國臣民ですら溜息と羨望を持って見る超豪華列車、それがこの『あじあ号』。 これに乗って優雅な神州北部横断の旅を楽しむのは『外の世界の賓客』であった。 帝國直轄領に存在する王侯貴族や友好種族が日本を見学する場合コースは2通りある。 本土、そしてこの神州大陸である。本土への上陸許可はなかなか下りない為、専ら神州大陸の方が多かった。 とは言え、一部の例外を除けば彼等が神州大陸の地を踏む回数は少ない。数える事が出来る位に少ない。 故に、帝國の勢力圏では、『帝國に渡来した事がある』人物はそれだけでスキルとなっていた。 さて、『一部の例外』であるダークエルフ達はある意味渡来し放題である。 その実態を大陸の王侯貴族達が知ったら歯がみ所か発狂しかねない程に、彼等は神州大陸に出入りしていた。 ダークエルフ達の目的は視察、懇談、作戦行動等と数多くあるが一番多いのはやはり観光である。 そして、観光に来たダークエルフ達が移動の為に頻繁に使う列車、それがこの『あじあ号』であった。 3両目、ラウンジ・バー内 「いやはや、我々ダークエルフが『観光』を楽しめる時代が来るとは。一昔前までは思いもよらなかったですよ」 ウォッカをベースに、ペパーミント・リキュールを混ぜたカクテル『グリーン』で満たされたグラスをくっと空ける。 初老のバーテンダーに『スカーレット』のお代わりを頼みながら、グラディアは隣りに座っている日本軍人に笑いかけた。 「全くです。これも、去年の騒ぎを凌げたからこそですがね」 ずんぐりとした体格に猛禽類を思わせる鋭い目と縦に刻まれた頬の傷。 格好こそ背広にネクタイだが、スコットランド軍関係者なら直ぐにこの男が軍人である事に気付くだろう。 男は、相手がダークエルフの重鎮であろうとも不敵な態度を崩す様子はない。 不貞不貞しい態度で足を組み葉巻の煙を揺らしている。 形式や上下関係に煩い騎士や貴族だったら、とっくに席を立たれているか最悪抜刀ものだろう。 だが、グラディアは目くじらを立てる様子も無く、カクテルを楽しんですらいた。 「ええ、帝國が一枚板では無いことは承知しておりましたが……まさか彼処まで歪みが大きくなっていたとは」 正直驚きましたよ、とグラディアはスカーレットのグラスを手元に引き寄せながら言った。 あの騒動は、本当に冷や汗ものだった。下手をすれば、内紛どころか帝國が真っ二つに割れていただろう。 レムリアでの問題がようやく落ち着き、大陸へと本格的な拡張を始めていた時期だった。 最悪全てが崩壊したかもしれない。まるで、ドミノ倒しで巨大な積み木の山が崩れるかのように。 それを考えると、あの『馬鹿騒ぎ』をしでかしてくれた連中への憤りが男とグラディアの腸をちりちりと焼く。 二人とも、あの騒動では不眠不休で事態の収拾と解決に奔走させられたのだから。 特にダークエルフの戦力投入は凄まじく、本土と日本軍が直轄している地域に展開した部隊兵数は全戦力の4割を超えた。 しかも、新設された最精鋭部隊『猟兵団』、密偵の選りすぐりを揃い踏みで投入。 この有り得ない程の集中運用から、彼等ダークエルフがこの事件をどれ程重要視していたかが窺える。 "戦線"に投入された彼等は獅子奮迅の活躍を見せた。 反乱に関わろうとした将校達の拘束・通報して憲兵隊に引き渡し。 連絡網の寸断と情報操作による攪乱。最悪の場合、暗殺まで行った。 後にも先にも、ダークエルフによって帝國軍人が暗殺されたのは、この事件だけである。 実際、大規模な動乱が無かったのが不思議な程の事件だったのだ。 局地的に激しい戦闘は起きたものの、全体的に見れば波及する前に終息・鎮圧された。 しかし、参謀本部の一部派閥や果てには海軍まであの騒ぎに関連したのである。 二二六のように世界中に伝わる事は無かったものの、帝國内部に与えた衝撃は凄まじく。 帝國宰相が過労で卒倒しかけ、陛下も重臣達が平身低頭する程激昂し、そして深く悲しまれた。 国会や元老院内は疑心暗鬼で重苦しい雰囲気が漂い、上向き始めた景気に湧いていた東京も軍用車が忙しく行き交う状態。 年を越しても混乱は続き、先月になってようやく事態に一段落がついたばかりであった。