『極悪業』後編 探照灯が切り開かれた斜面をなめるように照らす。 光に照らし出されたオークの群れに対して、複数の掩蔽壕から火線が放たれる。 狙い澄ませた九二式重機関銃は、例え1q離れようとも狙いさえ定まれば命中させる事が可能だ。 トントントンと腹に響くような音と共に、胴や頭を砕かれたオークが次々と斜面を転がり落ちていく。 「おかしいですな」 「なにがだ、少佐?」 『ニ管区』の司令用掩蔽壕の上。 探照灯を忙しなく操作している兵士達の背後から丘全体の戦局を見下ろしている司令官達が居た。 「何度も撃退されているのに、馬鹿正直に正面から突撃してきている。何か企んでいるかもしれません」 「何を言うかと思えば。相手はオークだぞ、奴らの考えなんてたかがしれている」 幾十もの攻勢を撃退して来た防衛ラインの指揮官がそれを言うのも当たり前。 オーク達の戦術はがむしゃらな突進と本能のままの蹂躙の二通り。 偶にトリッキーな散兵戦術を行う場合もあるが、例外中の例外である。 だが大佐の言に納得出来ないのか、少佐は小さく鼻を鳴らすと回れ右をして歩き出そうとする。 「おい、何処へ行くんだ?」 「少し暴れて来ます。ここの巡察が済んだ後にレムリアへ派遣されますから、身体を温めておこうかと」 「し、少佐殿!」 少佐が二階級も上位である大佐に向かって何たる言い様か。 思わず前に出ようとする副官を大佐は一睨みし、もう一度目の前で獰猛な笑みを浮かべて振り向いている少佐を見やる。 どうせ何を言っても無駄だ。大佐の知る限り、この男の不敵さと行動は無理に咎めない方が良い。 黒い、物騒な噂の絶えない男である。特務だか何だか知らないが鬱陶しいことこの上ない存在である。 最近はダークエルフや獣人ともコネを作っているので尚更だ。 なので、返答は決まっている。 「…………勝手にするがいい」 「ありがとうございます……おい、いくぞ軍曹!」 「へ、行くんでありますか?」 「間抜けな返事をしてるんじゃねぇこのボケ。俺が行くって行ったらいくんだよっ!」 「ぐほっ!」 使えない側付きの軍曹の後頭部を叩き倒し、少佐はその図体とはかけ離れた素早い動きでさっていく。 頭を抱えていた軍曹が「畜生、何時か殺してやる」と呟いていたが、幸い誰も聞いてはいなかった。 「ふん、嫌な奴が巡察団に紛れ込んで来た時にオークが来るとは」 「全くであります。他の巡察団の方々は退避されていると言うのに勝手に乗り込んで来て」 「あの男が行く先々に血生臭い出来事が起きると言うが、まさにその通りだな」 憎々しげに少佐と軍曹を見送った後、大佐は前に向き直った。 彼等の頭上でパン、パンと言う音と共に閃光が走り、空から落下傘にぶら下がった光が夜空を切り裂く。 空高くを舞うワイバーンが時折照明弾を斜面に対して投下し、地上で応戦している部隊を援護しているのだ。 その動きは、ややぎこちない。まだ、ワイバーンという新しい乗り物に四苦八苦しているからだろう。 「まぁ、もうすぐ終わる。済んでしまえば、直ぐに帰るさ」 大佐の悪態混じりの呟きは、高らかに鳴り響き始めた十一年式軽機関銃の銃声とオークの絶叫に紛れた……。 『よーし、良い具合に引きつけているね』 主力のオーク達が陣地前の斜面に貼り付けれて動けなくなっているのを尻目に。 "虎喰い"と取り巻き達は防御陣地の側面から回り込んでいた。 『で、でもいいんですかい。あのままじゃあいつら全滅しちまいますよ?』 シャララララと聞き覚えがある音が立て続けに聞こえた後。 斜面で銃撃に耐えていたオーク達が複数の爆発に巻き込まれて吹き飛ぶ。 人間達が本気になった時に行う攻撃だった。 『かまうもんかい、あんな奴らくたばったところで替えは作れる。それよりも、抜かるんじゃないよ』 『へ、へいっ』 『手薄になっている場所を見つけて、其処にいる人間にこいつをお見舞いすれば、あたしらの勝ちなんだからさ』 少佐の懸念は当たっていた。正面から攻め寄せているオーク達は囮だったのだ。 "虎喰い"達の、人間に対する奇襲の為に。 100匹足らずの奇襲部隊を潜り込ませる為に、2900匹を囮にしたのだ。 そう、オーク達の勝利条件は『人間に棒を突き刺す』、この一点に尽きる。 別に突き刺す人間だって殺す必要はない。呪いの媒体にしてしまえば、後は勝手に呪いが伝染していくからだ。 人間は仲間を大事にする。そしてその定義が強固であればあるほど"虎喰い"の思う壺。 兵から部隊へ、部隊から基地へ、基地から街へと呪いの連鎖は波紋の如く広がっていくだろう。 そして、オーク達は待てばよい。人間達の全体に呪いが広がり、この島に住む人間が全滅するのを。 (そうすれば、また、好き勝手出来るってもんさ) 人間共が精魂込めて耕した田畑を思うままに荒らし、生っている食物を食い尽くす。 早くも勝利の後の事が脳裏を横切り、"虎喰い"の分厚い唇の端がだらしなく歪みそうになり。 「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」 『がっ!??』 脳天に降って来た衝撃に目を回しかける。 眼鏡をつけた小柄な男が、上の斜面から滑り落ちて来て"虎喰い"の頭に思いっきりぶつかったのだ。 オーク達は、斜面上から丁度死角になっている窪地を移動していた。 その上に、間抜けにも足を滑らせた日本兵が斜面を転がり落ちてきたのである。 『あ、姐さんっ!』 『この野郎……って人間だぁ。早く棒、棒を突き刺さないとっ』 『棒、棒は……姐さんが持っている! 姐さん、姐さん早く起きてくださいっ!!』 『ぐ、ぐぁにぃぃ……な、何だって……人間っ?』 起き上がろうと藻掻く"虎喰い"、慌てふためくオーク達。 それよりも、一番混乱していたのは軍曹であった。 「お、オオオオーク!?」 軍曹はオークと戦うのは初めてだ。 しかも、群れの真っ直中である。おまけに、ボスが直ぐ脇で藻掻いているし。 強き者には弱く、弱い者には強いというオークに幾分似通った性格である軍曹にとっては、まさに死地。 「う、うわぁぁぁ!!」 伸びてきた手を百式短機関銃を振り回して払い除け、狙いも覚束ないまま引き金を引く。 『ぎゃ、がぁぁぁ!』 『は、早く棒をぼぉ!』 取り押さえようとしたオーク達が至近距離からの銃撃を受けて吹き飛ばされる。 普段なら一体の内蔵に達したところで停弾する拳銃弾だが、オーク達が痩せこけている所為か簡単に貫通した。 尤も、30発しかない短機関銃で100匹近いオークを殺しきれる筈もなく。 十数匹を射殺したところで弾が切れてしまった。パニック状態の軍曹に弾倉を換えようと言う思考は思いつかない。 「ひ、ひぃぃ!」 銃を放り出して逃げようとするが、後ろから突き飛ばされて前に倒れる。 必死に首をねじ曲げて背後を見ると、怪しげに発光する棒を振り上げた巨大なオークが居た。 『あたしの、勝ちだぁぁぁぁぁ!!』 声にならない絶叫を上げる軍曹に、"虎喰い"は会心の叫びと共に呪いの棒を振り下ろす。 これで、オーク達の目的は果たされる。後は、後方に逃げ延びて結果が出るのを待つだけだ。 ズブリという感触と共に、呪いの棒が軍曹の身体にめり込む。 軍曹の「ギャヒー」と言う叫びに"虎喰い"は歓喜の声を上げようとし―――。 『がっ!!??』 彼女の巨体に、斜め上から十数発の7.7mm弾がめり込む。 辺りで破片手榴弾が炸裂し、周りにいたオーク達が次々と吹き飛ばされる。 体中から鮮血がぴゅうぴゅう出しながら、"虎喰い"は斜面を見上げ、 「あばよ」 ずんぐりとした、頬に傷のある男が構える銃の射撃を眉間に喰らい、そのまま仰向けに倒れた。 戦闘は終了した。 結果としてオーク達の攻勢は大失敗に終わり、主力である2900匹のオークは壊滅状態になった。 それに対して二管区の損害は微々たるものであり、防衛隊の盛況ぶりが開拓地の広報でアピールされるだろう。 「ホーリア、ミッサー、フェンフ。各分隊を率いて周囲の索敵を開始。残敵が残っていないか確認。見敵必殺でかかれ」 「「「了」」」 手勢の分隊長に指示を飛ばした女ダークエルフは、近くで葉巻を吹かしながら何かを探している日本軍将校に目を転じる。 時折銃声と絶叫が聞こえる戦場で、この男の存在は尚際だつ。その身に宿る闘争本能だろうか。 (油断ならぬところがあるが、まぁ嫌いではない……) あの男と接触し、自分の氏族は優先的に優良な陸戦装備を回して貰っている。 見返りとして、様々な情報をこちらも優先的に提供している……世の中、何時だってコネは強力なのだ。 と、少佐が何かを見つけたようだ。 暗がりで蠢いている人影にゲシゲシと蹴りをくれている。 「何時まで寝てるんだ。神州大陸の抱き心地はそんなによろしいのかな軍曹ドノ?」 「ひ、ひぃ少佐。し、尻に、尻に何かが」 地べたに這いずりながら、尻の谷間に呪術具と思える棒を突き刺されている軍曹。 自分を嫌らしい目で姑息に見るので、正直好かない男だった。 「君も、随分な部下を持っているな少佐」 「ああ、学も教養も無い上に使えない"カス"頭だよ」 「ふーむ」 ラフルは悶絶している軍曹を上から下までじっくりと眺めた後。 僅かに苦みと嘲りをミックスした笑みを口の端に浮かべた。 「なるほど、そう言う面だな。君ももう少し部下を選んだ方がいいぞ」 「補充がなかなか来ないんだよ。来ないからこんなのでも使わないといけない……やになるぜ」 「そ、それよりも少佐殿。棒を、棒を抜いてくださいっ」 「何で俺がてめぇの汚いケツに触らないといけないんだよ!」 そう言いながら、更に軍曹に対して折檻を加えていく少佐。 何というか、顔の形が変形し始めていた。 「このボケ! 恥知らず! てめぇ誰のおかげで!」 「ぐふ、ごほ、がはぁ!!」 ボコボコにされていく軍曹の悲鳴から意識を逸らすように森の奥を見やり。 現実逃避するようにラフルは、相棒の九九式狙撃銃を射撃手袋で包まれた細い指先で愛おしげに撫でていた。 こうして、誰も気付かない内に、"呪いの棒"の呪術は成就する事になった。 だが、"虎喰い"は気付かなかった。 呪いの棒の効果を完全に発動する為には正規の手順を踏み、人間の胸に"コマンドワード"を唱えて突き立てないといけないのを。 口伝を繰り返す間に、脚色やら誇張が含まれていった所為で、その事が忘れ去られていったのを。 結果、極めて中途半端に呪いは発動し、軍曹を媒体として数日の間に神州大陸の人間に感染していった。 尤も、呪いに感染したのにも関わらず人間達は誰1人として死ぬ事はなく。 代わりに、神州大陸に来た日本人達は誰1人として"痔"に悩まされる事が無くなったという。 完