『極悪業』前編 日本の南方に位置する巨大な島。 日本の総面積の数倍を誇るその大地を神州大陸と称す。 神州大陸の面積の半分以上。 そこはこの世界に突如現れた島国―――日本の領有するものとなっていた。 入植して来た彼等は、火を噴く鉄器を持つ兵士と空を舞う鉄の竜、鉄の車を持ってこの地に巣くうオーク達を攻め立てた。 棍棒と貧相な弓しか持たない彼等は文字通り『豚のような悲鳴を上げて』殲滅され、駆逐されていく。 彼等が島に到達してから僅かな期間で、オーク達は奥地へと追いやられていた。 そして、オーク共を追い払った場所を日本人達は瞬く間に開墾していく。 かつての王道楽土を夢見て満州へと旅立った開拓団、南米へと渡った植民団等が挙って入植して来たのだ。 日本に居場所があまり無い彼等にとって、新天地は絶好の居住先である。 本土へ共に転移されて来たあらゆる物資・機材と共に彼等はこの地に渡り、開拓を始めた。 元々、勤勉な彼等の事。瞬く間に日本軍が確保した地域は田畑や小さな街へと変わっていく。 過酷な南米や満州の気候に比べれば、この大地は幾分過ごしやすい。 今度こそは、この地を自分達のパラダイス―――あるいは楽土にする。 植民達のその願いと意気込みが原動力になり、開拓はかつてない速度で進んでいった。 勿論、この事態をオーク達が黙って見ていた訳ではない。 人間の領域が広がるという事、それは即ち彼等の生きる場所が消え去ると言う事である。 何度か戦力を集めて開拓地に攻勢をかけたものの、侵攻路が何故か筒抜けであっさり包囲され壊滅させられていた。 その都度オーク達の部族が消滅し、その分日本の領土が拡大していった。 元々、人間ほど結束も強くなければ頭も良くないオーク達である。 度重なる一方的な敗北にすっかり怯え、大半の部族は競うようにして南部の方へと逃げ去っていった。 とはいえ、それが彼等にとって良い選択とは言えない。 オークに生産性など概念すら無い。 住む森にあるものを只ひたすら食い、食べ物が無くなれば他の森に移住するのがオークだ。 実際、南部ではオーク達が集まり過ぎた所為で深刻な食糧難が発生していた。 普段なら食べない木の皮や根っこすら食べ尽くし野山は裸になったという。 骨と皮だけとなったオーク同士が部族単位で共食いの為に戦闘をやらかすような有様である。 この様子を中空から写真撮影した偵察機の搭乗員はこう評している。まるで『餓鬼道』だと。 神州大陸に住むオークの命運は、風前の灯火かと思われていた。 神州大陸中部 とある、巨大洞窟の中 『……で、集まった頭はこんだけかい?』 『へ、へぇすいません姐さん。もう中部じゃこれ位しか残ってませんです』 ひょろひょろしたオークがペコペコ頭を床に擦りつけている。 巨大な図体の雌オークの前に居るのは、痩せこけた図体の雄オークが10頭程度だった。 各々が木や骨で作った兜や獣の皮をなめして作った衣装を着ている。 殆どが素っ裸の彼等にとって、それは族長か占い師を意味する。 それもそうだろう。今は、神州大陸中の族長を集めて会議を行っているのだから。 とは言え、かつてなら100を超す族長が一同に会したこの会議も随分と寒くなったものである。 あの人間どもが上陸してからの敗退の連続、そして度重なる南部への部族丸ごとの逃亡。 全盛期を知る雌オーク、"虎喰い"から見れば目を覆わんばかりの有様。 南部へは何度か帰還するよう使いを出しては居るものの、一匹も帰還すらしていなかった。 『南に逃げた連中からの返事も来ないのかっ!?』 『す、すんません。未だに、え、えーと……最初の奴も、随分経ちますが帰ってきてません』 『ふん、大方、使いの奴らも人間どもに怯えて、南に留まってるんじゃないだろうね!』 憤慨した"虎喰い"は自分が座っている骨で組まれた玉座の肘掛けを叩く。 彼女の言葉は半分当たっている。確かに彼等は、未だ南部に留まっていた。 尤も、それは自分の意思ではない。彼等は帰りたくても帰れないのである。 何せ、半数は道中で、残りはオークの集落についた途端に襲われたからだ。 今頃は彼等の滋養となり、骨の髄まで念入りにしゃぶり尽くされているだろう。 『まぁいい。出来れば集めるだけ集めてから仕掛けたかったが……集まった分だけでやるか』 "虎喰い"の言葉に、一同がざわめく。 まだ、人間どもに攻勢を仕掛けるのかと。 今までの戦いで、敵には殆ど損害らしい損害すら与えれずに敗退して来たのだ。 部族も殆ど居らず、全戦力はかつての10%程度しかない。 おまけに、その10%も戦意も気力も無い有様だ。 今更戦いを挑んだ所で勝てる訳が無い―――それが、族長達やその他の共通意見であった。 『何を怯えてるんだい、今度の戦いは必ずあたしらが勝つ。その為の奥の手があるんだからね!』 大きな集会場全体にリフレインするような大声を上げる"虎喰い"。 大仰な動作で手をしゃくり、後ろに控えていた下僕にある箱を持ってこさせる。 『これをみな。これは、この島で大昔に住んでいた人間の呪い師が作ったもんさ』 得体の知れない文字が刻まれた箱から取り出されたもの、それは先端の尖った金属棒だった。 虹色の薄い光を纏ったその棒は、表面にびっしりと箱と同じ幾何学的な文様文字が彫り込まれている。 『あ、姐さん……それは一体』 『聞いて驚きな。これはな、種族殺しの呪い棒なんだよ』 大昔、この島に大陸から追われて来た魔術師が住んでいた事があった。 極めて高位な術者でありながら、外道の法に手を染めたばっかりに追放された男。 彼は自分を否定した人の世を恨み、復讐の為にこの棒を造ったのだ。 しかし、彼の復讐が果たされる事は無かった。 開発するまでに時間をかけすぎ、ようやく完成した棒を持って島を出る直前に持病の発作で急死したのである。 そして、それを労働力として魔術師に扱き使われていた一匹のオークが奪い取った。 晩年ぼけかけていた魔術師が繰り返し呟いていた言葉をこっそり聞いていたオークは、使い方を大まか理解していた。 『種族殺しの棒』 それを突き刺された種族を中心に、同族のみに『致死性の呪いが感染していく』呪器。 勿論、魔術師本人が使ったら最初に感染してしまうので、人形かオークに使わせるつもりだったらしい。 使い方によっては大都市すら滅ぼす危険極まりない呪いの術である。 実際、そのオークは数年後に島にやって来た人間の探検隊に呪いの棒を使った。 効果は絶大だった。棒を突き刺された人間から瞬く間に探検隊全体に呪いが感染。 僅か一日で百人近くの探検隊の総勢が衰弱死してしまった。 しかも、オークには全く無害で人間"だけ"が。 そして、この功績を元に、このオーク……"虎喰い"の祖先は総族長に成り上がったのだ。 『すげぇ棒ですねぇ』 『それさえあれば、人間なんざ怖くねぇ!』 『これさえ成功すれば、あの妙な人間の軍勢はおろか、この島にいる人間共全てを滅ぼす事が出来る!』 『流石ですぜ姐さん、俺等の勝ちは間違い無いです!』 彼女の語る"凄い"口伝を聞き、集会所はヤンヤヤンヤの大歓声。 『その通りさ。早速人間共の境界に仕掛けるよ! いいね!?』 『おぉぉぉ!!!』 超兵器たる『呪いの棒』を誇示しながら"虎喰い"は雄叫びを上げる。 オーク達は、彼女の示す勝利への鍵を見て狂喜乱舞する。 浮かれるあまり、オーク達は一つの疑問を頭から完全にすっぽかしていた。 そんな凄いものがあるなら、なんで最初から使わないのかと。 答えは簡単である。 長々と語り継いで来たせいか、途中で"呪い棒"に関する口伝が曖昧になってしまい。 "虎喰い"もその夫であり総族長であった"巌の如き拳"も、すっかり呪いの棒の存在を忘れていたのだ。 それを"虎喰い"が南部へ逃げ出す為の荷造りをしていて、偶然見つけ"口伝"の事を思い出した。 とどのつまり、多少頭が働いてもオークとは大まかその程度の存在なのである。 数日後、夕刻 日本帝國陸軍神州派遣軍司令部敷地内 コンクリートで塗り固めた煉瓦の尖塔。 野太い塔の頂上、1人のダークエルフが天蓋の下に設置されている装置を弄っていた。 「調整終わったぞ。調子の方はどうだ?」 『ああ、良い感度だ。戻って来てくれ』 「了解」 伝声管越しの会話を終え、色々な色の付いた水晶や怪しげな工具を鞄に詰め直して塔の螺旋階段を降りていく。 やがて塔から出た彼は側にある建物に入り、1階にある昇降機に乗って今度は地下へと降りる。 十数メートル程の地下へ降り、更に日本軍憲兵とダークエルフ兵の検問を抜けた所にその部屋はあった。 鉄筋コンクリートの壁で構成された40畳程の広さの部屋。 中央に球体状の大きな魔導装置があり、数人のダークエルフ魔術師が取りついて作業を行っている。 球体の上には大きな柱があり、丁度この上が先程の塔の真下である事はこの場にいる全員の知る所だ。 そして、その機械を中心に円を描く様に、十数人ほどのダークエルフ魔術師が椅子に座って瞑目している。 邪魔にならないように部屋の隅を横断し、ダークエルフの魔術師はその更に奥にある部屋に入っていった。 こちらも、鉄筋コンクリートで仕切られた20畳ほどの部屋。 入り口から見て丁度向かいに神州大陸の全体地図がパネルの上に浮かび上がっていた。 4畳程の地図は硝子製のパネルの上に直接刻まれていて、魔力の流れによっていろんな色に変化する。 本来は、硝子細工や水晶に魔力を込めて幻想的な仕掛けを付与する時に使う魔術なのだが、彼等は全く別の用途として使っていた。 「イー12、異常なし」 「ロー4、異常なし」 「二ー5、オークに動き有り、推定数100前後、北上中、脅威度弱 監視要」 「二ー8、オークに動き有り、推定数200前後、北上中、脅威度中 トー8との関連性大」 地図の前にある長机。 一列に並ぶ様に座って水晶球とルーンが刻まれた基盤を前に作業を行っている数人の魔術師。 彼等も、全員ダークエルフ。水晶球を凝視し、ぶつぶつ呟きながら基盤を撫で回している。 その都度、地図の表面で光の点滅や部分的な変色が繰り返される。 そして、それらがもたらす情報を近くに座っている書記官達が観測し、タイプライターで纏めて書類にし司令部へ提出。 急ぎの用件は、奥の小部屋にある所内電話で司令部に直接連絡している。 そう、これは世界初の魔術を使った広域監視網の実験施設。 念波を使って敵性存在の動きを監視・把握する魔術装置の実働部隊である。 この監視網の原理はレーダー……電探に酷似していた。 レーダーは対象物からの電波の反射を測定して対象物を探知し、その位置を検知する。 この監視網では、飛ばすのはマイクロ波では無く、魔力と魔術装置で大幅に増幅された念波だ。 この念波はレーダーの様に物質に対して反射はしない。代わりに、思念に対して反射する。 対象は『思考や精神』があるもの、即ち人間やデミヒューマンの類である。 この魔術装置は、その中でも『オーク』の思念に感応する様に調整されていた。 この地に巣くう邪悪な鬼、人間を島から排除しようと襲いかかってくるオークの動きを事前に察知する為に。 日本帝國上陸初期を過ぎた頃のオークの襲撃が完全に感知され、充分な迎撃状態で撃破出来たのもこの装置のおかげである。 尤も、この施設で監視が行き届いているのは、日本人達が占領している部分の一部である。 監視する地域を日本帝国とオーク達の境界線のみに絞って監視しているに過ぎない。 実際、監視の隙間は結構ある。その辺は通常の警備隊や航空部隊の監視によって補っていた。 もし、神州大陸全体をカバーしよう等と言ったらどれ程の規模の施設と魔術師が必要だろうか。 正直、現在の魔術レベルでは想像もつかない話だと、ダークエルフ一族の魔術師の長は溜息混じりに語っていた。 それでも、列強ですら成し得なかったこれ程高度な早期警戒網を実現出来たのは快挙と言えよう。 全世界の諜報を担っていた所為で世界中の魔術に通じ、多数の魔術具を所持する彼等だからこそ成し得た。 勿論他にも、ドワーフ達からの魔法金属の供給、帝國の惜しみない投資があってこそだが。 これには日本の科学や技術の概念を、この世界の魔術と融合させると言う国家的な試みもある。 余談だが、オークの思念波を解析する為に生け捕りにされた多数のオークが輸送船でスコットランドに送られた。 そして思念波の解析は比較的短期間で成功し、そのデータを元に今回の計画は実行に移されたのである。 ちなみに、その生け捕りされたオーク達がどんな運命を辿ったかは誰も知る者はいない。 ただ、害獣指定されたオークを感知、駆除する為に重宝されたデータだけが、彼等が存在した事を物語っている。 話を早期警戒網の方に戻そう。 魔術装置が付いた鉄塔は、人間の防衛線沿いに「イ・ロ・ハ・ニ・ホ・ヘ・ト」の7つの管区に展開している。 管区内に一定距離ごとに横一列で設置されている塔から魔力の『波』が半径十数キロ範囲に照射。 その範囲にオークが侵入すれば、照射されている波に接触したオークの思念が波に対して反射し、位置を特定できる寸法である。 もし相手が何らかの魔力遮断や隠蔽の魔道具等を持っていれば、感知されずに侵入される可能性もあるという。 だが、相手は魔術には全く無知蒙昧であるオークだ。その辺は全くと言って良いほど問題ない。 問題は寧ろ、大気中のマナが薄くなり魔力の波が伝わりにくくなる日だろう。 薄いマナの所為で朧気になった思念を探り当てるのは大きな負担だと、担当魔術師は本国に報告している。 この様に、魔術式広域監視網に対する問題点はまだまだ山積している。 とは言え、神州大陸で日本軍が安全に任務を務め、開拓団が安心して開墾に勤しめる一翼を担っているのもまた事実であろう。 この日もまた、中部の山地から境界線に向かって進軍して来るオークの群れを察知し、司令部へと伝達していた。 「オークどもの襲撃か」 派遣軍司令部の作戦室の中。 長机の上座に居る派遣軍総司令である陸軍中将が不愉快そうに呟く。 「はい、ト管区において総数三千近くのオークが境界線へ向かって北上中との事です。現地部隊へは、既に警告を出してあります」 「ふーむ、最近はこちらへ食料泥棒に来た連中程度だったのだが……まだ組織的に反攻出来る余力があったとはな」 何度かの大規模な攻勢を撃破した後、オーク達の反撃は散発的なものだった。 多数のオークが南部に逃げ延びた後は、時折食料を盗むために数匹のオークが越境を試みる程度である。 帝國から、オークの領域に攻め込む事は今の所無い。 ある程度入植も落ち着き、現在は開いた土地開発の梃子入れと設備充実に全力を傾斜している最中なのだ。 農作物の収穫も安定し始め、港にも大規模な桟橋が出来て街の様相は急激に発展の兆しを見せている。 国境線が再度広がるのは、開発地の全てに人の手が入り、完全なる日本領となった時だろう。 それに、オーク達は峻険な地形が多い南部に多く逃げ落ちていて、無理に攻めればこちらも要らない被害が出る。 偵察で確認したところ、南部のオークは食糧難で共食いすらやっている有様。 攻めなくても勝手に弱体化が進んでいるので、定期的な偵察と監視を除けば殆ど放置している。 「まぁ、攻めて来たものはしょうがない……警告は出してあるんだな?」 「はい。現地部隊は既に臨戦態勢に入りました」 「二管区の防衛力を持ってすれば、三千程度の攻勢の撃退は可能です。あの一帯は一番要塞化が進んでおりますから」 「ふむ……しかし、念には念を入れておこう。飛竜教導隊に出撃命令を出せ。二管区の防衛隊の航空支援を行わせろ」 「はっ」 「ハ管区、及びホ管区にも警報を出せ。実験部隊は引き続き、オーク達の監視を続けるように」 「了解しました」 参謀達と報告に来た黒妖精の情報将校に指示を出し、中将は目の前にあるカップに唇をつけた。 彼が愛して止まない、芳醇な香りと深みのある苦みが口内に広がる。 最近では市ヶ谷でも飲む機会が徐々に減っているという、本物の珈琲豆を使った珈琲である。 (この世界の黒豆茶も悪くは無いが、私はやはり珈琲豆の方が好きだな) 黒豆茶とは、この世界の町人がよく飲んでいる飲み物だ。 文字通り、黒い豆を細かく砕いて炒った後煎じたもので、香ばしく強い苦みが珈琲を思わせる。 日本本土にもそれなりの量が輸入され、珈琲の代用として飲まれていた。 (まぁ、後1〜2年経てばこの島の農園で出来た豆で美味い珈琲が飲めるだろうよ。その為にも、奴らを滅ぼさねば) 改めて害獣の殲滅を決意しながら、中将は珈琲を惜しむように飲み干した。 司令官が号令を出した1時間後。 陽が落ちる寸前の空に、十数匹のワイバーンが舞い上がった。