『虚夢』 拙作の『煉瓦の森』の続編となります。 入り組んだ通路と無数に存在する水道の出入り口。 この都市が首都として成り立つ前から存在していた下水道。 街の拡大と城塞化に逢わせるように、増築を重ね続けた結果。 設計者や下水管理局にすら把握仕切れない程に広大になった。 此処には様々なものが存在する。城に通じる秘密通路。犯罪組織の根城。少年浮浪者達の巣窟。 果てには死体捨て場やら何時の時代か解らない程古いカタコンベ(地下墓地)等もある。 口の悪い住人曰く「地上の街通りなんか、ここの複雑さに比べればおもちゃの積み木みたいなモン」だそうだ。 役人や衛兵すら近寄ろうとしないこの下水道は、『千年の城塞』と吟遊詩人に謡われた首都の裏の顔とも言える。 そして、今、この地下世界はこの下水道が出来てから初めての大賑わいを見せていた。 「……臭いな。血の臭いやら下水の臭いやら上からの戦塵やらで鼻が曲がりそうだ」 「はぁ……はぁ……はぁ」 「おい、軍服に胃液かけるなよ。幾ら此処が臭いからって誤魔化すにも限度があるんだからな」 「あ、ああ、解ってるよ」 ゆらりゆらりと舞う極小さな光。 蝋燭の輝きにも満たない灯りの先導に従って歩く2つの人影。 前を歩くのはほっそりとした長身のダークエルフだった。 暗色生地の日本軍服を着込み、着剣した九七式狙撃銃を構えている。 顔立ちは酷くやつれ、憔悴していたが目だけは爛々と輝いていた。 後ろをオドオドしながら歩いているのは若い日本兵。 カーキ色の標準的な日本軍装で、弾の切れてしまった三八式を背中に背負い南部式自動拳銃を手にしている。 割れた鉄帽を後生大事に被っている所を見ると、まだ装具を失う事に抵抗を持っているようだ。 「しかし……本当に大丈夫なのか? 確か、ここって敵の抵抗部隊や便衣兵が立て籠もっている所だろ?」 「そうだな。だが、此処は住んでいる連中ですら把握仕切れない場所だ。抜け道は存外あるもんなんだ」 「そ、そうなのか?」 「ああ、そしてその抜け道を見つけるのも、抜け穴を好き好んで利用するのも俺達ダークエルフなんだよ」 「…………」 「そうでもしなければ、上で派手に行われているフィナーレに巻き込まれずにこの街から脱出なんか出来ないさ」 ごくりと日本兵の喉が鳴るのが聞こえたが、ダークエルフ―――ダークエルフは無視した。 薄暗い、頻繁に上から地響きと共にパラパラ埃が舞い降りてくる地下通路を警戒しながら進んでいく。 と、ダークエルフが素早く光霊を消して、通路の影に寄り日本兵にも手で合図する。 日本兵がゆっくり通路の影に入った三十秒後、パシャパシャと小さな音と共に十数人の人影が前方のT字路を通過していく。 影と水音がすっかり遠のいた後、二人は通路から身を起こした。 「あれは……」 「難民だな。大方、おたくらの爆撃か砲撃を避ける為に地下に逃げ込んで来たんだろ。そして彷徨っている」 「彷徨っている?」 「さっき言っただろ。ここに住んでる連中ですら全部把握出来ないんだ。昨日今日逃げ込んだ奴らが入り込めば……」 「じゃあ、あの人達……」 「その内野垂れ死ぬか、逃げ込んだ荒くれ者か元から住んでる犯罪者に始末されて終わりだろうよ」 「…………」 「同情なんか抱くな。あんな女子供でも、今俺達と顔を合わせたら死に物狂いで襲って来るぞ?」 「そ、それは」 「お前の上司と仲間、殺したのはあいつら民兵だろうが? 相手が何であれ、ここでは敵は敵だ」 「…………言われ、なくても!」 「声、でかいぞ。静かにしろ」 震える声でこちらを睨みつけてくる日本兵。 大陸にまだ来たばかりでろくに実戦経験もない兵士。 上司に突撃癖があった為に部隊が突出し、大多数の民兵に圧殺され自分以外は全滅してしまった運のない奴。 何とか生き延びて逃げ回っていた所を、追っ手を射殺して救ってしまったのは果たして良かったのだろうか? ダークエルフは自分の気紛れが正しかったのか、少し悩んでいた。 「もう少しで俺達のセーフハウスに着く、それまで黙っていろ」 「……了解」 日本兵の、憤りと戸惑いの視線を背中に意識しながら。 再び光霊を呼び出して、ダークエルフはゆっくりと歩き出した。 40分後 セーフハウス 「参ったなぁ……」 荷物も何もない空の部屋に彼等は佇んでいた。 其処には、少なくとも2日前はダークエルフの潜入部隊のセーフハウスがあった筈だ。 しかし、今は何もない。使われた痕跡すら殆ど無い。 「ど、どうなってるんだよ? ここに仲間がいるんじゃなかったのかよ?」 「その筈だったんだな……ん?」 部屋の中をじっと観察していたダークエルフが荷物の中から小さな霧吹きを取りだし。 おもむろに壁の一面へ向かって吹きかける。 「あ、文字が……」 「やっぱりか」 霧を吹きかけた数秒後。 そこには数行の文字が浮かび上がった。ダークエルフの文字符牒である。 (ち、此処の近くに難民の群れが雪崩れ込んで来た……武器は隠して置くから各自単独で脱出しろだと?) 非情とも言えるが、単独での脱出は『放浪時代』では珍しく無い事だったので驚きもしない。 所定の場所を探って見ると、百式短機関銃と弾倉の入った袋が出て来た。 他にも袋が幾つかあった形跡があるところから、どうやら自分が市内にいる最後のダークエルフらしい。 「どうやら、仲間はみんな引き上げたようだ。俺等だけで脱出しないといけない」 「…………」 符牒を消しながら呟くように言うと、日本兵は青ざめた表情で深い溜息を吐く。 遠離った友軍との接触を嘆く彼を尻目に、ダークエルフは懐から『薬』を取り出し口に放り込んだ。 「あんた……それって」 「何だよ、おたくらの軍で使用されてるもんだろ? 別に不思議がる事もない」 「突撃錠……ずっと、飲んでいるのか?」 「………………まぁな」 言いながら九七式の銃剣を外して、本体を背中に背負う。 代わりに、手に百式短機関銃を持ち、弾倉を押し込んで装填する。 「まだ、ここらに難民やら民兵が結構な数入り込んでいる。出来れば交戦を避けたいが、殺る時は殺る。解ったな?」 「……なぁ」 それに対する返事はせず。 日本兵は気弱な目付きでダークエルフを見た。 「俺、なんだかはっきりしなくなってきた。こんなの、悪い夢じゃないかって」 「悪い、夢だと?」 「……ああ、この街に来てから、ずっと思ってたんだ。これは何かの悪い夢じゃないかって」 「…………」 市民との悲惨な戦闘。同僚達の全滅。 散々敵兵に追い回された事での恐怖。 何だかおかしい友軍のダークエルフ。 それらが、日本兵の意識を現実から逸らせようとしていた。 「こんな悲惨な事、小隊のみんなも……あの、女の子も……こんな、有り得ない事、夢でしかないんじゃないかって」 「じゃあ、頭に弾丸ぶち込んでみるか?」 「え」 動く余裕すら無かった。 銃口の先が自分に差し向けられている。 それを持つ、ダークエルフの表情は妙に無機質だった。 細くて薄い唇がゆっくりと動き言葉を吐き出す。 「お前の言うとおり、これが夢だとしよう。夢だったら毛布の中で目覚めて仲間と一緒に朝を迎えれる」 「……」 「でも、もし夢じゃなくて……現実だとしたら」 引き金に指がかかり、金属部品がギチリとなる。 日本兵の目が、ダークエルフに向けられる。 「それで、終わり……………………バァン!」 「ひぃっ!」 思わず腰が抜けかけた日本兵を尻目に、ダークエルフは何事も無かったかのように銃を構え直す。 だが、口で銃声を真似た時の彼の口元の歪み。それは、日本兵の目に焼き付いて離れなかった。 再び、彼等は下水道を歩き始める。 重苦しい沈黙と、未だ続く上からの振動。 難度か、難民らしき男女が水道に突っ伏して死んでいたり、惨殺死体になっているのに遭遇した。 悲鳴や怒号、剣戟らしき金属音も時折聞こえる。 「此処の住人と避難民が争っているみたいだ……このまま、俺達の方に目が向かなければいいんだが」 「ああ」 自らが歩く水音だけが、辺りに響く。 古代の拷問に、真っ暗な部屋に囚人を拘束したまま閉じこめ、頭に滴を垂らし続ける拷問があるという。 これってそれに意外に近い状況だよなと、ダークエルフは高揚した意識の片隅でふと思った。 暫くの間、通路を塞いでいる難民達を迂回し、移動してくる彼等を隠れてやり過ごしたりを繰り返した。 ここで、銃声を立てれるのは日本兵だけ(少なくとも市民達の認識では)だ。 迂闊な発砲は、激昂した彼等を呼び寄せる結果となる。だから、戦闘は極力避けなくてはならない。 その点、ダークエルフは攻撃魔法は初歩しか使えないが、使い魔や身体能力の強化等の補助魔法に長けている。 だからこそ、隠蔽や隠行は得意だった。日本兵を伴って無ければとっくに市街の外に脱出していただろう。 だが、遅れていようとも着実に彼等は脱出路を進んでいた。 そして、後50m程で市街地の外へと通じる出口の所まで来たのだが。 「面白くないな。彼処に陣取られていたら外に出れない」 「……此処まで来て出れないのか」 「まぁな。おまけに軍属らしい……見ろ、武器まで持っているぞ」 灯りを絞ったカンテラを幾つも置いて、排水の枯れた通路上に座り込んでいる数十の人影。 ヒソヒソ話している彼等の手や傍らには、ショートスピアやクロスボウ、ブロードソードが握られていた。 「排除するしかないな」 「た、戦うのは拙いんじゃないか?」 「銃声を聞かれても外に出て出口をお前が持っている手榴弾で塞げば問題ない。準備しろ」 「……」 「そう心配する事はない。相手は草臥れ切った連中だ。気付く前に強襲を仕掛ければ直ぐ片づく」 静かに百式短機関銃の安全子を外しながら、ダークエルフは口の端を歪める。 その笑みに、日本兵は戦慄した。あれは、彼がこの街に来て頻繁に見た笑みだからだ。 (おかしい……) 落馬した死に損ないの騎士にトドメの一撃を加えた皆川。 百式火炎放射器で建物を焼き払う安藤。そしてそんな彼に爆薬を抱えて体当たりをし自爆した老砲兵。 絶叫に近い叫び声を上げながら突撃して来る民兵達を九六式軽機関銃で掃射した法田。 その彼が弾切れになった時に、懐に飛び込み一撃で斬り殺した年端もいかない少女の剣士。 みんな、興奮しきっていたか冷めていたかの違いはあれ、こんな笑みを浮かべていた。 (おかしいよ……みんな、おかしいよ) あんな笑みを浮かべる奴を異常だと思って来た。 そんな事を言う自分は、一度たりとも歪んだ笑みを浮かべて無かったと言えるか? 例えば、あの法田の血に濡れた少女剣士を撃ち殺した時とかに。 思えば、あれが、初めて人を殺した時だった。 「何だか、楽しくなって来たよ。なぁ?」 ダークエルフの言葉で思考の渦から意識が戻った。 彼は、こけた頬を引きつらせるようにして、相変わらず笑みを浮かべている。 そんな笑みを浮かべているにもかかわらず、彼の言葉は冷静だった。 「俺が掃射しながら前進する、お前は拳銃で残りを仕留めていけ。手榴弾は使うなよ。古いから崩れる危険性がある」 「……」 返事の代わりに、南部式の安全子を外す。 それで満足したのか、ダークエルフは通路の方へ向かってゆっくりと屈む。 「俺が撃ち始めたら、突っ込んでこい。いいな?」 「ああ」 彼の返事を合図に、ダークエルフは音も立てずに駆け出す。 一番手前に居た人影が何気なく顔をこちらに向けた時、既にそれは始まっていた。 短機関銃の軽い銃声が鳴り続ける。 ダークエルフの射撃は的確かつ効率的だった。 立ち上がろうとした人影を撃ち殺し、蹴り倒してその後ろに居た連中の動きを封じる。 彼等の優位―――数の差を狭い通路と技量で補いながら次々と射殺していく。 ダークエルフに続くように、日本兵も拳銃を持って走り込む。 そして、近くで呻いている者へ銃を向けようとして、 「え……?」 壊れたカンテラから洩れる灯りで見えた光景に彼は固まった。 それは、まだ子供とも言える少女だった。 市章のついた安物の皮鎧を着て、武器を持って喘いでいる。 どうやら肺を撃たれたらしく、多量の血を吐き出していた。 「そ、そんな」 よく見ると、ダークエルフが撃ち殺しているもの。 彼等は全員十代半ばも過ぎない子供だった。 どうやら、防衛隊はこんな少年少女まで動員して民兵にしたようだ。 だが、そんな事は日本兵にとってはどうでもいい。 恐慌状態に陥った彼は目を見開いて死体と重傷者の群れを見ていた。 彼等の顔が、自分達の小隊が殺した者達に重なる。 そして、それらはあの少女剣士へと変わった。 初めて、自分が殺したあの少女に。 「止めろ……」 揺れ動く目が、死体を量産するダークエルフへと向けられる。 肩からクロスボウの矢先を生やした彼は、傷を感じさせない動作で手早く弾倉を換えていた。 既に、この通路に居た数十人の少年少女は死体か瀕死に換えられている。 彼の前で震えている、1人の少女を除いて。 彼女は、自分が殺したあの少女に何故かそっくりだった。 「止めろ……」 震える手で南部式拳銃を構える。 弾倉が装填され、銃口が素早く向けられる。 ダークエルフは、何の感慨も躊躇も無く引き金を引こうとし、 「止めろ―――――――――!!」 日本兵の叫び声と共に、一発の南部8mm弾が彼の胸を貫いた。 ダークエルフは、目を見開いてゆっくりと自分の胸元を見下ろす。 軍服の胸に赤い染みが出来、暗色の軍服を瞬く間に赤黒く染めていく。 「一発的中……やるじゃ、ないか」 振り向いたダークエルフの顔に怒りは無い。 呆けた、何処か遠くを見るような目でこちらにふらふらと近付いて来る。 そして、唖然としていた日本兵にもたれ掛かるようにして抱き付くと、彼の耳元に唇を寄せた。 「俺も、ずっと、思ってたよ、これは、夢じゃないか、って。あの森で、寝てる、だけかもって」 肩に、口から血が滴り落ちてくる。 耳元で囁かれてた掠れた声がゆっくりと遠ざかり、ダークエルフの身体がずり落ちていく。 「先に、目が覚めるかもしれない、けど、悪い……な?」 どさりと。 彼は、自分が殺した者達の上に折り重なるようにして倒れる。 それっきり、彼を助けてくれた黒妖精が動くことは、永遠に無かった。 南部式を取り落としたまま、日本兵はダークエルフの死体を見下ろした。 自分が何をしたか、どうして撃ってしまったのか。それすら解らない。 解らないがこれだけは解る。 ただ一つの事実。それは救ってくれた存在を自分の手にかけてしまった事。 それが、果たして正気の人間がする事なのだろうか? 「俺も……狂っているのか?」 日本兵が、疑問を口にした瞬間。 「ごふっ!?」 ズンという衝撃と共に、腹に鋭い金属が押し込まれる。 自分の軍服に押し込まれるショートソード。そしてそれを握り締める小さな手。 それは、最後に生き残っていた少女。 彼が、ダークエルフを殺してまで助けた少女だった。 信じられない表情で少女を見下ろす日本兵。 年相応の幼さすら残す彼女の表情は、何故かあの笑みを湛えていた。 「帝國の鬼野郎!」 憎悪に満ちた声で、少女はショートソードを日本兵の腹から引き抜く。 ゴフリと口から血が溢れ出し、背中が血が飛び散る通路の壁に押しつけられる。 朦朧とする意識の中。 日本兵は、血でベタベタになった腰袋から手榴弾を取り出した。 「畜生、狂ってる。こんなの、夢、だ。夢に、決まってる」 安全栓を引き抜き、震える手を上に持ち上げた。 荒い息と共に、ショートソードを持った少女が日本兵にのし掛かってくる。 その口元には、やはりあの笑みが浮かんでいた。 「悪い、夢は、早く、覚めないと、な」 震える唇から、血の混じった言葉が漏れ出る。 彼は気付かない。彼の唇がやはり笑みの形に歪んでいた事に。 最後の力を振り絞り、激針頭部を下水の壁に叩き付ける。 そして、少女が日本兵の胸に再度ショートソードを振り下ろした瞬間。 下水道は閃光で包まれた。 その爆発から一時間後。 首都防衛隊最高司令部が自決。 残存騎士隊及び民兵の総突撃が始まる。 その爆発から三時間後。 騎士隊及び民兵が壊滅。総突撃終了。 この頃から、戦意を失った防衛隊や民兵、難民らが続々と日本軍に投降を始める。 その爆発から六時間後。 日本軍の首都攻略司令部に市長及び残存軍の長が訪れ降伏を申し入れる。 日本軍司令部、これを承諾。 その爆発から十八時間後。 日本軍司令部が首都の制圧及び占領を宣言する。 完