『煉瓦の森』 鬱蒼と茂る森の中。 俺は、1人の少女を待っていた。 「ふぅ」 大きく息を吐き、全身のバネを使って伸びをする。 俺は此処が嫌いじゃない。 安全だとか食料が豊富とかだけではない。身体が馴染んでいると言ったところか。 人間どもは不気味だと評し、ドワーフ達は森の中を「掘る場所が無い」と忌み嫌う。 そんな風に言われようが俺は此処が好きだったし、そして何よりも此処は俺の故郷だった。 だからだろうか。そんな場所に入り込んで、尚かつ俺の事を怖がらない人間に興味を持ったのは。 長い耳が、ピクリと動く。どうやら、そいつがやって来たようだ。 「あ、ごめんねミッサー遅れちゃって。さ、一緒に遊びましょう!」 木の上から下を見下ろす。 可憐な笑みを浮かべて、人間の少女がこちらを見上げているところだった。 軽い地響きに意識が覚醒する。 ミッサーの瞳にうつるのは、がらくたと化した事務机が散乱する事務所の中だった。 「夢か……当たり前だな」 抱えていた小銃―――九七式狙撃小銃を構え直し、素早く辺りを見渡す。 ここ暫く拠点にしていた貿易商の事務所。事務所の入り口付近に仕掛けてあるトラップも異常はない。 外の街灯に止まっている使い魔の鴉に意識を飛ばす。 殆ど瓦礫の山と化した市街地の光景が、もうもうと立ち籠める戦塵の中で広がっているだけだ。 つい数日までこの建物がある区画を出たり入ったり、殺したり殺されたりしていた日本兵も首都防衛隊兵も居ない。 ただ、あるのは瓦礫と死体の山だけ。尤も、防衛隊兵の数が圧倒的に多いが。 (もう、大まかカタは付いたと言うことか) 鴉の視線を借りたまま、そんな事を心中で思う。 とある列強の首都であるこの街。かつてはその見事な都市建築によって大陸随一と呼ばれた城塞都市だ。 だが、今ではもうその名残も無い。 繰り返される砲撃と爆撃、そして突入した帝國軍の火力の前にすっかりボロボロにされてしまった。 かつての上司であるラフル隊長の隊から引き抜かれ、転戦して来たこの戦線。 たった10人足らずでこの首都に侵入し、複雑に入り組んだ市街戦で手を焼いている日本軍の手助けをした。 撃ち殺した敵兵の数は……既に数えるのを忘れた。忘れたと言うか、数える気が失せた。 防衛隊の上級騎士から騎士、騎士から隊長と標的は移っていった。 今では、視界に入る敵は全て狙撃している。腰にぶら下がっている3つの弾薬盒の中身は2回空になり3回補充している。 鴉の視界を借りたまま、建物の近くで死んだ日本兵の背嚢から取り出して来た『薬』を一錠取り出して口に放り込む。 日本語が拙いながらも読めるミッサーは、これが何であるか、どういうものであるかを知っていた。 そして、その危険性も。 勢い良く噛み砕く。薬が身体に浸透していく。 立ち籠めた暗雲のような憂鬱な面持ちがゆっくりと和らいでいく。 鴉の視界が、冴えた様に広がる。 もうもうと上がる煙の中に佇む崩れた煉瓦。 敵はまだ訪れない。鬱が消えた清々しい気持ちのミッサーは、鴉の瞳に映る建物の崩れた群れを見て思わず呟いた。 「煉瓦の、木だな……まるで、煉瓦の森だよ……俺が好きなのは、故郷の木々なんだけどな」 生まれ出た森の事を思い出す。 そして、彼処から一族が逃げ出す少し前に出会った人間の少女の事も。 あの子は、今でもあの地方の田舎町に居るのだろうか? そして、僅かな間だけこっそり遊んだダークエルフとの事を今でも覚えているだろうか? 「逢いたいなぁ。でも、あっちは遠いなぁ……」 追われた故郷は、帝國からはあまりにも遠い。 国境を幾つも超えた遥か先、帝國と自分が彼の地にたどり着くのは何時の事か想像もつかない。 与えられた故郷である『スコットランド王国』に何故か馴染めなかったのは、あの森に執着していただからか? 使い魔の鴉との視界のリンクを切ると、ミッサーは仰向けに寝っ転がって目を瞑り思いに耽る。 何故か、最近無性にあの頃ばかりが脳裏を過ぎる事が多い。 人を殺す度に心が澱んで行く、その都度あの少女の純真な笑みがそれを責めるように思い出される。 ミッサーは気付いていた。 あまりにも長く続く戦いによって、ジワジワと自分の内部に綻びが出来はじめているのを。 自分が、エドリック隊長やラフル隊長程心が強く無い事に。 だからこそ、故郷に、かつて一番幸せだった頃に気持ちが縋ってしまっている事に。 解っていても、彼にはどうしようもない。 思い出の森は遠く、今の自分は戦場の只中。 だからこそ、あんな『薬』に縋り、こうして目を瞑ってあの森の事を思い出すしか出来なかった。 「う、うわぁ―――!!」 悲鳴に回想を掻き消され、ミッサーは一瞬で飛び起きる。 煩わしげに声の聞こえた方の窓に近寄って下の路地の先を見てみると。 弾が無くなったのか、折れた銃剣の付いている三八式を持ったまま逃げる1人の日本兵。 それを長剣や槍を持って追い掛ける数人の防衛隊兵がいた。 「ふ、ふふふ」 肩が揺らぐ。心の中で何かが鎌首を持ち上げようとしていた。 九七式の槓桿を操作し弾を機関部へと送ってから、肩に銃尾を押しつける。 そうだ。如何に心を逃がそうとしても、これが現実だ。 戦場に居る以上、これが、現実なのだ。 「何だか、楽しくなって来たよ」 『透過』のルーンが刻まれた九七式望遠照準器を覗いているミッサーの口元に、自然と歪んだ笑みが零れる。 口の端が、吊り上がっていく。フフッと暗い忍び笑いが出た。 日本兵を追いかける兵士の先頭の奴にレティクルをぴったり合わせる。 そして、迷わず引き金に指をかける。 ―――ミッサー、一緒に遊びましょう――― 引き金を引いた瞬間。 そんな声が聞こえたような気がした。 完