魔法少女リリカルなのは×とらいあんぐるハート3SS 「とある30男と竜の巫女」 その4「ひとりぼっちの戦争(後編)」 【6】 (教育総監、それも陸軍元帥だって!?)  カペーの言葉に、恭也は内心驚きを隠せなかった。  教育総監といえば、軍の教育全般を掌る要職中の要職だ。  たとえば旧日本陸軍においては、陸軍大臣や参謀総長と並び“陸軍三長官”と謳われた程の存在なのだ。  無論、これは他の国々においてもほぼ同様で、この世界(第6管理世界)の軍でも最高幹部の一人と考えて差し支え無いだろう。  軍人の社会的地位の高さ――それがあらゆる世界の“常識”だ――も考えれば、『下手な閣僚かそれに準じる存在』と考えて良い。  ……いや、“陸軍元帥”という地位の特殊性を考えれば、ある意味それ以上かもしれない。  元帥とは単に大将(或いは上級大将)の一階位上であるのみならず、多くの名誉や特権を認められている特別な存在なのだから。 (――そんなVIPが、何故現場に出張るなどというリスクを冒す!?)  それが判らない。  現場のことなど手下に任せておけば良いではないか、身を(あらゆる意味で)危険に晒す必要など無いではないか。  そんなことはトップの役割ではない。  仮にも元帥まで登り詰めた男が、それを判らぬ筈が無いのだ。一体何故…… (あるいは、“偽者”か?)  そう考えた方が余程納得がいく。  だが、ノエルがその疑念を否定した。 《(……マスター、悪い知らせです。最悪と言っていいでしょう。   あのシャルル・カペー・ド・アルザスと名乗る男、まず間違いなく本物です。   まさか、これほどの大物が出張るとは……)》  ノエルのデータべースには、超Aランクの魔導師データが一通り存在する。  その中にシャルル・カペー・ド・アルザスの名があった。  ランクはAAA+。役職は第6管理世界統合政府の陸軍元帥(教育総監)だ。  ……そしてノエルの推測では、目の前の人物もAAA+。  AAAランクの希少性を考えれば、偽者の可能性は零に等しい。 「(AAA+…… マジか……)」  それを聞き、恭也は思わず天を仰ぐ。  肩書き聞いてもしやとは思ってたが、やっぱり超Aランクかっ!  正直、もうおなかいっぱいです……  だが同時に、レクレール程の男が護衛に就いていた理由も納得できた。   (レクレールよりも弱いこと希望だけど、戦艦や空母だって護衛付けるからなあ〜)  恭也は嘆息する。  超Aランクという存在は、もうそれだけで脅威だ。  前回の戦い(※「とある30男のひとりごと」参照)でも判る通り、たとえ素人だろうとまともに戦って絶対に勝てる相手ではない。  ましてや軍人なら、一通りの戦闘訓練を受けている筈で――  ……唯一の慰めは、まあ練度や実戦経験は「それほど高くはないだろう」ということくらいか?  や、流石にその地位(役職)とかそこから推測できる経歴を考えれば、後方勤務やデスクワークが大半だろうし。  (※あくまで希望的観測だ!)  カペーの大時代的な賛辞を無視し、一人不運を嘆く恭也。  だが気になる言葉が耳に飛び込んできたため、意識を彼に傾けた。 「さすが“ハイランク・キラー”と謳われるだけのことはある」 「……俺のことを知っているのか?」  恭也は眉を顰めた。  “ハイランク・キラー”とは、恭也が保有している幾つかの“二つ名”の一つ(あまり有名ではないが……)だった。  ……こいつ、俺を知っている?  その疑念を、カペーは肯定した。 「ああ、かのタンヴィル老を倒した者がFランクと聞いてね、少し気になって調べさせて貰ったよ。  眉唾ものだと思っていたが、どうやら本当のようだな?  数多のAランク、超Aランクを倒してきたその実力、確かに見せてもらった」 「……タンヴィル老?」  その名に覚えの無い恭也は首を捻る。 ……誰? 「おやおや、君にとっては名を覚えるにも値しない存在かね? 民間人とはいえ、一応AAA−の魔導師だが?」 「AAA……老人…… ああ、あのガイキチ爺さんか」  それが前回腕を切り落とした老魔導師のことだとようやく悟り、恭也はあああいつかと頷いた。  ……だが、あれは結局なのはが倒した筈だ。  それに何より、そのことを知っているなら―― 「……何故、それを部下に、レクレールに教えなかった?」  ――そう、もしもレクレールがその事実を知っていたならば。  たとえば、素人とはいえAAAランクの腕を、恭也が切り落としていたことを知っていれば――  あの最後の一撃を、いくら反撃も回避も不可能な状態だったとはいえ、はたして真正面から受けようなどと考えただろうか?  いや、そもそも幾ら神速を恐れての事とはいえ、あれ程の受け身ではない、もう少し別の戦い方があったのではないだろうか?  そしてその場合、勝負はどちらに転んだかは判らない。  だが恭也の問いに、カペーは何を馬鹿なことを、と言った表情で返す。 「何を言っている? あれは言わば一騎討ちだ。そんな無粋な真似はせんよ」 「…………」  その言葉に、恭也は大いに引っかかるものがあった。  それは一見正論ともとれる言葉。  だが、おそらくは腹心に違いないであろう部下に対して、あまりに冷たい言葉だった。  ……そう言えばこの男、先程から部下の死に目もくれないでいる。  自分に対するそれとは、あまりに対照的だ。  そんな釈然とせぬ恭也を無視し、カペーは言葉を続ける。 「“そんなこと”よりも提案だ、公私共に私の部下にならないかね?」 「……………………」  恭也は心が急速に冷えていくのを感じた。  ああ、やっと判った。  こいつにとって、自分や部下達はただの玩具に過ぎないのだ。  玩具だから、試したい。  玩具だから、壊れたら捨てる。  玩具だから、珍しいもの、真新しいものに惹かれる―― 「どうだね、優遇するが?」 「…………」  その返答代わりに、恭也は無言で剣に手をかける。  だが、それを見てもカペーは余裕の表情を崩そうとしない。  やれやれと首を振るだけだ。 「まあ、そう来るだろうとは思ったがね。 ……だが私は強いぞ?」 「そんなことは判ってるさ」  こいつはタンヴィルよりも、そしてレクレールよりも強い。そんなことは判っている。  だが、それがどうした? こいつは――敵、倒すべき敵だ。 《(マスター!)》 「(ノエルか、そろそろ始めるぞ)」 《(――いえ、その判断には賛成できません。反対です。ここは逃げましょう)》 「(逃げたら里は、キャロ嬢はどうなる……)」  恭也は苦笑した。  確かに、自分も一時撤退を考えた。  ……だがその場合、里やキャロ嬢が危険に晒される。  それが判らぬノエルではあるまいに。  だが次のノエルの言葉に、恭也は愕然とした。 《(そんなことは知りません。見捨てましょう)》 「(!?)」 《(仮にマスターが戦ったところで、彼等の運命は変わりません。   マスターはもう十分に役目を果たしました。   ここから先は赤の他人ではなく、自分のことを考えるべきです)》  ……ノエルとて、この様なこと――恭也の意、それも根幹に完全に反する――を言うのは決して本意でなかった。  だがシミュレーションを重ね、「どう足掻いても勝てない」という結論に達したが故の、正に苦渋の言葉だった。  ノエルはあくまで恭也のデバイスであり、従者である。  故に、真に優先すべきは恭也只一人のみ。「恭也が無事ならば」と考えて、あえて露骨に口にしたのである。  これで嫌われても仕方がない。恭也が無事ならば。 ――それが彼女の本音だった。  しかし、恭也は罵倒も無視もしなかった。  いや、それどころか穏やかな口調でノエルの判断を肯定する。 「(……ああ、そうかもしれないな)」 《(マスター?)》  予想外の反応に、ノエルは訝しげな声を上げる。  だが恭也のその肯定は、前置きに過ぎなかった。 「(だがな…… ここで逃げたら、俺は二度と御神の剣士を名乗れない)」 《(元の世界に帰るのではなかったのですか!?   そのためなら、今日の屈辱に歯をくいしばって耐えるのではかったのですか!?)》 「(ここで逃げたら、俺は俺でなくなってしまう。帰る意味も、消えてしまうんだ)」  そう。元の世界の皆が待っているのは、あくまで“皆の知る高町恭也”。  断じて守るべき者達を見捨てる様な卑怯者ではない。  それを否定することは、“彼女達”を侮辱することでもある。  何より、自分自身がそれを許せない。  恭也の決意を悟り、ノエルは嘆息した。 《(男なら、危険をかえりみず、死ぬと判っていても行動しなければならない時がある、でしたっけ……   損な生き物ですね。男という生き物は)》 「(それが、男だ)」  そう言って笑いつつも、恭也は現状を再確認する。  右膝が悲鳴を上げ始めた。神速は2回が限度だろう。二段重ねを用いた場合、その後動けなくことは確実だ。  カートリッジは既に2発が空になり、残る5発も相当消耗している。合わせても2発分弱しかない。  何より、超Aランクにはまともに攻撃が届かない。正直、どこまでやれることやら。 (まあ、やれるだけやってみるさ……)  とりあえずこの地を覆う結界に一瞬でもいいから穴を開け、派手な爆音で里の人達の注意を喚起する。  そして後は―― 運を天に任せ、できる限り戦いを長引かせるのみ。  ――だが、その考えは見透かされていた。  レクレールが張った結界の内に、カペーが更に結界を重ねる。 「これで君も、全力で私に立ち向かわざるえないだろう? ――さあ、早く私を楽しませてくれないか?」 「くっ……」  Aランクと超Aランクの二重結界。  もはやカペーを倒すしか、里を……キャロを救う方法はない。 (だが……勝てるか?)  そのプレッシャーに、顔を強張らせる。 《(……一つだけ、方法があります)》 「(ノエル?)」  ノエルの思いつめたような口調に内心驚きつつ、恭也は応じた。 《(残りの全魔力を使えば、限定的にですがあと一回だけ“あれ”が使えます)》 「(……だが、残る魔力はいつも消費する量の六割がいいところだぞ?)」 《(はい。ですから限定的なんです)》  身体増幅は通常のFランクとし、剣の接触面も最小限とする。  そうすれば「あと一回だけ撃てる」とノエルは言う。 「(“射抜”か……)」  恭也は呻いた。  “射抜”――美沙斗が最も得意とした超高速の刺突術。  抜刀・斬撃系を得意とする恭也にとり、最も相性の悪い技の一つだ。  ……正直、あまり自信が無い。  “あれ”を発動する際に恭也が“虎切”を多用するのは、それが最も使い慣れた技だからだ。  手持ちの技の中で最強の一撃を誇るのは“雷徹”だったが、信頼性の上では“虎切”に二歩も三歩も劣る。  “あれ”の発動時には、(その目的上)打撃力を最重視して身体能力を通常よりも更に上昇させる為、慣れぬ力に振り回され、 どうしても動きが大味となる。  やや不安のある“雷徹”ではなく“虎切”を選択するのは、当然のことだった(ましてや“射抜”など問題外だ!)。  恭也の逡巡に、不破が補足する。 《(身体の増幅は通常です。何とかなるでしょう?)》  確かに普段程度の増幅なら、ハードルは大きく下がる。  不安は残るができないことはない。  ……何より、他に方法がない。  だから、恭也は懸念を振り払い大きく頷いた。 「(ああ、やってやるさ!)」 《(ではいきますよ。 ――必要最小限の機能を残し、魔力の供給を停止します)》  ノエルの言葉と共に、全身を覆う魔力が消えていく。  その次の瞬間、今まで溜め込んでいたものが一気に恭也に押し寄せてきた。  身体増幅の停止と蓄積された疲労により、まるで全力で泳いだ後水から出た様な、いやそれ以上の気だるさだ。  開いた切り傷からの出血が、一層それを助長する。  激しくなった右膝の痛みに、思わず顔を顰める。  これは昔、まだ魔力と縁がなかった頃、神速を2回使った時の痛みだ。  ……なんと脆弱な体だろう。昔の自分は、こんな状態で戦っていたというのか? (俺はここまで、魔法に頼り切っていたのか……)  あらためて見せ付けられたような気がし、恭也は自嘲する。  高町恭也、お前に魔導師の武技を侮る資格はない。  魔導師でもなく、剣士でもない、中途半端な存在。この蝙蝠野郎……  ……だが、そんな蝙蝠野郎でも譲れないものがある、守りたいものがある。  ああ、認めようじゃないか。どうこう理由をつけても、結局自分はあの小さな少女を、キャロ・ル・ルシエを守りたいのだ。  つまるところ、それが今の自分の全て―― 《(マスター、節約のためほぼ全システムをスリープモードとしました。   使えるのは空中機動プログラム、それも標準状態で300秒のみです)》 「(了解)」 《(……あと、私の自我プログラムも切ります。もう助言はできません)》 「(……ああ)」  おそらくそれで300秒分の空中機動プログラムを捻出したであろうことを、恭也は理解した。  本当に……できた奴だよ、お前。 《(マスタ……)》 「(何だ?)」 《(……いえ、何でもありません)》  名残惜しそうな、ノエルの声(※いくら戦闘プログラムで一時的に上書きし、抑制しているとはいえ感情が無い訳ではない)。  だから、恭也は笑って言った。 「(そうか、じゃあまた後で、な?)」 《(はい、また後で。 ……あまり待たせないで下さいよ?)》  ノエルが沈黙したのを確認し、恭也は抜刀する。  ――さて、では行くとするか。 「永全不動八門一派・御神真刀流・小太刀二刀術師範代、高町恭也参る!」                          ・                          ・                          ・                          ・                          ・                          ・  20分後、恭也は仰向けで地に伏せていた。  自分を見下ろしながら、カペーが何やら感嘆の声を上げる。 「……驚いたよ、まさかこれ程とはな。  左胸のバリアジャケットに衝撃を受けた時など、冗談抜きで心臓が止まりかけたものだ。  いや、今思い出しても背筋が凍る」  ……最後の一撃は、届かなかった。  技が不足していたのではない。  恭也が放った渾身の“射抜”は、正に今までで最高の出来だった。  或いは、美沙斗のそれにすら匹敵していたかもしれない。  だがそれでもなお、届かなかった。  カペーはレクレールの正多面シールドと同程度のバリアを、間隔を置いて10枚も重ねていた。  それは、まさに多重空間装甲。最初のバリアを突き破り、バリアと空間をすり抜ける度に、衝撃波は大きく減衰していく。  それでも最小の断面積での渾身の一撃。衝撃波はまるで恭也と不破の執念が篭ったかの様に一枚、また一枚とすり抜けていった。  ……だが5枚目で事実上殺傷力を喪失し、バリアジャケットにまで達した時にはコツンとノックするのがやっとだった。  ――そして後に残ったのは、一時硬直した体。  もはや的でしかない。壊れた右膝を考えれば、反撃の直撃を回避できただけでも御の字だ。  だが至近距離からの爆風は薄いFランクの魔力膜を容易に貫通し、恭也を吹き飛ばした。 「ごふっ……」  口から、とめどもなく血が流れてくる。息が苦しい。  ……どうやら折れた骨が、肺に突き刺さったらしい。  他からも酷く出血しているらしく、体が急速に冷えていく。無性に寒い。 「――もう一度聞くが、私の部下になる気はないかね? 実際、このまま死なせるにはあまりに惜しい」  再度の、そしておそらくは最後の勧誘。  何か気の利いた冗談の一つも返してやろうかと思ったが、口から出たのは言葉ではなく血だった。  ……どうやら、もはや言葉を発する力すらも無いらしい。  意識も段々と薄れてきて、何かを考えることすら億劫になってきた。  ――恭也さんっ!?  微かに聞こえるそんな言葉を最後に、恭也の意識は深い闇へと沈んでいった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【7】 <1>  ――その夜、キャロはどうしても眠ることができずにいた。  いや、確かにここ数日眠れぬ夜が続いてはいる。  だが今夜のそれは、今までとは全く様相が異なっていた。  まるで心臓を鷲掴みにするかの様な焦燥感が、不安が、キャロを苦しめる。  じっとしていられず、今直ぐにでも駆け出したくなる。  恭也に会いたくて会いたくて、今にも気が狂いそうだ。 (だめ、だめだよ、がまんしなくちゃ…… 夜が明ければ会えるから、ね、ね、お願い…………)  キャロは頭から毛布を被り、必死に逸る心を抑えようと試みる。  ……だって、こんな夜遅くに出かけたら、もしそれがばれてしまったら、どんなに長老に怒られることだろう。  何よりもし、もしも罰として恭也に会えなくなってしまったら…… (いや、そんなの絶対にいや。一年に一月も会えないのに、そんなの酷すぎるよ……)  想像しただけで、涙が溢れてしまう。  だが、キャロの心は鎮まるどころかますます逸る。  遂には目を閉じると、恭也の姿さえ浮かぶ様になった。  瞼に浮かぶ恭也は――全身血塗れ、今にも倒れそうだ。 「!?」  キャロは驚いて跳ね起きる。 (何で!? 何でこんな嫌な夢を見るの!?)  そう、これは夢だ、夢に決まっている。こんなこと、ある筈が無い。あってたまるものか。  ……だがたとえ夢であろうと、こんな光景を見せられてはじっとなどしていられない。  自分が行っても、何ができる訳でもないことは承知している。でも、それでも――  キャロは覚悟を決め、ベットから出る。  同衾していたフリードがそれに気付き、眠気眼でキャロを見た。 「……キュクル?」 「……あ、ごめんねフリード、起こしちゃった?」 「キュクルー?」 「うん、これから恭也さんの所へ行くの」 「キュクル!?」  フリードは驚き翻意を促す。  だがキャロの意志は固く、首を大きく横に振るだけだった。 「大丈夫、ちょっとだけ、ちょっとだけだよ。 ……直ぐに戻るから、フリードは寝て待ってて」  そう言うと、キャロは着替る時間すら惜しいとばかりに、寝間着のまま部屋を出て行ってしまった。  だがそこで「はいそうですか」と再び眠りにつくフリードではない。 「キュクルッ!」  慌ててベッドから飛び出すと、キャロの後を追った。  …………  …………  …………  夜の森を、キャロは無我夢中で駆けていく。  闇の中、昼間ですら危うい足元を気にもとめず駆けていく。  ――それに、この速度といったらどうだろう!  空を飛ぶフリードですら、追いかけるので精一杯だ! 「キュクル〜〜」  フリードが鳴いた。  だがさっきから何度も呼んでいるにも関わらず、キャロはまるで何かに憑かれたかの様にひたすら走り続ける。  もう大分走っており、里がもうあんなに小さくなっている。  ……しかもキャロが向かう方向は、恭也の家とはまったくの別方向だ。  このままでは、直に“外”に出てしまう。  正直、フリードには何が何だか判らなかった。  だが、それはキャロとて同様だろう。  彼女は激しい焦燥感と体の奥から漏れ出てくる“力”に突き動かされ、ただただ動いているだけなのだから。  昼間、恭也がキャロにさせたこと。 ――それは、彼女の奥深くに眠る“力”を刺激し、なおかつ“道”まで通すも同然の行為。  造られた“道”は微細なものに過ぎなかったが、それはまさしく巨大ダムに穿たれた針穴だったのである。 「キュクル!?」  フリードは驚き、一瞬動きを止めた。  少し先で、何かとてもとても大きな魔法が使われた。  上手く隠しているが、この距離では幼生体とはいえ高位竜種のフリードに隠し切れない。  ……しかもこれは、これからキャロが向かおうとしている場所ではないか? 「キュクルッ!」  フリードは慌ててキャロに危険を知らせようとするが、やはりその耳には届かない。  それどころかその速度はますます上がっていき、徐々に引き離されていく。  遂には完全に引き離され、キャロはどんどん小さくなっていく。  その後姿を全力で追いつつ、フリードは悲痛な叫び声を上げた。 「キュクルーッ!」  べちゃっ!  ……が、その直後、フリードは目に見えない“壁”に勢いよく激突した。  そしてずるずると“壁”に沿うように地に落ち、意識を失った。 「キュ、キュクル……」  哀れ、フリード。 <2> 「――もう一度聞くが、私の部下になる気はないかね? 実際、このまま死なせるにはあまりに惜しい」  それはカペーの最後の勧誘だったが、恭也の口から出たのは言葉ではなく血だった。  ……どうやら、もはや言葉を発する力すらも無いらしい。  それでも言いたいことを察したカペーは、首を振った。 「……残念だ、本当に残念だよ」  そう呟くと、カペーはデバイスの先を恭也に向けた。  そして―― 「!?」  突然、何かに驚いた様に顔を上げた。  ――馬鹿な!?  自分とレクレールが発動した二重の結界。  それを突き抜け、何者かがこちらに向かってくる。  確かに、レクレールの結界は術者の死によりかなり弱まっていた。  確かに、自分は本気で結界を発動した訳ではない。  だが、それでも雑魚――Bランク以下の魔導師――が入ってこられない程度の強度は有している。  Aランクとて、これを破るのは少々骨だろう。  ……にも関わらず、その何者かはいとも容易く入ってきた。  “視る”と、僅かな魔力に包まれた何者かが、こちらに向かってくるのが判る。  だがその魔力は信じ難い程の質と密度であり、自分のあらゆる探知魔法を無効化する。 「……一体、何者?」  湧き上がる警戒感に、カペーは恭也のことを一時置くこととし、来訪者を待ち受けた。  …………  …………  ………… 「…………え?」  その光景を見て、キャロは絶句した。  目の前で、恭也が倒れている。 「恭也さんっ!?」  キャロは叫び、慌てて駆け寄った。  だが恭也は何の返事もしてくれない。  その大好きな温もりは消えうせ、冷たくなっている。  そして――  ぬるっ  何かで手がべとりと濡れた。  ……見ると、両手は真っ赤に染まっていた。 「!?」  それは、恭也の体から流れてくる。  どんどんどんどん、流れてくる。  周囲には、赤い水溜り…… 「恭也さんっ、恭也さんっ! いじわるしないで返事してよっ!」  キャロは狂ったように恭也に呼びかけ、その体を揺する。  その赤い水が何であるのか、  恭也がどうなっているのか、  キャロの頭は、心は、考えることを完全に拒絶していた。  だから、泣きじゃくりながらも必死で恭也を起こそうとする。 「お願い……お願いだから起きてよ…………」 「無駄だ。その男は、じき死ぬ」  拒絶していた言葉が、頭の上からあっさりと投げられた。  それを聞き、キャロは呆然とする。 「うそ……」  ……死ぬ? 恭也さんが?  その事実を認識した瞬間、今まで抑えられてきたありとあらゆる負の感情が、瞬く間にキャロの心を埋め尽くした。  そして限界にまで膨れ上がった瞬間、キャロの内で“何か”が弾けた。  …………  …………  …………  その少女が飛び出した時、カペーは思わず飛び下がってしまった。 (――まさかっ!? 私が、この私が“退いた”だと!? 臆して退いたというのかっ!?)  間もなく黄泉の国に旅立つであろう男に縋りつき、ただ泣きじゃくるだけの少女。  だがその纏う魔力といったらどうだろう! その質、密度共に自分の比では無い。  しかも、徐々に纏う魔力を肥大化させていく。どんどんと大きくなっていく。  今はまだ自分のほうが上ではあるが、まるで底が見えない。  その事実に、カペーの背中がびっしょりと汗で滲む。  魔導師という存在は、一般的に格上の相手に対してすこぶる弱い。  まるでランクの上下が食物連鎖の上下であるかの様に、本能的に怯えてしまうのだ。  勿論これは一般人とて同様だ。もし敵対的な高ランク魔導師と対すれば、ほぼ間違いなく「そう」なるだろう。  だがなまじ“視える”だけに、魔力を有しているだけに、それこそ一般人以上に魔力の質や量の差に怯えてしまうのだ。  ……確かに個人差はあるし、鍛錬や経験により押さえ付けることも可能だ。  だがそれすらも、圧倒的な存在の前では吹き飛んでしまうことだろう。  ましてやカペーは、今までそこそこの鍛錬や実戦経験しかしてこなかった。  何よりAAAという頂点に近い存在である為、格上どころか同ランクの相手とすら碌に戦ったことがない。  そして数少ない同格(或いはそれ以上)の相手は、よく知る知人、それもかなりの確率で自分の血族。  (※魔導師の才能は基本的に遺伝するため、上に行くほど極端に狭くなる)  実戦経験に至っては、大半が「数ランクも下」という格下相手のものだ。  ……これでは技はともかく、気迫に対抗する術は学べない。  故に、初めて接するこの事態に、頭が真っ白になってしまう。  (※だからこそ上昇志向の強い高位の魔導師は、その多くが同格以上の相手が存在する管理局を選ぶのだ)  ――だがそれでもカペーには、まだ己を支えるものがあった。  彼は、まるで自分に言い聞かせる様に叫ぶ。 「我が名はシャルル・カペー・ド・アルザス!  “ガリア”統一帝たるカール大帝の末裔にて、旧アルザス王家の直系なりっ!」 (――その私が、たかが蛮族の小娘一匹如きに怯えるなど……認めん! 絶対に認めんよっ!)  カペーはともすれば震える足を叱咤し、一歩また一歩と少女に近づく。  そして己の心の内を誤魔化すかの様に、眼下の少女に向かって吐き捨てた。 「無駄だ。その男は、じき死ぬ」  ……だがそれは、まさに最悪の選択だった。  その直後、少女の内から発せられる洪水の如き魔力によって、カペーは吹き飛ばされた。 <3>  少女の凄まじい魔力が、巨大な魔方陣を描き出す。  あらゆる邪魔な物体を吹き飛ばし、描き出す。 (な……何と巨大な魔方陣だ…… これを、これほどのものを、デバイスも使わずに、だとっ!?)  しかも、この魔方陣は―― 「まさか……竜王召喚…………」  世界の狭間に住まう竜の王、真竜をこの世界に具現化させる究極の召喚魔法。 「ばかな……ありえない………… もしそれが真なら――」  この少女は、SSランク以上ということになってしまう。  Sランクですら、各次元世界に1人かせいぜい2人程しか存在しない。  ましてSSともなれば、それこそ各次元世界で2000年に1人生まれるかどうかだろう。  (※しかもこの数字は、あくまで現在の人口から推測した数値に過ぎない。    かつて人口が遥かに少なかった時代から考えれば、優にこの数倍はかかったであろう)  そして何より、ここ第6管理世界“ガリア”で実在が確認されているSSランクの魔導師は、およそ5000年前のカール大帝只一人のみ。  その事実は、カペーを完膚なきまで打ちのめした。 「馬鹿な…… この小娘が、“ガリア”史上最高の英雄たるカール大帝に匹敵する程の存在だとでも言うのか!?」  魔方陣から出現する巨大な“何か”を見上げつつ、カペーは呆然と呟いた。  ――このカペーの認識は、少なくとも現段階ではあまりに過大なものであった。  というのも、キャロが発している魔力は正直な所SSランクには遠く及ばず、せいぜいSランクだったからある。  確かに、如何に感情の大爆発によってリンカーコアが過剰なまでにその出力を上げているとはいえ、このランクは破格も破格だ。  ましてや年齢や目覚めたばかりということを考えれば、なのは、フェイト、はやてに匹敵する程の才能の持ち主に違いなかろう。  だがそれでも現時点では(過負荷状態でも)Sランク。竜王召喚には届かない。  にも関わらず、竜王――真竜ヴォルテール――は召喚に応じた。  これは有り得ざることだった(だからこそカペーも“勘違い”したのだ)。  …………  …………  …………  召喚された真竜ヴォルテールは、困惑していた。  ――と言うのも、召喚主であるキャロが命令もくれなければ呼びかけにも応じてくれないからだ。  こういった場合、召喚された存在はまず間違いなく暴走する。  だがヴォルテールは暴走しなかった。  それどころか、主の真意を探ろうとその心に接触した。  キャロの心は様々な負の感情で溢れぐちゃぐちゃだったが、要するにこの世界を壊したいのだろう。  ――そうヴォルテールは理解した。  だがその前に、一つだけある明確な望み、「恭也さんの仇をとる!」を実行せねばなるまい。  この世界を壊すのは、その後だ。  キャロの望みを叶えるべく、ヴォルテールは行動を開始した。  真ヴォルテールがこれから起こそうとしている行動は、暴走とまったく変わらぬものだった。  ……いやむしろ冷静な分、暴走よりも遥かに性質が悪い。  ほぼ完全な状態で具現化したヴォルテールがその気になれば、アルザス地方どころか“ガリア”世界全体が大打撃を受けるだろう。  世界の危機は、すぐそこまで迫っていた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【8】  目を覚ますと、自分が宙に浮かんでいることに気付いた。  まるで無重力下にでもある様に、上下の感覚が無い。 (ここはどこだ……?)  『――――ッ!』  『〜〜〜〜!!』  段々と意識がはっきりしてくると、聴覚が音を捉えた。  どうやら自分を挟んで何か言い争いをしている様だ。  ……なんと傍迷惑なことか。  だが同時に、何処か聞き覚えのある懐かしい声だった。  俺は意識を集中させ、会話の内容を拾う。 「だ〜か〜ら! ここは内縁の妻であるあたしの出番だと思う訳よ!」 「いいえ! ここは真の幼馴染である私の出番ですっ!」 「え〜と、あのあの、二人ともどうか落ち着いて下さい……」  ……俺は聞いたことを後悔した。  不運にも丁度回復した視覚が、この状況を聴覚と共に映像付で中継してくれている。  枕元(?)で何やら言い争うフィアッセと忍、そしてそんな二人を宥める那美さん。  ――うわっ、ナニよこの修羅場っ!?  俺は慌てて再度眠りに就こうと試みたが、間が悪く那美さんと目が合ってしまった。  ……もはや逃げる手段は無い。  高町恭也、俎板の鯉も同然だった。 「あ、恭也さん、おはようございます」 「……おはようございます。那美さん」  朗らかに笑いながら挨拶する那美さんに、俺は挨拶を返した。  実に七年ぶりの再会だ。懐かしくない、嬉しくないと言えば嘘になる。  だが―― (何故に子供?)  目の前の那美さんは、10歳になるかならぬかの小さな子供の姿だった。  ……そう言えば、他の二人も那美程ではないにしろ、若い。  忍は17〜18、フィアッセは12〜13の姿だ。生き別れた時には、三人とも既に成人していたのに……これは一体? (……初めてあった時の姿か?)  だがそれならば、フィアッセはもっと幼い姿の筈だ。  暫しあれこれ悩み、ふと気付いた。 (ああ、これは“誓い”を交わした時の年齢だ……)  那美さんに膝を直して貰いつつ、交わした“誓い”。  フィアッセに羽を見せて貰い、交わした“誓い”。  忍にその正体を知らされ、交わした“誓い”。  何もかもみな懐か「恭也、痛くない!?」「恭也、もう大丈夫だよ!」  駆け寄るフィアッセと忍により、俺の美しき追憶はぶつ切りにされた。  ……お前ら、台無し。 「え〜っと、ですね。わたしたちは、恭也さんの内に入り込んでいるそれぞれの“力”なんです。  ……もっとも、あまり大した力ではないですけど」 「……力?」  那美さんのフォローに、俺は首を捻った。  ……てっきり“お迎え”か何かだと思ったのだが。 「まあ“力”って言っても残滓なんだけどね。あたしは恭也がイレインズにやられた時、忍から注ぎ込まれた“力”」 「私は、フィアッセが初めて恭也に羽を見せた時、付与された“力”」 「んなもん、貰ったっけ?」  忍のそれは確かに記憶にあるけど……フィアッセはなあ?  するとフィアッセは、拳を握り締めて必死にアピールする。 「ほらっ! その後フィアッセ、おでこにキスしたじゃない!  あれ、凄く“想い”の篭ったものだったんだよ?」 「……マジですか」  そこまで重かったとは……  当時、俺ら子供だったんだけどなあ。 「で、わたしは――」 「あ、じゃああなたは、那美さんが熱出して倒れるまで俺の膝に注ぎ込んでくれた“力”ですね?」 「う〜〜」  機先を制されたことに気を悪くしたのか、しゃがみ込んでのの字を書く那美さん(の力)。  ……何もそこまで本人に似なくても。 「それで、皆さん一体何用で?」 「それはですね! 恭也さんを助けるためですっ!」  俺が首を捻りつつ尋ねると、那美さんは先程までの姿は何処へやら、勇んで説明する。  ……や、話の流れから大体検討はついてたんだけどな? お約束ってヤツ? 「このままだと恭也は死んじゃうからね。  あたしたちはもう残りかすみたいなものだけど、三人力を合わせて『何とか助けよう』ってことになったのよ」 「……その割には、ついさっきまで何やら争っていた様だが?」  忍の補足に俺がジト目で返すと、フィアッセと忍は何やらバツが悪そうに顔を見合わせた。 「そ、それはやっぱり……」 「ライバル同士だし、ね?」 「…………」  ……そういや、そうだった。有耶無耶のままこっち来ちまったんだよな〜(※『とある青年と夜天の王』プロローグ中編参照)  そんな感慨に浸る俺に、那美さんがせっつく。 「もうあまり時間がありません。急ぎましょう。  間に合わなければ、きっと恭也さんは一生後悔します」 「……どの程度、直る?」  戦力評価は必須だ。  俺は真面目な表情で、那美さんに尋ねた。 「出血は止めますし、骨も何とかくっつけます。  ……でもそれは仮のこと、後で本格的な治療は絶対必要です」 「……どのくらい、動ける?」 「私達が一時的に血の代わりや体の補強をしますから、ごくごく短時間ならば人並みには」 「…………」  ……話にならない。が、死にかけていたことを考えれば御の字だろう。  何より、“力”の残滓に過ぎぬ彼女達がそこまでやってくれたことに、頭が下がる思いだ。 (ああ、その思いに報いる為にも何とか一矢報いてやるさ)  それにまさか、死人が生き返るとは誰も思うまい?  俺は不敵に笑う。 「恭也、勝ちなさいよ!」 「恭也、がんばってね!」 「任せろっ!」  忍さんとフィアッセの声援に、俺は親指を上げて応える。  それを見て、那美さんが声をかけた。 「――恭也さん、覚悟はいいですか?」 「ああ!」 「では代表して、わたしこと那美が恭也さんに力を注ぎ込みます。  忍さんの魔力、フィアッセさんの超能力、そしてわたしの霊力。  ――これを合わせて注ぎ込みます」 「魔力、超能力、霊力か……」  ……なるほど。正直「よく治せたな」と思ったが、全く異質な力が混ぜ合わさって爆発的な力となったのか。  普通ならどう考えても相性悪そうだが、三つの力に協力する意思があるからこそ成せる業なのだろう。 「では久遠、おいでませ〜〜♪」 「くうん!」  ぽむっ!  いきなり、仔狐姿の久遠が出現した。  ……何故に?  俺の視線に気付いた那美さんが、にっこり笑って答えた。 「魔法少女に小動物って、必須だと思いませんか?」 「や、那美さんは魔法少女ではなく霊能少女――」 「あ、そうだ恭也さん」  ボケに突っ込みかけた俺に、那美さんは突然思い出したかの様な声を上げた。 「何です?」 「言い忘れてましたが、実は復活した直後、副作用でとても痛い思いするんですよ」 「……具体的には? 「そうですね――  『両腕両足をパキポキと骨折した上に肋骨にヒビが入って、ちょっと苦しくてうずくまった所に小錦がドスンと乗ってきた』  ――感じでしょうか?」 「ちょっ!? 待――」 「でも、恭也さんなら大丈夫ですよ!」  真っ青になってタンマする俺を、那美さんは実にいい笑顔で無視する。  ……そのあまりの反応に、俺は思わず尋ねずにはいられなかった。 「え〜と、もしかして那美さん、すごく怒ってらっしゃいますか?」 「……何のことでしょう?」 「や、だって――」 「それは確かに、  『わたし達のことを忘れて、若い子達と何いちゃいちゃしてるんだろう』とか、  『異世界とはいえ実の妹といい雰囲気になるのはどうだろうか』とか、  『いったい幾つまで攻略対象の年齢下げるつもりなんだろう』とか、  ほんっと〜〜〜〜うに色々ありますが…… 別に怒っていませんよ?」 「嘘だ、絶対嘘だ……」  怒る那美さんってレアだな、と思いつつもその怖さに思わずガクブル状態の俺。  ……しかし思念体ですらこれである。 (無事、元の世界に帰還できたとしても、絶対にこの世界のことは触れないでおこう)  俺は改めてそう決心したね。 「じゃあ久遠? とびっきりのやつをお願いね?」 「くうん!」  久遠、“力”を注ぎ込む。  とびっきりのやつ…… ま、まさか…… 「ちょっ、まだ心の準備がっ!?」 「聞こえません♪」  その直後……巨大な雷が……俺を……襲った…………  …………  …………  ………… 「う、うう……」  再び俺は目を覚ました。  ……さっきまでの出来事は、夢か現か―― 「はうっ!?」  突然襲ってきた激痛に、俺は堪らずのた打ち回る。 「こ、小錦がっ!? 小錦が〜〜っっ!!??」  だが同時に、その痛みが俺の思考を現実へと引き戻す。  血が足りていないせいか頭の中に霧がかかっているが、痛みがそれを補う形となっている。  ……喜んでいいのか、これ?  まあそれはさておき周囲を見渡す。  ――すると、そこは怪獣映画の世界だった。 「ナニ、アレ……」  身長100メートル、翼長150メートル、体重3万トンはありそうな、キングギドラを一本首にして黒く染め上げた様なバケモノ。  ソレが、ナニやらもしゃもしゃとお食事(?)をしていらっしゃいます。  その周囲には、10〜20メートル前後の竜が多数…… 「一体何事っ!?」  もしかしてまた別の世界に?と一瞬考えるも、直ぐ隣にキャロ嬢がいることに気付き、その考えを撤回した。  ……しかしこんな近くにいるのに気付かないんだから、俺も相当弱ってるんだなあ。 「キャロ嬢……!?」  俺はキャロ嬢に声をかけようとして――絶句した。  キャロ嬢は全身眩しい程の魔力光に包まれ、立っている。  ……や、それはいい、それはいいんだ。  だがな? (おそらくは俺の血で)全身は血塗れで目も虚ろ、そんな状態でなにやらぼそぼそと呟いているんだぜ?  一体何があったんだよ、マジで……  とりあえず、キャロ嬢の呟きに耳を傾けてみる。 「……だめ、そんな程度じゃ許さない……  恭也さんはきっともっともっと苦しんだの……  だからあなたはもっともっともっともっと苦しむの……」  怖っ!? ――何てこったい! 俺の心のオアシスが! 俺のキャロ嬢がっ!?  ……が、キャロ嬢がここまで壊れたのは多分俺のせいだろう。ここは責任をとって正気に戻さねば。  俺は痛みに顔を顰めつつも何とか立ち上がり、キャロの前に立った。 「キャロ嬢! 正気に戻るんだ!」 「ああ…… 恭也さん……やっと会えた…………」  俺に気付いたキャロ嬢は、何処か壊れた笑顔で抱き付いてきた。  そして、焦点の合わぬ目で俺を見上げて囁く。 「もう少し待っていてください。あと少しで恭也さんの仇がとれますから。 ……そうしたら、いっしょにいきましょう?」 「“いきましょう”って何処にっ!?」  や、深く追求するのは止めよう。怖すぎる……  俺は頭を切り替え、考える。  話から察するに、カペーの野郎はまだ生きているらしい。  何やら痛めつけているらしいが、一体何処にいる?  ――と、ふとナニやらもしゃもしゃとお食事(?)をしていらっしゃるバケモノが思い浮かんだ。 (まさか……)  い、いかんっ! このままではキャロ嬢が人殺しになってしまうっ!? 「キャロ嬢! 正気に戻るんだっ!」  俺はもう一度、呼びかけた。  そしてその体を強く揺する。  だがキャロ嬢は俺の名を呼びつつ、どこか夢見る様に抱きついているだけだ。 (……どうする?)    キャロ嬢の周囲を覆う魔力光は、おそらく防御フィールドだろう。  全てを弾き返す存在の筈が、何故か俺だけは受け入れられている。  ……だが、それでも気絶させられるだけの打撃を与えられるとは到底思えない。  何より、今の俺に戦闘能力は無い。  どうする……どうすればいい? 考えろ!  俺は半分以上靄がかかった頭で、必死に考える。 (――そうだ! 確か、以前にもこんなことがあったじゃないか!)  今から七年前、はやてが暴走した際のことを思い出す。  ……あの時は今回よりも遥かに酷かったが、俺はどうやってはやてを止めた?  確か―― 「キャロ嬢! すまんっ!」  俺は口の中の血を吐き出すと、七年前と同様に俺に抱きつくキャロ嬢を抱え上げ、その唇に自分の唇を強く押し付けた。  そして、思いっきり空気を吸い出す。 「!?」  じたばた、じたばた……  肺から酸素を奪われていくキャロ嬢は、必死で手足を動かす。  だが、それは無駄な抵抗でしかなかった。  子供の肺活量などたかが知れている、ものの十秒でキャロ嬢はダウンしてしまった。 「……きゅう」 「ふっ、勝った……」  だが、勝利の余韻に浸る間は無い。  ……だって背後では、あのバケモノが凄い目付きで俺を睨んでらっしゃいます。  口の中のモノをぺっ!と吐き出すと、ご丁寧に威嚇の唸り声まで追加して下さいます。  正直、小便チビりそうだ……  そんな弱気を押さえ付け、俺はバケモノを睨み返す。 「お前が本当に主のことを思っているのなら、今すぐ消えろっ!」  ……や、聞いてくれる筈無いですよね、こんなの。  けど、説得以外に方法ねえよ……  だが意外にも……本当に意外にも、俺はこの実に分の悪い賭けに勝った。  バケモノは暫しの間俺を睨みつけていたが、やがて溶ける様に消えていったのだ。  うそ、マジでっ!?  ……後で聞いた話では、これは奇跡同然の現象だったらしい。  あのバケモノが召喚主であるキャロ嬢に心底従っていたからこそ、  そしてキャロ嬢が俺という存在を自分よりも――それこそ自分の命よりも――上位に置いていたからこそ、  この二つがあって始めて起こりえるのだそうだ。  後半に関しては、どうやら後でみっちりと矯正しておく必要があるな? キャロ嬢?  だが、これで残る仕事はあと一つ。  俺は最後の“仕事”を果たすべく、最後の気力を振り絞り、這うようにして吐き出されたカペーへと近づいた。 「よう、生きてるか?」 「う、ううう……」 (……これだけ満身創痍になりながら、コイツまだ意識がありやがるのかよ)  さすがAAAと言うべきか、はたまたあのバケモノがいい仕事をしたと言うべきか。  まあどっちだっていい。とりあえずこの分なら、どうやらカペーは助かりそうだ。  ……だが、このままくたばる可能性も決して低いとは言えない。  いつ助けがくるか判らないこの状況では、尚更だ。  だから俺は―― 迷わずその心の臓に、八景を振り下ろした。 「あ、あああ…………」 「……悪いな、じいさん」  そしてカペーの死を確認すると、俺はようやく意識を手放すという贅沢を実行した。  ――そうだ、シャルル・カペー・ド・アルザスは、高町恭也が殺したのだ。