魔法少女リリカルなのは×とらいあんぐるハート3SS 「とある30男と竜の巫女」 その1「キャロ・ル・ルシエという少女」 【1】 ────第6管理世界。アルザス地方、ルシエの里 <1>  里の一歩手前にある丘の上。  そこにピンク色の髪をした6〜7歳の少女と白銀色の小さな竜の姿があった。  一人と一匹は、早朝からずっと丘の下を通る道を眺めている。  何かが通る度に一喜一憂していることから察するに、どうやら誰かを待っているらしい。  だが待ち人は中々現れず、時が経つにつれ少女の表情は目に見えて曇っていく。  今では両膝を抱えてしゃがみ込み、すっかり落ち込んでいた。  (そんな少女を心配してか、仔竜は先程から少女の周りをせわしなく飛び回っている) 「……恭也さん、遅いね」 「キュクル……」  少女の悲しげな呟きを聞き、仔竜は彼女に近寄ってじっと見上げる。  少女はそんな仔竜を膝に抱き寄せ、語りかけた。 「今日の朝には着く、って言ってたのに、もうお昼過ぎてるよ……」 「キュクルー」 「ううん、絶対来るよ。だって……約束したもの」  まるで自分に言い聞かせる様に話すと、少女はぎゅっと仔竜を抱きしめた。 「でも、遅いね……」 「キュル……」  抱きしめられた仔竜が、小さく鳴いた。  ……慰めているのだろうか?  だが、少女の瞳には涙が滲み出し、今にも決壊寸前だ。 「恭也さん……」  声を震わせながら、少女は待ち人の名を呼んだ。 「何だ?」 「……え?」 「……キュル?」  ……今の、何?  二人(?)は顔を見合わせ、恐る恐る振り返る。  と、すぐ後ろには、何と待ち人である高町恭也が立っていた。  一瞬の思考停止の後、少女と仔竜は驚いて飛び上がる。 「!? き、きゃあっ!」 「キュクルッ!?」 「二人共落ち着け、深呼吸だ」  そんな二人に対し、恭也はどこまでも冷静だ。  混乱を鎮めるべく、的確にアドバイスする。 「は、はい! すーはー、すーはー」 「キュークルー、キュークルー」 「落ち着いたか?」 「はい、一応。でも――」  そう言いかけて、少女は口をつぐんだ。  言いたいことは山とあり、何から言ったらよいやら迷ってしまう。  暫しの逡巡の後、とり合えず一番聞きたいことを聞いてみた。 「え、ええっと…… 一体、何時からそこに?」 「5分程前からだが?」 「!? あ、あの〜、つかぬことをお尋ねしますが、それでは先程までのわたし達の会話は……」  恐る恐る尋ねる少女に、恭也は胸を張って答えた。 「『……恭也さん、遅いね』からバッチリだ」 「い、いやああああ〜〜〜〜ッ!!??」  ポカポカポカポカ  少女は真っ赤になって恭也を叩く。  ……余程恥ずかしかったのだろう、涙目だ。 「恭也さんのばかばかばかばかっ! いじわるいじわるいじわるいじわるっ!」  ふぁさっ  だがそんな少女を恭也は優しく抱き寄せた。  そして、背中を摩ってやる。 「あ……」  少女は驚いたのか一瞬身を硬くしたものの、直ぐにされるがまま……どころか両手でしがみ付き、その胸に顔を埋める。 「むう、すまん。傍にいるのに全然気付かないし、急に盛り上がるしで出るに出れなくてな……」 「酷いですよ……」 「ま、悪気は無かったんだ、許してやってくれ」 「う〜〜」 「おお、そういや、肝心の挨拶をまだしていなかったな。 ――“ただいま”キャロ嬢、フリード」  拗ねて唸る少女に、今思い出した、とばかりに恭也は口を開いた。 「え……」  その言葉に少女……いやキャロは顔を上げ、一瞬驚いた様な表情を浮かべたものの、だが直ぐに笑顔で応えた。 「“お帰りなさい”恭也さん!」 <2> 「恭也さん、大遅刻ですよ?」 「それに関しては言葉も無いな。 ……俺もまさか丸一日付き合わされるとは思わなかった」  「朝には着くって言ったじゃないですか!」と可愛く頬をふくらませるキャロに、恭也は何処か疲れた様な顔で弁解する。  すると、先程から恭也の近くを飛び回り何やらクンクンと嗅でいたフリードが一声鳴いた。 「キュクルー」 「え? 恭也さんから女の人の匂いがする?」 「ぶふぉおっ!?」 「え〜と、それって凄く長い間、その女の人と一緒に居たってことだよね? それって――」 「そ、それよりフリードッ! お前、俺の気配に全く気付かんとはどういうことだ!?」  何かヤバそうな流れを感じ、恭也が慌てて話を逸らす。 「――あ、そう言えば恭也さん、一体どうやってここまで来たのですか?」  幸い、キャロは直ぐに乗ってくれた。  その素直さが恭也にはとても眩しく、思わず自分の汚さを再確認してしまう。 (ああ、俺ってなんて打算的なんだ……)  とはいえキャロの疑問も尤もだった。  里に通じる道は、丘の下を通る道一本しかない。  そして、ここからは道が広範囲に渡って見渡せる。  だから里に近づく者を見逃す筈が無いのだ。  一体、どうやって恭也は此処まで辿り着いたのだろう? 「ああ、森を突っ切ってきたんだ」  その疑問に対する恭也の答えは、あまりにシンプルだった。 「……何故また、そんなことをしたんですか?」  恭也の言葉にキャロは目を丸くした。  それは確かに、森を通っても辿り着くことは出来るだろう。  だが当然の事ながら道なき道で歩き難い上に迷い易く、おまけに凶暴な獣も出るのだからいいことなしだ。  「一体、何の為に?」とキャロとフリードは首を捻る。 「そんなの、お前達を驚かす為に決まってるだろう?」 「…………」 「…………」  そのあまりの言葉に、二人の目付きが険しくなっていく。 「冗談だ、本気にするな」 「え、違うんですか?」 「んなことだけの為に、わざわざ森を突っ切る訳なかろう?」 「……だって恭也さんですし」 「キュクルー」 「お前ら―― まあいい、歩く道すがら、これを掘ってたのさ」 「あ、ヤムイモですね。 ――わあ、大きいしいっぱいある♪」  恭也が見せる細長い芋の束に、キャロは目を輝かせた。  ヤムイモはアルザス地方原産の芋で、滋養がありかつ美味だ。  だが「数が少ない」「見付け難い」「掘り難い」と三拍子揃っていて、天然ものは現地民でも中々手に入らない一品でモある。  キャロの反応も当然だろう。 「ま、土産の足しに、な」  キャロの反応に、これなら大丈夫だろう、と恭也は満足そうに頷いた。  ……実はこれ、隣近所の分まで買う金が無いため手土産代わりに掘った物だったりする。 (だが、まだ足りない。できればあともう2〜3本欲しい)  そんな訳で、野生動物の勘(フリード)に頼ることを目論んでいた。  しかし頭を下げて頼むなどという選択肢は端から存在しない。  「作戦開始!」とばかりに恭也はしかめっ面を作り、フリードを見る。 「――そういやさっきの話の続きだが、フリードよ。  お前、キャロ嬢の守護獣気取りの癖に鈍すぎるぞ?  何か会う度に酷くなってないか?」 「キュクルー!」  ……予想通り、フリードは挑発に乗ってきた。  後一押し、である。 「はっ、どうだか。だが、そこまで言うのなら証拠を見せてみろ!」 「キュクル?」  不思議そうに自分を見るフリードに、恭也は大きな一本の木を指差した。 「あの木の先端に太陽が達するまでの間に、どちらがより多くのヤムイモを見付けられるか勝負だ!  もしお前が勝ったら先の言葉(だけ)は取り消してやろう!」 「キュクル!」 「おお、それでこそフリードだ! ではいくぞ! ――よーい、ドンッ!」 「キュクルー!」  合図と共に、フリードは森に向かって突撃する。 (ふ、なんて単純な奴……) 「あ! フリード!?」 「キャロ嬢、何処へ行く?」  フリードを追いかけるキャロに、恭也は思わず声をかける。 (……むう、こんな展開、俺のシナリオには無いぞ?) 「フリードを手伝います! あの子、掘っても持てないですから」 「おう、しっと……」  自分の詰めの甘さに、恭也は手を顔に当てた。 (そーいや、そーだ。俺としたことが……) 「キャロ嬢、あんまり深くまで行くなよ〜〜!」 「は〜い、わかりました〜〜」 「やれやれだ……」  キャロが森に入るのを見送った後、恭也は頭を掻きつつ木の根元に腰を下ろした。  この辺りに危険な獣はいないことは確認済だし、まあいいか…… 「とはいえ、キャロ嬢にまで働かせてしまうのは申し訳ないな」  いや、フリードは別にいいのだ。  奴にだって一応土産は買ってあるのだし、その分働かせるだけのことだ。  働かざる者喰うべからず、何の問題も無い。  だがキャロに対する土産は“お礼”である。  なのに働かせるのは些か心苦しいものがある。 「お詫びに、たっぷり遊んでやるかね……」  そう呟き、ポケットまさぐると角砂糖――部隊の談話室からガメてきた――を取り出した。  そして、齧る。  ガリッ  ……購入者の趣味だろうか? 普通の角砂糖とは明らかに異なる、異様に歯応えのある感触だ。  そう、まるでロシアの角砂糖の様に硬い。  その甘みと食感を楽しんでいる自分に気付き、苦笑する。 (……しかし、まさかコイツを喰える様になるとはね。ホント、環境って怖いな)  かつて、恭也は甘い物が苦手だった。  だがここ数年の窮乏生活故に、何時しか嗜好品代わりに角砂糖を齧ることを覚えていた。  (特にここ数ヶ月は、旅費やみやげ代の捻出もあって大いに世話になっている)  情けないというべきか、逞しいというべきか……  ジーー (今の俺を“皆”が見たら、さぞかし驚くだろうなあ……)  本当に“色々と”変わっちまったからなあ、と自嘲する。  ジーーーー 「……しかし、一体何の用だ? お前?」  その視線にいい加減うんざりし、先程からじっと自分を見つめている相手に声をかけた。  それは、一匹のアナグマ(の様な生き物)だった。  穴の上から頭だけ出し、先程から恭也を凝視している。  ……いや正確には恭也ではなく、その手元の角砂糖の欠片を凝視している。 「……これが欲しいのか?」  試しに、大分小さくなった角砂糖の欠片を投げてみた。  ハシッ!  するとアナグマ(?)は穴から飛び出して器用にそれをキャッチ、すぐさま口に放り込む。  にぱあ〜〜  ……その瞬間、アナグマ(?)は笑った様な気がした。正直、気持ちが悪い。  喰い終わると、再び物欲しげに恭也を見る。 「たいがい“太い”な、お前……」  どうしたものか、と恭也は呆れて空を見上げる。  が、直ぐに何か思いついた様に、ニヤリと笑った。 「なら、協力して貰おうか」 「?」  そんな恭也を、アナグマ(?)は不思議そうに見上げた。                          ・                          ・                          ・                          ・                          ・                          ・  およそ一時間後、目印の木の先端に太陽達するか達さないかといった頃、キャロとフリードは泥だらけになって森から出てきた。  キャロの手には、小さいとはいえ2本のヤムイモがしっかりと抱えられている。  村に程近いこの辺りでは既に掘り尽くされ、見付けるのは困難だ。  「丸一日探し回っても収穫がないことも珍しくない」という事実を考えれば、上出来も上出来の戦果だろう。 「凄いね、フリード! 2本も見付けるなんて!」 「キュクルー」  キャロの賞賛に、フリードは喜び舞い上がる。  勝利を確信し、有頂天だ。 「いくら恭也さんでも、2本は無理だと思うなあ…… たぶん、フリードの勝ちだよ」 「キュクルー!」 「……駄目だよ、フリード。恭也さんに無理言わないの、約束だよ?」 「キュクル……」  キャロが諌めると、フリードは渋々といった風に頷いた。  ……一体、何と言ったのだろうか?  「あ、恭也さんだ! ――って、ええっ!?」 「キュクルッ!?」  ドサッ  恭也を見付けて声を上げたキャロは、だが次の瞬間には驚きのあまり、抱えていたヤムイモを落としてしまった。  そして呆然と恭也を……いや、恭也の傍に無造作に積まれているヤムイモを見る。  その数、5本。しかもみな大きい。 「おお、キャロ嬢にフリード、お帰り」 「い、一体どうやってこんなに……」  ズポッ!  その疑問に答えるかの様に、いきなり地面からヤムイモが突き出てきた。 「え、何でっ!?」 「キュクルッ!?」  驚く二人の目の前でヤムイモはどんどん突き出ていく。  暫くすると、それを抱えたアナグマ(?)が姿を現した。  アナグマ(?)はヤムイモを抱えヨチヨチと歩き、恭也の傍にあるヤムイモの束の上に置く。  そんな彼(?)に、恭也は声をかけた。 「ご苦労、もういいぞ。全部で6本だから6個……いやおまけを着けて7個だ」  そう言って恭也は、アナグマ(?)の前に何か白い物を置いた。  それを見たアナグマ(?)は躍り上がって喜び、白い何かを全て口に放り込む。  そしてまるでリスの様に頬を膨らませ、穴の中へと姿を消した。 「あ、あはははは…… そんな馬鹿な…………」  その一部始終を見ていたキャロは、乾いた声で笑う。  あの警戒心の強いライテル――あのアナグマ(?)の種族名らしい――が、こんな人間の直ぐ近くに現れるなんて…… (しかも、何か思いっきり取引してたっぽいしっ!? ……恭也さん、あなたは本当に一体何者ですか?) 「キュクルーーーーッッ!!」  ただただ驚くだけのキャロとは違い、フリードはとても怒っていた。  まるで抗議するかの様に鋭く鳴く。  だが、恭也は全く動じない。 「……何を言うか、俺はズルなんかしてないぞ?」 「キュクルーーッ!」 「――では聞くが、俺は『自分で見付け、掘ること』なんて条件、一言でも言ったか?」 「キュクル!?」 「ああ、言っていないな。つまり、俺があの獣を使ったのは“あり”なんだ。あらかじめ確認しなかったお前が悪い」 「キュクル……」 「お前はな、勝負を受けた時点で負けていたんだ。認めろ、フリード」 「キュクル〜〜」  詭弁に丸め込まれて項垂れるフリードを見て、キャロは慌てて駆け寄った。  そしてぎゅっと抱きしめて慰める。 「泣かないで、フリードはがんばったよ! ……ただ、恭也さんがでたらめすぎたただけだよ」 「むう、褒められているのか貶されているのか判らんぞ……」  だがまあ初期の目的は達したのだからいいか、と記憶のゴミ箱の中へと放り込むこととする。  一方、キャロとフリードはクライマックスに達そうとしていた。 「キュクル〜〜ッ!」 「フリード!」  ひしっ 「……ま、終わるまで待つとするかね」  盛り上がる二人を横目に、恭也は木の根元に腰を下ろした。  だが次の瞬間、その木に傷が付けられていることに気付き眉を顰める。 (まったく、悪餓鬼共が――) 「……む?」  “傷”を見た恭也の表情が、困惑気味に変化した。  ナイフで付けた様な複数の線。  一見したところ、ただの落書きの様にも見える。  だが、恭也はかつて似たようなものを見たことがあった。 (――気のせい……か?)  だが似た様な“傷”など、それこそ何処にでも転がっている。  “これ”だって高さは子供の背程、切り口だって素人染みている。  第一、こんな何も無い平和な村に……ありえない。 「まったく、俺もいい加減に苦労性だな」  命懸けの修羅場を潜り抜け過ぎ、神経過敏になっているらしい。  恭也は自嘲し、角砂糖を再びポケットから取り出した。  ……いったい幾つガメてきたのだろう? ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【2】 <1>  ルシエの民は第6管理世界アルザス地方に居住する少数民族である。  彼等は人口1万人にも満たないが、同地方の地下資源の採掘権と引き換えに(現地政府より)自治権と免税権を獲得した、 れっきとした“国”持ちの民族だ。  その生活は基本的に自給自足だが、豊かな森林から得られる良質の木材や毛皮等を元手とした交易も行っており、 そこそこ豊かで文明的な生活を送っている。  ――そんなルシエの民と恭也が交流を持つようになったのは、一寸した偶然からだった。  今から5〜6年程前、恭也は所属部隊(クラナガン・エクスプレス)と共に第6管理世界へと派遣された。  その際にアルザス地方を経由したのだが、その雄大な自然に魅かれた恭也は、後日あらためて長期休暇をとりこの地を訪れた。  無論、当初の目的は山篭りだった。  だが幾つかの偶然が重なってルシエの民との交流が生まれ、更に里に家まで構えるようになると、何時しか目的は山篭りから バカンスへと変化していった。  ……この頃になると恭也の年間出撃日数は100日を超え、訓練よりも休養を必要としていたのである。  故に、恭也は有給休暇の大半を当て、年に2〜3回計30日間程ルシエの里に滞在することにしていた。  (※恭也の有給休暇は、基本休暇30日+実戦参加に応じて加算される特別休暇約10日(10出撃につき1日)を加えた約40日)  ここまでくると、恭也が“帰省”という言葉を使うのもある意味当然だろう。  無論、彼の“実家”は今でも八神家だ。  たがここルシエの里は、全てを忘れてのんびりできる“命の洗濯場”“セカンドハウス”と位置付けられていたのである。  ……いや、八神家での生活だって悪く無いどころかむしろ良すぎるくらいなのだが、なんというか……色々と疲れるのだ。  それに皆責任ある立場ため、下っ端(万年陸士長)の恭也の様にそうそうまとまった休暇を取れず、中々休みが重ならないし。 <2、族長の館>  里に着くと、恭也はいつもの様にまず族長を訪ねた。  里の中央に構えられた、およそ1000坪程もある族長の館。  その客間に通されると、既に族長が席に着いて待っていた。  なお余談ではあるが、「族長の方が先に待つ」というのはある意味最上の扱いであり、 一客人に過ぎぬを恭也を遇するにしては些か腑に落ちぬものがある。  無論、最初は“こう”では無かった。  何が原因かは判らないが、何時しかこの様なことになっていたのである。 「予定より遅れてしまい、申し訳ありませんでした、族長」  開口一番、恭也は深く頭を下げた。  自然な、だが礼法に則った行動。  もしクラナガン・エクスプレスの面々――ことにその上層部――がこれを見れば、己の目を疑ったことであろう。  「この男にもこういうことができるのか」と。  だが恭也とて無頼漢ではない(寧ろ「良家の出」とすら言える)。  普段使わぬだけで礼儀作法の心得位はあるし、自分を遇してくれる者、人格者相手に対しては礼をもって望むことも吝かではない。  ことに目の前の老人はその双方の条件を満たしており、なおかつ今回は予定を大幅に遅れるという非礼もしている。  故に、これは彼にとって当然の行為だった。  ――とはいえ、普段からこの様な態度であればクラナガン・エクスプレスでもあそこまで粗略には扱われなかっただろう。  “切り札”として重宝されることは無論、とうに陸曹……もしかしたら幹部候補生として推薦され、士官にすらなっていたかもしれない。  だが恭也的には出世して部下を持ったり、ましてやデスクワークを強いられるなど悪夢以外の何者でもない。  例え下士官であってもノーサンキューだ。  加えて、上官相手にそういった行動をとるのは諂っている様でどうにも性に合わない。  故に、この仮定は“IF”以外の何者でも無かった(まあとにかく猫の様に気侭なのだ、この男は)。  恭也のこの態度に、族長は柔和な笑みを浮かべて首を振った。 「そういうこともありましょう、お気になさらぬな。して、今回はどの程度?」 「八日目の朝にはここを発つ予定です」 「そうですか、何も無い村ですが、どうかごゆっくりとなさって下さい」  お決まりのやり取りの後、二人は世間話を始める。  やれ「何処そこの家で子が生まれた」だの「今年は作物の実りが良さそうだ」などまあ他愛も無い話だが、 およそ半年振りということもあって話は弾む。  トン、トン  ドアを叩く音により、二人の会話は途切れた。 「どうした?」 『あ、あの…… お茶をお持ちしました……』  族長が声をかけると、外から遠慮がちの声が聞こえてくる。  声の主を知ると、族長は途端に態度を変えた。酷く冷たい声で応じる。 「入りなさい」 「し、失礼します……」  入ってきたのは、お盆を持ったキャロだった。  ……だが、そこにはつい先程まで恭也と接していた姿は無い。  その表情・口調は固く、何処か怯えている。  そんな彼女を族長は叱責した。 「キャロ、遅いぞ。客人に失礼ではないか」 「は、はい…… 申し訳ありません……」  さして強く怒鳴りつけた訳ではない、侮蔑を込めた訳でもない。  だが少しの愛情も感じられないその冷たい言葉は、まだ幼いキャロに鋭く突き刺さる。  可哀想な程怯え、盆を持つ手も震えている。  そんなキャロに恭也は助け舟を出した。 「時に族長、またキャロをお借りしてよろしいですか? ……いえ、一人では色々と大変なもので」  そう言いつつ、さり気なく、だがわざと無作法に茶を盆から取る。  が、そんな様子を見ながらも族長はさして咎める様子は見せない。どころか、あっさりと頷いた。 「いいでしょう。 ――キャロ」 「は、はい……」 「高町殿が滞在される間、身の回りのお世話をしなさい」 「は、はい!」  その言葉を聞き、キャロは先程までの表情を一変、目を輝かせて返事する。そして、恭也を見た。  恭也はその視線に頷くと、茶を飲み干し立ち上がる。 「ありがとうございます。 ――ではキャロ嬢、行こうか」 「はい!」  キャロは元気良く答えると、恭也が差し出した手をしっかりと握る。  二人は族長に頭を下げ、部屋を後にした。 「高町殿、ありがとうございます……」  一人部屋に残った族長は、茶を口にした後、寂しげにそう呟いた。 <3、路上にて> (……しかし、妙だよな)  里での住まいへと向かう道すがら、恭也はあらためて疑問を抱いた。  族長は人格者だ。それは会って話せば判る。  つまり、年端も行かぬ幼い少女に厳しく当たる様な人物では決してないのだ(事実、里の者に対しても極めて温厚である)。  にも関わらず、キャロに対してのみあの態度はどうも解せない。  その癖、極偶に一瞬とはいえキャロを慈愛と悲しみに満ちた目で見るのだから、なお判らない。 (ふむ……)  恭也はちらりとキャロを見た。  キャロは生まれて直ぐに両親を亡くし、天涯孤独の身の上らしい(少なくとも、彼女はそう信じている)。  それ故、族長の館で育てられているのだが、先の通りの扱いだ。  決して虐待されている訳ではない。  教育だってきちんと受けさせてもらっているし、衣食住にも不自由の無い生活を送っている。  他の里の子達と比べても、その待遇は決して劣ってはいないだろう。  むしろ、恵まれていると言っても良い。  ……唯一つ、愛情を除いては。  族長は何かというとキャロを厳しく叱る。  暴力を振るう訳ではないが、保護者としてあまりに冷たい。  里の者もまた、キャロに対して何処か余所余所しい。  何故か“様”付けで恭しく挨拶もするが、“敬して遠ざける”を地でいく態度をとる。  ……だからだろう、最初に出会った時、キャロの心は凍り付いていた。  随分とまた暗い子だな――それが恭也の第一印象だった。  余りに感情変化に乏しい少女。  だが一人で遊ぶその背中は実態以上に小さく見え、寂しげだった。  ……だから、いつもの“悪い癖”が出た。  放って置けなくなり、色々と構ってしまった。  ここら辺に関しては今思い出しても不思議に思う。  自分は何故あそこまで一生懸命だったのだろう?  だが、まあ…… その甲斐もあり、今現在この通りキャロは懐いてくれている。  族長や里の者の態度は相変わらずだが、キャロ自身は確実に変わった。  フリードという友人も出来た。  物事は確実に良い方向へと進んでいるのだ。  ――とはいえ、疑問が残る。  何故、キャロはここまで一族から孤立しているのだろう?  何故、孤立しながらもここまでの高待遇を得ているのだろう?  何故――  ……そこまで考え、恭也は首を振った。  ここから先は客人たる恭也が踏み込める領域ではない。  それこそ全てを投げ捨て、キャロを守りぬく気概がなければ踏み込むべきではなかった。  そしてそこまでの決意は、恭也には無い。  何故ならば、自分は何れ元の世界に帰らねばならぬ人間なのだから…… (とはいえ、僅かばかり慰めること位は構わないだろう)  そうも思う。  なに、連中の決まりなど知ったことではない。  自分は無責任な外部の人間なのだ。  それに何も言ってこないことからして、自分の行為は何故か黙認されているらしい。  実際、族長があっさりキャロを寄越したことから考えて「そう」なのだろう。 (なら、可愛がりまくってやるさ……)  自分には、それしかできないのだから。 「……恭也さん、聞いてます?」  その言葉に我に返ると、キャロが不満そうな顔で自分を見上げていた。 「うむ、聞いているぞ」  そんな内心を隠し、ついでに聞いていなかったことも誤魔化して恭也は大きく頷いた。 「じゃあ、わたしは何の話をしてました?」 「フリードが卵を産んだのだろう?」 「キュクル!?」 「フリードは男の子ですよ! それにまだ子供です! もう、やっぱり聞いてないじゃないですか!」  キャロは腰に手をあて、ぷんぷんと怒る。 「恭也さんもいい大人なんですから、人の言うことは――」  そこで、言葉が止まった。  ……いや、“何か”を見て言葉を止めたのだ。  見ると、道の前方から男がこちらへと歩いて向かってくる。  背の曲がった小男だが、初めて見る顔だ。 (……こんな奴、いたか?)  恭也は顔を顰める。  悪人……とまでは断言できないが、油断できなさそうな目だ。 「おや、キャロ様ではないですか。今日も良い日和で」  男はキャロを見ると、恭しく――少なくとも表面上は――頭を下げた。 「あ……」 「キュクル!」  だがキャロは顔色を変え、怯えた様に恭也の背中に隠れてしまう。  フリードも警戒し、威嚇する。  これを見て男は大袈裟に首を振った。 「おやおや、嫌われたものでげすな。いやはや、参った参った」 「初めて見るが、あなたは?」 「あっしはヤンと言う者でございますよ。旦那」  恭也の問いに、男はあっさりと答えた。 「俺は高町恭也という」 「ああ、やはり旦那がそうでげすか。キャロ様の懐かれようからして、そうではないかと思っておりやしたが」  そう言うと、ヤンは恭也を上から下まで嘗めるように見る。  そして、腰に差す二刀に目を留めた。 「旦那、やっとう(剣術)をやりなさるのですかい? ……いや、一つはデバイスか。旦那、魔導師でげすね?」 「一応、な? 魔導師とは名ばかりのFランクさ」  その羨望の視線に苦笑し、恭也は釘をさす。  だが、それを聞いてヤンは声を荒げた。 「とんでもねえ! Fランクだろうが魔導師は魔導師でさあ!  ランクさえ持ってりゃ、それだけで何処行っても職には困らねえ!  都会でだって立派におまんま喰えるんだッ!!」  ヤンの言うことは些か大袈裟だったが、全くの嘘という訳でもない。  さすがにEランク以上の“本物”の魔導師には遠く及ばないものの、それでも魔力が無い(または有ってもライセンスを持たない)一般人 からすれば、Fランクの魔道師ライセンスは立派な“資格”の一つと言える。  (※Fランクの魔道師ライセンスは、Fランク以上の魔力を保有する者が決して短いとはいえない期間の講習と訓練を受け、    更にその後の書類審査と実技を含む試験に合格することによってはじめて発行されるため、時間もお金も相応にかかる。    付け加えると訓練自体も厳しく、そのせいかライセンス保有者は実際のFランク能力者の数と比べて意外な程少ない。    ……なお恭也の場合は特例(コネ)で大幅短縮&無試験で交付された)  例えば各管理世界の軍、警察、消防への入隊、或いは一般企業の警備員や各種作業従事者として最優先で採用される。  日雇い労働者であっても、ライセンスが有ると無いとでは待遇が大きく異なる。  ……いや、寧ろこれらの業種は「ライセンスの存在を前提としている」とすら言って良いだろう。  これは単なる資格の有無ではなく、魔力を扱えるか扱えないかの違い――両者の実力(労働力)には大差が生じる――であり、 それ故に雇用者の態度は正直だった。  無論、何の魔力も持たずとも努力さえすれば幾らでも世に出る方法はあるだろう。  だが、この世(管理世界)は魔導師を中心に回っている。  魔力の有無、更には大小や能力の種類等によって、生まれた時点で大きな差がつけられていることは否定しようの無い事実であった。 「い、いや、すまなかったな」  魔力を持たない人間のあからさまな言葉に、恭也は面喰いながらもただ詫びるしかなかった。  確かに、恭也自身嫌という程承知している。  例えFランクの魔法と言えど、使えると使えぬとでは雲泥の差なのだ。  もしこれを戦闘ではなく、労働や警備・救難に使えば―― 「……いえ、あっしも言いすぎやした。  何せ憧れて都会に出たはいいものの、夢破れ尾羽打ち枯らして逃げ帰ってきたばかりでしてね……  まったく、あそこじゃあ金が無きゃあ何もできねえ」 「……よくわかるよ、それは」  警戒しつつも、恭也は同感とばかりに頷いた。 (その点、ここは生きていくのに金がいらないからな〜 うむ、自給自足万歳、物々交換万歳)  ギュッ!  背後のキャロが自分の服を強く握り締めた。  ……どうもキャロはこの男が苦手な様だ。 (これはとっとと退散せねば)  多少非礼だが、強引に話を打ち切ることとする。 「では急いでいるので、これで」 「ええ、ではあらためて、また……」  男はさして気にするでなく、頭をもう一度下げて去っていった。  ……男が見えなくなるまで、キャロは恭也の服を握り締め続けた。 <4、恭也の小屋> 「おお、半年ぶりの我が家だ」  家の前で恭也は歓喜の声を上げた。  恭也の家は、里の外れにある。  家と言っても小さな丸太小屋で、内部は真ん中に囲炉裏があるだけの、僅か四畳半程の板敷に過ぎない。  風呂やトイレに至っては屋外の簡易なものだ。  物が殆ど無いとはいえ、恭也とキャロ、それにフリードが入ればぎゅうぎゅうである。  だが、気にする者は誰もいない。  恭也は木の匂いに満足そうに頷き、キャロは楽しそうに笑っている。  フリードですら何処か嬉しげだ。  三人(?)は囲炉裏に火を付けると、茣蓙を敷いて座る。  淹れたばかりのお茶を一口啜ると、恭也は感心した様に唸った。 「しかし、綺麗なものだな。およそ半年振りだというのに、塵一つ無いぞ」  その言葉に、ふーふーと熱いお茶を冷ましていたキャロが嬉しそうに答えた。 「はい! フリードと二人で、がんばってお掃除しましたから!」 「キュクル!」 「ふむ、有り難いことだ。 ――では、そんなお前達にお土産をやろう」  そう言うと、恭也はリボンの付いた大きな箱をキャロに渡した。 「ありがとうございます! ……えっと、今開けていいですか?」 「ああ、かまわんぞ」  キャロは嬉しそうにリボンを解き、箱を開け……目を丸くした。 「あれ?」  箱の中には、小さなリボンの付いた箱が入っていた。  首を傾げながらも、キャロは箱を取り出し、リボンを解く。が―― 「あ、あれえ?」  箱の中は、またもリボンの付いた箱。  困ってしまい、思わず恭也を見る。  だが恭也は笑うばかりで何も言わない。  仕方なく、キャロは再びリボンを解く作業を再開した。 「あ、でてきた! わあ…… きれい……」  更に数回同様のことを繰り返し、大分小さくなった箱から出てきたのはビー玉とお弾き。  だが、一見しただけで唯の子供の遊び道具で無いことが判る。  その輝きは、観賞用のそれだ。大人の女性の持ち物としても十分に通用するだろう。  その美しさに、キャロは感嘆の声を上げる。 「ま、そんじょそこらの玩具じゃないからな」  キャロの反応に、恭也は満足そうに頷いた。  このビー玉とお弾き、実は海鳴在住のさる高名なガラス工芸師の手によるものである。  釣り仲間として親しくしている縁から原材料費+α程度で作って貰ったが、まともに買えば諭吉さんがウン十枚といるであろう逸品だ。  (そもそも余程親しくなければ、こんなものを作ってくれないだろうが……)。 「はい! 凄いです! ……でも、なんで何重にも箱に入れてあるのですか?」 「……いや、凄く小さいから景気づけに、な?」  ……実に見栄っ張りな男である。  そんな恭也をキャロはくすくすと笑う。 「そんなの、気にしなくていいじゃないですか。恭也さんが来てくれただけで、わたしには十分なおみやげですよ」 「あ〜〜」  裏表の無いキャロは、汚れた恭也にとり実に眩しい。  そのあまりに過分な言葉に、何も言えず鼻の頭を掻く。  ドン!  と、フリードが急に足に乗ってきた。  そして恭也を期待に満ちた目で見上げると、一声鳴く。 「キュクル!」 「フ、フリード!? ……もう、そんなおねだりしないの」 「あ、ああ…… もちろんお前にもあるぞ?」  恭也は苦笑しつつ、大きな細長い箱をフリードの前に置いた。  それを見てフリードは早速箱を壊……そうとしてキャロに止められた。 「もう、箱を壊しちゃだめだよ。わたしが開けてあげるから」 「キュクル〜」  不満げなフリードを他所に、キャロは丁寧にリボンを解き、箱を開ける。  そして中を見て、驚きの声を上げた。 「わ、大きい!」  中身は、なんとフランスパン程もある巨大ソーセージ。  ……一体、何処で手に入れたのだろう? 激しく謎だ。 「キュクル♪」  これを見てフリードは大喜びで飛び回る。  そして大きく口を開け、ソーセージに齧り付……こうとして今度は恭也に止められた。 「馬鹿者、一度に喰う気か」  これにキャロも加勢する。 「駄目だよ、フリード。こんなに一編に食べたらお腹壊すよ?  それにせっかくのお土産なんだから、ちゃんと味わって食べなくちゃ」 「キュクル〜」 「キャロ嬢の言うとおりだな。 ――という訳で、コレはキャロ嬢が管理してくれ。コイツに渡したら一日で無くなる」 「わかりました」 「キュクル〜〜!」  再び仕舞われるソーセージを見て、フリードは号泣した。  嗚呼、無情……                          ・                          ・                          ・                          ・                          ・                          ・  食事の後、囲炉裏の火にあたりながら、キャロは恭也にこの半年の出来事を話す。  その範囲は自分とフリードに起こったことのみと非常に狭いが、目を輝かせて話し続ける。  もし里の者がこの場にいたら、目を丸くしたことであろう。  こんなに饒舌なキャロは見たことが無い、と。  恭也は偶に相槌を打つ程度で、黙ってそれを聞く。  キャロが何より話したいということを知っているからだ。  だが日が沈み、辺りが闇に包まれると恭也はキャロを制した。   「キャロ嬢、もう夜も遅い、そろそろ帰るべきだろう」 「あ……」  その言葉にキャロは顔を上げ、じっと恭也を見る。  ……何かを訴える様な、縋る様な目。  だが恭也はそれに気付かぬ振りをした。  代わりに立ち上がり、背を向けて上着を着ながら背中越しに語りかける。 「送っていこう」  だがその言葉に、キャロは首を振った。 「……いえ、大丈夫です。村の中ですし、フリードもいますから」 「そうもいくまい」 「い、いえ本当に大丈夫です! 恭也さんお休みなさい! ……また、明日」  そう言ってぺこりと頭を下げると、キャロは逃げる様に駆けていった。 「キュクル!」  フリードが慌てて後を追う。  恭也は、それを黙って見送った。 「…………」  一人になると恭也は壁に背を凭れかけ、ぼうっとする。  だが直ぐに手持ち無沙汰になり、火を消して横になる。  ……だが、眠れない。  止むを得ず起き上がり、灯りも付けぬ暗闇の中、恭也は酒を飲む。  ヤムイモのお礼に、と貰った芋酒。  どろりとした喉越しで、火酒の如く強い酒だ。  本来ならばチビチビと嘗める様に飲む酒なのだろう。  にも関わらず、一気に呷る。  喉が、胃が、焼ける様に熱い。  故に、角砂糖を肴とする。  砕いた角砂糖の甘さが、酒の炎を冷やす。  冷めたら、また、飲む。  飲み、嘗める。  そんなことを幾度か繰り返した後、恭也はポツリと呟いた。 「まいったな……」  先のキャロの表情、あれは――“あの時”のはやてと同じだった。  それに気付いた瞬間、打ちのめされた。  俺は、また同じことを繰り返しているのか、と。  ……丁度良い機会だ、と当時は思っていた。  はやてはリハビリを終え、両の足で立てる様になった。  ヴォルケンリッターという家族だってできた。  大丈夫、彼女はもう一人で歩いていける。  自分は必要ない。 ――そう考え、はやてに別れを告げたのだ。  だが直ぐに恭也は自分の間違いに、失敗に気付いた。  胸に縋り、ただただ嗚咽するはやて。そして、自分を見上げた時のあの表情…… 「まあ…… 流石にあそこまで切羽詰まってはいないけどな……」  だが、それは状況が異なるからだ。  同じ状況になればどうなるかは判らない。 《深みに嵌りましたね》 「ノエルか……」  壁に立てかけられたデバイスから、ノエルの声が聞こえてくる。  だがいつものお子様声ではなく、(言語機能を修正すると共に感情のブレを抑えた)戦闘モードのそれだ。 「お前が自分から戦闘プログラムを起動するなんて珍しいな。ましてや今は非戦闘時だぞ?」 《いつもの私ではお慰めしても効果は表面的なもの、下手をすると逆効果と思いまして》  ……なるほど、そこまで心配されたという訳だ。  だとすれば、こちらも真剣に答えざるを得ないだろう。  何より、こんな本音を喋れるのは転移以前からの間柄(尤も当時はただの黒水晶だったが……)であるノエルだけだ。  さすがに普段の幼女モードでは憚られたが、この状態の彼女なら―― 《マスターは女性の、特に子供の涙に弱い。八神はやての時もそうでした》 「ああ、そうだな……」  結局、未だに恭也ははやてと家族関係を続けている。  そしてあれ以来、はやては恭也を“恭也さん”ではなく“お父さん”と呼ぶ様になった。 《意識してのことかまでは判りませんが、あの言葉はまさしくマスターを縛る鎖となっています》 「だが、あれはもう6年以上も昔の話だ。はやてとてもう16、昔とは違う。今度は判ってくれるさ」 《それはどうでしょう? むしろ――》 「むしろ?」 《……いえ、何でもありません。それより今問題なのはあの娘の方です。  まさか、これ以上家族を増やすおつもりではありませんよね?》 「……よせよ、はやてやヴォルケンズに殺されちまう」  だがその言葉は、何処か力が無い。 《強がりは止めて本音を言って下さい。 ……楽になりたいのでしょう?》 「ああ、そうだな……」  恭也は残りの芋酒を飲み干すと、語り始めた。  ――いや、本音を吐き出した。  ……初めな、その後姿を見てなのはを見たのかと思ったんだ。  なのはと言っても、「こっちのなのは」じゃあないぞ? 元の世界の大人しいなのはだ。  「こっちのなのは」も「元の世界のなのは」とよく似ているんだが、どうも双子みたいに微妙に性格がずれててな……  なまじ似てる分、どうもそこに目がいっちまう……  ――ああ、これは今関係ないな。今はキャロ嬢だ。  なのははな、結構自分で溜め込んじゃう奴なんだよ。  だからさ、何かだぶっちまったんだよなあ……  だから、あれこれ世話を焼いた。  何より、子供があんな顔をするのは見てられなかったしな。  ……それに、な? キャロ嬢はどう思っているか知らないが、俺とて彼女に癒されていた。楽しかった。  でなきゃ、こんなに足繁く通わないさ。  その独白を聞いた後、ノエルは恭也に尋ねた。 《では今現在、マスターはあの娘をどう思っているのですか?》  暫し考えた後、恭也は答えた。 「……実の妹の様にも思っている」 《……またえらく歳の離れた兄妹ですね。記録更新ですよ》 「放っとけ!」 《それともう一つ、マスターは嘘を吐いていますね?》 「俺は正直に話したつもりだが?」  憮然とする恭也に、だがノエルは指摘する。 《マスターは「なのはとだぶった」なんて言いますが、それは単なる後付では?》 「それは! ――正直、判らん」  やはり暫し考え、恭也は正直に頭を振った。 《マスターは、色々考えている様で考えていませんからね。  恐らく、あの娘の後姿を見た瞬間に声をかけたに違いありません。  ……といいますか、当時のログを見るとそうとしか思えませんよ。  「なのはと似てる」なんて気付いたのは、早くて声を掛けた後、遅ければウン年後かと》 「……お前の考える俺像について、小一時間程話を聞きたいのだが?」 《別に構いませんよ?》 「……やっぱり止めとく。落ち込んじゃいそうだから」 《実に賢明です》  お子様な私(ノエル)の主観的な評価と、戦闘プログラムとして必要以上の感情を廃した今の私の客観的な評価は別ですからね。  ――そう言って、ノエルは実に愉しげに笑った。 《要するにマスターの悩みの大元は、「元の世界に帰らなければならない」にも関わらず「女性にちょっかいを出すのを止められない」、  の一言につきるのですが――》 「誤解を招きそうな表現は止めろ」 《誤解ですか?》 「誤解、だ」  ふむ、とノエルは唸る。 《自覚なしですか……》 「だから違うと!」 《まあ、帰る前に皆にそれとなく挨拶でもすればよいのでは?  孤島に暮らしている訳ではないのですから、どうやったって絆はできますよ。  ……出来ない方がよっぽど問題では?》 「だから、できるだけ――」 《1人だろうと100人だろうと、捨てられる方にしてみれば同じことですよ》 「う゛……」 《それに帰れる保障もありませんしね。 ――といいますか、宝籤に当たる方がまだ可能性があるのでは?》 「あ゛、あ゛あ゛あ゛……」 《ま、これは絶対に解決しない類のジレンマですよ。マスターがマスターである限りね。  ――さあ、もうだいぶ吐き出して楽になったでしょう?  そんな訳ですから、もう寝て下さい。これ以上は悩むだけ無駄です》  ビリッ! 「がはっ!?」  ノエルが強烈な電撃を浴びせると、恭也はぱたりと倒れた。  ……見ると白目を剥いている。酒がかなり入っていることもあり、当分目覚めないだろう。  それを確認し、ノエルはぼやいた。 《まったく、世話の焼けるマスターです》 <5、族長の館>  丁度その頃、キャロは私室のベットの中に居た。  恭也の家の倍以上の広さがあるこの部屋も、ふかふかのベットも、全てキャロだけのものだ。  明らかに里の子供達よりも恵まれている。  だが、その部屋の中はあまりに殺風景だった。  (立派な調度品が幾つも置かれているにも関わらず、生活感がまるで無いのだ!) 「眠れないよ……」  ベットの中で、キャロはポツリと呟いた。  いつもはベットの中で夢を見ることだけが楽しみなのに、今は時間が惜しくて惜しくて眠れない。  恭也が来るまでは指を折りながら時が過ぎるのを待っていたのに、来てからは残る日数を指折りで数えている。 「まだ初日なのに…… わたし、変だよね?」  本当に変だ。恭也が滞在する一月弱のために残りの十一月強を生きている。 ――そんな風にすら思えてしまう。  思わず、大きな溜息を吐いた。 「恭也さんが、本当のお父さんかお兄ちゃんだったらいいのに……」  それが、わたしのたった一つの夢。  だから、わたしは夜ベットの中で夢を見る。  あの小さな家で、恭也さんとわたしとフリードの三人で暮らす夢を。  おなかがすいたら食べ物を分け合って、  寝るときはみんな肩を寄せ合って眠る。  それはきっととても楽しいことに違いない。  このひろいへやも、ふかふかのベットも、いらない。  恭也さんとフリードがいてくれたら――  『キャロ様、あなた様に付きまとう余所者がいるそうでげすね?   ――気をつけた方がいい、きっと何か企んでいる。   あなたを利用しようと考えているに決まっているんだ』 「!」  数日前のヤンの言葉が、突然脳裏に浮かんだ。  強引に恭也のことを根堀り葉堀り聞き出そうとした挙句、言い放った言葉だ。  キャロは涙を滲ませながら歯を食いしばる。  恭也さんのことを悪く言う人は嫌い、大嫌い。  あの人は……大嫌いで、とても怖い人。  ――でも、と心の奥底から声がする。  あの人の言うことは、もしかしたら本当なのかもしれない、と。  ……だって、そうでなければ何で恭也さんは、わたしになんかにこんなに優しくしてくれるのだろう?  でも、何をたくらんでいるのかな? わたしをどう利用したいのかな?  わたしも恭也さんに何かしてあげたいけど、どうしたらいいのかわからないよ……  キャロは天井に向かい、ぽつりと呟いた。 「恭也さん、わたしは何をしたらいいの? ほんとうにわたしにそんな力があるのなら、わたしがんばるから……」  そうしたら、恭也さんはよろこんでくれるかな? 頭をなでてくれるかな?  ……わたしと、ずっといっしょにいてくれるかな?  キャロのとめどない思考は、いつしか危険な方向へと流れていく。  ……それ程までに、彼女は追い詰められていたのだ。  何時捨てられるか判らぬ不安、にも関わらず与えられる一方――少なくともキャロはそう考えている――の現状は、 常にキャロの心を苦しめ続けてきた。  それ故に、キャロはヤンの言葉を無視できなかった。  その言葉に激しい嫌悪を感じると同時に、堪らぬ魅力を感じたのである。  自分には恭也を助ける力がある。 ――それはキャロにとって実に魅力的な囁きだった。  恭也さん…… わたしは恭也さんが本当は悪い人でも、ちっとも気にしません。  わたしにできることなら何でもします。だから―― 「あしたも……いっしょに…………」    そして何時しかキャロは眠りに就いた。